京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2000年12月号 掲載)

JDSNのメーリングリストから来たメールより

 JDSN(日本ダウン症ネットワーク)のメーリングリストで送られてきた中から、ポールちずさんのメールを紹介します。ポールちずさんはデンマーク在住で、10月から保育園に通い始めたばかりの1才のダウン症をもつ長男、トア君のお母さんです。


 こんにちは。
 ダウン症の赤ちゃんを産んだお母さんのお話を読んで、これが平均的な日本のお医者様の告知の方法なのかな?と少し疑問に思いました。夏に日本に帰っていた時、ダウン症の会の方といろいろお会いしたり、また母子センターでダウン症の子供を持つ親御さんと会って話しをする機会があったりして、私もまだ新米の母親なので、どうやって告知されたのか、ということが結構興味の対象だったということもあり、よくそういうことを話しました。驚いたのは、いまだに7ヶ月後に分かったとか、1ヶ月検診のお医者様が検査をすすめてくれたので判明したとか、そういう親が結構たくさんいたのです。確かにお医者様としてはいいにくいことですよね。私はデンマークで出産しましたので、その時のお話を今日はしようと思います。何の参考にもならないかもしれませんが...。

 まず、デンマークでは、妊娠中に日本のように頻繁に病院に行くことはありません。妊娠期間中全部を通して、4〜8回程度、超音波は大抵1回です。出産後も2日〜5日で退院していきます。出産する病院はホームドクターが、住んでいるコミュニティ内の病院に連絡を取ってくれて空きのあるところになります。私の場合、妊娠30週頃までデンマークを離れて旅をしていましたので、戻ってきたときには近くの病院に空きがなく、バスと電車を乗り継いで1時間半という遠いところになってしまいましたが、これはとてもまれだそうです。出産は希望すれば個人病院での出産もできますが、費用がかかるのであまりいません。自宅出産をする人はたくさんいます。出産してもすぐに退院していくので、それなら最初から自宅でということ、リラックスした環境でということからだそうです。話がそれました。ゴメンナサイ。

 私は予定日より16日遅れての出産でした。
出産をしたのが木曜日、その翌日に私が子供の異常に気づき、週末をはさんで翌水曜日には血液検査の結果が出てトリゾミー21が判明しました。私が日本人だということ、トアはお乳の吸い付きも飲みっプリもよく、泣きもよく、手足をバタバタ動かしてとても元気な赤ちゃんだったので、お医者様も分からず、すぐに血液検査になりました。ダウン症の疑いがあるという時点ですぐに私の担当の看護婦には、英語を話せる私と同年代の看護婦とダウン症の女の子のベビーシッターをしている看護婦がつきました。血液検査の結果が出てすぐに私の担当のドクターが、ダウン症についての説明をしてくれましたが、それと同時に、国のハンディキャプセンターと私の住んでいるコミュニティとダウン症の親の会にも連絡を取ってくれました。そこから、様々な方面に連絡が行き、出産後10日もしないうちに、(トアの黄疸がとれずまだ入院していましたので)病院で第一回目のミーティングがありました。

 コミュニティの障害児担当のソシアルワーカー、コミュニティの経済的な相談担当のソシアルワーカー、退院後私の担当になるホームナース(保健婦さんのようなものです)、心理カウンセラー、そしてドクターと看護婦と、私達夫婦とで、顔合わせをしました。ドクターからはトアのダウン症と合併症(甲状腺機能低下障害)についての専門的なお話、それにあわせて、障害児担当のソシアルワーカーからは今後の療育について、そして保育園、幼稚園、小学校についての話、経済援助担当のソシアルワーカーからは障害児の府からの補助金などについて、心理カウンセラーからは今後必要であればどういった対応ができるかなどについて、ホームナースは週に一度の訪問について、などといった話が各方面の担当者から話がありました。このミーティングに参加したメンバーがこれから私達家族の担当者になるので、名前と連絡先、退院後のアポイントについてなども説明してくれました。

 ハンディキャップセンターは退院後、私達の自宅に来てくれて、どういったことをしてくれるのか簡単な説明をしてくれました。親の会からは、たまたま私達にはダウン症の子供を持っている友人がいましたので、彼が最初に来てくれ、退院後、親の会の代表から連絡があり、グループ参加になりました。また、病院のドクターから、染色体を専門に扱っている研究所にも連絡が行き、後日専門家からの血液検査の結果に基づいたトア個人の染色体についての話と、具体的なダウン症についての話を聞くことが出来ました。私はトアの黄疸がとれなかったので、結局3週間近く入院することになってしまいました。重病以外は母子同室同伴なので、母親だけ帰ることは出来ません。しかし、10日を過ぎたころから、一時帰宅を許されて帰ることもありました。病院から出たとたん現実にひき戻されてショックを受ける親が多いので、その練習もしましょうという親切なドクターの配慮でした。

 去年は私がまだ殆どデンマーク語が話せず、また英語のインフォメーションも入手できなかった上、デンマークには頼る人が殆どおらず、尚且つ退院後すぐに主人の仕事の都合で私が一人でデンマークに残るという状況にあったので、この迅速な対応にはとても助けられました。何処に何のために連絡をすればいいのかを知ることができましたから。でも基本的に、向こうから連絡を取ってきます。そして彼らの素早い対応によって、とてもスムーズにダウン症のトアとの生活が始めることが出来ました。そしてこれらの機関や担当者間が相互に連絡を取る横のつながりもあります。例えば、週に一度訪問してくれる保健婦がトアの療育に必要なもの(例えばマットやボールといったもの)があると思えば、彼女からハンディキャップセンターなり障害児担当のソシアルワーカーに連絡をしてくれて、そこから直接、療育の道具が私の自宅まで届けられる、という具合です。専門家同士が話しをする方が話しが早いですからね。

 全部の親がすべて私と同じように病院でミーティングがあるかといえば、そうではありません。私の場合、たまたまデンマーク語が出来なかったということ、入院が長引いたということが理由に挙げられます。それ以外は子供に問題がなければ3日から5日で退院していったり、自宅出産の場合もありますから、各種専門家が一斉に集まるということはしないようですが、その場合、バラバラに家に訪問してくれるようです。そのアレンジメントはハンディキャップセンターだったり、保健婦だったり、、コミュニティの障害児担当のソシアルワーカーだったり、親によって違うみたいですが、このどれかに連絡がいけば、大抵芋づる式に連絡が来て、自宅まで来てもらえるようになっているようです。ただ、親によっては、うちのようになんでもかんでも知りたい派と、全く何もうけつけない派、というのがあります。後者の場合は、出産後のヘルプは全て拒否してしまうためしばらく時間がたってからになりますので、自分達で連絡をとることになります。この場合もハンディキャップセンターかコミュニティの障害児担当のソシアルワーカーに連絡すればそこから各種必要な情報なりアポがとれるのです。

 一つ忘れていたことがありました。デンマークにはアラブ系、トルコ系の移民が多く、彼らはデンマークで暮らしながらもデンマーク語を話さない場合が多々あります。そういった家族に障害を持った子供がうまれた場合の対応として、ハンディキャップセンターが自宅訪問する際はアラブ語なりトルコ語の通訳を同伴するそうです。私の場合は、英語の通訳が同伴してくれました。希望すればもちろん日本語の通訳が来ましたが、私の場合は英語の方が話しやすいので英語の通訳をお願いしました。また、時々、ハンディキャップセンターとコミュニテイの障害児担当部門が協力しあって、どこにどう連絡したらどういう対応をしてもらえてあなたにはどういう権利があるのか、などといった講座を開いてくれますが、その場合もアラブ語やトルコ語の通訳がつきます。 今日、その当時病院でつけていた日記を読み返してみるとこんなことが書いてありました。第一回目のミーティングの時にソシアルワーカーの方が私と主人に言った言葉です。

 「子供が障害を持っていると分かったとたんに、大抵の親はパニックになって泣いたりするのだけれど、ダウン症の子供達は学校にも行き、教育を受け、能力に応じて仕事につき、そしてある一定の年齢になれば一人かもしくはグループホームで独立した生活を始めるのです。そんな大災害に見舞われた訳じゃないのよ。あなたはあなたの人生を生きなさい。トアはトアの人生を生きるのだから。そして彼の人生が豊かになるようベストをつくして働いているプロたちがたくさんいるのだから。」

 こちらの障害者達は自分の意見をはっきりいい、納得がいくまでOKを出しません。そして彼らと仕事をする福祉関係者も専門の教育を受け、お金をもらっているプロとしての意識がとても強い、と日本とデンマークと両方の国で福祉関係の仕事をした経験のある知り合いの方が言ってました。日本では「してあげる」「してもらう」という気持ちがまだまだ根底に根強く残っている、ともいってました。デンマークと日本、お国柄も違うので、比べることは出来ないと思います。それにデンマークの福祉は、所得税が最低でも40?45%、消費税が25%という収入の半分以上が税金にあたるという、高額納税に基づいていますから...。(日本で消費税25%なんていうことになると大変なことになりますよねー)

 西洋人がダウン症の子供を産むと、一見して明らかなので、隠せないですよね。私の親の会のグループにいるある母親は「おなかから出て顔を見た瞬間に分かった」と言っていました。それから、母親準備教室では、母親になる心構えのお話の際には必ず「障害を持った子供がうまれたら」というお話もします。出産準備の本にも書いてあります。だからといって、ショックの度合いが少ないか、といえば、あまり変わらないとは思いますが、一つ言えることは「隠さない」というところでしょうか。確かにそういう子供達も生まれてくるのですから。 何だか、長くなってしまいました。福祉先進国と言われるデンマークに住んでいる私が日本にいるトアの仲間達のために、何かできることはないかと思ったことの一つは、この告知の仕方、そしてその後の対応が日本ではあまりにもお粗末だったからです。


 JDSNには様々な職業の方たちが仲間として活動しているので、それを原動力にしてもっと住みやすい社会にしていきたいですね。がんばりましょう!!!

ポールちず   


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