京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(1999年8月号 掲載)
父親の見た有香の 

中学生時代(修学旅行II)

高平福治   

 まだ、6時にもなっていないうちから台所でゴトゴトと音がしだした。なにやら話をしながら有香と母親が弁当を作っている様です。 そう、今日から待ちに待った修学旅行なのです。
 7時に友達と待ち合わせということで私が起き出す頃には、娘は大きなリュックを背負って出発。「いってきます」の声も、いつもより弾んでいるように聞こえます。
 天候は夕方から下り坂とか、それが少し気がかりですが彼らには関係ないかも知れません。

旅行から帰ってきた娘との会話。
「旅行、どうだった?」 「おもしろかった」
「なにが面白かったのかな」 「オリンピック」
「オリンピックの・・」 「 ・ ・ ・ ・」 「なにかな」 「えーっ と ・ ・ ・、うむ ・ ・ 」
「オリンピックを3Dの映像で観たらしいの、そのこと」と母親が助け舟。
「昨日は何をしたのかな」 「おみやげ」
「おみやげ?」 「おみやげを買った」
「そうか」 「おみやげ、おいといたやろ」
「あっ、ありがとう」 「おばあちゃんにも買った」
「そうか、きっと おばあちゃん喜ぶよ」 「ねぇっ!」

 天候不順でトレッキングは中止となり、代わりに蕎麦作りをしたそうです。こうやって棒で平たくするのと作り方を教えてくれました。帰りのバスでは歌を6曲も唄ったそうです。団子三兄弟と大好きなスピードとSMAPだったようです。
 立山、黒部、安曇野、白馬などの自然の素晴らしさを少しでも感じてくれるのを期待していたのは、単に私の一人よがりだったようです。きっと、友達とずっと一緒にいられたという事の方が彼女には良かったことでしょう。
 旅行から帰った翌日、学校では修学旅行の作文を書かせた様です。 有香はその中で、「先生もごくろうさんでした」と書いたそうで、そんなのを書いてくれたのはクラスの中で有香一人だけだったと先生から聞きました。
「いいこと書いたんや。すごいなぁ」 「えらいやろ」と有香は鼻高々でした。それは、帰ってから、やっと旅行ルートを知った父親の情けなさとは対象的なことがらでした。


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