◆和太鼓部の歴史(芥川高校和太鼓部物語)◆
History of our team ---------------------
色褪せない思い出の2年半を振り返る (2024年9月6日)
高校に入学した時、初めて和太鼓を見て、先輩方の演奏する姿に憧れを抱き、入部を決めました。私たちが入部した頃は、新型コロナの影響は大分減ってきて演奏会も少しづつ復活し始めていましたが、まだマスクをつけて演奏する状態でした。入部直後、先輩たちの演奏の後、和太鼓部の活動支援の募金を1年生が担当する機会があり、その時、観客の皆さんが競って募金してくれるのを見て、和太鼓部がこんなにも地域の方々に愛され、応援されていることを知り、私もこの期待に応えられるよう頑張りたいと思いました。夏の定期演奏会で3年生が引退すると、1年・2年の新チームでの演奏会が次々にやってきて、数曲を並行して短期間で覚えなければならず、急激に、あわただしい日々が過ぎていきました。気づいた時には2年になっていて、私は思いもしなかった部長に選ばれていました。3年の部長に付いて仕事を見習っているうちに、またすぐに3年生が引退し、いよいよ自分が和太鼓部を代表する立場になっていました。
和太鼓部での体験は自分の原点 (2024年1月31日)
私たちの代はコロナ禍の中で入部したのですぐに部活ができなくて、しばらくはオンラインミーティングが続きました。これから共に活動していく部員と初めて、画面上で自己紹介して顔を合わせることになりました。その後、部活ができるようになって、初めてみんなで太鼓に触れた時の「面白い!」という感激を今でも覚えています。
新型コロナを乗り越えてきた2年半は私の宝物 (2022年9月8日)
私が和太鼓部に入部しようと思ったきっかけは、中学3年生の時に見に行った芥川高校の文化祭でした。体育館ステージの和太鼓部の演奏は今でも鮮明に覚えています。法被の袖を肩までめくり、ハチマキを締め、全員がキリっと格好よく、いきいきと迫力のある演奏をしている姿に引き込まれました。そして私は、翌年、予想もしなかった新型コロナによる全国一斉休校の中で高校に入学しました。長い休みの後、やっと6月の学校再開で入部届を出しましたが、部活が始まったのは梅雨に入ってからでした。じめじめとした季節から、練習する校内通路のアスファルトが鉄板のように熱く焼ける時期まで、流れ落ちる汗をぬぐいながら、腕立て・腹筋をメインに、筋トレを行いました。
自分と向き合った全国大会「優良賞」への道のり (2021年9月4日)
私達は和歌山県で8月に行われた全国高等学校総合文化祭・郷土芸能部門で「優良賞」(全国3位相当)を受賞した。そこに至るまでは、部としても個人としても、様々な困難があった。
新型コロナを乗り越えて念願の3連覇達成 (2021年3月24日)
和太鼓部は毎年、全国大会(全国高校総合文化祭)予選となる大阪芸文祭に出場しています。そして、2年前からは、芥川高校がある高槻市の歴史にちなんだオリジナル曲で、芸文祭優勝
を勝ち取り、全国大会に大阪代表として出場しています。
今年も例年通り、高槻に所縁のあるキリシタン大名の高山右近をテーマにしたオリジナル曲を作って勝負することにしましたが、今年は今までとは違う大きな障壁がありました。私達25代
目を苦しめたのは新型コロナウィルスです。2年生になり私達の代がクラブの中心になった頃にはすでに演奏会は激減し、人前で演奏する機会がほとんどありませんでした。そのため歴代の
先輩方と比べて技術力も表現力も大きく伸びず、芸文祭の優勝が遠ざかっていくように感じていました。
新型コロナの今こそ力強い和太鼓演奏を (2020年6月22日)
和太鼓部は全国大会に出場したり、海外公演を行うなどの様々な業績を残していますが、演奏だけでなく、ボランティア活動もとても盛んです。昨年夏には佐賀県での全国大会に出場した後、
大阪への帰路に、2018年の西日本豪雨で大きな被害を出した岡山県倉敷市真備町や矢掛町を訪ねました。そこでは、小学校の体育館で地元の高校生グループや和太鼓サークルと協力して、
被災した方々を元気づけるコンサートを行ったり、仮設住宅で除草や大掃除を手伝い、お年寄りの方々と一緒に食事をして交流したり、障がいを持った子供たちが通う施設で子どもたちと
遊ぶボランティアや復興イベント会場で太鼓の演奏をしたりして、被災した方々と直接触れ合う中味の濃い交流ができました。
ジェーンからの和太鼓部への贈り物 (2020年3月20日)
テレビ東京の「世界!ニッポン行きたい人応援団」という番組で、オーストラリアからジェーンという、担ぎ桶(桶胴太鼓)を学んでいる高校生が私たちの和太鼓部に来て、練習に参加
することになり、私はパートリーダーとして、ジェーンに担ぎ桶を教えることになりました。英語で教えたり説明したりするような機会は今までなかったし、上手く伝わるだろうかとか、パート
のみんなで一緒にやれば何とかなるだろうなどと思って半分楽しみ、半分不安という気持ちでした。
ラーマとの"ムージザ(奇蹟)"の出会い〜シリア難民支援チャリティコンサート" 和太鼓部は、チャリティーコンサートやミュージックビデオの作成などを中心にトルコで生活するシリア難民の子どもたちの支援活動を行なっています。2011年のシリア民主化運動は
その後のシリア危機を生み出し、命からがら国外に避難した人びとは今、言語や生活習慣の違いに苦労しながら、避難先の国々で生活しています。
シリアにジャスミンの花が戻るまで
このチャリティーコンサートは内戦を避け、トルコへ逃れてきたシリア人の子供たちの教育支援をするためのコンサートです。
チャリティコンサートからシリア・芥川高プロジェクトへ(2017年9月20日) 2016年11月に、毎年、芥川高校の四部(和太鼓部、軽音楽部、ダンス部、吹奏楽部)で行っている合同チャリティーコンサートの取り組みが始まりました。
各部代表からなる実行委員会を立ち上げ、今年のテーマを検討した結果、世界的な課題になったシリア危機によってヨーロッパに避難しているシリア人
の支援に取り組む事になりました。
私たち和太鼓部は、2017年の全国大会(宮城県)終了後、東日本大震災で津波被害が大きかった宮城県名取市に残り、被災地での訪問交流を行いました。名取は和太鼓部の
先輩たちも震災の年と翌年の2回、現地を訪問した場所ということで、和太鼓部のことを知っている方々も多く、とても歓迎して頂きました。今回の目的とし
ては、東日本大震災で起こったことを私たちが知り、そしてそれを多くの人に伝えていくことです。
柳川中学校区人権研修会 2016年11月19日(土)
1."太鼓を楽しむクラブ"から海外公演を目指すクラブへ
現在の和太鼓部の活動は、年間70回の公演で3万人の人たちに演奏を聞いて頂くことですが、その他に、全国大会出場や海外公演、チャリティコンサートや
被災地訪問など特別な活動もあります。このような多彩で活発な活動は創部当初からやっていたわけではありません。
2.社会への関心がチャリティコンサートや被災地訪問へ
海外公演によって、世界に視野を広げた部員たちはその後、開発途上国支援にも関心を持ち始めます。開発途上国とはアジアやアフリカ、中南米などの国々で、国民の
収入が低い国々です。途上国ではお金がなくて学校にも行けない人も多いので、衛生的な知識もなく、川や池の汚れた水で生活して、下痢や寄生虫が原因で死亡する人たちも
いることを知った和太鼓部の生徒たちが、7年前にチャリティコンサートをやって、市民の皆さんから募金をいただき、バングラデシュやネパールの農村に井戸を贈りました。
現地から送られてきた写真には「芥川高校の井戸」のプレートがつけられ、村の人たちが水を汲みながら喜んでいる姿が写っていて、高校生でも、いや、高校生だからこそで
きることがあることに気付いたのです。その年からずっと、チャリティコンサートを続けていて、今は芥川高校の他のクラブも誘って、軽音ロック部、ダンス部、吹奏楽部と
150人以上が参加する4部合同チャリティコンサートに発展しています。テーマは途上国を支援するものから、タイ洪水やフィリピン台風被害からの復興を支援するものになり
、ここ数年は東日本大震災復興支援に移っています。
3.社会とつながる普段の活動こそが成長の場
今見たように、全国大会や海外公演、そして被災地訪問などは生徒たちにとって大きな体験で、それぞれに身につけることも大きいですが、普段の地域での演奏活動で
彼らが学んできたことがあってこそ、その大きな目標が達成できていると言えます。では、普段の活動でどんなことを学んでいるのか?
4.まとめ
以上、長々とお話ししましたが、各代の和太鼓部の部員たちは、先輩たちの学びや気づきを大切に受け継ぎ、それらを風化させることなく、伝統として自分の中に取り
込み、さらに自分たちの新しい体験による学びを積み上げて成長していきます。それらの成長はどれも、部員たちが学校の外(社会)に出て行って年間3万人もの観客のみなさ
んの前で、ベストの演奏をするために、日々の練習の中で体験している喜びや挫折、葛藤の中から生まれたものです。それは自分との闘いであり、自分を見つめる作業に他な
りません。その自分を土台としてさらに海外公演や被災地訪問、チャリティコンサートを通して社会への視野を広げ、自分が社会の一員としてどう生きるかを考えさせられる
のです。
「和太鼓部の活動で得たこと」 高谷佳那
私はこの和太鼓部で、副部長の仕事やチャリティコンサート・被災地訪問プロジェクトの実行委員長をすることで、得たことがたくさんありました。
「ますます充実、日本を代表する高校和太鼓チームへ」
和太鼓部は2015年12月末に京都コンサートホールで開催された第4回全国高校生伝統文化フェスティバルで、沖縄、富山、岩手の有名高校の部員たちが演じる郷土芸能や
日本音楽と並んで、唯一の和太鼓チームとして招待され、特色のある演奏で大きな評価を得ました。1月末にBS朝日で放送された番組でもこの時の演奏とインタ
ビューが紹介されました。
宮城県気仙沼下見訪問感想文(2014年4月19日〜20日)
気仙沼を訪ねて 川角ありさ(交流実行委員長)
私は震災から1年後に、宮城県名取市の仮設住宅を訪問したことがあり、その時は復興はこれからだなと思いました。そして今回、気仙沼に行くことになって、復興が着々と進んでいるだろうなと思いました。しかし、現地へ行ってまず見たことは、3年経った今でもまだまだ復興は進んでいないということです。テレビなどでは時々、順調に進んでいる表の映像が放送されることもあるけど、それさえ最近ではだんだん報道されなくなって、忘れかけてる人もいるかもしれません。でも、現地に行ってみて、自分もどこかで忘れかけていた部分があったんじゃないかと気づきました。
気仙沼訪問感想 村上友月(和太鼓部部長)
気仙沼に行くまでは、実際に自分たちが行って大人の人たちと打ち合わせできるのかと不安でした。緊張しながら、八幡太鼓の代表の方々と会いましたが、私たちをとても歓迎していただき、話も熱心に聞いていただきました。みなさん、合同演奏会や港まつりでの演奏をとても楽しみにしていて、期待をしてくださっているのが伝わってきて、わたしも本当に成功させたいなと思いました。そして八幡太鼓の皆さんから、被災地でいま一番必要なこと、政府と被災者の求めているものが違うということ、和太鼓をやることでたくさんのつながりが持てるということを学びました。
「日本の高校生たち、ありがとう!」 大阪府立芥川高等学校 三年 水野真美
「日本の高校生たち、ありがとう!」、二十九人の子どもたちの大きな声がガーナのアスオフィア村にある教会の南東に広がる豆畑に
こだまします。エイズで両親を亡くしたり、貧困のために親元を離れて暮らしている孤児たちです。
チャリティコンサートに取り組んで(2010年2月11日と13日) 今回の和太鼓部チャリティコンサートは「途上国の子どもたちへの援助」をテーマにして取り組みました。2月11日(祝)には
マツザカヤ(高槻店)とJICA大阪センター、13日(土)にはアルプラザとJCV(世界の子どもにワクチンを 日本員会)の協力で
実施しました。
------------以下の文はJCV宛のメールです------------------ 今回の和太鼓部チャリティコンサートは全国の高校の吹奏楽部・ダンス部・軽音楽部・和太鼓部などのチャリティコンサート
の可能性を開くものだと思います。
和太鼓部の生徒たちにとって、今回の取り組みを通して、青年海外協力隊員やNGOスタッフと出会った意味は大きかったようです。
ある部員は「和太鼓部で中国やシンガポール、オーストリアと外国に行くチャンスがあり、そのことで国際交流の仕事がしたいと考え
るようになりました。そして今回、青年海外協力隊やNGOの存在を知ってとても興味を持ちました。今は国際交流というより、国際協力
の方に関心が向き始めました。」と話してくれました。
このように、今回のチャリティコンサートは生徒たちの生き方に影響を与えるような取り組みにもなっています。
私は学校で15年間、「グローバルコミュニケーション」という授業を担当し、その中で青年海外協力隊員とのメール交換を8ヶ月間行
わせています。自由なテーマでメール交換をするのですが、その中で生徒たちが隊員の生き方に大きく学ぶ様子を見てきました。
開発の最前線の現場に身を置く協力隊員やNGO(NPO)スタッフの皆さんの存在自体が多くの高校生にとって、新
鮮なものに写り、自分を見つめ直すきっかけになっています。
ほとんどの部員にとって、途上国の課題について真剣に考えたことはこれが初めてだったと思います。生徒たちは世の中には自分が知
らないことがたくさんあるということを実感しました。また、途上国の課題解決に真剣に取り組んでいる人々の存在も初めて認識した
と思います。そして、自分たちが行動すれば多くの人々(マツザカヤ・アルプラザ・JICA・JCV・先生方・カンパしてくれた市民の方々
)が協力してくれることを実感できたと思います。高校生たちがそれらのことを実感できたという意味は大きいと思います。
本校和太鼓部では今後も継続して、このような「行動の中から学ぶ」取り組みを続けたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
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芥川高校30周年記念誌原稿(2009年6月)
1.和太鼓部の地域活動
創部15年目を迎えた和太鼓部は大阪府内を中心に年間50回以上の演奏会を行っている。
毎年定例で行われる地域イベントでは和太鼓部の演奏は欠かすことのできないものとなっており、
夏祭りの演奏を聞くのが楽しみで、毎年帰省しているという方もいる。演奏会で撮った写真や感想
を記した手紙やeメールを学校に届けて下さる方も増えて来た。
2.和太鼓部の海外公演
最初は太鼓の好きな生徒が作った同好会だった和太鼓部が世界に通用するまでになった過程には数々のドラマがある。
初めて出場した山形での全国大会で練習の成果を十分に発揮できなかった反省から、毎日練習、部ジャージの導入、
顧問が行かなくても自主的に練習を始め、ミーティングでその日の反省をするという現在の和太鼓部の基礎が作られた。
歴代の部員たちが血の滲むような努力を重ねた結果、今の和太鼓部がある。これまでの海外公演も
先輩から受け継いだ財産の上に、さらに部員たちが困難な試練を乗り越えて、実現させたものである。
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和太鼓部物語「エピソード5」ー1 JapanWeek英国公演への歩み
JapanWeek参加団体募集の一通のEメールが(財)国際親善協会から私たちのもとに届いたのは1998年初秋のことでした。
ちょうど、大阪府では公立高校の海外修学旅行がようやく解禁され、府立高校の数校が韓国・中国への旅行を実施し、現地の高校生との交流により、
感動的な成果を上げたということが伝わって来始めた頃でした。
JapanWeekへの公立高校の初参加(私立高校の参加はありますが)で、数々の乗り越えなければならない関門がありました。
立ちはだかる困難な課題の前に何度も断念しかけましたが、
その都度、多くの方々から貴重な助言や温かい励ましをいただき、歩を進めることができました。なかには幸運に恵まれて解
決できた課題もありましたが、今回の和太鼓部の英国派遣は「時代の要請」として自然な流れにかなったものであり、それゆえ様々な課題も次々にクリアー
されていったものと思います。
2001年12月20日
大阪府立芥川高等学校
和太鼓部物語「エピソード5」ー2
”プロを越えるアマチュア”たれ
本校和太鼓部は八年前に創部し、部員は二〇名以上に増え、積極的に活動しています。高槻市内の幼稚園・小学校の和太鼓鑑賞
会や短大・大学での学園祭・学校見学会、老人ホームやその他の福祉施設への慰問、地域のお祭りやイベントなど、年間に三〇回
近くのボランティア演奏を行なう他、近隣の中学校や高校からの和太鼓講習の依頼も増えてきています。これまで全国高校総合文
化祭には二回出場し、今夏の福井大会には三回目の出場が決まっています。こうして和太鼓部は本校を代表するクラブの一つに成
長してきました。
部員を成長させたイギリス公演
一昨年秋、和太鼓部はイギリス公演の機会に恵まれました。青少年による国際交流として、(財))国際親善協会からバーミンガ
ム市での「Japan Week」公演を要請されたのです。
この遠征のために国際交流基金、大和日英基金などから多くの助成を頂き、また、地元の市民や本校関係者だけでなく、航空会社、
旅行会社、現地ボランティアまで含めれば、おそらく二百名以上の方々の多大な支援を受けて実現した一大プロジェクトでした。
その支援の大きさを考えると、部員全員に「この公演はどうしても成功させなければならない。」という思いが強く湧き上がりま
した。
前回の「ジャパンウィーク2001年・英国」参加の後、またいつか海外公演の機会があればぜひ実現したいと考えていました。
それは、国際交流の場で、予想を越えて積極的にコミュニケーションを取り合う若者たちの姿を目の当たりにし、また、海外公
演を契機に、和太鼓部員の意識や演奏内容が著しく飛躍したからです。演奏に対する姿勢が、それまでの自己満足的なものから、
聞き手の感動を誘うような深い表現を目指すようになったのです。それも単に体の動きとしてだけではなく、内面から自然に湧
き出てくる感情表現や太鼓の音の細やかな抑揚にも意識を向け始めたのでした。その取り組みが、2003年8月の福井市で開
催された全国高等学校総合文化祭郷土芸能部門での「優良賞」受賞につながったのです。こうしてトルコでの再度の海外公演に
も十分耐えうるチームに成長し、自信を持ってトルコの地を踏むことになりました。
トルコでは部員たちは行く先々で人気を高め、現地の人々と積極的に交流を深めてどの公演も大盛況のうちに終えることができま
した。そうしたなかで、メイン公演が予定されていた11月15日にイスタンブール市内の2カ所で同時爆破テロが発生し、大きな
被害が出ました。その日の公演は中止になり、部員たちにも動揺を与えましたが、幸いにもそのテロに巻き込まれることはありませ
んでした。日本でもこの事件が報道され、部員の家族の方々にもご心配をお掛けしましたが、主催者側からの各参加団体への迅速な
安否確認や旅行会社からの「全員無事」の緊急連絡が部員の家庭や学校へ一斉に行われ、私たちも混乱なく冷静に対応できました。
帰国直後にもイスタンブールで2回目の同時爆破テロが発生し、私たちは改めて平和の尊さと国際交流による異民族同士の相互理解
の大切さを身をもって感じさせられました。皆様にご心配をお掛けしたことをお詫びし、「国際親善協会」並びに「日本旅行」の適
切な対応に感謝申し上げます。
本校和太鼓部は、地域との強い結びつきによってここまで成長することができました。真摯に自分と向き合い、ひたむきに演奏す
る部員の姿が、周囲の人々の心を動かし、その応援がまた部員を勇気づけ、さらに成長を促します。出発を間近に控えた11月上旬、
日頃の地域でのボランティア活動を評価され、「高槻市社会福祉協議会」からの「ハートフル大賞」も受賞し、トルコ公演に向けて
ますます弾みがつきました。また、前回同様、今回も多くの方々からご支援を頂きました。「高槻グリーンライオンズクラブ」をは
じめ市民の皆様方、PTA、「葦風会」(同窓会)、後援会などより多額の援助もいただき、ほんとうにありがとうございました。
これからもますます地域との結びつきを大切にし、「愛される和太鼓部」として発展したいと思いますので、ご支援・ご協力をよろ
しくお願い致します。
私たち大阪府立芥川高等学校和太鼓部は、過去に2回、海外公演を経験しています。これらはともに、
外務省の外郭団体である「(財)国際親善協会」主催の「ジャパンウィーク」に参加したもので、2001
年には英国・バーミンガム市、2003年にはトルコ・イスタンブール市とアダパザール市で公演を行い、
現地で大きな反響を呼びました。これはひとえに「国際親善協会」の豊富な経験と緻密な運営体制による
ものであると感謝しております。また、訪問した各都市は、日系企業の立地などがあり、人々は親日的で
日本文化に高い関心を持つ人が多く、私たちの公演に対しても温かく迎えていただき、いわば初めから
「成功」が約束されているようなものでした。
これに対して、今回の韓国公演は大きく様相が異なっていました。端的に言えば、主催団体が現地の団体
であること、民間レベルの交流であること、日韓の歴史問題に起因するしこりがいまなお残っている地域
であることなどです。そのため、2004年4月に招聘の話が舞い込んで以来、さまざまな理由で二転三
転しました。しかし、私たちは過去2回の海外公演で、青少年による国際的な文化交流の意義を強く感じ
ており、これまでの経験を日韓交流の場にこそぜひ生かしたいと考えました。そして、多くの方々のご協
力により、困難な課題をひとつひとつ解決し、ようやく実現に漕ぎ着けることができました。
今回の韓国公演の特色は、主に以下の四点です。
1.2005年の「日韓国交回復40周年」を前にして、2003年のソウルでの日韓首脳会談での文化交
流促進宣言を受けて、次代を開く両国の若い世代間の交流を行い、今後増加するであろう日韓の青少年交流
のさきがけとなった。
2004年の韓国テレビドラマ「冬のソナタ」放映をきっかけにブレイクした「韓流ブーム」で、少なくと
も日本において、日韓間の距離が近くなったことには間違いありません。しかし、それも歴史をきちんとふま
えず、一時のブームに流されるだけでは表層的なものに終わってしまうでしょう。今回の和太鼓部による韓国
公演は日韓の次代を担う若者たちが過去の歴史に正面から向き合い、相互理解のための一歩を記したという意
味において、日韓両国の未来に展望をもたらすものだと考えます。
和太鼓部物語「エピソード8」ー2
「民族の境界を越えて響く和太鼓」 大阪府立芥川高等学校 3年 表 美樹
「ヨロブン アンニョンハシムニカ、チグン セゲカッチエソ ヨロプンジェンイ イロナゴイ
ッスムミダ、イロンシデイルスロウ ウリワカットゥン チョルムニドゥリ チョルムンセデワ
・・・」これは韓国の光州で行われた「光州ビエンナーレ2004」での私の韓国語のスピーチです。
その意味は、世界で多くの紛争が起こっている今だからこそ、私たち若者が手を取り合って、平
和な世界を造ろうではありませんかというものです。
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