"Welcome to Hot Soup for the Soul"

Always 創刊号

めぐりあい

        坂村 真民

 めぐりあいの

 ふしぎに

 てをあわせよう

地球の年齢は四十五億歳だそうである。
どうやってその年齢はかぞえられたのだろうか。
地球にある一番古いものはグリーンランドにあった四十億年前の石。
だから、地球の年齢はそれより古いはずである。
石は非常に高い熱には溶けるので、
地球ができてすぐのものは残っていないはずである。
しかし、その石より古いものが見つかった。
空から落ちてきた四十五億年前の隕石である。
続いてアポロ宇宙船が月から持ち帰った岩石も
四十五億年の古さを示していた。
こうして地球の年齢は明らかにされた。

地球の年齢を一年だとしたら、
人の一生はわずか〇_八秒で終わる。
まるで、一日で命を終える小さな虫と変わらない。
こう言われると、
人に与えられた時間はとても短いと誰もが思うことだろう。
でも、この一秒に満たない時間の中で、
人は恋をし、何かをめざして夢中に努力し、
絶望したり、歓喜したりしている。
それはやはり、動物や植物とは異なる、
人に与えられた特権なのかもしれない。
だから、一秒が過ぎる前に、
元気を出して世界に飛び出してみようじゃないか。
地球の一秒はかけがえのないあなたの一生だから。

巡り会った新しい友とともに
人生に乾杯しようじゃないか。

祝電  祝卒業 S高等学校第37期生の皆さんへ

自分の学生に渡したI'm a dreamer27号を改訂したものを、

昔在籍した学校で1年間共にした生徒へ祝電として送った。

歌うような日々で出会った若者のこれからの出発を祝いたい。


  
                  高田 敏子

少年が沖に向かって呼んだ

「おーい」

まわりの子どもたちも

つぎつぎに呼んだ

「おーい」「おーい」

そして

おとなも 「おーい」と呼んだ

子どもたちは それだけで

とてもたのしそうだった

けれど おとなは

いつまでもじっと待っていた

海が

何かをこたえてくれるかのように




子どもの頃 波打ち際で
作っても 作っても崩れる砂山を
飽きずに作り続けたことがある。
海に向かって「おーい」と叫んでみるだけで
楽しい思いをしたことがある。

大人になると
結果として自分に役立つことをしたいと 考えるようになった。
自分がやったことに対して
結果としての返事が欲しいと思うようになった。
「おーい」と叫んだら 
応えてほしいと願った。
人に親切にしたら
「ありがとう」と言ってほしいと思った。
それは ある意味でさびしいことであった。

千里を卒業する日がやってきた。
自分が努力した 三年間の成果が現れているだろうか。
他人(ひと)をあてにしていたことはなかっただろうか。
これだけやったんだから
見返りがあってもいいはずだと 思っていたことはなかっただろうか。
何かをただ待っていたようなことはなかっただろうか。

子どもの頃のひたむきさは 
大人になっても大切なものである。
結果や成果を考える前に 何かをやってみることだ。
むずかしそうでも 一心にやってみることだ。
前へ前へと進んでいく君のひたむきさは、きっと周りの人の心に伝わる。
若者は翼!
卒業おめでとう。


卒業シーズン

2年前の最後の式辞を思い出して

 川の土手に吹き出した土筆の芽を見るとちょっとこそばゆい気持ちになるような、春の訪れをうれしく感じる今日のよき日に、三十五期生の若人が新しい生活を始める時を迎えました。


 本日ここに、大阪府教育委員会、大阪府議会、地元中学校、同窓会、PTAOB会、PTAの各御代表をはじめ、本校旧職員と多くのご来賓の皆様のご臨席を賜り、大阪府立S高等学校第三十五回卒業証書授与式が挙行できますことは、誠に光栄であり、教職員一同を代表いたしまして心より御礼申し上げます。


 また、保護者の皆様方にも多数ご参列いただき、誠に有難うございます。お子様が心身ともに大きく成長され、その成長の中に様々な出来事のあったこの三年間を振り返り、感慨もひとしおのことと思います。晴れのご卒業を心からお祝い申し上げますとともに、本校教育へのこれまでの多大なご理解、ご協力に対しまして深く感謝申し上げます。


 さて、国際教養科七十一名、普通科二百三十九名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。高校三年間を含め十七年間の月日が流れました。


 今から四千年前、人間の平均寿命は十八歳くらいでした。皆さんの年齢とほとんど変わりありません。紀元元年、今から二千年前の平均寿命は、二十二歳と言われています。二千年かかって、四歳長生きできるようになりました。人間は、文化を少しずつ推し進め、五百年で一歳の割合で寿命伸ばしました。明治時代の初め、日本人の平均寿命は三十三歳。およそ千九百年かけて、十一歳寿命を延ばしたことになります。一歳、寿命を伸ばすのに百七十三年、文化の変化はまだ緩やかだったのでしょう。現在、日本の女性の平均寿命は八十三歳。この百年で五十歳も寿命を伸ばしました。二年で一歳の寿命を伸ばしたことになります。


 昨年の秋、妻が五十歳の誕生日を迎えました。この春中学を卒業する末娘は、いたく感心して言いました、「お母さんって、すごいな、半世紀も生きてんのやな」そう言えば、三年前の誕生日には、「お母さんは、私のクラスの中で、一番歳いってるお母さんやけど、ガンバッてな。ごはんつくんのとか、仕事するのとか、朝早く起きんのとか、いっぱいがんばることあるけど、ガンバッてな」と誕生祝いの手紙を渡していました。

 平均寿命が伸び、人は豊かさを享受しているように思えます。その中で、本当はどんな豊かさが一番大切なのでしょうか。皆さんの卒業にあたり、豊かな人生とは何だろうかと考えていたとき、長野県諏訪中央病院の鎌田實先生の著書『あきらめない』にある一つの話を思い出しました。その話を簡単にまとめて紹介します。


 松本からやってきた四十二歳の女性患者は、スキルス胃がんで手の施しようもなく、余命三か月と言われていました。ただ、松本にいたときの病院では、本人にそのことは告知されていませんでした。家族の心は揺れましたが、ご主人がきちんと説明され、年の瀬の十二月に、ターミナル・ケアにも行き届いた諏訪中央病院に転院することを決められました。


 自分の命を真剣に見つめながら、「治らないことはわかっているのですが、少しでも長く生きたい。化学療法の治療を受けてみたい。子どもが二人います。上が高校三年の男の子、下が高校二年の女の子。できれば長男の卒業式を見てやりたい。大学の入学式にも、母親として出てあげたい。子どものために、もう少しだけ生かしてください」自分のためというより、母親として、子どものために卒業式まで生きたいという希望の可能性を、副作用や合併症をともなう化学療法に託されました。


 残された時間を少しでも家族と過ごしてもらうため、外来による抗ガン剤治療が始まりました。抗ガン剤の力も大きかったと思いますが、子どものために生きたいという母の強い思いが力になったのでしょう。奇跡が起こりました。長男の卒業式に母親として出席し、卒業を祝うことができました。


 一つの希望が達成されると、新しい希望を持たれました。「娘の推薦入試が決まる秋まで生きていたい」しかし、それは疑問符の付く可能性でした。やがて入院となり、徐々に抗ガン剤が効かなくなって、新しい抗ガン剤が試されましたが、副作用が出ました。患者の体の中でガンはさらに進行していき、体力に限界が来ます。廃用症候群のために筋肉が消えていきました。理学療法のスタッフがマッサージをし、筋力の強化を図りました。


 主治医は、最後のチャンスとして、短くても一度、家に帰してあげたいと思い、一時退院されました。体の調子がよいときに、常識的にはお勝手の仕事をする体力はないと思われましたが、台所に立ち、娘の弁当を作られました。子どもにとって、お母さんの握ってくれたおむすびは大切な宝物でした。学校で待ちに待った昼休みが来て、お母さんの弁当を開けました。久しぶりで、懐かしさがこみ上げ、うれしくて、うれしくて、せつなくて、せつなくて、涙がぼろぼろとこぼれ落ちたそうです。もったいなくて食べられませんでした。お母さんの心が、お母さんの手の跡が、お母さんの手のぬくもりが、おむすびにはありました。


 四十日ほどの、家族との大切な時間、最後の、家でのかけがえのない時間をすごし、再入院。ご主人と二人の子どもの支えがあって、十一月を突破し、秋まで生きるという目標が達成されると、「娘の卒業までは生きたい」と新たな希望を持たれました。


 子どものために生きたい、子どもの卒業式まで生きたいという思いが、お母さんを生かしたのでしょう。三月一日、卒業式には出られませんでしたが、二日後、娘さんは泊まる支度をしてお母さんのところへ報告に行きました。病棟で、母と子の二人だけの卒業式のお祝いをされました。「よくやったね。ご苦労さま」と娘に語りかけたその言葉は、そのまま、母親の希望・あきらめないという心の卒業式への言葉だった思われます。


 四月になり春爛漫の夕暮れ時、最後まで明るい笑顔を見せておられた患者さんは、最後の一呼吸をして、穏やかになくなられたそうです。余命三ヶ月と言われた命は、一年八ヶ月あきらめませんでした。


 皆さん、人間には寿命があります。ひっくり返すことのできない、一度限りの砂時計のようです。砂の量や砂粒の大きさ、砂が落ちる穴の大きさは、人によって異なるようです。運命は遺伝子に書かれているのかもしれません。しかし、遺伝子だけでは分かりきらないのが人生です。「生きている」ってことは、素晴らしいことです。命はその人そのものです。


 今日の皆さんの門出に、本来なら、「激動する社会に生きていくために、生きる力を身につけ、これからは大人としての責任を担うように」と、人生の目標を達成するための方法や心構えについて話すことが「はなむけの言葉」なのかもしれません。しかしながら、私が、今日、皆さんに伝えたかったことは、諏訪中央病院にいた母や家族が抱いていたこころです。「生きていてよかった」「共に感じてくれる人がいる」「ああ、ありがたい、しあわせだ」「生まれてきてよかった」という命を慈しむ気持ちです。


 物が豊かになり、生活感や価値観が多様化し、一律に「これがいい」と言えない時代の中、皆さんは、これから先、どの道を行くのか、何をするのか、選択しつづけていかなければなりません。選択を迫られる度に、迷いながらも一つ選び、その結果、たいした成就感もなく、何かしら後悔しながら過ごしていくことが多いかもしれません。それゆえ、自分の価値観の基準をどこに据えるのか、自分の生き方の基本姿勢をどう形成するのかがとても大切なことになると思います。


 人間は何一つ持たないで生まれてきます。誰かの助けがないと生きていけません。母親はその最初の人です。命を授かった赤ん坊は、生きていくうちに、様々なものを身につけ、手に入れ、豊かになっていきます。人間として何が真に豊かなことなのでしょう。人には寿命があります。自分の一生にピリオドを打つときが必ずやってきます。その時もまた何も持たないのです。ですから、力があるとかないとか、男であるとか女であるとか、時代にうまく対応できるとかできないとかということよりも、「生まれてきてよかった」と感謝の思いを持てることが一番豊かなことではないかと思います。


 お腹が空いたとき、懐かしいメロディを思い出したとき、誰かと手をつないだとき、木漏れ日がまぶしいと思ったとき、自分のことを心配してくれる人がそばにいたとき--そんなとき、生きていると感じ、幸せだと思う。それが、生き方の基本姿勢ではないかと思うのです。


 人の痛みを感じ、人の絆やありがたさを大切に、命を輝かせ、あるがままに生きてほしいと思います。皆さんに、チャップリンの映画『ライムライト』のスマイルという曲の歌詞の一節を「はなむけの言葉」として贈ります。
Although a tear may be ever so near, that's the time you must keep on trying. Smile, what's the use of crying? You'll find that life is still worthwhile if you just smile. 「涙がそこまで出てきていても、そういうときこそ頑って、笑顔を忘れないように。泣いてもなんの得にもならない。人生、笑いさえすれば、やっぱり生きる価値のあるものだとわかる」


 皆さんのこれからの旅立ちを心から祝福します。


 ご参列の保護者の皆様、皆様も、お話しました母親と勝るとも劣らない気持ちでお子様のことを思い、今日の日までの成長を慈しみ、胸いっぱいに喜んでおられると思います。これからの新しい生活に、懸命に生きていく一人ひとりの命の輝きを今後も温かく見守っていただければと思います。


 最後に、本日の門出を祝福していただきましたご来賓の皆様、明日からの新しい一歩を夢と希望を持って歩み出していく卒業生に対しまして、今後とも温かいご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げまして、私の式辞といたします。

                  平成十六年二月二十七日          

中井 朋 (Tomo Nakai)


日が差して 積もった雪が 星になる 


The sun shines,
the fallen snow everywhere glitters
and becomes stars

初雪に 紙じゃないかと 目を開く 


Flakes of the first snowfall,
I open my eyes widely wondering
if they are paper pieces

中井 登喜子 (Tokiko Nakai)


薄雪の 山一つ風 吹き下ろす

 
A mountain ahead
covered with thin snow
blows a cold wind



春立ちて 日差しに押され 歩を進む



Spring has come,
Warm sunlight pushes me
to walk lightly


中井 弘一(Hirokazu Nakai)


紅梅に 鶯まねて 口笛吹く


Like a bush warbler
I whistle to an apricot tree
with red blossoms in bloom


笑み二つ シネマへ向かう 春の雨  



A smiling couple
goes to the movie together
on a spring rainy day


Above us Only Sky31号より

いのちを風に
          
馬越 悠紀子

いのちを
風にさらして
歩きたい

厳とした冬の風に
まして この
さわやかに光る春の
風にさらして

いのちの際に立ち
いのちを
さらして
生きてゆきたい

ああ いつも
いのちを
風に さらして

群馬県の体育教員で生徒に器械体操の指導中、
頭からマットに落下し、首の骨を折って、
全身不随になった星野富弘氏は
寝たまま横になることもできない体で、
なお生きる道を見出し、
絵筆を口にくわえて詩画集を出している。


ちいさいから踏まれるのさ
 弱いから折れないのさ
 たおれても
 その時もし
 ひまだったら
 しばらく
 空をながめ
 また起き上がる

星野富弘『限りなくやさしい花々』

巡りゆく季節の中で
冬ほど、自分自身に向き合わせてくれる季節はない。
黙して歩む寒風の中、
来るべき春の日々を待ちながら、
今何をすることが大切なのだろうかと考える。

順境の時だけに人は成長するのではなく、
逆境の時こそ本当に生きる力が生まれる。
とにかく努力をしてみる。
そうすれば少しずつでも自信が生まれる。

寒風に吹かれても、起き上がる気持ちを持っていたい。

語りかけたことば 3年前に

 みなさん、年の初めは夢を持ち、志を立てるのにふさわしいときです。
 さて、この正月、知人から、『がんばらない』という本を薦めますという年賀状をいただきました。
 『がんばらない』の著者は、長野県諏訪中央病院の院長、鎌田實先生。この本は、患者の来ない、つぶれかけていた病院をたてなおし、地域医療に力を尽くす様子と、ターミナル・ケア(末期症状の患者の苦痛を軽減し、精神的な安らぎを与える医療)のことを描いたものです。
 いくつかの話のうち一つだけを簡単に紹介します。
 スケート部のエースで長野県の期待の星であった高校3年生の研治くんは、悪性リンパ腫と診断されました。抗ガン剤による化学療法が始まり、苦境を乗り越え、一時的によくなる寛解(かんかい)という状態になりましたが、病気は完全には治癒せず進行していきました。
 父親は、研治くんに主治医から聞かされたとおりに告知をしました。世間のうわさから病気のことが本人に知れるのが一番かわいそうだと考え、家族全員揃ったところで話を始め、話は夜から深夜そして明け方まで続ました。それから、研治くんは自分の部屋に閉じこもり、しばらく口をききませんでした。家族はおろおろしながら、祈るような気持ちで彼の部屋のドアが開かれるのを待ちました。その日の夕方6時、ドアが開かれ、目を真っ赤にした研治くんは「お風呂に入りたい」と一言。何日も眠れない夜を過ごした研治くんは、家族の愛の中で時間をかけながら、自分の現実を受け入れていきました。
 治療が始まって2年、「死にたくない、生きていたい、でも生きられない。これほどつらいことってあるだろうか。俺はよい子では死んでいかない。鈴本家の家族には言いたいこと、わがままを言わせて欲しい。…生きたいからがんばっているのだ」と言葉を残した研治くんは、自分の墓地のことまで母親にたのんでいました。
 病院から最後の外泊になったとき、彼は墓地を見にいきました。「母さん安心したよ。俺のいくところを見てきた。八ヶ岳が見えて、霧ヶ峰,蓼科(たてしな)山に見守られて、景色のものすごくよいところだね。おまけに俺の部屋の障子まで見えた。いいところだったよ。」と母親に話しました。研治くんのけなげな言葉に、家族は涙だけは見せまいと必死に堪えたということです。今日一日をどうやって生きようかと精一杯の研治くんに「がんばれ」とは言えない。「がんばらない」――これまでよくがんばってきたのだから。それから少し経って、全精力を病気との闘いに費やして、研治くんが静かに息を引き取った時、大きな目からじわじわとにじみ出る大粒の涙が二筋の光となって彼の頬を流れ落ちたそうです。
 亡くなったあと、彼の引き出しから寺院や神社のお守りが11個も出てきました。看護婦さんから手渡されたものもあったそうです。「医学の進歩も、色々な人の祈りや思いの11個のお守りも彼を助けることは出来なかったけれど、大好きな八ヶ岳を見ながら、ある期間、共に生きた、生きられた、生かされた時間を過ごせたことを幸せだと思っている」と鎌田さんは回顧しています。
 読んでいる最中、私のこころの耳に鳴り響いていたのは、「らっせらー、らっせらー、らっせ、らっせ、らっせらー」の掛け声でした。「生きている」ってことは、本当に素晴らしいことです。明日があることを喜び、しっかりと生きていきたいと年の初めに思いました。皆さんの明日への夢と志を大切にしてください。皆さんの明日が素晴らしいものになることを願って新学期の式辞とします。

                         
平成15年1月S高校式辞より)

I'm a deamer 27号(最終号) Jan. 17, 2006

  海
          
高田 敏子

 少年が沖に向かって呼んだ
「おーい」
まわりの子どもたちも
つぎつぎに呼んだ
「おーい」「おーい」
そして
おとなも 「おーい」と呼んだ

子どもたちは それだけで
とてもたのしそうだった
けれど おとなは
いつまでもじっと待っていた
海が
何かをこたえてくれるかのように

子どもの頃 
つくっても つくっても崩れる砂山を
波打ち際で飽きずにつくり続けたことがある。
海に向かって「おーい」と叫んでみることで
楽しい思いをしたことがある。

大人になると
自分のために役立つことだけをしたいと 考えるようになった。
自分がやったことに対して
返事が欲しいと思うようになった。
「おーい」と呼んだら 
応えてほしいと願った。
人に親切にしたら
「ありがとう」と言ってほしいと思った。
それは ある意味でさびしいことである。

後期の終わりが近づいている、
一年間の成果が現れているだろうか。
他人(ひと)をあてにしていたことはないだろうか。
これだけやったんだから
見返りがあってもいいはずだと 思っていたことはないだろうか。
何かをただ待っていたようなことはないだろうか。

子どもの頃のひたむきさは 大人になっても必要なものだ。
何かをやってみることが大切である。
人生にはその意味を考える前に
何かをやってみたいという願望がいる。
前へ前へと進んでいくことを願う。
それが、プログレスである。
さらば。 

I'm a deamer 26号 Jan. 10, 2006

ははあん
       杉本 深由紀

大きな声で
思いっきり笑ったら

また一段と
世の中 あかるくみえてきた
目に映るものが
そのまま まっすぐに
とびこんでくる

ははあん
キュッキュッ クックックッと
窓ガラスが
きれいに磨かれていくときの音
だったんだな
さっきたてた笑い声は

年末の大掃除でキュッキュッと磨きをかけた
透き通るような窓ガラスから
新しい年の日差しが差し込んだ。
新年が始まった。
外が寒ければ寒いほど
心の内側にある新しいものにかける気持ちは
きりりと締まる。
正月の家族の笑顔、
人の笑顔ほど心温まるものはない。
透明感のある寒さに
家族の思いがくっきりとする。
それぞれの思いが
新しい何かを生み出すように思える。

始まったばかりであるが、終わりもある。
秋学期の授業は残り二週間。
いつかは別れがくる。
でも、
出会って一緒に過ごした時間が
消えてなくなるわけじゃない。

君たちの若い情熱が
ともに過ごした時の温かさとともに
きりりとした大地や空から
透明なエネルギーを得て
輝く笑顔で新しい一年を走ってほしいと思う。

元 旦

今年もまた、健康で正月を迎えることができた。

ありがたいことである。

長女は、今年も、年末から仕事始めまで
わずかな正月休暇を
4度目のスペインで過ごしている。
元日の朝はアンダルシアの青空の下である。

下宿から息子が帰っている。
なんとか就職が内定し、4月からは社会人である。

次女は、いよいよ高校3年生である。
勉強よりクラブに追われる毎日のように思えるが、
これからは受験勉強が始まる。
その前にと、3日の夜から友だちと東京ディズニーランドへ行く。
将来の就職はオリエンタルランドに決めていると言うが.....

妻は、春になればこれまでの仕事から身を引くと話している。
マンドリンや香袋などカルチャーに自分を見つけたようだ。

私も新天地で3年目を迎える。
戦後の「昭和」時代の夢見る気持ちとやさしさを心に
大黒柱として家族を大切にしたいと思う。

新しい年への希望と期待は、
寒風の中にも
来るべき春への準備をしている
木の芽のようである。