京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2000年4月号 掲載)
伊藤美好さんのお話を聞いて

島崎明子   

 3月12日、アスニーで伊藤さんの講演を聞きました。
 “笑う不登校”という本を読んで目からウロコが落ちた気がして、それ以来「勉強しろ」とか「学校へ行きなさい」とか言う回数がうんと少なくなったと感じていた私は、その本の著者の一人である伊藤さんに会えるのを、会う前からずっと楽しみにしていました。

 子ども達が学校へ行かなくて時間があるのを幸いに、子ども達3人とデンマークに渡り、教育や福祉において「こうだったらいいのにね」と私達が思う事をすでに実践している国、デンマークで2年余りをすごされた、その時の話を聞きました。「7年生まではテストをしない」「親が子を学校へやることを好まなければ家庭で育てることもできるし、その為に親が仕事をやめた場合は、それに対する補助金も出る」「障害を持つ子と親が普通学級で学ぶことを希望すれば、問題なく受け入れられ、送迎や特別につく先生の費用は行政が負担する」等、どうしたらこんなステキなことが実現するのかしら・・・と、うらやましさを通りこして不思議な気がしました。

 お話を聞いていて分かったことがいくつかありました。デンマークでは「民主主義」「人権」という意識が、日本と違って本当の意味で根付き、人々の中で育っているということでした。お話の中で一番印象深かったのは、デンマークでは誰かが意見を言い始めると回りのみんながすっと静かになって、人の話を途中でさえぎることなく聞いて、終わってから手をあげて次の人が話し始めるというものでした。子どもの時から、最後まで話をちゃんと聞いてもらえる子ども達は人の話もちゃんと聞くように育つというお話。とてもとても耳が痛かったです。そんな風景、日本ではほとんどないよねェ。政治の場でも、学校でも、家庭でも・・・。私自身、どれほど子どもの話を中断させてきたか分からないし、話し合いの場でも、声の大きい人が勝ち・・・みたいなことはしょっちゅうあるし。学校の先生だって、発言している子の意見が自分の思いと違うと分かると、平気で中断させているし・・・。

 「人権」とか「民主主義」というのは高くかかげただけのものではなくて、こんなふうにヒトの意見をちゃんと聞く、といったような日々の生活の中での細かな出来事の中にこそ育まれて行くものなのだなと、改めて教えられました。

 そういえばデンマークで身につけられたものでしょうか、天性のものでしょうか。誰かが話し始めると、すっと口をとじて耳を傾けられる伊藤さんの態度は、とてもスマートでステキでした。


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