JAPANESE ARCHITECTURE IN KYOTO
京都の日本建築
法金剛院(蓮の寺) No.1

- 場所:
- 京都市右京区花園扇野町49:TEL 075-461-9428:Zip616-8044
双ヶ丘三の丘東に位置する。
- 拝観:
- 9:00-16:00:400円
観蓮会:毎年7月7日ごろ-8月5日ごろ:6:30-16:00:大人400円、高校生以下300円
- 交通:
- 市バス 26番 妙心寺北門前下車、91,92番花園扇野町下車。JR 花園駅下車。
- 概要:
- 五位山法金剛院。律宗唐招提寺に属する。もとは仁和寺御堂と呼ばれ仁和寺に属していた。
- 時代:
- 平安時代の830年(天長7)に右大臣清原夏野が山荘を建立、死後双丘寺となり、858年(天安2)文徳天皇が天安寺として大伽藍を建て、定額寺に列した。
平安時代の1129年(大治4)、末法思想が広がるなか、鳥羽上皇の中宮待賢門院璋子はここに御堂の建立を定め、浄土世界を顕現する法金剛院として1130年(大治5)に落慶供養した。
- 見所:
- 庭園は、待賢門院が極楽浄土を造園させた池泉回遊式の平安朝の庭園。面積は約2千平米にもなる。巨岩を並べた「青女の滝」は仁和寺の石立僧林賢と仁和寺の徳大寺法眼静意の作。
- 寺宝:
- 阿弥陀如来坐像:重文。木造漆箔。院覚作現存の唯一の像。平安時代(1130年)。平等院、法界寺とともに定朝の三阿弥陀と呼ばれた。
十一面観音坐像:重文。木造粉溜塗、切金、玉眼。期海作。平安時代(1316年)
地蔵菩薩立像(重文、一木造彩色、10c前後)、僧形文殊坐像(重文、一木造彩色、藤原時代)
- 一言:
- 苑池を中心に西御堂(阿弥陀堂)、南御堂(九体阿弥陀堂)、北斗堂、三重塔と軒を連ね、さらにのち東御堂(阿弥陀堂)なども建立されたが衰退し、江戸時代には境内も縮小され堂宇も失った。さらにはJR山陰線、丸太町通りの開通・拡幅によって旧寺池も分断され失われた。
- 花 :
- 関西花の寺第13番霊場:蓮(7月中旬〜8月中旬)、花菖蒲・菩提樹・紫陽花(6月上〜中旬)など大変美しい、紅葉(11月中〜下旬)

- 造営当時は敷地の中央に大池を掘り、滝を落し、池の西に西御堂(丈六阿弥陀堂, 方五間)、東に待賢門院の御所を設けた。
待賢門院の寺であるとともに別荘でもあり、在世中に三重塔(釈迦如来を祀る)、経蔵、南御堂(九体阿弥陀堂, 正面十一間)など多くの建物が営まれ、死後も女(むすめ)の上西門院が出家して住み、西御堂と相対して池の東に方三間の東御堂(阿弥陀堂)をつくった。
鎌倉時代以降、1297年(永仁5)の円覚十万上人による中興後、室町時代に律学を修めた高僧が輩出し隆盛した。その後応仁の乱をはじめ震災などで堂塔を失い、次第に荒廃し、江戸期時代に再興に努めるも衰退した。明治時代にJR山陰線が敷地中央を通って、寺域は二分され苑池も縮小された。1968年に丸太町通りが拡幅され、本堂(礼堂)と地蔵院を移築、釣殿を設けて改修された。
1997年、その旧境内地から平安期の寝殿造の建物跡が見つかった。本格的な寝殿造の遺構が確認されたのは国内では初めて。
- 本堂(礼堂)。江戸時代の再建。南東より見る。右側に苑池がある。


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