京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2001年12月号 掲載)
映画『ひなたぼっこ』パンフレットより

島崎明子

  本日はお忙しい中、『ひなたぼっこ』の上映会に来て下さってありがとうございます。

 NHK教育テレビ「人間ゆうゆう」で『ひなたぼっこ』の紹介を観たのは、多分、真冬の2月だったと思います。「京都でやりたい。京都の人に観てもらいたい」トライアングルの事務局員全員一致の思いでした。あれから8ヶ月余り、また冬がそこまで来ています。
 沢山の人たちに支えられ、沢山の人に出会った8ヶ月でもありました。『ひなたぼっこ』が私たちをひとまわり大きくしてくれた気が、今しています。

 京都の私たちのまわりでは、がんばれば小学校、中学校は普通学級でみんなと一緒に過ごすことができます。でも入学試験のある高校へは、知的障害をもつ子は入れてもらえません。唯一、今はまだ入学試験のない通信制高校へ通うのがやっとです。
‥‥そう思っていたら、京都でも普通高校へ通っている人がいますよと教えてくれた人がいました。須知高校へ今年入学した前田洋君でした。前田君のお母様に手記をよせて頂きました。
 「知ること」「知ってもらうこと」がちからになることがあります。千葉で普通高校に通っている人がいる。京都にもいる‥‥。

 私自身、次女が生まれるまで、知的障害を持つ人が地域の普通学級へ通っているということを知りませんでした。そして、小学校へ入学して3年、まわりの子どもたちも、お父さん、お母さんたちも、あたりまえに彼女を受け入れてくれています。「このまま、中学校も高校も一緒に行こうね」きっとみんなそう言ってくれると思います。私たち自身が、あきらめてしまわなければ‥‥。

 この映画は、そのためのちからになるものだと思います。私たちの子どもたちも『ひなたぼっこ』の若者たちのように、ありのままに、みんなの中で青春したいと強く思います。そんな思いをみなさんに支えて頂けたら、「がんばれ」とはげまして頂けたら、ありがたいです。

 P.S.
 「学校教育法施行令22条の3を中心にした法改定がなされようとしている」というニュースがとびこんできました。

 それは障害を持つ子がどの学校に入るかの基準を定めたもので、今年1月15日の朝日新聞には「普通学校障害児受け入れ緩和」と報じられてよろこんだのですが、実は、「障害が2つ以上重なっている子」「医療的ケアを必要とする子」「対人関係に問題のある子」はダメという付帯条項を付けようとしているとのことでした。そんなことになれば、私たちの子どもたちのほとんどは普通学級からしめ出されてしまいます。そうならないために反対の声をあげていこうと思っています。御協力頂ける方はロビーでの反対の署名等、よろしくお願い致します。



高平恵子

 我が家の娘は、兄と弟にはさまれ、小さい頃からその中で鍛えられ、気は強く言葉も乱暴で、でも感受性豊かで乙女ちっくな心の中はとてもナイーブなのです。アニメを見ては感動して泣き、静かな曲を聴いては昔をなつかしんで(?)涙を流し、でもミニモニやSPEEDを聴いては歌い踊りまくる、とてもおちゃめな女子高生(16才)です。そしてダウン症でもあります。

 娘は現在、京都府立朱雀高等学校 通信制の2年生です。
 スクーリングは週に1〜2回、部活の卓球部の練習が週に1回くらい。どちらも夕方から夜にかけての登校です。

 1年生の時は、母親の私が送っていって、授業が終わるまで待っていたりしましたが、2年生になってからは、トライアングルでもお世話になっている花園大学のボランティアの学生さんに一緒に行ってもらっています。娘もそのほうが楽しそうです。

 娘は2才から近くの保育園へ入り、そして小・中学と地域の普通学級で過ごしました。当たり前のように級友たちの中にいる自分に、時折とまどいも感じていたかもしれませんが、それでも「育成学級に移ってはどうか」という話が出た時には、はっきりと「イヤだ」と言いました。「友達と一緒がいい」という返事でしたので、主人も私も先生方も本人の意志を尊重しました。
実際、仲のいい友人たちが数人いましたから‥‥。

 そして、当然のように級友たちが高校への進学を希望する中、娘にも「高校へ行きたい」という気持ちが大きくありました。どうしようかと考えて、京都にある単位制の高校へ面談に行ったりもしましたが、「入試であるレベルまでの点数がほしい。もし入ってもらっても体制がとれない」と言われ、まあ早く言えば断られました。そして、結果、今の高校へ入学したわけですが、朱雀の通信制は書類選考のみで入試はなく、出願者全員が基本的には入学できました。

 でも、京都では最近、定時制を無くす公立高校が多くあり、その分通信制への入学を希望する学生が急激に増えています。もう、パンク状態です。いつ通信制も選考基準が変更になるかわからないのが現状です。

 中学3年生まで普通学級で過ごした娘には、養護学校の高等部へ進学する道は許されていません。京都市のこういう制度も納得いかないものがあります。「行く・行かない」は別として、選択肢として、それを閉ざすのは本当に子どもの立場に立った教育のあり方だとは思えません。おかしな話です。

 『ひなたぼっこ』に出てくる子どもたちはとても自然に自分のままで高校生活を送っていたりします。私は今まで、そんなふうに普通高校に毎日通っている知的障害を持つ子どもたちの様子を見たことがありませんでしたので、少しカルチャーショックでした。「あぁ、本当に自然に高校でもなじめていくんだなぁ」と思いました。

 娘の通う通信制は、週に1〜2回しか登校しないし、来ている学生もその日によってまちまちだったりで、友人関係を作っていくのはむずかしいです。その点、やはり毎日、同じクラスメートと過ごせる環境はうらやましくもあります。

 まぁ、でも実際、高校を選ぶ時に「あまり遠くへは行かせたくない」「夜に毎日通うのは体力的にキツイし、女の子だから何かと心配」と、ちょっとそれは親の過保護と怠慢じゃないのかと突っ込まれそうな理由もあって、今の高校を決めたことも事実なのですが‥‥。そして、何より、最初から「普通高校は無理」と、あきらめてしまっていたのも事実です。

 現在、娘は学校にも慣れ、「楽しいし、学校行きたい」と、教室の机に向かうことで「高校生である」ことに満足して、部活も楽しんでいるようです。

 でも、本当はもっと選択肢がほしかったです。そういう社会にしていくべきなのですが、今、また学校教育法改定により、ますます選ぶ幅をせばめられようとしています。まったく困ったことです。  今日、娘は言いました。「大学はどうしようかなぁーと思って。大学行きたいなぁ〜」 そうかぁ‥‥大学なぁ‥‥ちょっと、また考えないと!!



木村純子

 真理子(15才)は、この4月から京都府立朱雀高等学校(通信制)に通っています。通信制の為、スクーリングを受けに学校へ行きます。始まりは夕方の5時40分で4時間授業をうけ、終わるのは9時10分になります。行きはJRに乗って通学しますが、夜はさすがに遅いので、学校まで迎えに行ってます。学校の卓球部にも入っているので、クラブも含めると高校へはだいたい週2回・月1回(日曜スクーリング)のペースで通っています。

 高校進学にあたっては、全日制の普通高校を希望していたのですが、知的障害のある生徒を受け入れてくれる高校はありませんでした。
 小学校就学前から永松教育センターで何回か教育相談を受けましたが、判定結果はいつも「養護学校」でした。でも大勢のいろんな子ども達の中で一緒に、普通に学校生活をおくらせてやりたいという思いから、小学校・中学校は普通学級を選びました。

 進路問題に直面して思ったことは、「壁」を作っているのは大人達なんだなぁということです。私もその大人達の一人でした。真理子を産むまでは‥‥。何故かというと、それまでに障害を持った人と関わったことがなかったからです。担当医からダウン症と告知された時、たちあがれない程のショックを受けたのは、自分の心の中に障害者への偏見や差別感を無意識のうちに持っていたからだと今は思います。しかし、真理子を育てていくうちに、ゆっくりではあるけれど、しかし、何ら健常児と変わらないということが解ってきました。ごく普通に生活しているのです。

 義務教育の9年間、普通学級にいて思ったことは、子ども達は手助けするところはしてくれるけど、本人ができるところは手を貸さない。自然にそこのところを見極めているということです。一緒にいてこそ障害を持った子をクラスメートとして自然に受け入れられるのだと思います。健常児・障害児と分けてしまって教育するから逆に差別が生まれるのではないかと思います。

 『ひなたぼっこ』を観て、「知的障害があっても普通高校へ行ってもいいのでは」と思ってくださる方が一人でも増えればいいなと思います。

 最後に、障害があってもいろいろな進路を選択できること、そして京都でも知的障害児が普通高校へも進学できることを強く望みます。



福田正枝

 地域の普通学級で普通に暮らしたいと思いながら過ごし、中学2年生になりました。先日もグループで校外学習があり、京都市内見学をして、みたらし団子を食べてにこにこと帰って来た様子を見ると、やはりみんなと一緒がいいとしみじみ思いました。

 障害があるとかないとかに関係なく、当たり前に高校に行き、いろんな人と出会って、豊かな人生を送りたいと思います。

 みんなと一緒に高校へ行ってもいいやんか! 
知的障害を持つ若者たちが障害を持たない人たちと共に自然に仲間になっていく姿を映画『ひなたぼっこ』を見てあじわってください。



2時間かかっても楽しい高校で、「僕は大丈夫!」

京都府立須知高校1年 前田洋 保護者 前田ハル子

 私の次男の洋は、自閉症で軽い知的障害を持っていますが、現在京都府立高校の一年生です。丹波町に在る京都一広い敷地に広大な農場と学舎を持つ府立須知高校に、毎日2時間かけて(往復4時間)通っています。毎朝6時半に家を出て、私がJRの駅まで車で送りますが、帰りは自分で地下鉄を乗り継いで帰ってきます。入学当初は、通学の車中での出来事を、保護者も学校側もあれやこれやと心配したものですが、事情を知っている級友が話し掛けてくれたり、当人も見る見る通学スタイルに慣れてJRやバスでの高校生模様を洋なりに楽しそうに口にするまでになり、お陰様で親の私からすると夢のような日々を送っています。

 振り返ってみますれば、小学校入学時、学校側からは普通学級への入級を案じられましたが、結局卒業まで普通学級にいました。入学式の日には校門でパニックになり大泣きをしていましたが、入学式後に配られた紅白饅頭を教室でさっさと食べてからはもうケロッとしていました。国語の時間でも算数の時間でもお構いなしに平気で自分の好きな漫画を描いて楽しんでいる様子や、ルールが解らなくても無邪気にバットを振る様子に、「洋君はマイペースで学校が楽しめていて、いいよなぁ〜!」と周囲の子供たちから羨ましがられたりしたこともありました。

 中学進学に際しては、成績がオール1になったこともあり何校か障害児学級を見学しましたが、クラスの皆さんは「洋君も烏中(校区中学)へ行くんでしょ!」と当然のように言ってくれ、当人も「近くがいい!」と校区の普通学級への進学が決まりました。

 さて、中学からは様子が若干変わり、辞書好きで固執性のある当人の特性が中学の教科学習に良く生かされ、英語と国語ではチャント真面目に授業を楽しむようになりました。これは親の私でも予想外のことで、障害児であろうが健常児であろうが子供の成長には周囲の想像を越えるものが有るということを体得させられました。一方で、現代の中学生達の緊迫した思春期生活には入り込めなくもなり、毎日遅刻もせずにきちんと登校するのですが、誰とも一言も喋らずに帰宅するようなことにもなりました。

 そこで学校側と相談し、担任の先生の「洋君は一生懸命皆んなの生活について来てくれている。今度は私たちの方が洋君のスタイルを見守ってあげなくては…」という応援もあり、中学3年時に障害児学級(育成学級)を新設して頂いて、一週間の3/4を今まで通り普通学級で勉強し1/4を障害児学級で過ごせる生活になりました。こういう安定感の中で、当然のように高校進学を考えるようになりました。

 しかし京都の公立高校の定員は高校進学希望者の5割にも満たず、私共が在住する学区での公立高校の入試倍率は特に高く、多くの生徒が已む無く私立高校を受験している状況の中で、今の入試に受かることが無限大に困難な知的障害を抱える生徒にとっては高校進学の道は最初から閉ざされています。また、生徒数の多い都会型の私立校での生活や、定時制や通信制高校での不規則な生活や、専門学校でのカリキュラム中心の生活は、障害を抱える生徒にとっては荷が重く、無条件で入学させて頂いても中途で挫折しかねない状況です。一方、教育委員会側は「こういうお子さんには養護学校を用意しております。」との返答で、知的障害を抱える生徒の普通高校進学の権利には全くといって無関心のようでした。

 義務教育の9年間を共に過ごしてきた級友やその親御さん達は、「洋君は何処の高校にいくの?」「高校いっても頑張れや!」「高校ではもっと喋って、明るくなれや!」と洋の巣立ちについても何の違和感も無く声援を送って下さいました。しかし、洋が入学すべき高校が無い!! う〜ん‥‥と悩んだ末、教育委員会に「学校教育法の条文に規定されているように、高校にも障害児学級を創って下さい。」と申し入れましたが、「全国に例が無い。」と断られました。それでも当人が「高校へ行く!」と固い意志を示し、その後は中学側の御助言と御理解のお陰で推薦を頂き、高校側には面接と作文の課題で当人のコミュニケーション障害が不利に作用しないように別室受験等の配慮をして頂いて、結局当人にとって安心感のあるゆったりとした環境の須知高校に入学することが出来ました。

 入学後は、早速、障害を持っているためにコミュニケーションや判断等が苦手なことを、クラスの皆さんと保護者及び教職員の皆さんに私や担任の口から説明し、今後の学校生活での支援をお願いしました。そのお陰でしょうか、今は皆さん着かず離れずの関係で見守って下さり、当人はマイペースで勉強し、独り言を言い、それでいて興味のあることでは級友達の会話にちゃっかり入れて貰っていて、其々に自分達の課題や悩みを抱えてもいるだろう40人(正確には留年者も含め42人)のクラスの仲間の一員になっているようです。本当に洋は恵まれた結果になり、皆様に感謝しています。

 障害者手帳を手にし、「障害」を自覚しつつも、「僕は大丈夫!」「将来は大学の獣医学部に行って、ペットショップを開くんだ!」と将来への夢を勝手に想像し無邪気に楽しそうに語る姿を見るにつけ、障害の有無に関わらず社会への道を頼もしく歩んで行ってくれるだろうと確信させられる今日この頃です。(2001年10月31日)


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