京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2002年4月号 掲載)

立命館大学社会学研究科中根成寿さんの

連続講座 番外編 「あいさつ将軍」編


 私事で恐縮ですが…このたび、数年おつきあいしたパートナー(女性)と同居することになりました。諸処の事情により、法律的な手続きは先送りになりましたが、事実上はその…そういうことになると思います。「なんだい、めでたい報告か?」と思われるかもしれませんが、今回の決断とそれに関する諸処の手続きで、私は自分の未熟さを痛感することになったのです。今回は、いつもの連載の番外編ということで、「親ってなにもの?」というテーマで考えてみようと思います。

 今回の決断で一番考えたのは、「互いの両親にどう報告するか」ということでした。お互いの存在はそれぞれの親に、「それとなく」伝えてあったのですが、いざ同居となるとやはり「正式なご挨拶」が必要となります。

 私の親の場合は…私「あの…○○さんと一緒に住もうと思うんだけど。」親「そうか。いつから住むんだ。場所は?家はもう決めたのか?」私「いやあの…籍を入れないつもりなんですが」親「別にそんなこと気にならん。たとえ俺が気にしたところでいつもの屁理屈で説得しにかかるんだろう。そんなこと気にしないから、とにかく向こうの親に早く挨拶してこい。」こんな感じでした。

 一方相手方の両親は、やはり娘親と言うこともあってか、やはり感情的な抵抗感がみうけられました。僕の評価とは異なる次元で、かなりの受け入れ難さがあるようでした。僕のことは気に入ってくださったようですが、「どんな人が来るか」はあまり問題ではなく、とにかく「来ること」が問題だったようです。こう書くとよくある光景のように思われますが、実際はあまり面と向かって「だめだ!」ということは少ないようです。僕たちの場合は、口では「いいよ」といいながら、どうみても顔や目がいいよとは言っていないように見受けられました。しかもそれは、自分でもどう受け止めていいかわからない様子に見えました。

 子が成長すれば、いつか離れていく。ひょっとしたら誰かと共に生活するかもしれない。親はそれを予期しつつも、いざそうなったときには、あわてふためくのでしょうか。子が二十歳をすぎて成人すれば、親のつとめは果たしたことになるのかもしれません。しかしよく言われるように「親はいつまでたっても親、子どもは親にとってはいつまでたっても子ども」という言葉があります。子を心配する親ごころは子が成人しても残るでしょう。しかし、いつまでもその「親ごころ」のかたちが子どもが幼い頃と変わらなかったらどうでしょうか。

 苦労して育てた子どもが手元を離れていくこと、それは一つの親の仕事の成功です。しかし成功と同時に、親にうまれる「さびしさ」を否定することなどできるのでしょうか。ひょっとしたら、親の仕事、親業は報われない仕事なのかもしれません。

 ただ、今回、「子」の立場として相手の両親と話して、自分たちのおかれている状況(働き始めるのが遅い、将来が不安定、必ずしも同じ家から勤務できるとかは限らない、互いが論文を書くときの身体的・精神的サポートなど)を話してはみたのですが、話してみた感じでは、あまりご両親には届いていなかったように思えました。

 こういう場面では「正論」を説いたところで、おそらくなんにもならないことがわかりました。今ここで必要なのは、「正論」や「理屈」ではなく、相手の感情を想像し、理解しようとし、そしてみんなが幸せになれる方法を、言葉を重ねて探していくことなのでしょう。

 僕が普段使っている理屈は、所詮へりくつにすぎないのでしょうか。社会学はいろんなものを相対化します。「家族」を相対化し、「男女間の性差」を相対化し、「障害」も相対化します。そんな「相対化のプロフェッショナル」も目の前で見る親の子への愛情までは相対化できませんでした。

 そんなとき、ご両親の目の前で僕は一つの大きな問いを繰り返していました。「親っていったいなんだろう?」という問いです。一生懸命に愛情を注いで、そしてその成果が実り、しかしその結果を寂しさとともに迎えなければならない「親」っていったいなんなんだろう。

 幼い頃は、親の言うことを素直に聞いていた子も、成長するに従って自己主張が出てきます。そして自らのことは、自分で決めていくようになります。もちろん親のアドバイスも受けながらです。反抗期は子どもの独立戦争とよく言われます。親はその独立戦争をとまどいとともに、この成長の証と受け止めます。だから「反抗期」という言葉があります(あくまでも「そういう時期」だと言うことで親は子を許すのです)。そして、いつかは独立してしまいます。もしも親が子を自分の植民地だと思っていれば、これは親業の失敗に当たります。親(宗主国)が子(植民地)から利益を収奪するために「親である」のならば、子の独立は親業の失敗です。しかし多くの親は、子を植民地と考えていないでしょう。いつかは自分から離れる、そうとわかっていてなお、親業を続けます。この独立を成功と考える一方で、寂しさも同時にやってくる…やはり親とは報酬の少ない仕事なのでしょうか…。ただ、親は子から多くのことを学びます。子が考えている以上に、親は子から多くのなにかを受け取っているのかもしれません。

 今回は、僕は「子」の立場でこの一大事に参加しました。子は親に何もしてやれなかったのに、恩を仇で返すようなことをしてよいのか、と考えました。でもある人が僕に言いました。「あなたが成長し、いまここにいること自体がすでに親への恩返しなんですよ」。人は「なにをしたか」ではなくて、「あること自体」がすでに誰かにとって奇跡である、とどこかで聞いたような気がします。僕もそんな風に考えて思考を進めていました。でも、それが自分の問題として立ち現れてくると、「僕は親に何かできただろうか」と「なにをしたか」で考えてしまうのです。

 現在、原稿を書いている2002年3月22日現在、僕は引っ越した家に独りで住んでいます。パートナの元には、彼女の親からよく電話があるそうです。その電話は、「さびしい」ことを伝えるものだそうです。もちろん、パートナに親への悪気があるわけでもないし、親の「さみしさ」十分に理解できます。これは時間をかけて解決していくしかないのでしょうか…。  アメリカのことわざで、親の極意を説いたものがあります。
The key to parenting is knowing when not to.
(親をやりつづけないのが親の極意)
親の仕事のやめどきを知ることはとても難しいことだという意味です。

 今回は、いつも評論家きどりであった僕が、自分の普段考えていることが一筋縄ではいかないことを実感させてくれる機会となりました。根底のところでは、人は理屈ではなくて、なにか言葉に仕切れない割り切れない思いと共に生きているのではないかと思います。
 今回は文章が整理できず、感情的な思いも相まって一部文体が乱れる箇所もあったと思います。ご容赦ください。今回のことで、僕はやはり一つの大きなテーマを実感しました。

「親っていったい何なんだろう?」

中根成寿(naruhisa@pob.org


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