京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2005年12月号 掲載)
にんぷいろいろ日記(その6)

こてらさちこ

 8月13日。弟のひろとが生まれて、あきとはお兄ちゃんになりました。
あきとのお兄ちゃんぶりには毎日驚きの連続です。かわいがって、世話をして・・・
私とあきとで毎日ひろとの取り合いです。ひろとの生後まもない頃・・・あきとは保育園から帰るなり母の私には見向きもせずベビーベッドに直行!!すやすや眠るひろとに保育園でもらった自分の写真カードを見せながら、あーだこーだと説明したりしてかわいいもんです。耳元で大声で歌を唄ったりして 泣かしてはヨシヨシして、ティッシュで涙をふいてあげたり、おっぱいをあげようと自分のお腹をだして、上に乗りかかったりして、さらに泣く・・・のくり返し(笑)
でも最近はふたりで何やらわけのわからぬおしゃべりをして楽しそうです。

 ひろとが生まれる前、産後しばらく私が身動きとれない間の、保育園の送り迎えや、夕方から寝かしつけるまでのあきとの世話をどうしようかと考えていました。 これまで誰にもあづけたこともないし、この複雑な心境のときだからこそ、信頼できる人、ただ世話をするだけでなく、一緒に遊んでくれる人にあづけたい。
そう願っていたら、ステキなヘルパーさん親子に出会うことができました。
そのヘルパーさんは子どもが大好きで、楽しんで世話をしてくれる人。そのヘルパーさんに保育園の送り迎えをしてもらい、その人の家で夕食とお風呂をすませて家まで送ってもらいました。そのお家はにぎやかな大家族で、あきとは次男のあふるくん(22才)と大の仲良しになりました。あふるくんもいわゆる知的障害者といわれる人。普段はパン屋さんで働き、画家さんでもあります。二人は何か通じ合うものがあるらしく、あふるくんといると、あきとは大はしゃぎです。あふるくんの家から帰ってくると、ものすごく楽しかったようでいつも興奮していました。

  あふるくんの家に行くのが最後となった日、あきとは帰ってくるなり泣きだしました。はじめは何故だかわかりませんでしたが しばらく後、私に抱きついたり離れたりしながら号泣するあきとを見て、すごく頑張っていたことに気づきました。 夜も私と離れ、一日中を保育園とあふるくんの家で過ごし楽しかったけど他所の家で過ごしお兄ちゃんとしてものすごーく頑張っていたのです。 私に甘えたくても甘える時間もなかったのです・・・。そんな当たり前のことにやっと気づき、頑張ってくれていたあきとの気持ちを考えると、私まで涙が溢れてきて、しっかり抱きあって1時間近く泣いていました。その日、夜寝てから次の朝起きて、おにぎりを1つだけ食べた後、すぐにまた寝て夕方4時頃まで眠り続けたあきと・・・。無理して、頑張ってお兄ちゃんして、そうとう疲れていたのでしょう。頑張ってくれていたあきとに感謝の気持ちでいっぱいでした。

 その後、あふるくんは週に1回ベビーシッターのバイトに来てくれています。
夕方5時に家に来てくれて、あきとと遊んでくれている間に、私はひろとの世話や夕食の用意ができるので大助かりです。 (夫は仕事で帰りが遅いのです)そして一緒に夕食を食べ、あふるくんはあきととお風呂にも入ってくれます。 お風呂からはいつも楽しそうな笑い声が聞こえてきます。ひろとが泣いているとあやしてくれたり、ときには寝かしつけてくれたり・・・素晴らしいベビーシッターぶりです。あきとが喜んでいるのはもちろん、私もあふるくんとのおしゃべりが楽しみです。あふるくんは、一人暮らしをしたい、結婚したい、子どもが欲しい・・・とか夢がいっぱいです。 自分に自身をもっていて、今できないことも教えてくれたらできる!とチャレンジします。それがとてもすがすがしくて気持ちよくて素敵な青年です。あふるくんの話を聞いていると夢もかないそうな気がします。 あきとと楽しそうに遊んでいるあふるくんを見ているとベビーシッターに向いているし心やさしく、人をあったかい気持ちにさせてくれるあふるくんのよさがいかせるいい仕事だと思いました。ちょっと視点を変えて、ちょっと理解と援助があればあふるくんのよさをいかした仕事がいっぱいあるだろうなあと思います。

 あふるくんは自信たっぷりに私に言ってくれます。「子ども二人は大変だあ。いつでも言ってくれたら来ますよ。」 ああ、なんて頼もしい!!ありがたやー 今回のお産であふるくん親子と出会えて本当に感謝です。
これからもし私に何かあったときには、あきとが楽しくお世話になれる場所ができたのです。 ほっ・・・


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