京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(1998年8月号 掲載)

着床前診断の臨床応用をめぐる諸問題、及び

平成9年度診療・研究に関する倫理委員会報告に関する意見書

1998年6月19日   

日本産科婦人科学会会長殿
佐々木和子(京都ダウン症児を育てる親の会)

 私達、京都ダウン症児を育てる親の会は、「母体血清によるマーカー検査」が商業ベースにのり一般に普及してきたことに端を発して、「出生前診断」そのものの持つ問題点について、独自のアンケート調査を行い、結果報告書と要望書を貴会に提出してきました。

 出生前診断技術の一つである着床前診断につきましても、この技術を臨床応用することにつき、倫理委員会報告及び、公開討論会での意見を踏まえ、以下の問題点をあげ反対の意思を表明いたします。

  • 着床前診断の実施に必要なために、体外受精・胚移植の適応拡大したとありますが、実施することを大前提にして検討されているために、報告書が実施するための理由付けの列挙でしかなく、審議も議論もされたとは思えない内容になっています。

  • 遺伝性疾息の中絶を公然と認めるものではない、とか障害者保護の立場を考慮してとか繰り返し述べられていますが、現社会において出生前診断が、障害者を排除するための技術として利用されている事実を倫理委員会及び学会長は認識していると思われます。

     公開討論会での説明にもありましたように、出生前診断技術の一つである着床前診断が、人工妊娠中絶という行為を行わないとはいえ、診断結果の後、重篤な疾患を持っていることを理由に胚処分をするということは、障害を持つ子を生まさないという目的(検査技術の提供そのものが、その目的に加担している現伏があることを認識するべきです。)においては、従来の出生前診断となんら変わることはありません。そういう意味でこの検査は優性思想そのものであり、障害者保護の立場と言われれば言われるほどこの件につき、審議も議論もされていないことがうかがえます。

  • 着床前診断の対象は重篤かつ現在治療法が見出されていない疾患となっていますが、現在治療法がない疾患と付き合いながら生きている人にとって、着床前診断が必要だったとは思えませんし、本人も思っていないことは、公開討論会での発表及び、添付の筋ジス本人からのメッセージで明白です。また、私達がかわいいと思い、産んで良かったと思いながら育てているダウン症の子ども達や人達も治療法がないと言われながら、日々成長し、生活を楽しんでいます。この検査を臨床応用するということは、本人達に対して存在を否定することになるということを医師は認識しているのでしょうか。

     また、治療法がないにも係わらず、検査のできる疾患は日々増えており、夫婦の強い希望と自己決定による適応範囲の拡大に対して、医師の介入の難しさを考えると、検査技術が一人歩きをしてしまう危険性が高すぎます。

     例えば、検査の結果、保因者であることが分かった場合、この胚処分を夫婦が強く希望した場合、報告書の中では保因者については触れていなくても、医師は拒否する権利があるのかどうか、という問題もすぐに起こって来るはずです。

     検査や医療行為が先行していく原因として、夫婦の強い希望が常にあげられますが、希望があるからと言って何をしてもいいわけではないはずです。最近の医療の有り方をみていると夫婦の強い希望、それもごく僅かの数にも係わらず、それを理由に際限なく先端医療技術を人に応用したいと言う、専門家の強い欲望のみが見えてきて、生活者の為の医療とはとても思えません。

  • 分子生物学的診断法の発展は個体発生に影響を与えることなく、とありますが、影響があるかもしれないからこそ、出産までに繰り返される検査があり、排卵誘発剤の副作用と共に母体に多大なる負担をかけている事実があります。また、自然な中での個体発生とは明らかに違うことを、人の手でしてしまうこと自体、個体発生に影響を与えていろことになると考えられます。不妊治療としての体外受精も本来、影響を与えながらの治療であることを広く一般に知らせるべきであったと思いますし、現に不妊で悩んでいる人のいかに多くの人が、この技術に押しつぶされそうになっている事実を医師はもっと認識するべきであると思います。

  • 着床前診断の必要性として、人工妊娠中絶が与える母体の心理的リスクの軽減があげられていますが、着床前診断をし、出産に至るまで繰り返される医療行為による母体のリスクについて、正確な情報が公開されていません。妊娠機能に何の不都合も持たないカップルに対して、体外受精という技術を使用する為に多種多様なホルモン剤が使われ、なおかつ妊娠率が33%、生児獲得率が19%という現状が、本当に一般に受け人れられる医療行為と言えるのかを再検討する必要があると考えます。

  • 報告書の中で随所に見られる障害者保護の立場を考慮して審議を行うとありますが、障害者団体から出された意見書や、学会内からの意見書すら公開されていません。簡単なまとめのみを報告し、それで審議したといわれても、倫理委員会や理事会に密室性を感じ、強い不信感と疑問とを持たざるを得ません。

 全ての人は自然の中で何らかの疾患を抱え、うまく付き合いながら生活してきました。今まで、特に多くのことを知らなかったからと言って、大きく混乱したり、不自由ではなかったにもかかわらず、何ゆえこれ程までに知ろうとするのでしょうか?
選択肢を際限なく増やして行った先に何が待ち構えているのでしょうか?
今やっている先端医療技術の研究が本当の意味で進歩と言えるのでしょうか?

 『命』の発生に人の手を加えようとする技術は、今まで行ってきた治療を目的とした医療とは明らかに違います。人にとって何が幸せなのか、立ち止まって考えなければならない時期が来ているのではないかと強く思います。


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