京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2003年8月号 掲載)
はじめまして 新しく事務局に入りました
どうぞよろしくお願いします!!

小寺幸子

 我が家の長男、明斗(あきと)は2002年10月10日に生まれました。
 生まれてすぐに私の乳首に吸い付く明斗を見て、やっと会えた!という喜びと幸せで一杯でした。助産院では母子同床で、いつも一緒。隣に寝ている明斗を見ては顔がほころんでいました。一週間後、病院でほぼダウン症に間違いないと言われた時は本当にびっくりしたと同時に涙が溢れ出したのを思い出します。その時の私はダウン症のことを全く知らなかったので、あらぬ想像を勝手にしては泣いていました。無知なことゆえの涙だったと思います。

 助産院では泣いている私に、気のすむまでいていいよと言っていただき本当に御世話になりました。そして「明斗は孫だと思っているからいつでもなんでも言ってね」と言ってくれた先生・・「保育園に預けて自分の時間を作ることが大事よ」ともおっしゃいました。他の助産婦さんたちもいろんな話をして下さいました。弱音をはく私に「一番あかんのは想像して不安になること。起こってもい〜ひんこと心配したってしょうがないんや!」という一言に、あ〜そうか!と思ったり・・ 私の話を優しく聞いて一緒に涙して下さったり・・ こんなに人の温かさに触れることができたのも明斗のお陰だと思います。

 生後4週間経って、病院での検査の結果がでた時、先生は「ただダウン症だというだけです。成長が少しゆっくりなだけ。毎日楽しいことを一杯して、いい音楽を聞かせてあげて、友達を一杯作ってあげればいいんです。」ということを言われ、むずかしく考えなくていいんだと少し気持ちが楽になりました。

 いろんな人たちのお陰で今の私達があり本当に感謝の気持ちで一杯です。
明斗が生まれていろんなことに気づかされました。独りで何でも頑張って一人で生きていると勘違いしてしまうよりも、いろんな人に助けられ、自分もまた人のことを助けられるという幸せ。何かができるということが幸せなんじゃなく、何もできなくても人を幸せな気持ちにすることはできるようこと・・・。

 明斗は4月から保育園に通っています。園長先生が言われたことですが、障害をもっていると、ある意味本当にのびのびと本人が何の障害も感じず過ごせるのは保育園の間だけ。だからこそこの大事な時期に、親がその子のまるごとを受け容れ、その子がありのままの自分が受け容れられている、愛されていつと安心させてあげて欲しい・・・。

 私も明斗のまるごとを受け入れ「明斗はそのままで素敵だよ」「頑張らなくっていいんだよ」って毎日抱きしめたいと思っています。そして「子どものまるごとを受け容れられれば、背負う荷物はないねん。自分たちもダウン症の子が生まれたからって変わらんでいいし、そのままでいい。かまえて頑張る必要はないねん。まず親が自分らしくいることが大事。」と言う夫にも感謝!!


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