皆様へ感謝を込めて

2001年の終わりに




・はじめに

これを書き始めたのは、2001年も残りあと3週間となった寒い夜です。

J2の最終戦が終わってからも約3週間、節目と節目の真ん中でこんな文章を書こうという
気分になったのは、単なる偶然では片づけられない何かを感じた故なのかもしれません。


・皆様にお礼

今年お会いした皆様、唐突な私のお願いに対し快く応じて頂きまして、本当にありがとう
ございました。改めて数えてみると105組、1試合平均約2.4組にお話を伺った計算になり
ます。この数字が多いか少ないかは、私には判断できません。ですが、毎試合少なくとも
1人の方と出会っているのは間違いありません。正直、シーズン開始前は「毎回10人にア
タックできるだろうか?」などと考えたりもしました。結果、自分の見通しの甘さ、いや、
実際に見知らぬ人に声を掛けることの難しさを思い知らされた9カ月となってしまいまし
た。断られる事も度々で、その都度軽く落ち込んでみたりもしました。

しかし、そんな中でも全ての出会いには喜びが、希望がありました。仮令すげなく断られ
ただけの関係だったとしても、そこから何かしらを得ることが出来た、そう思っています。
むしろ励まされることの方が多く、人の心の温かさを肌で感じることが出来ました。

改めて、全ての皆様に感謝します。


・活動の理由(わけ)

一部の方には断片的にお話ししたかも知れませんが、私が何故、こんな活動をやってみよ
うと思ったのかについて記しておきます。

皆様ご承知のとおり、2000年、京都パープルサンガはJ1で年間成績15位に終わり、2001年
シーズンをJ2リーグで戦うこととなりました。1996年の昇格以来、主にTV、たまに西京極
競技場で観戦するという程度のファンであった私は、チームの2部降格と時を同じくして、
約8年間お世話になった前の勤務先を離れることとなったのです。

2000年11月26日、神戸ユニバー競技場のスタンドで、アウェイ側自由席の端でカメラを構
え、サンガの残留を祈りながらもピッチ上の選手だけを追っていました。J1も最後となる
かもしれない選手達の姿を記録するために。そんな時、ゴール裏に陣取ったサンガサポー
ターは、「紫魂」Tシャツ(2000年モデルですね)を身に付け、永島のVゴールが決まる
瞬間まで声を嗄らして応援していました。全てが終わり、永島の引退セレモニーの間、照
明の落とされたゴール裏には、身じろぎもせず立ちすくんだままのサンガサポーターの姿
がありました。

果たせなかったJ1残留。それにカズへの非情な戦力外通告が追い打ちを掛け、サンガを取
り巻く環境はにわかに騒がしくなります。些かセンチメンタルな話になってしまいますが、
奇しくも人生の転機と重なった、応援するチームの危機。全44試合という世界にも例を見
ない厳しいJ2を戦ってJ1に復帰しなければならないチームに、自分はこれまで何をしてき
ただろう?これから何を出来るのだろう? 降格の決まった神戸の夕暮れの空の下、そん
なことを考えていた時、何故か「来年は全試合を観戦・応援しようか」という決意が自然
と心に浮かんできたのです。会場は東北から九州まで、平日開催のゲームもあることを考
えると、普通に働いていたのでは行けない日程があるはず。預金通帳の残高を思いだしつ
つ、2001年をサンガのために費やそう、蓄えを食いつぶす1年もやむを得ない、我ながら
無謀だなと思いながらも不思議と胸踊る、そんな心境でした。

無論、自分自身の危機――職を失うという現実――から目を背けたかったという気持ちも
否定しません。が、それと同時に自分には、生きていく上で何か足りないものがある、と
公私両面で気付かされた(詳しくは書きませんが)からでもありました。

「他者と積極的に交流する意思」です。

生来内向的で、ともすれば1人でいることを全く厭わないな性格であった私は、西京極で
も当然のようにバックスタンドでただ“観戦”するだけでした。web上のサンガ系掲示板
は毎日のようにチェックしていたものの、自分から書き込むこともありませんでした。し
かし、サンガの危機が現実味を帯びてくるのに従って白熱する議論、スタジアムでの鬼気
迫る応援に触れるに連れ、「あの人たちは一体、どんな人達なんだろう?」という純粋な
好奇心が湧いてきたのです。顔は知らないけれども掲示板上でのハンドルと気持ち、遠く
から聞こえてくる声はだけは知っている人達。私には無いエネルギーを持った人達。あの
人達の中に、あるいは何かが見つかるかもしれない……

そんな幾つかの気持ちが頭の中でぐるぐると渦巻いた結果、「来年は応援の傍ら、サンガ
を応援する方々にサンガについての思いを伺い、2001年シーズンを“サポーターの視点・
私以外の複数の視点”で記録しよう、そしてその過程をwebで公開していこう」と思い至っ
たのです。BBSは設置しませんでした。閑古鳥や荒らしに苛まれるぐらいなら、スタジア
ムでの交流に力を入れたかったからです。代わりに、デジカメを買いました。その場でプ
リントが出る、フジフィルムのPrincamというマイナーな機種です。弁当箱のようなデジ
カメと、古臭い安物のテレコ(大昔に大学での社会調査に使った)とが、44試合のお供で
した。


・105の出逢い

開幕戦前夜、突貫作業でこの "Home and Away" を立ち上げました。

そして3月10日。自分自身と自分の行っている行為は、初対面の方々に受け入れてもらえ
るのだろうか、そんな期待と不安を抱えながら、西京極競技場のA南スタンドを、デジタ
ルカメラとテープレコーダーを手に歩き回りました。最初のご家族に声を掛け、しどろも
どろな私の問いかけにも関わらず親切に対応して頂けたことで、パアッと未来が開けたよ
うな気がしたのは、今でも忘れることの出来ない思い出です。

その日以降、1人しかお話を伺うことが出来ない日もあったものの、最終的には全ての試
合に足を運び、毎試合どなたかに声を掛け続け、計105組の皆様のお話と写真を残すこと
が出来ました。一度お会いした方々の何人かとは顔見知りとなり、継続的に話をしたりメ
イルをやり取りしたりするような間柄となるなど、新たな人間関係を築くことが出来まし
た。特にJ1昇格を決めた平塚での第43節、最終戦の第44節で、ずいぶん前にお話を伺った
方々が、わざわざ私に挨拶をしてくださった時など、9カ月間の行動が報われたように思
えたのを覚えています。


・ちょっとした裏話

今だから書きますが、これと良く似た企画を進めているサイトを、シーズン半ばにして知
ることとなりました。スポーツナビ、というスポーツ総合ポータルサイトの中で、浦和
レッズサポへのインタビューを掲載した「サポータースマイル」というコーナーが出来た
のです。「真似されたか?」と自意識過剰(苦笑)なことも考えたりしましたがそんなはず
も無く、あちらはあちらでライターさんが丁寧に構成して記事を書いておられました。企
画の完成度を比べると、私のページはプロの足下にも及びません。

それを言ったら、私にも元ネタはあるのです。リンクページにもありますが、サッカーク
リック
で連載された写真家・宇都宮徹壱氏のフォトエッセイ『モノクロームの冒険』
氏の著書『幻のサッカー王国 スタジアムから見た解体国家ユーゴスラヴィア』(1998)、
『サッカー新世紀 サポーターと帰属意識』(1999、書籍はいずれも勁草書房)にインスパ
イアされた部分が少なからずあるということを告白しておく必要があります。宇都宮氏は
旧ユーゴスラビアを中心に精力的に取材され、幾多の美しいモノクロ写真と文章とを残さ
れ、今もなおご活躍中です。言うまでもありませんが、氏の著作物もまた、私のページと
比べるのも失礼なぐらい素晴らしい物ばかりです。

本音を言えば、私も愛機のNikonF3にTri-Xを入れて撮りたかった、写真に徹することが出
来たらどんなに気楽だろうか、そんな事も考えたりしました。しかし、不格好なデジカメ
にしか出来ないことがありました。その場でプリントを手渡すと同時にデジタルデータと
して残す、こればかりはインスタントカメラにもデジカメにも、ましてや普通の銀塩カメ
ラにも出来ない芸当です。いや、このデジタルカメラがあればこそ、この企画を思い付い
て実行に移すことが出来たと言っても過言ではありません。メーカーのカタログからも消
え、しばしば特売品として叩き売られる不遇なデジカメでしたが、ボロボロになりながら
もコミュニケーションの道具として立派に役目を果たしてくれました。再生ボタンの壊れ
かけたテレコ共々、ここで感謝の気持ちを書き残しておこうと思います。


・終わりと始まり―2002年に向けて

応援の甲斐もあり、京都パープルサンガはJ2を首位で終え、来シーズン再びJ1で戦うこと
となりました。ゴール裏から見るサンガの選手達は、時には力強く、時にはハラハラする
ようなプレーでシーズンを戦い抜いてくれました。初めて見るJ2のチームも、個々の能力
こそJ1には負けるものの、それぞれに個性的なチームばかりで、サッカーへの見識を深め
るには十分な44試合を堪能できたと思います。特に山形というチームは、内容的にも結果
的にも、決して忘れることが出来ません。またいつの日か、J1で対戦出来ることを願って
います。

インタビューは今年限りの活動と決めていたので、来年以降は行わない予定です。しかし
このサイトは、2001年の記録としてKyoto-Inetにアカウントがある限り残したいと思って
います。今後は当面メインテナンスモードと言うか、デザインを変えたり気が向いた時に
何かするかもしれませんが、基本的には活動未定です。

2001年12月現在、新しい仕事探しの毎日です。預金残高的には年を越せます。が、このま
までは2002年の開幕は迎えられそうにありません。皆様と無事再会出来るよう、早く次の
仕事を見つけなければなりません。状況はご承知の通り厳しいですが、何とかなりそうな、
そんな希望を持てるのも今年の活動の収穫かもしれません。

来年は、アウェイゲームはもちろんホームゲームも、今年ほどには足を運ぶことで出来な
いかもしれません。しかし、1サポーター・1サッカーファンとして、京都パープルサン
ガのために出来る限り応援を続けられれば、と考えています。

それでは、皆様といつかどこかで再会出来ることを祈りつつ。

ありがとう。さようなら、J2。


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