京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2005年4月号 掲載)
にんぷいろいろ日記(その2)

こてらさちこ

 妊娠していることを知り、まず考えたのがどこでお産をしようかということ。私は家で産んでみたいと思った。夫には少し反対されるかな〜と思いつつ相談してみると、意外とあっさりOK! 十数年になる付き合いで、私が決心していることに気づいている(笑)。
でも夫があっさりOKしてくれたのも、あきとのお産の経験があったからだと思う。

 あきとは助産院で夫と3人の助産婦さんの見守る中、生まれてきた。あきとを助産院で産むことを決断するまでに、何回か病院に行った。妊娠して初めて行った産婦人科でのこと。当たり前のように下半身を全部脱いでイスに座るよう言われる。みよ〜にたいそうなイスにこわごわ座ると「あげますね〜」と軽く言われると同時に音がしてイスが勝手に動きだした。そしてイスは上昇しながら回転し、勝手にお尻が持ち上がり、自動的に開脚させられ、いつのまにやら分娩台スタイルに・・・。下半身丸出しなだけでも気弱になってしまうのに、ボタンひとつで自動的に足まで開けさせられるなんてたまったもんじゃない!! さらにマスクをした医者にカーテン越しに何かをさせられるという不安・・・。もう生理的嫌悪感でいっぱいで、とてもそこでお産をする気にはならなかった。病院でお産をするのってこんな感じなの?? 疑問に思った私は『分娩大よ さようなら』という本を読んでみた。やっぱり、お医者さんに都合のいい効率のいいお産をするなんてイヤだ!
私はただ安心して産みたいだけなのに・・・。

 それで前から気になっていた助産院に行ってみることにした。その助産院には超音波検査の機械もないし、分娩監視装置も、もちろん分娩台もない。会陰切開も浣腸もしないし、陣痛促進剤もうたない。ただ助産婦さんたちの、赤ちゃんや妊婦とその家族への歓待の気持ちに溢れていた。いろんな知恵や経験を持ったステキな助産婦さんたちに出会うことができた。助産院での初めての検診の時、ゆっくり話をした後、「お腹を見せてね」と言われ、お腹の触診をした。(その助産院では内診さえ陣痛が始まるまでは一度もなかったのだ) 助産婦さんがあったかい手でお腹を撫でながら、お腹の赤ちゃんに向かって「はじめまして〜・・」と話しかけだした。私はその時、ああっ〜、これだ〜〜っ!! ここだ〜っ!! と思った。(笑) その時初めてお腹に赤ちゃんがいることを実感し、体から湧き起こるに妊娠の喜びを本当に素直に味わった。病院では子宮筋腫があるから流産の危険性が高いと、オメデトウどころかまだまだ喜んではいけない雰囲気だった。

 私はすぐにその助産院でお産をすることにした。お産の時に大事なのはとにかくリラックスすることで、助産婦さんたちは妊婦がリラックスできるよう精一杯の心配りをして下った。妊娠するまで、母性本能なんてないんじゃないか?と思っていた私が、助産院に検診に行くたび、赤ちゃんへの愛情が膨らんでいった。お腹の赤ちゃんは、私にとって胎児というよりもすでにひとりの人格を持った人で、一緒に生きているという実感があり、臨月を迎えた頃は、もうすぐこの手で抱きしめられるという喜びで一杯だった。陣痛が始まり、おしるしがあった時にはうれしくてうれしくて、しばらく笑いが止まらなかったくらいだ・・。

 お産の前にはどんなお産がしたいかというバースプランを書いた。好きな格好で産めばいいし、リラックスできるように自分で工夫してと言われ、いろいろ考えてみる・・・。夫と相談し、たしかかんな内容のバースプランを書いて助産婦さんに渡した。
『赤ちゃんの生まれてくる力を信じてできるだけ自然にまかせて夫婦で頑張りたい。万一医療的処置が必要と判断される場合はよく説明して欲しい・・というようなこと。生まれたらすぐに赤ちゃんにおっぱいを吸わせたい。生まれたら夫に一番に抱かせて欲しい。お産は和室でしたい。陣痛の間、好きなCDを聞いていたいのでかけさせて欲しい。など』

 42時間の難産だったけど、あきとと私らしいお産だった。私の気持ちを考え限界まで頑張って下さった(病院ならとっくに帝王切開だったろうから)。助産婦さんの懐の深さや経験、智恵には心からの尊敬の念と感謝の気持ちで一杯だ。助産婦さんにはいろんなことを教わった。自分の体を知ること、自分の体を信じること、本来からだが持っている力を発揮させること、私らしく産む、私が選ぶということ・・。

 2人目の赤ちゃんは8月に生まれる予定。その助産院は8月、お産のお休みの月。それをきっかけに、自宅分娩を決めたけれど、住み慣れた日常の中で夫とあきとに見守られお産をする・・本当に楽しみだ。状況により病院出産になるかもしれないし、医療的ケアを必要とする赤ちゃんかもしれない。障害をもって生まれてくるかもしれない。
でも、どんなこともきっと受け入れられると、自分を信じている。信じたい・・。

 先日また、素敵な助産院さんにお会いし、話を聞くことができた。自然に身を委ねている潔さと、自然のエネルギーを充分体にとりこんでいる、エネルギーに溢れた、とってもかっこいい方だった。その助産婦さんの言葉で私の胸にドキリと響いた言葉・・。
「私は死を覚悟した人しか、お産をうけない」。その言葉は決して無責任なのではなく、妊婦ととことんつきあい責任をもつ覚悟があってのこと。お産は命がけ。そして、自然とは、いのちとはそういうものなんだと思う。そして、自然分娩にこだわってはいけないということだとも理解した。自然分娩や病院出産にこだわるのではなく、自然にまかせるよういことが大切だと思った。

 その助産婦さんの温かさに、つい甘えて少し弱音をはいた私に帰り際にこう言ってくれた。
「大丈夫! 自分が大丈夫だと思ったら大丈夫!!」。そうだっ!! 大丈夫だ(笑)。

 私はあきとが生まれるまで、ダウン症はもちろん障害をもつ人がいるということに無関心だった。あきとが生まれてはじめて当事者の気分になったけど、本当は前から当事者だったのに。だからあきとが生まれてからは自分の中の偏見との戦いのはじまり・・。
あきとがダウン症だとはっきりした時、周囲の反応もいろいろだった。周囲から言われたことで今も私のトラウマになっていることもある。「ダウンの子を育てる覚悟はあるのか? 自信はあるのか?」と攻め立てられたことがあった。その時は、産んだ私ひとりが吊るし上げにあっている気分だった・・。でもその時、私の心はしっかりしていた。“私はただ、あきとが生きているだけで幸せなんだ! そんな覚悟も自信も必要ないんだ!!”と。

 その時の私と、私を責めた人との障害者観にたいした違いはなかっただろうと思う。ただ私には、妊娠中の10ケ月で育んできた母性本能があった。だから、今さらあきとにどんな病名をつけられようと、あきとはあきとだった。それまでの自分の価値観や偏見はなかなか捨てられるもんじゃないけど、不思議と自分の母性を信じることができた。そして、私が助けを求めた時、力になってくれるだろう人たち、お世話になった助産婦さんたちの顔を思い浮かべることができたことが大きな支えだった。

 助産婦さんを育てる学校がこれからなくなっていく、というような話を聞いた。
赤ちゃんの誕生を妊婦と共に喜び、待ち、お産も子育てのスタートも、妊婦や母親の気持ちに寄り添い、力になってくれる助産婦さんこそ、いのちにかかわるお産の場にいて欲しいと思うのに・・・。

 お腹の赤ちゃんはもう6ケ月。毎日のあきとのドタバタ生活の中、存在をアピールするかのように動く・・。順調、順調! ふくらんできたお腹の上で、毎晩、あきとが唄を唄いながら寝てしまう(笑) あきとのダミ声が、お腹の中で響いているんだろうな・・。

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