京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(1998年8月号 掲載)
『藤林家』近況報告

藤林しげ子   

 お久ぶりです・・・と言ったらいいのでしょうか・・・。
去年の4月3日付けで藤林と改姓し、長岡京市から京都市内に引っ越してきて1年4ケ月が経ちました。今は母子3人、私の両親と一緒に生活しています。最近、私の気持ちも落ち着き、引っ越してきた頃、子どもの学校の手続きや仕事のことでバタバタと走りまわっていたことを振り返る余裕も出てきました。と・・・言うことで、今日は、その頃のことをちょっと振り返り、また子ども達の近況報告をしようと思います。

 引っ越してきて「さァ、職さがしだ!!」と意気込んだものの、そう簡単には見つからず、3ケ月程はプー太郎の日々・・・。新聞、雑誌の求人欄と毎日にらめっこし、職安へ行ったりしても、これといった所がない!(年齢制限によって、ないと言った方が正しいのですが)気持ちは20代でも、実際は42才なんだよねェ・・と落ちこんだりもしました。それでも7月には和菓子屋さんに就職しました。最初は順調に行っていたのですが、不景気のためか、秋ぐらいから仕事がひまになるとパートは休まなければいけなくなりました。1日勤務しては2日休み、2日勤務しては3〜4日休み・・「エーッ、ちょっと何これ!! 生活かかってるのに、こんなん、あかんわ」と、仕事が休みのときはまた職さがしです。そんなこんなで、今年の2月から新しい所へ行き始め、今に至っています。

 次は努のことです。
姓が変わり、転校もするということで、かなりの抵抗があったようです。最初はふてくされた感じだったのですが、学校へ行くようになると、クラブは陸上に入り、そのうち友達ができ、学校の様子をぽつぽつ話してくれるようになりました(やれやれです)。今、中学3年生で、そろそろ受験に向かって気持ちをひきしめてほしいと思う母の気持ちをよそに、本人は陸上とゲームに夢中です。夏休みになったらゲームはすべて片づけると言っていますが、どうなることやら・・・。
 ただ、高校へ行っても陸上は続けたいという希望があるようで、少しは考えているのかなと安心したり、親がやかましく言っても結局は本人次第やしなァと思ってみたりしています。

 さて、美希はというと、
小学校へ入学したときは、まるでランリュックが歩いているようで頼りなかったのですが、6年生になりました。普通学級(学区の学校は育成学級がない)か、育成学級のある学区外の学校へ行くかで迷いました。環境が変わり、お友達も全くいない学校で大丈夫かなど、いろいろ不安はありましたが、ずっと普通学級できたんだから、やっぱりこのままでいこうと決めました。
 5月の中頃ぐらいまでは、クラスになじめなくて、休み時間もひとり教室にいることが多かったみたいですが、先生やクラスの子ども達の声かけで、少しずつお友達もできて、家に行ったり、来てもらったりするようになり、学校へも元気に通うようになりました。

 前の学校では、授業中に教室から出て行ったり、保健室ばかり行っていたのが、今はそんなこともなく、授業やクラブ(コンピュータークラブ)に、美希なりの参加をし、いろんな事を学んでいるようです。これはたぶん、先生やクラスのお友達が美希の存在をしっかりと認めてくれているからだと思うのです。

 最後に、わが家の重大ニュースをひとつ。(私だけが重大ニュースと思ってます)
6月に歯科検診があり、虫歯なしということで美希が表彰されました。なんか、すごーくうれしかったです。
 私は虫歯があり、小さいとき歯医者さんで痛いおもいをしたので、子どもはそうならないようにと思い、口やかましく歯みがきさせて、うるさがられてきたのです(母の愛情なのに・・・)。
 でも、これからも、どんどんうるさがられようと思ってます!


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