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川の土手に吹き出した土筆の芽を見るとちょっとこそばゆい気持ちになるような、春の訪れをうれしく感じる今日のよき日に、三十五期生の若人が新しい生活を始める時を迎えました。
本日ここに、大阪府教育委員会、大阪府議会、地元中学校、同窓会、PTAOB会、PTAの各御代表をはじめ、本校旧職員と多くのご来賓の皆様のご臨席を賜り、大阪府立S高等学校第三十五回卒業証書授与式が挙行できますことは、誠に光栄であり、教職員一同を代表いたしまして心より御礼申し上げます。
また、保護者の皆様方にも多数ご参列いただき、誠に有難うございます。お子様が心身ともに大きく成長され、その成長の中に様々な出来事のあったこの三年間を振り返り、感慨もひとしおのことと思います。晴れのご卒業を心からお祝い申し上げますとともに、本校教育へのこれまでの多大なご理解、ご協力に対しまして深く感謝申し上げます。
さて、国際教養科七十一名、普通科二百三十九名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。高校三年間を含め十七年間の月日が流れました。
今から四千年前、人間の平均寿命は十八歳くらいでした。皆さんの年齢とほとんど変わりありません。紀元元年、今から二千年前の平均寿命は、二十二歳と言われています。二千年かかって、四歳長生きできるようになりました。人間は、文化を少しずつ推し進め、五百年で一歳の割合で寿命伸ばしました。明治時代の初め、日本人の平均寿命は三十三歳。およそ千九百年かけて、十一歳寿命を延ばしたことになります。一歳、寿命を伸ばすのに百七十三年、文化の変化はまだ緩やかだったのでしょう。現在、日本の女性の平均寿命は八十三歳。この百年で五十歳も寿命を伸ばしました。二年で一歳の寿命を伸ばしたことになります。
昨年の秋、妻が五十歳の誕生日を迎えました。この春中学を卒業する末娘は、いたく感心して言いました、「お母さんって、すごいな、半世紀も生きてんのやな」そう言えば、三年前の誕生日には、「お母さんは、私のクラスの中で、一番歳いってるお母さんやけど、ガンバッてな。ごはんつくんのとか、仕事するのとか、朝早く起きんのとか、いっぱいがんばることあるけど、ガンバッてな」と誕生祝いの手紙を渡していました。
平均寿命が伸び、人は豊かさを享受しているように思えます。その中で、本当はどんな豊かさが一番大切なのでしょうか。皆さんの卒業にあたり、豊かな人生とは何だろうかと考えていたとき、長野県諏訪中央病院の鎌田實先生の著書『あきらめない』にある一つの話を思い出しました。その話を簡単にまとめて紹介します。
松本からやってきた四十二歳の女性患者は、スキルス胃がんで手の施しようもなく、余命三か月と言われていました。ただ、松本にいたときの病院では、本人にそのことは告知されていませんでした。家族の心は揺れましたが、ご主人がきちんと説明され、年の瀬の十二月に、ターミナル・ケアにも行き届いた諏訪中央病院に転院することを決められました。
自分の命を真剣に見つめながら、「治らないことはわかっているのですが、少しでも長く生きたい。化学療法の治療を受けてみたい。子どもが二人います。上が高校三年の男の子、下が高校二年の女の子。できれば長男の卒業式を見てやりたい。大学の入学式にも、母親として出てあげたい。子どものために、もう少しだけ生かしてください」自分のためというより、母親として、子どものために卒業式まで生きたいという希望の可能性を、副作用や合併症をともなう化学療法に託されました。
残された時間を少しでも家族と過ごしてもらうため、外来による抗ガン剤治療が始まりました。抗ガン剤の力も大きかったと思いますが、子どものために生きたいという母の強い思いが力になったのでしょう。奇跡が起こりました。長男の卒業式に母親として出席し、卒業を祝うことができました。
一つの希望が達成されると、新しい希望を持たれました。「娘の推薦入試が決まる秋まで生きていたい」しかし、それは疑問符の付く可能性でした。やがて入院となり、徐々に抗ガン剤が効かなくなって、新しい抗ガン剤が試されましたが、副作用が出ました。患者の体の中でガンはさらに進行していき、体力に限界が来ます。廃用症候群のために筋肉が消えていきました。理学療法のスタッフがマッサージをし、筋力の強化を図りました。
主治医は、最後のチャンスとして、短くても一度、家に帰してあげたいと思い、一時退院されました。体の調子がよいときに、常識的にはお勝手の仕事をする体力はないと思われましたが、台所に立ち、娘の弁当を作られました。子どもにとって、お母さんの握ってくれたおむすびは大切な宝物でした。学校で待ちに待った昼休みが来て、お母さんの弁当を開けました。久しぶりで、懐かしさがこみ上げ、うれしくて、うれしくて、せつなくて、せつなくて、涙がぼろぼろとこぼれ落ちたそうです。もったいなくて食べられませんでした。お母さんの心が、お母さんの手の跡が、お母さんの手のぬくもりが、おむすびにはありました。
四十日ほどの、家族との大切な時間、最後の、家でのかけがえのない時間をすごし、再入院。ご主人と二人の子どもの支えがあって、十一月を突破し、秋まで生きるという目標が達成されると、「娘の卒業までは生きたい」と新たな希望を持たれました。
子どものために生きたい、子どもの卒業式まで生きたいという思いが、お母さんを生かしたのでしょう。三月一日、卒業式には出られませんでしたが、二日後、娘さんは泊まる支度をしてお母さんのところへ報告に行きました。病棟で、母と子の二人だけの卒業式のお祝いをされました。「よくやったね。ご苦労さま」と娘に語りかけたその言葉は、そのまま、母親の希望・あきらめないという心の卒業式への言葉だった思われます。
四月になり春爛漫の夕暮れ時、最後まで明るい笑顔を見せておられた患者さんは、最後の一呼吸をして、穏やかになくなられたそうです。余命三ヶ月と言われた命は、一年八ヶ月あきらめませんでした。
皆さん、人間には寿命があります。ひっくり返すことのできない、一度限りの砂時計のようです。砂の量や砂粒の大きさ、砂が落ちる穴の大きさは、人によって異なるようです。運命は遺伝子に書かれているのかもしれません。しかし、遺伝子だけでは分かりきらないのが人生です。「生きている」ってことは、素晴らしいことです。命はその人そのものです。
今日の皆さんの門出に、本来なら、「激動する社会に生きていくために、生きる力を身につけ、これからは大人としての責任を担うように」と、人生の目標を達成するための方法や心構えについて話すことが「はなむけの言葉」なのかもしれません。しかしながら、私が、今日、皆さんに伝えたかったことは、諏訪中央病院にいた母や家族が抱いていたこころです。「生きていてよかった」「共に感じてくれる人がいる」「ああ、ありがたい、しあわせだ」「生まれてきてよかった」という命を慈しむ気持ちです。
物が豊かになり、生活感や価値観が多様化し、一律に「これがいい」と言えない時代の中、皆さんは、これから先、どの道を行くのか、何をするのか、選択しつづけていかなければなりません。選択を迫られる度に、迷いながらも一つ選び、その結果、たいした成就感もなく、何かしら後悔しながら過ごしていくことが多いかもしれません。それゆえ、自分の価値観の基準をどこに据えるのか、自分の生き方の基本姿勢をどう形成するのかがとても大切なことになると思います。
人間は何一つ持たないで生まれてきます。誰かの助けがないと生きていけません。母親はその最初の人です。命を授かった赤ん坊は、生きていくうちに、様々なものを身につけ、手に入れ、豊かになっていきます。人間として何が真に豊かなことなのでしょう。人には寿命があります。自分の一生にピリオドを打つときが必ずやってきます。その時もまた何も持たないのです。ですから、力があるとかないとか、男であるとか女であるとか、時代にうまく対応できるとかできないとかということよりも、「生まれてきてよかった」と感謝の思いを持てることが一番豊かなことではないかと思います。
お腹が空いたとき、懐かしいメロディを思い出したとき、誰かと手をつないだとき、木漏れ日がまぶしいと思ったとき、自分のことを心配してくれる人がそばにいたとき--そんなとき、生きていると感じ、幸せだと思う。それが、生き方の基本姿勢ではないかと思うのです。
人の痛みを感じ、人の絆やありがたさを大切に、命を輝かせ、あるがままに生きてほしいと思います。皆さんに、チャップリンの映画『ライムライト』のスマイルという曲の歌詞の一節を「はなむけの言葉」として贈ります。
Although a tear may be ever so near, that's the time you must
keep on trying. Smile, what's the use of crying? You'll find
that life is still worthwhile if you just smile. 「涙がそこまで出てきていても、そういうときこそ頑って、笑顔を忘れないように。泣いてもなんの得にもならない。人生、笑いさえすれば、やっぱり生きる価値のあるものだとわかる」
皆さんのこれからの旅立ちを心から祝福します。
ご参列の保護者の皆様、皆様も、お話しました母親と勝るとも劣らない気持ちでお子様のことを思い、今日の日までの成長を慈しみ、胸いっぱいに喜んでおられると思います。これからの新しい生活に、懸命に生きていく一人ひとりの命の輝きを今後も温かく見守っていただければと思います。
最後に、本日の門出を祝福していただきましたご来賓の皆様、明日からの新しい一歩を夢と希望を持って歩み出していく卒業生に対しまして、今後とも温かいご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げまして、私の式辞といたします。
平成十六年二月二十七日
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