Architectón について

- 増田建築研究所の英文名は <Leo Masuda Architectonic Reserch Office> となっていますが、<Architectual> を使わずに <Architectonic> を使うのは何故か、という質問をアメリカのさる方から受けました。
それは、<Architectonic> が <Architectón> と同じ響きを持つ語感ゆえに使用しているのであり、そしてその、<Architektón>の本来持っていた意味を大事にしたいがためなのですが、
ここで、その <Architectón> および関連する語について説明をしておきます。その意味を是非理解していただきたいと思います。
- 参考文献は<「建築論」森田慶一:東海大学出版会> ですが、より根元的包括的で精緻を極めた研究が<増田友也>によってなされています。
その論文(未定稿)は最近(1999年4月)に刊行された「増田友也著作集 第5巻」に「仮題 建築とは何か」として公表されました。この解説ではその後者に多くを負っています。
また、これらの研究のもとになる貴重な資料のひとつに、ローマ時代の建築家ウィトルーウィウス (Vitruvius Pollio, Marcus; BC.1c)が残し、ルネッサンス期に発見された「ウィトルーウィウス建築書」(森田慶一訳;東海大学出版会;De architectúra libri decem)があり、ルネッサンス時代に多大な影響を与えました。
ただし、ウィトルーウィウス建築書はヘレニズム期の所産であって、これがそのままギリシア建築やギリシア時代の建築理論を示しているわけではありません。
語源についてはOxford English Dictionary, the Oxford Dictionary of English Etymologyを参考にして下さい。
- ブラウザによっては、ギリシア語の表記(ローマ字表記)が乱れることがあるかと思います。その場合、ギリシア語の表記のうち、<arche>, <techne>, <architectonice>のそれぞれあとの方の "e", そして <tekton> の "o", <architectura> の "u" の上部には"-"がある文字としてお読み下さい。
また、ギリシア語のローマ字表記のうち、<κ>は一般的には<c>を用いますが、ここでは<k>も用いており、混在しています。
1.Architectón について
まず、森田慶一によりますと、一般に建築と呼ばれている言葉の包括的な概念は西洋からきたものであり、その概念は西洋ではプラトン、アリストテレスの時代の直前である紀元前6世紀までにはギリシアにおいて成立していました。
ちなみに日本では建築という言葉は「キヅキ、タツルコト。家屋、橋梁、城壁等ヲ作ルコト。普請。作事。(新訂大言海;大槻文彦)」といたって即物的に定義されています。広辞苑第二版(新村出編;岩波書店)にも「家屋・橋梁などの建造物を造ること。」とさらに矮小化され、この日本語が深い意味を持った起源の古い語ではないと思われます。
それから考えますと、現代の日本での<建築>という言葉は、英語の <architecture> という言葉を指していると考えるべきで、<建築>という概念もそこからもたらされたといえるのですが、その英語はフランス語経由でラテン語の <architectúra>という言葉から来ています。
そしてこの<L.architectúra> の語源であるラテン語の <architectus> はギリシア語の <architektón> を直訳したものですが、ラテン語化されたその時点で少しばかり意味が変わりました。その点についてはあとで述べます。
注;<architectonic>はまた語源が少々異なるようです。
2.Arché・Techné について
さて、その<architektón>という言葉は<arché(arkhi)>+<tectón(tektón)>の合成語ですが、森田慶一によれば<arché>とは<初・原、原理、首位・頭>を意味する言葉で<tektón>とは<工匠・職人>を意味する言葉です。
また、<techné>とは英語においては<technics><術>を意味します。
それにより、森田慶一は建築家とはギリシア時代の観念として「単なる職人あるいは手技の工人の術ではなく、原理的知識を持ち、職人たちの頭に立ち、諸技術を統べ、製作を企画し指導しうる工匠の技術」をもった人間だとしています。
この<arché>は非常に重要な言葉で、アリストテレスによればarché(アルケー)とはその事物の存在または生成または認識が「それから始まる第一のそれ」であるとして、6つに分類されます。
- 当の事物が第一に(最初に)そこから運動しはじめるところのその部分(運動の始まり、出発点)を意味する。
- なにごとがなされるのにも、それからなされはじめればもっとも善くその事がなされるであろうところの、それ(最善の出発点)を意味する。
- 事物が第一にそれから生成しかつその生成した事物に内在しているところのそれ(すなわち事物の第一の内在的構成要素)のことをもその事物のアルケーという。
- それから生成したその事物のうちには内在しないで、しかもそれからこの事物が第一に生成し来たり、それから第一にこの事物の運動や転化が自然的に始まるところのそれ(転化の外的始動因)をも意味する。
- 動かされるものどもがそのように動かされ、転化するものどもがそのように転化するのはあるものの意志によってであるとき、このあるものがまたアルケーと呼ばれる。
- 対象事物がそれから第一に認識されるに至るところのそれ(認識の第一前提)がこのあるものがまたアルケーと呼ばれる。
<アリストテレス「形而上学」第5巻第1章(Metaphysik Δ1, 1012 b 34):出隆訳:岩波文庫による>
また、「これらすべての意味のアルケーに共通しているのは、それらがいずれも当の事物の「第一の<それから>」であること、すなわちその事物の存在または生成または認識が、「それから始まる第一のそれ」であることである。」(Metaphysik Δ1, 1013 a 17)とあります。
3.再び Architectón について
ブルーノ・ゼーヴィ(Bruno Zevi, 1918-2000)や、森田慶一は<L.architectúra>はギリシア語の<Gr.architectonicé techné>やその省略形の<Gr.architectonicé>から導かれているとしていますが、
増田友也の研究によればそうではなく、<L.architectúra>というのは <L.architectus>から<L.architctor>を経たものだと考察されています。
その考察の意味するところは、前述のアルケーの意味が次第に喪失され、ルネッサンス時には<L.architectúra>の意味するところはすでにプラグマティック(実用主義的)に矮小化されてしまっており、建築家、建築術はもはや始源的な、本来的な意味は失われていたのではないか、ということであります。
そしてさらに、それ以前にもラテン語の<L.architectus>がギリシア語の <Gr.architektón>から訳されたときには<Gr.architektón>がもっていた本来的な統合性や支配性の意味をすでに失い、いわゆる実用的な意味あいでの建築家、つまりギリシア語の<Gr.oikodomos>、ラテン語の<L.aedificator>であらわされるものだったのではないかということです。
ちなみにプラトンの全 Word Index では、プラトン全著作のうちに用いられている<architekón> <architektoniké>なる語はわずか4例しかなく(注)、
一方同時代に使用されていた類語<oikodomos> <oikodomiké>は計73例使用されており、
しかもZeviなどによって<L.architectúra>の語源とされている<Gr.architectonicé techné>もしくは<Gr.architectonicé>はわずか1例(Pol.261C9)しかないことを鑑みれば、プラトンにおいては建築家、建築術は<oikodomos> <oikodomiké>といわれていたと考えて良いでしょう。
そして<architekón> <architektoniké>の語は別なものをさしていたと思われます。
ウィトルーウィウス建築書では逆に、ラテン化された<architektón>つまり<architectus>系の用語は68例、ギリシア語の<domos>のラテン語<domus>は14例のみであり、<aedifico>系の用語は149例もあります。
そして、ギリシアの<oikodomos>に相当するラテン本来の<aedificator>はごく僅かにしかないことから、ギリシア語の<oikodomos>相当のラテン語<aedificator>がラテン語の<architectus>に吸収されてとって替わられ、これが英語の<architecture>の基となったと考えられそうです。
つまり、もうここには、本来の<architektón>や<architektoniké>などさらさらなく、建築家、建築術と呼ばれるものは、実用的実務的な意味合いでの<Gr.oikodomos> <Gr.oikodomiké>、あるいは<L.aedificator>を指しており、それを
<architectus>あるいはさらに<architectúra>と呼んでいたと思われます。
そしてそれが、英語の<architect>や<architecture>の語源となったのだということです。
ここに Greek(ギリシア文化) と Roman(ローマ文化) の建築観念のおおきな、そして根本的な相異を見いだすこともできると想います。
では、プラトンの時代、ギリシア時代には<tekné>なる語はどう考えられていたのでしょうか。
プラトンにおけるたった4例しかないその用法における<architekón>や<architektoniké>は、統括(術)、つまり日本の建築でいう棟梁(の術)を指していると考えるのが順当であり、また、アリストテレスにおいても「原理を知るもの(技術)」というより「統べる技術」だとする考えが支持されています。
そして、前述の考察から、
ローマ時代での、棟梁(の術)である<architectus>あるいはさらに<architectúra>とは隔絶した<architekón>や<architektoniké>は、実用的な<術>を言っているのではないだろうと考えられます。
プラトンは<techné>をエピステーメ(理論知)とほぼ同義にとらえていました。
それは、<techné>のギリシア時代の意味が「真なるものを美しいものへともたらし来ること」であり、つまり、ハイデッガー的にいえば「前へと-もたらし-来ること」(Her-vor-bringen)としてポイエーシス(制作)の領野と関連づけられます。
それゆえ、ハイデッガーは<techné>を、「現前するものを現前するものとして受容する」ということ、「見てしまっている(gesehen haben)」ものとして知の一つのあり方として、ポイエーシスの知(制作知)の領域としたわけです。
プラトンの<architekón>や<architektoniké>の用法から伺い知れるのは、<techné>の根源の語源が、つまりは「見分けること」であり、その意味はその時代にはもはや失われつつあって、
ローマ時代以前においても、プラトンやアリストテレスの時代はすでに多少、実際には<物>としての建築に関する<oikodomos><oikodomiké>に引き寄せられていたといえるのではないかと思います。
そして、ギリシア時代において<architektón>は今で言ういわゆる実用的実務的な<建築家>ではなく、また<建築物>を作ったわけでもなく、今で言う英語の<architecture>は決してギリシア時代には<建築物>のことではなかった、つまり<建築>とは<物>に関することではなかった、ということを示唆しています。
以上のように、<Leo Masuda Architectonic Reserch Office>において、Architectonicを使用したのは、<architect>であることにこだわる限りにおいて、<Gr.architektón>がもっていた本来的な統合性や支配性の意味を、ひいては<arché>が指し示す意味をも含ませたかったからです。
注:プラトンの全著作で用いられている全4例
- 「ポリティコス(政治家)」(Pol.261C9)の中に出てくる<architectonicé techné>としての<architektonikon>なる語は「建築術」と訳され、
- 「ポリティコス」(Pol.259E8)の<architectón>は(棟梁としての)「建築家」、
- 「Amatores」(Amat.135C2)の<architektona>は「棟梁」、
- 「ゴルギアス」(Gorg.455B7)の<architektones>は「大工の棟梁」と訳されている。
4.Art について
ここでもう一つ。英語の<art>(芸術)はラテン語の<ars>という語から転化したものですが、古代ギリシアでは<ars>という言葉はなく、<techné>(技術)に包摂されていました。
古代ギリシアにおいては<techné>は<術>として、いわゆる現代日本で意味する芸術や技術の両方をも包括していたのです。芸術に該当する語は<techneé>以外にはありませんでした。
(例えば、Liddell-Scott: A Greek-English Lexicon, Oxford, 1961 には、その意味の techné の説明として、… an art or craft, i.e. a set of rules, system or method of making or doing whether of the useful arts or of the fine arts. とある)
そしてまたそれは、現代の英語<art>という語の中にも残っており、芸術と技術の両方の意味を持っていますから辞書で確認してみて下さい。
ウィトルウィウスによれば、その <技術(ars)> は <仕事(opus;作品)> とその <理論(ratiocinatio)> とから生ずるものです。
また建築家には多くの知識が必要ですがその <知識> は <実技(fabrica)> と <理論(ratiocinatio)> とから生ずると述べられています。
もちろんここでもその<技術>は、<制作知>と置き換えても構わないわけです。
つまり、建築の知識に二つの方向があり一つは材料構造などの(現代語で言う)技術的方面、もう一つは、技術の所産を巧みに比例の方式で証明し説明する理論的方面だというのです。
ウィトルウィウスの言う[注]この技術的知識こそ <quod significatur>(意味が与えられるもの) であり、理論的知識こそ <quod significat>(意味を与えるもの) であるとされます。
このような考え方はアリストテレスによって思索されていたわけですが、
<art>(技術-芸術)というものがギリシア時代においてどう捉えられていたか、実に示唆に満ちているように思います。
[注]:「意味が与えられるものとは、それについて語られるように意図されている事物 <res> をいい、意味を与えるものとは学問の理によって繰りひろげられた解明をいう。それ故、みずから建築家を公言するものは両方に精通していなければならぬと思われる。」(『ウイトルウィウス建築書』第1書第1章:森田慶一訳)
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