素戔嗚尊が生れ坐したのは、イザナギ・イザナミニ柱の神が国生みの果てに火の神カグツチを生んで、黄泉国(死後の世界)に隠れられたイザナミの神を追っていかれたイザナギの神が、ケガレをすすぐために筑紫の海でミソギハライ(禊祓)をせられたとき、次々に神さまがお生まれになりましたが、最後に清浄の極に至ってお生まれになった神さまが、天照大神(アマテラスオオミカミ)・
月読命(ツキヨミのミコト)と、そして素戔嗚尊でした。
イザナギのミコトは天照大神に高天の原を、月読命に夜の食国を、素戔嗚尊には海原を治めるようコトヨサシ(ご委任)になりました。海原を治めよということは世の荒浪を静め、平穏な世界にせよとのご命令でした。
ところが素戔嗚尊は詔りをうけても従わず、ひげが胸先に生えるほど成長するまで泣き叫んでやみませんでした。青山を枯山とするほど泣き枯らし、河も海もことごとく泣き乾したといいます。そのため悪神どもが騒ぎだし、さまざまのわざわいが起こりました。父なるイザナギの神が、なにゆえに泣き叫ぶのかと問いただしたところ「母の国である根の国に行きたくて泣くのです」と答えられましたので、「それではここに住むことはならぬ」と高天の原を逐われました。
素戔嗚尊は、そこで自らの意志をもって母の国を訪ねようとして、その由を姉君である天照大神に告げようと、高天の原に参い上ってゆかれました。その勢いは山川をゆり動かすほどの猛々しいものでありました。安けく平穏に高天の原を治めておられた天照大神は、この勢いに驚いて、「これはきっと善き心で来るのではあるまい。わが国を奪おうとするのではないか」と、男装して待ち構えられました。しかし素戔嗚尊は、「ただひたすら母恋しさのゆえに、母を慕って根の国に赴こうとするのです」との由を述べ、異心のないことを告げて、その証のために「誓約(ウケイ)」をされることとなりました。
【「うけい」とは、神のみ前に誓い、清明心を神の裁断に乞うのです。ゆゆしい業でした。万が一にも、異心あればたちどころに生命を召されることを覚悟の仕業です。正邪善悪を判定するのに、人の智恵の賢しらでは決し得ません。自分自身の心や言葉でさえも、真か偽りかは見きわめ難いものがあります。天照大神でさえも「うけい」によらねばならなかったのです。】
天照大神はまず、素戔嗚尊の十拳剣をとり、これを三段に折って、天の真名井に振りすすぎ、噛みくだいて吹きすてる息吹の狭霧の中から生れ坐した神は多紀理毘売命・市杵島比売命・多岐都比売命という三柱の女神でした。次に素戔嗚尊が天照大神の髪につけておられた八尺の曲玉をとって、同じように噛みくだいて吹きすてる息吹の中から生れ坐したのは正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命という五男神でした。ここにそれぞれの物種の持っていたところをもって、三女神は素戔嗚尊、五男神は天照大神の御子とされました。
素戔嗚尊は、己が物種によって生れ坐した御子が女神であったことをもって勝利を思いました。そして勝利に酔って荒びの所業がつのりました。大神の作られている田の畔をこわし、溝を埋め、祭りの殿に尿をまき散らしました。大神はしかしこれらをすべて善意に解されましたが、なお素戔嗚尊の悪態はやまず、遂に神衣(神さまのお着物)を織る神聖な機織の御殿を汚す大罪を犯しましたので、遂に大神は天の岩屋戸に隠れられました。
ために葦原中国【地上の国土】は暗闇になり、よろずの災いがことごとくわき起こりました。そこで、八百万神は天の安の河原に集うて、会議をされた結果、岩戸の前で神祭りを行うことになり、アメノウズメのミコト(天鈿女命)の神楽があって、天照大神は再び岩戸より出てこの世は明るさをとり戻しますが、素戔嗚尊は八百万神たちに罪を問われ、手足の爪を抜かれて高天の原を追放されることになります。
『日本書紀』の一書によりますと、高天の原を迫放された素戔嗚尊は、青草の笠蓑を着て村々をさすらう辛苦の状が記されています。悪しきしわざの限りをつくし、漂泊の辛苦を経た素戔嗚尊は、出雲の肥河の河上、鳥髪の地に着きました。
そこに箸が河を流れるのを見て、河上に人の住むことを知り尋ね上られます。すると翁(オキナ)と嫗(オウナ)の二人が少女を中にして泣いていました。
アシナツチ(足名椎)とテナツチ(手名椎)、娘は櫛稲田姫命といいました。八人いた娘を毎年八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)が来てくい、最後に残ったこの娘もくわれるときがきたと申します。そこで素戔嗚尊は酒を醸し、垣を廻らして八つの入口を設け、入□ごとに桟敷をしつらえ、そこに酒樽をおいて、大蛇の来るのを待ちました。八俣の大蛇は八つの槽に八つの頭を入れて酒をのみ、したたかに酔い痴れたところを、ミコトは十拳剣を抜いて切り、これを退治したのです。時に大蛇の尾より剣が現れたので、ミコトはこれを天照大神に献られました。
【これが天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)、後にヤマトタケルノミコト(日本武尊)が草を薙ぎはらって難を逃れた故事により草薙剣(クサナギノツルギ)と称し、八咫鏡(ヤタノカガミ)、八尺瓊曲玉(ヤサカニノマガタマ)とともに皇位継承のみしるしとなっている三種の神器の一つです。】
やがてミコトは須賀の地にいたり、「わが心すがすがし」といい、櫛稲田姫命と結婚して、新しく宮作りして歌を詠みました。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」
【この歌は、わが国の和歌のはじめとされています。】
そして素戔嗚尊と櫛稲田姫命二人の神は、協力して新しい国作りに励まれました。