京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2011年8月号 掲載)

久しぶりのご挨拶…

中根成寿(京都府立大学公共政策学部)


1.ひさびさなので自己紹介と近況…
 トライアングルの皆様、はじめましての人も、ご無沙汰しておりますの人も、こんにちは。京都府立大学で教員をしております、中根成寿ともうします。しばらくご無沙汰しておりましたが、久々に2011年の総会に参加させていただきました。みなさまのお元気な姿が見られて、たいへん嬉しく思いました。
 現在は、大学で障害者福祉に関わる学生と勉強する一方で、ケアホームやホームヘルパーを派遣し、知的障害者の地域生活を支えるNPOに通いながら、武者修行中です。
 私が初めてトライアングルを訪れたのは、1999年…当時大学院生だった私が先生になっているんですからそれはそれはやっぱり多くの時間が流れた、ということです。その時ゼロ歳だった子がいまや中学生になろうとしているわけです。そして、子どもが大きくなる、ということは親も年をとる、ということです。

2.家族の視点で、「障害」を見ること
 私が日々調べていること・考えていることは、「家族がこれから先も平穏にくらす」ためにはどうしたらよいか、ということです。お医者さんや療育発達の先生とはちょっと違った視点から「障害」を調べています。
 お医者さんが、遺伝子や心臓の中のことの専門家であるとすれば、療育の先生は、体の動かし方、発達の専門家です。私はもうちょっと離れて、家族に 必要な支援、制度はなにかな、それが年を重ねていくとどのように変わっていくかな、と日々考えています。
 トライアングルでの聞き取りとその後の調査で、家族(親御さん)が必要とする情報や支援も、変化することが分かっています。出産直後は、医療を中心とした支援と情報、子どもの体調が落ち着いてくれば、療育や教育を中心とした情報、学校を卒業する頃には地域で生活するための日中活動の情報へと変化します。親が求める情報も、医療〜療育〜教育〜福祉へと変化していきます。私は特に、子どもが学校卒業する頃に、家族が地域の社会サービスとどう繋がっていけるか、を調べています。

3.支援費制度〜障害者自立支援法、障害者総合福祉法へ
 地域で家族が生きるための社会サービスをめぐって、この10年、障害者福祉制度は、2度も大きな転換期を迎えました。2003年、障害者福祉に「支援費制度」が導入されました。2006年に支援費制度が廃止されて、「障害自立支援法」が導入されました。違憲裁判や政権交代のマニュフェストの争点になるなど、すったもんだあったこの法律ですが、2010年に改正され、2011年からは1割負担がほぼなくなりました。
 そして、2013年には「障害者総合福祉法」という新しい法律が始まる予定です。現在、内閣府に置かれた「障害者制度改革推進会議」にて、白熱した議論が続けられています。
 しかし、どんな制度ができても、親御さんの根本的な不安は残るでしょう。「本当に、私の子どもは社会の中でうまくやっていけるだろうか…。私がいつまでも元気で、ケアし続けられたいいのに…」。この「親心」とどう向き合うか、も私の大きな関心です。

4.「ハコに入れずに嫁に出す」
 岡部耕典(早稲田大学文化構想学部教授)さんという私の大先輩は、この親心を「ハコに入れずに嫁に出す」という表現で読みといています(岡部耕典 2008 「ハコに入れずに嫁に出す、ことについて─〈支援者としての親〉論」寺本晃久、岡部耕典、末永弘、岩橋誠治『良い支援?─知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援』生活書院)。私はこの言葉と、「親心」の絶妙なバランスに心を惹かれ、以下の文章を書きました。

 …ある日、見知らぬ一人の若者を自分の子どもが連れてくる。青年は子を私に任せてほしい、という。親(親父)は狼狽し、その申し出を受け入れることができない。しかし、親はいつかその日がくることを知っている。知っていてもなお、動揺し、怒る。古今、何度も繰り返されてきた風景が、岡部によって障害者家族の親子関係に重ね合わされる。大切な子どもを「ハコ」に入れていた、入れようとしていた親の元へ、ある日、血のつながりのない若者が「お子さんを私に預けてください」とやってくるのである。その若者の名前は「地域」というどこの馬の骨ともわからないやつだ。なるほど、今、子が入っている「ハコ」が親元であり、これから親が預けようとする「ハコ」は入所施設だったのだ。当然親は抵抗する。親は不安の固まりだ。「地域」に任せて本当に安心し我が子は生活していけるのか、不幸になったりはしないか。不幸になるぐらいなら「ハコ」という多少不自由だけれども、生存が確保された場所で、世間とつながらず、守られ、暮らしていける方がいいのではないか…「地域」はまだ若者だ。可能性に満ちあふれている分だけ、不安定だ。だが、親に対して子どもを「嫁にほしい」と言いにやってくる。親は、不安だけど、その見ず知らずの相手に子どもを任せるしかない。親は自分が老い、衰え、やがていなくなることを誰よりも知っているのだから…(中根成寿(2010)「わたしは、あなたに、わかってほしいー「調査」と「承認」の間で」好井裕明 & 宮内洋編『当事者の社会学』北大路書房より)

 さだまさしさんの『親父の一番長い日』という曲があります。その曲も、娘のところに挨拶に来る若者の出現にとまどう「親父」を歌った曲です。子どもの幸せを願うが故に、狼狽し、ガンコになる障害者家族の親と重ねあわせることができます。ジェンダー論やフェミニズムに詳しい人なら不機嫌になるほどの「保守的オヤジ」だけれど、これほど素敵に障害者家族の親の気持を表現した言葉を私は知りません。

5.地域で家族が生きるための情報と資源を
 家族も年を重ね、トライアングルの子どもも、日々社会に巣立っていっています。私は、制度の使い方、事業所とのお付き合いの仕方、親の心配の解消の仕方など、地域で家族みんなが生活するための情報と資源の発信をお手伝いさせていただきたいと思います。

会報No.155のindexへもどる
会報バックナンバーのindexへもどる

homeへもどる