アムネスティ156Gぼうしの会 にしかわひなこ 暑中お見舞い申し上げます! ごぶさたしてます。ひなやんこと西川です。たくさんの人の気配が伝わるトライアングル会報を受け取るたびに、いつもステキだなあ…って励まされています。どの家庭も、このうだるような暑さのなか、長い夏休みに突入し、子どものパワーにつきあう体力気力を備えながら、お過ごしのこととお察しいたします。なつかしく楽しい夏になりますように。 さて、このたび2年越しで、今秋11月に再び「CAP(子どもへの暴力防止プログラム)ワークショップ」を依頼されて、ずしりと気合いが入りました。わくわくドキドキです。前回の大人ワークでは、たっぷり時間をとっていただき、わたしたちもいっしょに楽しく学びあうことができ、とても印象深い出会いでした。そして「すべての子どもたちにCAPを」と目標に掲げて活動してきたわたしたちにとって、今回は子どもたちや若い人たちにもワークを届けさせてもらうことになり、ほんとうにうれしい限りです。 知的な障害のある子どもたちにCAPを伝えるとき、それぞれの子どもがどういう生活体験を生きてきているかが、より反映されると思います。特別大切な三つの権利「安心・自信・自由」の感じ方は、人によって特徴もあり、個別の関係性のなかで具体的につかんでいくことが多いので、各家庭や関係者のみなさんのお力も借りて、このキーワードを子どもたちが少しでも深くキャッチできるよう努力したいと思います。一人一人を受けとめながらワークをすすめていくには、少人数のグループ設定が必要です。そしてなによりも、人権意識が心のありようとして根づくためには、周囲のいろんな人々のまなざしが、どれだけその子の身に寄り添って伝わっているか、が問われます。人権侵害という状況や出来事は、その当事者にはそのように意識できないことも時々あり、周囲に「代弁者の存在」が親以外にも増えていってほしいと思います。これはどんな子どもにも言えることなのですが。 障害は個性の一部であるとも言われ、確かにそうなのですが、それとは別に、わたしは「障害」というのはその子どもの「生きていきにくさ」のことかなと考えています。いろんな面の「障害」がありますが、なんらその子どものせいではありません。そしていろんな言葉や病名が整理されたり新たに作られつづけていますが、人権に基づいた実践や子どもの気持ちへの配慮が伴うことはまだまだです。というより、むしろ日本社会の状況そのものがあらゆる子どもにとって、生きづらくなってきていると思うし、ピントのずれた教育改革がすすんでいます。また、障害児の子育てには、母親にとってジェンダーの問題がより重くかぶさることが多い現実もあるなど、そんなあれこれを、日常のなかでいっしょに気がつきながら、話したり考えていける「仲間と場」がとても大切です。「これってけっして個人の問題だけではないよね」と捉えなおすことが、自分の「エンパワメント(力の回復)」につながると思います。 暴力というものは心と体を傷つけ、「ありのままのわたしでいいんだ」「ここにいる自分はかけがえのない人間なんだ」と感じる力を残酷にうばってしまうものです。また「親や教師にとって都合のよい子ども」を強いられ続けていると、何がイヤなのかが自分でわからなくなっていきます。いまの社会で、子どもたちの身の上に起こっている数々の事件や現象は、すべて大人たちの責任です。最大の規模で起きる暴力である「戦争」を容認してしまう一方で「やさしく思いやりのある人になれ」と願う大人たちの価値観は、とてもわかりにくく、子どもたちに説得力がありません。規範意識の低下、親の教育力の不足、・・・と子どもや親のせいにする前に、「正しい暴力、正しい戦争なんてない」ときちんと言える大人がふえるような社会にならねばならないと思います。 さて、CAPでは「自分の気持ちが出せること」を特に大切に考えています。一般には、学年が上がるごとに教室で無表情に過ごす子どもが増えるなかで、ダウン症の子どもたちは抜群の表現力を発揮してくれることが多い気がします。キラキラ個性あふれるトライアングルの子どもたち、また、たくましくつながっている親御さんたちや若さに輝くボランティアの人たちに出会えると思うと、今からとてもたのしみです。「ワーク実践までのプロセスもCAPの一部である」と考えて、子どもワークをつなげていきたいと思いますので、みなさんのいろんな情報や思いを伝えていただけるとうれしいです。具体的な進め方など、こちらの相談にものっていただきたいです。この秋、じっくりCAPのワークを共に進めていきましょう。どうぞよろしくお願いします。 お会いする日を楽しみに、みなさまのご健勝をお祈りしています。 |