京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2010年8月号 掲載)
玉木幸則さん、ありがとうございました

中野且敬

 去る6月20日、玉木幸則さんの講演会に一家で参加させていただきました。ボランティアの皆様、いつも、うちのちびっ子三兄弟の面倒を根気強くみていただき、本当にありがとうございます。

 振り返ってみますと、玉木さんと同様の障害を持った方との付き合いは、今まで一度もなく、出席前はちょいと不安もあったのですが、玉木さんが喋りだすや、その優しさに満ちたバイブレーションに知らず知らずに引き込まれておりました。

 玉木さんは、時にユーモアを交えながら、力強く語ります、「障害者とは、生きづらさを感じている人のことをいうんです。その生きづらさを社会が意識し、改善していかんとあかんのです。それがまだ足りない。」と。すなわち、「これまでの歴史の中で、我々の社会は、様々な生きづらさ、暮らしづらさを改善し、克服してきました。ところが、なぜか障害者のことになると、そうじゃなかったんです。」と。玉木さんは、この障害者の生きづらさを、もっと社会が、国が改善するように促していくこと、さらに、その重要性を、障害のない側には勿論のこと、ある側にも自立心を持って広く意識するよう啓蒙することに使命感を感じておられるように映りました。

 玉木さんは自らの悲しく壮絶な幼少期の体験を受容し(少なくとも僕はそう感じました)、障害者の地域での暮らしにこだわりつつ、さらに冷静に俯瞰します。「今は、障害のあるなしに関わらず、生きづらい世の中。何よりも大切なことは生き続けることです。」とおっしゃいました。その言葉には、力があり、玉木さんが最も訴えたかったことのひとつだったように感じられました。その時、僕は、“メメントモリ”という言葉を、久しく思い返していたのです。古代ローマの言葉で、“死を想え”と訳されます。

 死をしっかりと意識せずして、真に生きることはできないとは、よく言われることです。ほんの数十年前まで、日本でも、死は、ごく身近にありました。例えば、多世代がひとつ屋根の下で助け合って暮らす中で、生きる知恵を授けてくれたお爺ちゃん、お婆ちゃんが、最後には、家族、隣人に見守られながら朽ち果てて死んでいく様子を、子供達は幼いころから見ていました。それは、自分もいずれは同様に朽ち果て、社会的弱者となり、死んでいくのだという宿命を意識させるものでした。生の象徴ともいえる出産も命がけ(もちろん、今でもですが)で、母子のどちらか、もしくは双方が死ぬことも稀ではありませんでした。人は、まさに身をもって、弱者に対する敬意や慈悲の心、生かされていることの奇跡と尊さ、生死に対する畏敬の念を意識することができていたのだと思います。しかしながら、今では、急速に核家族化が進み、老人や病人は、家を出て施設や病院に収容され、そこで死ぬのが当たり前の世の中になり、老いること、死ぬことは、表社会から隔絶されて忌み嫌われるものになってしまいました。親は、子供に身近な人の死にぎわを決して見せようとしません。このようにして、今、我々日本人は、自分の死を想うことができなくなり、例えば、若さ、強さ、健常性、勝ち負け、見た目の美しさばかりに心を奪われているように見えます。

 玉木さんは、「そうではない。陽は陽だけで、陰は陰だけでは成り立たない。陽があっての陰であり、陰があっての陽なんです。目をさまそう。そして、何よりも大切なことは一緒に生き続けることです。」と、愛情を持って世界に発信しているように感じられました。一方で、今の世の中、捨てたもんじゃないなあとも思います。なぜなら、そういう玉木さんが、毎週金曜日になると、メインパーソナリティーとしてテレビに出演してるんですから。視聴率もなかなか悪くはないそうですし。そういう意味で、人々の意識は、少しずつ変わりつつあるのかもしれません。間違いなく、玉木さんは、その人々の気づき、意識化に、今までになかった重要な役割を演じているといえます。
 さて、このように“選ばれたこと”を知っている玉木さんは、これからも、日夜奮闘、東西奔走し、それこそ朽ち果てるまで世界にメッセージを発信し続けるにちがいないと思います。

 メメントモリ。僕も、心を新たにし、意識して今日一日を丁寧に生き切るように努力していこうと思います。玉木さん、くれぐれも身体には十分気をつけて、御家族を大事になさってください。心に残る素晴らしいお話、ありがとうございました。今後の御活躍を心から祈っております。 最後に事務局の皆さま、いつもいろいろと気にかけていただき、ありがとうございます。今後とも、家族ともども、どうぞよろしくお願いいたします。


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