京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2005年4月号 掲載)

2005年スペシャルオリンピックス世界大会

野田君子   

 2月26日から3月5日まで長野でスペシャルオリンピックス(SO)の世界大会が行われました。我が息子和弘もスピードスケートの選手として参加しました。どうしてスピードスケートかといいますと、8年ほど前にローラブレードが流行ってまして弟と和弘の分を買いました。和弘は何度も何度もこけながら一人コツコツと練習をしていました。その甲斐あってか、そこそこ滑れるようになった頃にSOのスピードスケートプログラムに参加しました。もう6年も前になります。

 毎回スケートプログラムには必ず参加していました。おかげで今回このような、大きな大会に参加できることとなり、本人はもちろんですが、周りの親戚、コーチ、その他大勢を巻き込んでの大盛り上がりで、長野に行ってきました。
 長野市内は、のぼりやポスターがいたるところにあって外国人いっぱいで、すごい盛り上がりでした。和弘は私達より4日早く長野入りしていました。選手になると開催期間中は親と会うことが出来ません。大会前に2度の合宿があり、そこで初めてコーチや他の選手に会います。いままで家をはなれるのは、長くても2泊ぐらいで、今回の12泊はいったいどうなるのかな?と心配していましたが、やっぱり事前の合宿がとても楽しかったようで何の心配もなく、本人も大会を満喫したようです。

 競技は、111m5位 222m銀 333m接触により相手が転倒で失格でした。
でも本人の上達ぶりはすごいもので大会中でも他の選手の刺激をうけてか、私も驚くほどのフォームで滑走していました。SOは、予選で男女別、年齢別、同レベルにクラスわけをします。ですから予選落ちはなく、誰もが決勝に進み全員がメダルかリボンで健闘を称えてもらえます。そこがSOのすばらしいところで、ホントにゆっくりなスケートでも皆が拍手でゴールするまで、見守るといったシーンは何度も見られます。そして表彰台に立ちます。どの子も、とびっきりの笑顔でパフォーマンスをします 。

 どう言い表せばいいかわかりませんが、何ともいえない和やかな空気でいっぱいです。
細川会長は、スペシャルオリンピックスで世の中の価値観を変えるとおっしゃいました。
人に優しさを、与えるために生まれてきたこの子たちにスポーツを通して、回りの皆の意識が変わるようにと云う思いで、この活動を続けてこられました。

 今回このような、大きな大会が日本で行われたことにより、SOの活動がたくさんの人に知っていただけたら、知的障害への理解が少しでもふえるのではないでしょうか。
 たくさんの感動で一杯の長野で、他国のファミリーとも友達になりました。言葉が違えども、子を思う親の気持ちは通じるものです。私達夫婦もホントに感動と楽しい想いで京都に帰ってきました。 和弘が生まれた時も不安で一杯で主人と泣きましたが、今回帰りの汽車の中では二人で感動一杯で涙しました。(うるうる)

 その後の本人はといいますと、4年後のサラエボに向かってスケートに磨きをかけているようにも見受けられます。(ほんとか〜)
本人は字もうまく書けませんが、大会中の日記には誰も手を添えていない文字がありました。そこには 「スケト たのしかたです」と書かれていました。

 SOは8歳から何歳でも体力が続く限り参加できます。
世界大会に出るのが目的ではなく、日常のプログラムが大切です。その中で出来る事を一つづつ増やしていく事を目的としています。詳しくは、事務局に聞いて下さいネ!

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