京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2018年8月号 掲載)
待望の自立生活を始めました。

佐々木和子

元治は35才になり、4月からヘルパーさんの支援を受けながら、待望の自立生活を始めました。元治が一人暮らしに興味をもったのは12才ですから、23年もかかったことになります。
きっかけは姉が一人暮らしを始めた部屋を見たことです。その時にどんなイメージを持ったかはわかりませんが、何の気なしに聞いた「もっちも一人暮らししたい?」に、大きくうなずいたのに、私は「おぉ!」。うなずくとは思わなかったので、いたく感動し、できるならばやらせてみるのも有りかも、と思ったのをよく覚えています。
元治としては漠然とした「あこがれ」だったのではないか、と思います。
でも、その時、すでに「一人暮らし」に家族で向かい始めていたのだと思います。
 
障害があるとわかった時から、親心に一番、のしかかるのは「親なきあと」です。
入所施設も数か所見学していましたし、グループホームの立ち上げにも関わりNPO法人の定款も作ったことがあります。グループホームには元治も連れて行き、お泊りの体験も聞いてみましたが、これには元治はうなずきませんでした。
ここで、より、一層、一人暮らし狙いにシフトしました。
が、これは、なかなか難しい。お金の問題も大きいです。法整備も当時は今のような地域での生活を応援してくる総合支援法のような整い方はしていませんでした。
 
小学校低学年から親抜きでボラさんと旅行をしたり、フリースクールでの電車旅行、ピープルファースト活動など、準備を少しずつしてきました。が、
20才で右目網膜剥離、両目白内障手術、2,3年して円錐角膜で極端に視力を落とし(視覚障害1種1級の手帳)、30才頃で視力が落ち着いてきた、2013年IgA腎症と診断され1年半のステロイド治療をし、その後再発し、おまけに甲状腺機能低下症、高尿酸血症というダウン症の合併症、オンパレードの身体で、途中、あきらめた時もありました。
 
しかし、視力が落ち着いてきたころ、元治は再び一人暮らしを口にするようになってきたのです。以前のようなうなずきではなく、ハッキリと言葉に出しての意思表示でした。
眼科も腎臓外来も内科も歯科も通院する生活ですが、それなりに落ち着いた生活を送っている、「今」しかない!と思いました。
元治の気持ちも乗ってきている、私たち夫婦も今ならまだ手伝える体力もある。
親子の強い思いと、それを支え、具体的に支援してくれた特定非営利活動法人日本自立センター自立生活支援事業所があって、実現した「待望の自立生活」です。
ほとんどの手続きを事業所がしてくれました。生活のスケジュール表を作り、支援時間の割り出し、行政との交渉、生活保護の申請手続き等々、生活用品リストまで作ってくれ、ホントに、ホントに、感謝の10乗です。
 
準備をする前は、「ダメならいつだって帰ってくればいいよ」なんて思っていました。でも、部屋が決まり、家具や生活用品を揃えるのに、ヘルパーさんが入った時に不自由のないようにと、大量の買い物をしながら、こんなに準備したんだから、この自立生活は失敗してたまるか!と、元治抜きで母は思ってしまったのです。
 
元治はいたってマイペースに見えながら、内心、めっちゃ張り切っていて、進化し続けている毎日を送っています。
部屋は実家から歩いて15分ほどかかりますが、自力で通えるようになりました。ヘルパーさんが来てくれるのに合わせて、行き来は自由です。
今は、日曜日は家族と過ごす日として実家で、仕事時間の長い水曜日と木曜日は疲れすぎないように実家に帰っています。いずれは水曜日も木曜日も自分の部屋で過ごすようになるでしょう。
ヘルパーさんは毎日18時から3時間、必要な昼間には2時間来てくれます。
ヘルパーさんは毎日違う人が来てくれますが、会話は親とするより、音楽の話など、ずっとはずんでいるようです。
一人で寝るのに2か月かかりましたが、洗濯も掃除もできるようになりました。
お米も洗って炊きます。朝は自分でトースト、コーヒーを用意し、サラダ(前の晩にヘルパーさんが作ってくれている)と食べます。
 
4か月足らずの生活ですが、初めてのことでもあり、エピソードには事欠かない毎日です。まず、部屋と実家を自力で通えるようになるまで付かなければなりませんでした。一人で寝られるまで夫と交代で泊りにいきました(元治は重度訪問介護の対象にならなかった)。一人でいる時にカミナリさんがやってきた時のこと、大雨の中、眠れなくて夜中に呼びだされたこと、先日の大雨の時の警戒警報で部屋には帰ったらダメの意味の説明が難しかったこと、等々。
 
一人暮らしに至るまでに練習したことや、一人暮らしをするにあたっての様々な手続き(不動産屋との交渉、支援計画等)や、ヘルパーさんとの楽し気なやり取りなども次の機会に少しずつ書いていきたいと思います。
 
まずは気になる生活資金。生活保護です。障害者基礎年金とお給料は保護費から引かれますが、家賃は住宅扶助として京都市は40,000円支給されます。なんと障害者加算もあります。生活保護は、憲法に規定されている、「全ての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」とともに、その自立を助けるものです。 日本国憲法はとてもよくできた憲法だと改めて思いました。

つづく


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