名水汲み上げの儀
宇治橋での名水汲み上げの儀
豊臣秀吉が伏見城を築いてのち、名水といわれた宇治川の水を宇治橋の三の間から汲み上げられて、毎日伏見城まで届けたといわれている。
現在は年に一回10月の第一日曜日に三の間から清水を汲み上げ、これを竹筒に移して献茶の行われる右岸の興聖寺に運ばる。

三の間
・・・宇治橋特有のもので、橋の西詰から三つ目の柱間に設けらた川にはみ出した部分のこと。


 ---汲み上げられた名水で茶まつりが開かれるまで---
三の間から汲み上げられた水は竹筒に入れられ、献茶会の開かれる興聖寺へ向かう 朱塗りの朝霧橋を渡り宇治川の左岸へ 宇治川から分かれて石門をくぐり、興聖寺の参道
へ、ここは秋には見事な紅葉のトンネルとなり琴坂と呼ばれている
中国風、白い山門をくぐって茶会に集う人々 名水、興聖寺に到着 水の入った竹筒は茶会の行われる本堂へ上げら
茶壷口切の儀 挽かれた新茶と汲み上げられた名水で点てられ
た茶は茶祖に献茶される
茶筌塚での茶筌供養

茶まつり
お茶を中国より日本に伝えた明庵栄西禅師、宇治に茶園を開いた明恵上人、茶道の始祖千利休の3人の遺徳を偲び、毎年10月初旬に宇治橋周辺で行われる祭りです。
午前9時、宇治橋の三の間からしゅろ縄につるした釣瓶で神職によって汲み上げられた清水は5本の竹筒に入れられ、宇治川上流にある興聖寺に運ばれる。
午前10時、興聖寺本堂で今年の新茶を入れた茶壺の口を切って、石臼で抹茶にする「茶壺口切りの儀」が行はれ、汲み上げた三の間の名水を使ったお湯でお茶を点て、茶祖に献茶される。
午前11時30分、興聖寺山門前の茶筅塚で、使い古した茶筅の供養法要が営まれます。
興聖寺
道元禅師が開いた曹洞禅の寺。慶安元年(1648)淀城主永井尚政が深草にあって荒廃していた同寺を移し再興したものである。石門をくぐり、琴坂と呼ばれる参道を登
って行くと両側には桜や山吹や楓などが生い茂り、特に春の山吹、秋はもみじが美しく、宇治十ニ景に数えられている。  
   
 琴坂を下りて渡舟や花づかれ(眉山)
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