立命館大学社会学研究科 中根成寿 トライアングルのみなさま、ご無沙汰しております。今回からタイトルを変えまして、気持ちも新たにはじめさせていただきます。今回は一冊の本を紹介しながら、お話しさせていただきます。 その本は土屋葉さんという方が、6月に出版された本です。タイトルは『障害者家族を生きる』という本で、勁草書房から出版されました。 この会報を書く前、土屋さんの本を、トライアングルの会報で紹介する意味は果たしてなんだろう…と一人で考えました。理由を考えなければならないと言うことは、僕に「書きたい!」という欲求だけが先走ったという証拠なのですが、いくつかの理由をあとづけてあげたいと思います。 土屋さんは僕と同じ、社会学を専門にしている方です。僕より3年くらい先輩です。そして、僕と同じように?(僕が土屋さんと同じように、といった方がもちろん現実には正しいのですが)障害をもつ人のいる家族、を対象にしておられます。土屋さんの場合は、全身性障害の方を中心としておられます。脳性マヒ、筋ジストロフィー、ポリオ、脊椎損傷といった、身体に関する障害をもつ方とその親を対象とされています。 そして、最大の特徴は、障害をもつ本人、その親の「語り」を研究の中心に据えていることです。親が語る家族、子の障害、子が語る家族、親の存在、ケア(身体にまつわる世話)を巡る葛藤、摩擦…。これらを「障害者家族」の当事者から聞き取り、記述する、という研究スタイルです。僕との違いをあえて挙げるとするならば、土屋さんが全身性障害をもつ方とその介助者の「ケア」を焦点に据えていること、僕はダウン症という知的な障害を伴う子どもと、その決定や意志を支え補う親の存在を中心に据えていると言うことでしょうか。 実は、こうした当事者に聞き取って現実を分析する、というスタイルが学術界で認知されるようになったのは、本当にごく最近、ここ10年ぐらいの話です。それまでは、障害や家族に関わる研究は、専門的な知識を持つ医学、心理学、社会福祉学の独壇場でした。ただ、専門家への当事者からの不満、専門家が描き出す家族と当事者が感じている家族のずれがはっきりしてきた頃から、社会学の立場で当事者の声をすくいあげる、というスタイルの研究がだんだんと認知されるようになってきました。まあ、学術界の動向はこれくらいにして、本題に入っていきます。 どんなスタイルで、紹介しようかと思いましたが、本の中から、当事者たち(親と子)の語りを引用し、そこからみなさんになにかを感じ取っていただきたいと思います。土屋さん自身の分析は、是非とも本を購入して読んでいただきたいと思います。 お互いがお互いを思い合う、言葉だけを聞くと「理想的な関係」といわれるでしょう。ただ、それが強すぎると、なぜかお互いの負担となることもある。未熟な恋人達がよく発する「重い」という表現をされる感覚が、親と子の関係にも出てきます。 「障害者家庭の、(親の)この子のためにとか、この子のために頑張らなきゃっていうのとまぜこぜになってる部分がありすぎるんだよな。逆にそれがお互いの重荷になって、お互いの成長がなくなってしまう部分なんじゃないかなと思うんだ。だからある部分、お互いに知らないところがあっても面白いんじゃないかと思うんだけど。逆に言うと、障害者の親子関係って言うと、何でも知ってる、何でも親子そろって死ななきゃいけない、っていうのがあたりまえだという感覚の中で親子関係をつくってると、いざ、どっちかができなくなったり、どっちかが倒れたりするとパニックになってしまう。」(p147) 自分でない部分=自分が知らない部分、があるということが他者の基本的な条件です。すべてを知っていること、他者を支配することは相手の存在を脅かします。人間は感覚として、他者を支配することを望みつつも、一方でそれを否定する感覚を持ち合わせているそうです。臓器移植や代理母、売買春やドラッグが私たちの「こころの奥の方」にふれるのも多分この「他者」という感覚と繋がっているのではないでしょうか。僕はもっと単純に「人間の関係には知らないことがあった方が面白い」と脳天気に思ってしまうのですが…。 「やっぱり最初産んですぐは『助かって』って思うしかないでしょ。それで病院、はじめてXに行った時がまだ一歳前だったけど、そのときに初めてあんなに集団で障害のある人を見ますよね、こっちとしては。ぜんぜん知らなかったわけじゃないけど、車いすの人とかも。だけどこう、ほんとに体が変形してこんなんなって、車いすに乗ってる人とか、チューブを鼻から入れたりとか、今は別にどうってことないけど、最初にみた時に、それも病院だから集団でいるでしょう(笑)。あれっていう感じはあったよね。それで、うちの子もこんなんなっちゃうのなんて、まだそのころは訓練すりゃ治るくらいの、そのよくわかってなかったから。それでその後に何で私がこんな目にあわなきゃいけないのっていうような、こっちより自分がかわいそうな感覚になって。…(以下略)」(p155) 「うちの子もこんなんなっちゃうの」や「自分がかわいそう」という言葉、実は僕自身もトライアングルのある親御さんたちから聞いたことがあります。こうした正直な言葉は僕はとても大事なことだと思います。子どもと親自身は違う存在であることを示している言葉であるし、なにより自分自身のもやもやした感情を言葉にできています。この言葉にたどり着けた親は、いろいろ迷ったりもするでしょうが、きっと一人の人間として成長している方なのだと思います。 ただ、親の気持ちとは離れたところで、社会は圧力を親にちょっとずつかけてきます。「お母さん、がんばりましょう。」「お父さん、もっと協力して。」世間は、「障害児の親」らしくあることを親に強要します。そしてそれに従わない人を「愛情が足りない」「それでも親か」と非難します。こうしてがんばる「障害児の親」が作られていきます。 「いつかはそうなるんですよ、だって。私ができなくなったら入れるのは、施設しかないでしょ。…まぁじぶんができるまでは、うちでいきたいなぁと、私自身は思ってるんだけど。…できれば、自分ができなくなるまで、自分でみたいなぁというのが(ある)。」(p172) 自分ができなくなることを知りつつ、それでもできるところまで自分がしたい。ただ、それを望んでいるのは誰でしょうか。その答えがどこにあるにせよ、社会はその「気持ち」を利用します。「愛情」というエネルギーによって支えられている「行為」を利用します。家族という場は、あらゆる行為に「愛情」というエネルギーを付与させます。「愛しているから〜する」「家族ならば〜して当然だ」。 高齢者の家族介護ならば、愛情よりも「規範」が優先されるでしょう。「『ヨメ』がみるのが当然」、「親の介護は長男の家族の仕事」などなど。こうした社会の圧力があることを頭でわかっていても、それでもなかなかそれから抜け出せない、全部を否定しきれない、この不思議さは果たしてどこからくるのでしょう。学問の理屈、常識的な正論で割り切れない部分、それが家族や親子関係にはどうしても残ります。 「まぁ私はね、子離れしていないのかもしれないですけど、やっぱりついつい心配なのでね、いろいろ世話をやいてしまう。口を出してしまう。言語障害もありますからねぇ。そういうのはやっぱり嫌がりますよ。だからできるだけ、手を出さないように、って自分で心がけてるんですけどね。」(p199) 割り切れなさを残しておかざるを得ないとして、ではどうするか。僕はそれに自覚的であることが大切だと感じます。ついつい手を出してしまう、口を出してしまう、それ自体が悪いことではないと思います。ただ、それに自覚的でないこと、愛情に酔い、関係に盲目的であること、それは「ゆがんだ関係性」を引き起こす可能性があります。 「介助していても介助者ではあるけれど、あんたと私は別よっていうことは明確にしていかなればいけないし、と思う。で、将来的に、かなりの距離を取りたいと思う。大人同士として。だって嫌でしょう、親に恋人のことまで口出されたり、それからなんもかんもお母さんにされたりしたら。何もかんもしてやんなきゃいけない子どもを、親はそうそう尊重なんてできないよ、やっぱり正直言うと。」(p220) 相手を自分の子として「だけ」みるのではなくて、その子の子以外の顔を尊重する。親とだけ一緒にいれば、親は親の顔、子どもは子どもの顔をせざるを得ない、ならば、親は子どもが「子どもの以外の顔」をもてる時間を意識的に作る必要があるのかもしれません。お友達と遊ぶ時間、外に誰かのお手伝いに行く時間、ちょっとがんばって誰かとお泊まりする時間…。こうした時間の積み重ね、組み合わせこそが「地域生活」なのではないかと考えています。 ただ、これまで親が障害をもつ子どもと生きてきた長い年月を尊重することも必要だと感じています。つまり地域生活や自立生活が親にとって、単に「子どもをとられる」や「子どもを手放す」ものだったら、意味がないのではないかと思うのです。出産したときから、成人期に至るまで、社会と折り合いをつけながら、時には社会とけんかをしながら、親と子が苦労して積み重ねてきた歴史がある。その気持ちの延長線上に、親子関係の変容の結果として、地域生活があるべきだと思います。そしてその変容は、意識的に行う必要があるのではないかと考えています。 ここからは個人的な主観なのですが、よくいわれる「障害をもつ人の自立」を実現するためには、足りないなにか(資源、サービス)を作り出す、というのも大事ですが、過剰ななにかを受け止め、変容させていくことも同じくらい大事だと考えています。 「体も楽になったけど、すっごい精神的に楽になったというか。どうなんだろ、心配といえば、そりゃ心配はずっとしてますけど、でも、このごろは忘れてることも増えてきたし、てことはもうちょっと安心してるのかなって、自分では思うんですけどね。自分の行動範囲がすごく広くなりましたね。」(p229) これは子どもが家を出て一人暮らしを始めた人の語りです。心配は心配だけど、ちょっとずつ安心感が増えてくる。自分の世界も広がってくる。離れていてもつなぎあう関係性を実現する一つの方法として、彼らが選んだのは家を出る(出す)という選択でした。一つ一つの行為に「愛情」による過剰な意味が科せられてしまう場から離脱すること。それは心配なことでもあるけれども、新しい関係性を提供してくれる試みでもあります。 今回は、土屋葉さんの『障害者家族を生きる』という本を紹介しつつ、本の中から親や子の語りをお借りして、お話しさせていただきました。もちろん、僕がトライアングルの親御さんから集めている語りも、土屋さんの集めた語りに負けないくらい、新鮮で迷いを含み、新しい発見をくれるものです。ただ、その分析にまだまだ実力の差が出てしまうのですが…鋭意努力中です。 土屋葉さんの『障害者家族を生きる』、是非読んでみてください。もし本屋さんになければ、僕が取り寄せてお渡しします。土屋さんとも知り合いなので、少しは安く提供できると思います。 同時に、この文書の感想なんかも一緒にいただけるとうれしいです。経験談、これはちょっとちがうんじゃないか、という声、お待ちしております。実は連載一年にして未だに一度もないんです…実力不足もあるでしょうが、皆様の励ましのお便りが僕の支えです。感想お待ちしています。 中根成寿(naruhisa@pob.org) お手紙の場合は事務局までお願いします。 |