京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2003年4月号 掲載)

「トライアングルの方々とのLHR(ロングホームルーム)を終えて」

2年2組担任 大窪美祈   

 LHR当日、壇上で語り始めた島崎さんの声と、生徒たちの真剣なまなざしに、私は「このLHRを企画して本当によかった」という思いで心がいっぱいになりました。今思い返してみても、生徒たちはトライアングルの方々のお話に引き込まれ、とても真剣に聞いていたと思います。後半の座談会でも色々な質問をしながら、トライアングルの方の思いを懸命に心に受け止めようとしていました。

 私には、この企画を通じて、クラスの生徒たちに感じ取ってほしかったことがたくさんありました。
 人間は、自分が「知らないこと」を、必要以上に怖がってしまう生き物だと思います。「知らない」から怖いのであって、正しく知れば解決することもとても多い。健常者と言われる人々は、「知らない」ことで、思い違いをしていることが大変多いように感じていました。
 クラスの生徒たちには、一社会人として生きていく上で、「障害の有無」によって、その人や家族を勝手に判断するような人になって欲しくない。逆に、どんな中にあっても、正しい方向へ社会を動かしていく一つの力となって欲しい。
 私は今回のLHRが、生徒たちがそのようなことを学び・考え始める出発点となればと考えていました。それには実際に、トライアングルの方々に来ていただいて交流するということが不可欠だったのです。私が何時間しゃべるよりも、何十枚プリントを配るよりも、実際に『本物』に触れ合う50分間の方が、生徒にははるかに強いものを残すと確信していたからです。

 実を言うと今回の企画は、私の中で以前から温められていたものでした。
 数年前、私は教育大学の特殊教育特別専攻科で勉強していました。その時、「出生前診断」に関するレポートを書くために資料集めをしていて、日本ダウン症協会の存在を知ったのです。そして東京の事務局で、協会の方々に直接お話を聞かせていただく機会が与えられました。
 本や論文などで、「ダウン症の子どもを持つ親の思い」というものを多少は知っていたつもりでしたが、実際にお会いして、文字でしかなかった真実が、温かな液体となって心の奥底にまで染み渡った思いがしました。直接的な体験というのは、間接的な体験では決して得ることのできないものを与えてくれるということを、私はその時に実感したのです。
 時を同じくして、新聞上で京都の『トライアングル』の存在も知ることになりました。
 専攻科を卒業する頃、「養護学校ではない学校で働きたい。そして、『健常者』と言われる子どもたちに、私の学んだ色々なことを教えていきたい、小さくとも『健常者』と『障害者』の掛け橋のような取り組みができないものか」と思うようになりました。今回の企画は、私のクラスのみが対象であったため、念願だったトライアングルの方をお呼びすることができたのです。

 生徒たちの感想には、「障害のある子どもがいたら大変そうだと思っていたけど、親に対するそんなイメージがすっかり変わった。」というものがとても多く、彼らは、私がかつて東京でしたのと同じような体験をしてくれたのだと思っています。

 今回の企画に賛同していただき、素晴らしい交流をして下さったトライアングルの方々に心から感謝申し上げます。クラスの半数近くの生徒が、個人的にも交流を続けていきたいという思いを持っていますので、1回きりのイベントで終わるのではなく、末永く交流を続けていけたらと思っています。
 私のこれまでの教師人生の中でも、本当に特別なLHRとなりました。本当にありがとうございました。

<講演会の感想>

  •  講演後には、「障害のある子を持つ親」のイメージががらりと変わってしまいました。きっととても苦労が多いんだろうなあ、というぼんやりとした想像は、お母さん方の話を聞いてはっきりと打ち消されました。もちろん大変ではあるけれど、「この子を産んでよかった」という皆さんの言葉を聞いて、とても胸があたたまり、また「障害を持つ子より普通の子の方が大変だ」というのを聞いて驚きもしました。ひたすらプラス思考のお母さん達がとてもかっこよかったです。

  •  ダウン症っていうのは全然知らなくて、お話を聞いている中で自分が思い違いをしていた事や、全然知らなかったことがあり、感心や驚きの連続でした。母親の気の持ち方、心の広さや、優しさ、温かさをすごく感じました。障害のある子を育てるのは大変そうと思っていたのに、「他の子を育てる方が大変ですよ。」「一家に一人障害者。」などと明るく言っておられたのがとても印象に残り、親が子どもを支えるというのではなく、子どもの方が親を支えているという印象を受けました。

  •  ダウン症の人の就職の話とかを聞いていると、それは心の障害なんじゃないかと思う。違いを認められないという。すぐに全てを受け入れるのは難しいと思うけど、自分は差別をしたくないと思う。何か出来ることがあるなら、やってみようかなと思ったり・・・。

  •  障害がある子どもやその親に対して、マイナスのイメージしか持っていなかったので、そういう意識が変わった。

  •  お母さん方がうまく話しを進めてくださって、全体でもグループでも楽しく会話することができました。私は「クワトロテスト」を受けるのに、初めのアンケートでは「受ける」のに丸していたけれど、お話しを聞いて、受けない方がよいと気持ちが変わりました。今回一緒にお話ししたり、ダンスを見たりして、障害があってもなくても、人間として全然違いが無い、同じだと改めて感じました。また一緒にボーリングしたりしたいです!

  •  今回の講演会が、ダウン症の人たちと接した初めての機会だった。直接話しをしたわけではなかったけど、ダンスをしている時の笑顔や、それを見て大笑いしている保護者の方の姿が心に残った。見ているこっちも楽しくなった。そして、その笑顔の裏には大変な苦労があったのかなと思うと、ただ笑顔を見ているのとは違うような感じもした。同情などではなく。とは言っても、10分、20分  話しを聞いただけでその苦労やつらさがわかるはずもなく、この先、今回の講演のことも忘れてしまうかもしれない。でも、忘れてしまうかもしれないけれど、今感じていること、思うこと、言葉に言い表せない何かを、今は大事にしたい。

  •  踊りがとてもよかった。のりのりだった。話を聞けてとてもよかった。ダウン症について全然知らなかったので、とてもいい機会だった。

  •  みんなすごく明るかった!自己紹介の文もとても面白かったし、ダンスも最高!ミニスカートはいてほしかったなあ…。想像していたのとは全然違っていて、ホントに私らと何も変わらへんなーって感じでした。楽しかったし、来てくれて嬉しかったです。

  •  率直に面白かった。ダンスはめちゃ圧倒されたけど、「ダウン症の子を持つということがそんなに苦じゃない。逆に楽。」って言ってはったのを聞いて、あーそうなんかと思った。

  •  私は、子どもは生まれてくるとき、何の問題もなく生まれてくるはずはないと思ってたんで(足が弱いとか、肌が弱いとか色々…)ダウン症であってもためらうことなく育てられるという考えを持っている。けど、大変な部分は、肌が弱い子とかよりは多いかなあと思ってた。でもお話を聞いていて、「逆に楽な部分もある」っておっしゃったので、今までの「大変」って決めつけてた考えが吹き飛びました。親は子どもを産んだとき、「この子どもとやっていけるかなあ」ってどんな親でも思うと思う。だって障害なくてもあっても、人としてどう育つかだと思うので…。そやし私は、トライアングルの方々の人としての大きさを尊敬します。

  •  私には、ダウン症ではないですが、知的障害をもった兄がいます。そのせいで、小さいときから色々な障害を持った人を見てきました。それで私が思ったことは、やっぱり障害をもった子にはその子に合った教育があり、またその教育を受ける権利があるということです。その教育とは、普通学級で学ぶことではなく、育成学級や養護学校で学ぶことだと思います。実際私の兄は、小学校は育成学級で学び、中・高は養護学校に通っていました。そういった環境にも、健常児と変わらないような友だちもたくさんいて、兄はよい刺激を受けることができて、人間的にも成長できたと思います。なぜトライアングルの方々が普通学級にこだわるのかが、ちょっと理解できませんでした。障害をもった子が自分に合った教育を受ける権利と、ノーマライゼーションはまた別の問題だと思います。社会参加はどんどんすべきだと思いますが…。私の兄は、そういった教育の中で言語や文字や協調性、自立心などを獲得しました。

  •  私は今回の講演を聞いて、自分の子どものことを嬉しそうに語っておられるお母さんたちが、すごく生き生きしているように見えた。でも,今だからこそ笑ったりできるけど、子どもが生まれた頃は色々ショックを受けたり、苦しんだりしたんじゃないかなと思った。私は小学1年の頃から7年間、講演会にいた木村真理子ちゃんと同じクラスだったけど、初めて彼女に会ったとき、ダウン症を知らないどころか障害者を見たことすらなかったので、幼い私にはうまく理解できなかった。でも、逆に当たり前のように接していたし、特別視とかそういうものも全くなく、7年間同じ教室で過ごした。高校に入ってからは疎遠になってしまったけど、今回再会して、彼女がものすごく成長してることに驚かされた。昔は人前で踊ることなんて恥ずかしいと言ってやらなかったのに、とっても楽しそうに踊っていたし、自己紹介もあんなにスラスラ言えててすごく感心した。「障害者はできないことがたくさんあるので、みんなで助けてあげましょう。」とよく言われるけど、私はそれは違うと思う。彼らはやることが少しゆっくりなだけで、年月をかけてちゃんと様々なことを習得している。だから、できることまで私たちがやってあげるというのは、逆に彼らを差別・特別していると思うし、本当に困っている時にだけ手を貸してあげるべきだと思う。たとえどんなブランクを抱えていても、成長しない人はいないと思う。みんなそれぞれのペースで成長していくし、今回私はそれを強く感じることができた。


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