京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2003年8月号 掲載)
講演会「あたりまえに生きること」からこのごろ感じていること

阪本富子

 最近、TVやJDSの会報などでダウン症の人が成人して社会に出て仕事をしている、織物や陶芸などのアートの世界で自己表現している様子がとりあげられ、“すごいなあ、こんなになれるのかあ?”という思いを抱いていました。今回の和田典子さんもすごい人なんだと思い、お母さんはどのように育てられたのかと期待して参加しました。

 典子さんはピンクっぽい裂織りの作品を着ておられ、30歳よりはぐっと若く見え、下向きがちに話されると女性らしい雰囲気でした。家庭から巣立って「一人暮らし」に触れると「好きなドラマがじっくり見られる」「お料理をつくるの好き」と自分の生活は自分でと、そんな思いが感じられ着実に歩んでこられたこそ、今の姿があるのかなと考えさせられました。

 一方、典子さんのお母さんのお話は30年前、何もなかった社会環境に一つ一つ、学校や地域に行政にぶちあたって?(きっと)切り開いてこられた強い意志と誇りが伝わってきました。現在は陶芸や裂織りのアトリエ活動を支えたり、職場の雇用をしっかりしたものにするためなどに、典子さんの自立に向けての親として行動を精力的にされています。

 このごろの明子と私(母)
 「すごいな私も、あれはどう? これはどうかな?」としむけてきたのですが、最近は明子の思いとベクトル→の方向が違ってきているのかな・・・。中3の進路と重なり、心の内が見えない思春期の真っ只中です。

 「私はスポーツ系でバレーボールとかエアロビをしたい」「造形で描いたり、アートは興味ないねん」と将来の希望を主張しますが、現実とかけ離れている気がして心底から受け止められません。ヒップホップには土曜日の夕方から下京青少年活動センターへ一人で市バスを乗り換えていそいそと出かけます。レッスンも休もうとはしないので、自分からやろうとするものがあるように思われます。学校生活も3年になってからは、朝、体の不調を訴え休んでしまう日が週1日ぐらいで出てきます。『進路のことかな? 学習が定着しないことで親の目を気にしているのかな? 内面によるものかな? それとも睡眠のリズムが乱れて体が本当にしんどいのか?』と悩まされているこのごろです。

 仕事をやめてゆっくりかかわるという思いと、親から離れようとする反抗期とでベクトル⇔が反していたのでしょうか。典子さんの生い立ちを見て20歳から織りや陶の世界を始めてられるので、ちょっとあせっているのと期待をかけすぎている自分に考えさせられました。

 典子さんのお母さんが「不安はいっぱいあるけれど思い切ってしなくては」、佐々木さんが「ゆっくりと育ち いつか花開く」その歩みの中身とプロセスが大切なのだと思いますが。
 現実には明子本人の希望と実力のギャップや、自分で描いている高校進学の理解しにくい部分を埋めていくのに、母の私にとってしんどいことが正直な気持ちです。


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