京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2018年4月号 掲載)

2018年 3月8日

日本産科婦人科学会理事長 藤井知行殿
日本産科婦人科学会倫理委員会委員長 苛原 稔殿

私たちは「障害を理由に命を選別する出生前診断」に反対し、
今回の新型出生前診断の一般診療移行に強く抗議いたします。

京都ダウン症児を育てる親の会
佐々木和子
事務局:〒602-8385 京都市上京区観音寺門前町819-4・高平方

 貴学会は3月3日の理事会において、新型出生前診断を臨床研究から一般診療とすることを決めました。
 5年間の臨床研究の結果「データも蓄積され、役割は終わったので、研究を修了し臨床へ移行する」というものです。一体どんなデータが蓄積されたのでしょう。確実に3種のトリソミーを見つけ出し、中絶することができた、という検査の精度の高さのデータなのでしょうか。毎年、検査数と陽性の数、ダウン症との確定診断、その後、確定診断でダウン症と分かった人の9割が中絶との結果が報道されてきました。「ダウン症のある人は生きるべき存在ではなく、中絶してもいい存在」としての結果を、貴学会は「当然の帰結」と判断し、一般診療に切り替え、儲かる検査として市場に出してきた、としか思えません。
 このような暴挙に、私たちは、とても傷つき、ダウン症の子どもを育てている親として強く抗議します。
 
 私たちは1996年にマーカー検査が儲かる検査として市場に出てきた時から、出生前診断に反対の意見を貴学会に提出してきました。子どもを育てる中で、丁寧に生きているわが子から教えられることは多く、ダウン症の子どもを産んで良かったとの思いや、社会には多くの障害のある人たちがごく普通に生活していることも、機会あるごとに貴学会に訴えてきました。また、多くのダウン症のある人達は、地域の学校に通い就労もするなど様々な社会活動を担っています。厚生労働省の研究班による調査でも、「ダウン症のある人の92%が幸せ」と感じており、周囲との人間関係にも満足していることが明らかになっています。
 
 しかしながら、教育現場が障害児と健常児を分ける分離教育をしてきた結果、一般の人が障害のある人と触れ合うことが少なく、理解する機会を奪われているために必要以上に障害について誤解が生じていることも、中絶の要因になっていると思われます。
その為、カウンセリングの現場に親の会を参加させてほしいことも訴えてきましたが、聞き入れられていません。
 
 新型出生前診断は近い将来、胎児の遺伝子検査に拡大されていくことも視野に入れていることが報道されています。そうなれば、多くの障害のある胎児が中絶されることも容易に想像できます。すでに、超音波検査で障害の可能性、というだけで中絶されていることも聞き及んでいます。貴学会は網羅的にわかる遺伝子の異常を見つけ、中絶する社会を作り出そうとしているのでしょうか。
 すでに、ゲノム編集の研究も始まっていると聞いていますので、私たちにはそうとしか考えられません。このような行為は、明らかに優生思想に基づく行為であります。旧優生保護法の「不良な子孫の出生の防止」と地続きの発想であり、到底許されることではない、と考えます。
 
 高齢出産の増加に伴いニーズが増えた、ということも一般診療への移行の理由にされていますが、ニーズというのは常に社会的な背景があり、妊婦が本当に障害を理由に中絶を望んでいる話とは全く別次元です。
 また、侵襲的でないとか、採血だけで簡単という言葉だけで、どのような結果をもたらすかを妊婦には、わかっていない場合が多いと考えられる中でのニーズという言い方も誤解を招く表現です。検査結果では「命の選別」につながり、中絶という思いがけない選択を迫られた妊婦が、戸惑いと苦しみと拭いきれない傷を負い、その後の人生にも大きく影響している話も多く聞きます。
 貴学会は、本当に出生前診断が妊婦のニーズに応え、診断を喜び、不安を取り除き、幸せをもたらす検査と思っているのですか?思っているから一般診療に切り替えたのですか?産科婦人科学会なら、妊娠、出産、子育てのリスクはイヤというほど知っているのではないですか?
だから、NIPTが出た2012年秋のシンポジウムで生物の多様性を何度も説明していましたよね。
こんな検査でその後の幸せが保障されるなんて、よもや思ってはいないですよね。
ならば、お金儲けですか?検査をしてみたかっただけ、データを積み上げたかっただけですか?
 
 検査技術ばかりが先行し、産婦人科医自体が技術を使いこなしていない、説明しきれていない、その結果、不安をあおり、中絶が増えている現実も十分わかっているはずです。
 1996年にマーカー検査が出てきたときも、不必要に妊婦の不安をあおる検査として、「あえて知らせるべき検査ではない」との見解がでました。
 マーカー検査もクワトロ検査として精度をあげていますが、2013年4月からは、より精度を上げたNIPTが臨床研究という形での実施が認められ、今回、一般医療に切り替わりました。その間、妊婦の不安が、解消されてきたとは到底思えません。
 精度が上がり、大きく報道される度に「受けなければならない」かのような圧力になっているからこそ、検査数は増え続けているのです。
 
 社会にある「差別」や「優生思想」と検査数は比例して蔓延してきています。
 相模原障害者殺傷事件はそれが表に現れてきたとても悲しい事件ですが、私たちは出生前診断と大きく関係していると思っています。
 検査が「差別」や「優生思想」を後押ししていると思っています。
 
 国連の障害者権利条約では、「ある社会がその構成員のいくらかの人々を締め出すような場合、それは弱く、もろい社会である」とし、障害の有無にかかわらず「共に学ぶインクルーシブ教育、共に生きるインクルーシブ社会」の構築を唱っています。そして、障害の定義をその人固有の欠損、欠陥であるとする「医学モデル」から社会との関係から生じるとする「社会モデル」に転換し、社会そのものが変わらなければならないとしています。
 なぜ、検査の精度をあげるのではなく、誰もが検査を受けなくても安心して子どもを産み、育てることのできる社会の構築に力を注いでいただけないのでしょうか?
 産婦人科が減少し、出産するのに大変との報道もあります。
 安心して出産できるようにすることこそが、産科婦人科学会に課せられた使命と考えます。
 

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