京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報
(2005年12月号 掲載)
トライアングル20周年記念講演会
浜田寿美男先生 「ありのままを生きる」 テープおこし
2005.11.6
佐々木さんとは20年近いお付き合いですが、顔を見ますと年くってないなというか・・。年齢は平行移動しますのでお互いは変わらないけれど、子どもだけは大きくなるので年月は子どもから見えてきます。長いお付き合いですが、実際は口ききだけをしてきて学生を送るだけ送り込んで何もお手伝いしなかったので、今日はそのつけが来たのかなーと思っています。今日はたくさん時間をいただきましてみなさん退屈されるかもしれませんが、気楽に聞いて頂いて3人気を失った時点で休憩したいと思います(笑)。
今日は、「ありのままを生きる」というちょっとクサいタイトルですけれど、以前このタイトルで本を出したことがあります。自閉症のタカシ君というお子さんが花園大学時代にゼミに参加していました。もともと小・中と普通学級でやってきて、高校の受験で行く場所がなくて地域の高校で課外活動に参加されていて、大学年代になって花園大学でゼミに参加できませんかとお母さんに頼まれまして、大学という所は誰がもぐり込んでも全然さしつかえがなく、ちょっと目立つ程度のことでいいんじゃないですかということで、毎週ゼミに参加して10数年やってこられました。私が奈良女子大に移った時に、さすがに奈良女子には来にくいだろうということで、男の子でしたし距離もちょっとあったので。今、考えてみると、別に奈良女子大に来ても大丈夫かなという気はしないでもないですけど。今は花園大学の別の先生の授業に参加しています。その彼との付き合いを本にしたのが、「ありのままを生きる」です。
実際、ありのままを生きるというのはそう簡単にはできるわけはないのです。いろいろつっぱったり後悔したりすることがあるのですが、編集の人がこれで行きましょうということでこの本を出した後、このタイトルでしゃべることが結構多いです。中身はさまざまですけれど。あらためてこのタイトルでとなった時に、いろんなことが思い浮かびます。
私も子どもの育ちの心理学が自分のテーマで、「発達心理学」をやっていますけれど、そこで“ありのまま”を組み合わせた時に、ちょっと違うんですね。子どもの発達ということがさかんに言われています。私も発達心理学という名前を掲げて授業をしたり30年近くやっているのですけれど、発達というのがどうも苦手で、発達、発達というのに違和感があって、佐々木さんとのお付き合いもその辺だろうと思います。私がものすごい発達屋さんだったら僕のところに電話がなかったと思います。
力を伸ばさないとアカンということに非常に脅迫的になることがあって、子どもが力を伸ばしていって、それをためてようやく社会に出てまともに生きていけるんだと言われていますから、障害を持っているとそれを何とか克服したり軽減したりして、ちょっとでも伸ばさないとという。だれもが発達するのはその通りなのです。でも、それがすごく脅迫的になると生きづらくなってしまう。1歩でも半歩でも前に進むことが大事なんだと言われてしまうと、1歩も半歩もなかなか行かない時には、やっぱりしんどくなりますね。私は“発達”という言葉をかかげて仕事をしていながら、“発達”いややなぁーというのがあります。反発達論にもちょっと違和感があって、育つことはいいことだとは思うのですけども。“発達”ということを考えた時に、それに脅迫的になるのは困る。片方で、もちろん期待しないこともおかしい。その狭間で脅迫的に言われているのをときほぐして楽にやれないものかと思っていたのです。
そう考えたときに、ずい分と変わってきた部分もあります。子ども達は学校という場が生活の中心になりますから、障害を持っているお子さんがみんなと同じ場所で生活できるかというと、20年前に比べてそうではなくなっています。普通学級では難しいのでと言われますし、現に今の学校のあり方だと障害を持つ子はつらいですよね。ついて行くのは難しいですし、また、ついて行くことが当然だと見なされてしまいますから。
20年前というと85年ですか。養護学校の義務制化がなされたのが79年です。義務制化というのはどういうことかというと、もともと義務教育ということですべての子ども達が教育を保障されるということが法律になっているのです。ところが、障害を持っている人達が学校へ行く場所をなかなか持てないということで、戦後すぐ新しい教育制度が出てくる段階ですべての子ども達が行けるように学校作りをするということになったのです。盲ろう学校だけはでき上がっていくけれど、知的障害、身体障害については法的には行けるけど、実際には施行する期間はペンディングしたんですね。身体障害、知的障害の子ども達は学校へいく場所がないものですから何とかしたいということで、学校作りを親ごさん達が自分達から訴えてやり始めたのが60年代だったのですが、79年に知的障害、身体障害の人たちの養護学校もすべての人たちが行ける形を作ろうと施行が確定するのです。60年から70年代にかけての頃は親ごさん達が自分達の子どもが行ける学校を作って欲しいということで養護学校通作り励んでたのです。京都なんかはかなり中心的でした。それがいよいよ実現したということで、よかったねと言える部分と、もう一方で、義務制化になった時に、なんで養護学校なんだ、普通学校になんで行かれへんのかという話しになったのです。だから、義務制化になった時に全国で普通学校にがんばって通っていた子ども達が養護学校に転校させられたケースが何千と出ました。義務化したことで、あなた達が行く学校が正式にできました、あなた達はそちらに行くべきですという形で養護学校へ振り分けられたのです。その時に大論争が起こったわけです。障害を持っている人達はなぜ普通学校に行けないのかと。それでも普通学校へ行こうということを意識的に取組んだ人たちがたくさんいて、佐々木さん達もそういう流れの中で普通学校、普通学級で子ども達を育てたいという思いになってるのだと思います。
当時、養護学校の小学部の子どもの数がかなり減った。80年代半ばまで随分減ってきて、養護学校へ行っても小学部の子どもがあまりいない時期がありました。その後、また増えてきています。今は、養護学校は以前に比べたら就学率が高くなっている。障害について理解が深まったようでいて、実は子ども達が生きている場所が誰もが同じ場所でというふうにはなっていない。いろいろ親ごさん達の思いもありますし、私も相談を受ければできるだけ普通学校、普通学級でと言いますけれども、いろいろ支えてきたりしますけれど、本人がしんどくなったら無理してまでとはいえないので、それはもう割り切って、学校に見切りをつけることもせざるを得ないということも起こってきます。運動の為に生きているわけではないので。
子どもの育ちとか、我々自身が生きているということをどう考えるかという時に、今の学校という所は、力を身につけることに一生懸命になるんですね。力を身につけていってようやく社会生活が営めるようになるのだから、学校の義務教育で9年間、高校も含めて12年間は学校でしっかり力を身につけて、社会に出て、そこで初めて社会生活がまともにいくんだということで、力を身につけることに一生懸命になる。「あなたのお子さんはこれができていないのでがんばりましょう」とか言われるのだけど、じゃ、何のための力を身につけるのかというと、使う為なんですよね。学校という所は力を身につけることに一生懸命になりますけど、実は力を身につけるのは、身につけた力を使う為だというごく当たり前のことが案外スポッと抜けているのですよ。だから、身についたかどうかをテストでためして、点数にして、それであなたはこの高校に行けます、この大学に行けますという選抜が行われてきて、12年間の長い子ども時代、子どもたちは力を身につけることばっかり一生懸命させられる。身につけた力をどこで使うのかと言ったら、テストで使うぐらいしかないのです。で、入試が終わってしまいしばらくすると、ほとんど忘れてしまう。結局、学校というのは、小、中、高、大というハシゴを順調にわたる為には必要だけれども、そこで身につけたことを生活の中で使うことを全然考えてない。
例えば1才前後で子どもは歩き始めます。歩く力が身についたということです。歩く力が身についたら、歩く力を使って世界が広がります。自分の足で立って、自分の好きな所に行って好きなものを手に入れることができる。子ども達は自分の思いを実現する範囲を広げることができるということになります。身についた力を使って世界が広がる。言葉もそうですね。言葉が身につくことで、言葉を使ってお互いの思いを交換することができる。言葉を身につけるということは、言葉の世界が広がるということです。そうやってみますと、学校へ上がるまでに身につけることというのは、身についたら使うわけです。それこそ日常生活にかかわること、食事とか、排泄とか、着脱とか全部そうですね。身につけたら、それはテストで調べるわけではなくて生活の中で使うわけで、また使わないと根をおろさないというのがあります。これは佩用(はいよう)の原則という難しい形なんですが、使わないと衰える。力は使って初めて根をおろす。
文字の読み書きができることで広がる世界があります。我々も文字の読み書きができなかった頃があるわけです。文字の読み書きができなかった頃に、文字がどんなふうに見えていたか覚えている人はいないと思います。今、日本の社会で文字を見ない日はないですよね。文字の読み書きができない子ども達も文字を見ない日はないはずなんです。そしたら、文字はどんな風に見えているのか。我々は覚えていません。不思議なもので、人間はできるようになるとできなかった頃のことを思い出せない。例えば、自転車に乗れるようになると、乗れなかった頃にどうやってこけたのかが分からない。自転車で転ぶシーンを演じようとしてもできません。文字もそうですね。今は日本語を見るとぱっと意味が飛び込んできます。例えば、隣の国のハングル語を見ると分からないわけです。謎の模様のように見える。子ども達は日本語がそう見えているはずなんです。そこから文字の読み書きができ始めるということは、少しずつ見えてくる世界がでてくるということなんですね。これはすごい大きい体験だったと思います。子ども達はそうやってリアルタイムで世界が広がっているということですよね。ですから、文字の読み書きを始めた子ども達は喜んで覚えます。なぜなら、文字の読み書きの力で世界が広がる体験を実感できるから。文字の読み書きの力、歩く力、言葉を使う力は、身についたらそれは使われて世界の広がりにつながっていきます。力を身につけるということは、使って生きるんだなーという当たり前のことが確認できるわけです。
けれど残念ながら、学校へ行って学年が上がるにつれて子どもたちはそうゆう実感を失っていきます。学校というところは、今は役立たないけれど、将来使うのだから頑張りましょうと言うのです。学校で勉強したことは大事なことなんだけど、じゃどこで使うかというと、“将来”という言い方をします。将来、社会に出た時に困らないようにと親も言うし、教師も言います。実際は、その場その場でその力を使わなければ、力は根をおろさないはずなのです。
息子の例をあげます。20年ちょっと前の話ですけれども、息子が小学4年生の時、男の子も女の子も家庭科を学校で習うのですが、家庭科ですから習った事は生活の中で使えばそれでいいはずなのですがテストがあるんですね。通知簿つけなくてはいけませんからね。こんな問題がありました。家の中の仕事が箇条書きしてあって、「次の中からお母さんの仕事にマルをつけましょう」。さすがに今はこんな問題は作らないと思いますが。誰が炊事しようと、誰が洗濯しようと家庭の勝手ですから。
家庭科の授業で卵の新鮮度の見方を習ったのです。僕の小さい頃は、殻をさわってザラザラしたのが新しくてツルツルしていたら古いと習いました。うなずいている方はだいぶ古い方と見受けられますけど(笑)。家庭科の問題では、卵を割って盛り上がっていると新しくて、へしゃげていると古くなっている。それが文章問題になっていました。花子さんがスーパーで卵を買って料理をしようと思いました。割ってみたら次のようになりました。黄身のもっこりとした絵と平たい絵があり、どちらを使いますか?という問題です。これは普通に考えてみるとおかしいわけです。うちの子はへしゃげた方にマルをつけた。で、×になった。なんでこっちにマルをつけたのかと聞くと、「古い方から使わなくちゃ」(笑)。びっくりしました。めったに誉めない親ですけど、誉めました。だけど後でこう言いました。「2つ割っておいて1つ使うのはないんじゃないか。両方使うというのが正解や」。
うちはかみさんも僕もあちこち出る人間で子どもだけで晩御飯ということが起こるので、実感があったのだと思います。自分の生活感覚で答えたら間違いだということですね。コワイなと思ったのは、子どもに聞いてみるとこの問題は自分以外全員が正解を出している。つまり、知識を問う問題だと割り切っているのです。「どちらを使いますか」という問題になっていましたが、「新しいのはどちらですか」という知識の問題だとただちに読みかえて答えている。そういう姿勢を小学4年生で確実に持っている。生活と離れた所で学校というのがあって、学校では知識を教えられて知識を試されているんだ、そういう中にはまり込んでいる。力を身につけて使う部分が抜けてしまって、知識ばっかりを植えつけていく、それが勉強することだと子ども達は錯覚している。錯覚は学校ばかりではなく、発達をいう中でも起こるのです。力を身につけることに一生懸命になって、身につけた力を使ってどうするということがスポッと抜けている。そういう中で子どもはやっているわけです。
学校の問題というのは理屈で考えるとすごいヘンなのが出てきます。小学校でこんな問題があります。アメを3つ持っていました。その上にお母さんがいくつかくれて5こになりました。お母さんはいくつくれたのでしょうか? もうみなさん学校というのになじんできましたから、すぐに引き算の問題だとわかりますよね。けれど、初めてそういう問題に出会った子どもの反応の中にこういうのがあります。「お母さん、いくつあげたのか分からなかったの?」。子どもは、学校という土俵ではこういう問題を人為的に出されるということを学んで行く。力を生活の中で使うという発想とは違ってくるわけです。
力をたくわえて準備万端整えないと社会生活がまともにできないと思われている。例えば、養護学級に電車が大好きな子がいて、迷うこともなく一人で行けるのだけれど、お金の勘定ができない。そこで学校では数の計算を教えようとする。お金の勘定ができれば一人で電車に乗ることができるというわけです。実はそんなことやっていたらいつまでたっても計算できないのだから、一人で出かけることができない。ある先生が発想を変えて、今のこの子の力のままでやれないだろうかと考えた。すごい単純なことなのですが、お財布に10円玉をたくさん入れておくのです。駅の自動販売機にとにかく10円玉を入れていき、最初にランプのついたところを押す。そうすると切符が出てくる。その切符で入り、行きたい所まで行って、降りる時に駅員さんに財布を見せて残りのお金を取ってもらう。それで立派に行けるというわけです。準備万端整えてからできるのではなくて、今の手持ちのままでやれないだろうか、力を伸ばしてはじめてできるのじゃなく、この子のままでできることはないかということでやって、十分できるようになった。それで、少しずつお金の計算もわかってきた。そういうものなのです。
力を身につけたらまともにやれるのだから、とにかくまず力を身につけることが先決だという発想を私たちはどこかに持っているけれど、そんな力を身につけてからやるなんてことを言っていたら人生できないですよね。準備してから世の中を生きる人はいないだろうと思います。子ども時代は大人になるための準備の期間のように思われている。人生の中に準備の時期なんてない。子どもは大人になる為の準備期間ではなくて、子どもは子どもの本番を生きている。いつも準備、準備と言って、結局“将来”という名目のもとに現在を食いつぶしてしまうということが起こっている。我々もそういうことをやってきたように思います。
例えば1つの典型は英語教育だと思います。中学校1年から英語を始めます。この国際社会だから英語ぐらいは聞けたりしゃべれたりできないといけないということで、小学校4年生ぐらいから導入しようという動きが起こっています。将来の為に身につけましょうということです。しかし、将来のためといってみなさんも私もその将来になっている訳ですけど(笑)、はたしてその力を使える状態になっているかというと、ほとんどの人がなってないのです。将来のためにためただけの力は使えるはずがない。身につけて、使って、初めて根をおろす。それがなくて、とにかく身につけましょうと中学校3年間、高校3年間、少なくとも6年間は英語をやってきた。大学に行った人はさらに4年間やって10年間。いよいよ将来になったから使えるかというと、ほとんどの人は使えない。
そもそも最初に習った英語の文章が、「This is a pen.」ですね。なつかしいひびきですけど、じゃ、「This is a pen.」をどこで使ったらいいのか。これがめったにないです。もう少し進むと、「I am a boy.」これはどこで使うのか。もうちょっと行くと、「Are you a girl?」 Are you a girl? はかなり失礼な話ですよね(笑)。男の子と女の子を組み合わせて「Are you a girl?」 「Yes, I am.」ということやりました。今はやっていないでしょうが。つまり、使うことを予定してない。コミュニケーションには意味がないですね。英語の勉強をして世の中が広がる体験をしたかどうかですが、してないわけです。テストでだされてそれに点数がつくだけのことで根をおろすはずがない。英語の勉強を本当にコミュニケーションとして必要と思えば、身につけるごとにそれを使う、そういう場面に身をおかないと決して身につかない。
鶴見俊輔さんという哲学者が日本の英語教育のことを評して、「戦後、日本の英語教育は50年間失敗し続けてきた。現在も尚、失敗し続けている」と、10年程前の文書に書いています。その後10年も尚、失敗し続けていると私は思います。それが小学校4年生から導入するというのは、本当に日本の学校界というところは力を身につければ根をおろすと思っているんですね。違うのです。力は使わないと意味がない。身につけた力を使うというごく当たり前のことを見失っていて、学校というところは身につけることばかりに一生懸命になっていて、発達、発達と言うわけです。
一人一人の子どもに合った教育、これも原則的に当たり前のことですね。養護学校、養護学級の問題もそうだと思っていますが、確かに養護学校へ行くと先生と子どもさんの比率は普通学級とは圧倒的に違います。一人一人にかけるお金がどれくらいかと言うと、障害をもたない人達の10倍はかかっている。それで養護学校はこまめに教育がなされ、その子にあった教育をし、だからそれだけ力が伸びてくるのだということです。確かにそういう側面はあると思います。親ごさんも安心ができるということもあります。だから養護学校が大事だという発想があるのです。それで養護学校でこそ身についた力があるとして、実際は分かりません、だけどそれだけの力が身についたとしても、その力を使ってその子ども達がどこでどうやって生きることになるのかと考えたら、結局、養護学校に行くということは知り合い関係もその中に閉じられてしまうことになる。身につけた力を使う場所を限定されてしまうことになりかねないわけです。力というのは身につけて使って世界が広がることに意味があるのに、力を身につけるところで学校を限定してしまい、人間関係を限定してしまって、その先、障害を持っている人達だけのグループで生きていくということになりかねない。それは本末転倒ではないかと思います。
20年程前から、日本の養護学校は将来つぶれるはずだと私は言ってきました。養護学校が全面的になくなっていいとは思いません。親ごさんの要望もありますし。だけど、原則は誰もが同じ場所で、生活の場所として学校を有用していかなければダメだと思っています。学校が力を身につける場所として考えられてしまっている。親もそれを信じて疑わない。だけど違うんだ。身につけた力は使わなければ根をおろさない。テストだけやって身についたように見えても、テストが終われば剥げ落ちるのです。けれど、相変わらず力を身につけることだけに懸命になって、発達、発達と言っている。そこの錯覚を何とかはずしていかなければ、いわゆるハンディを持っている人達が生きやすくはならない。ちゃんとした力を身につけなければ社会生活は送れないという発想をやめなければいけないと僕は思うのです。
発達の大原則、ごく単純な話です。人はどうやって生きているのかと考える。人は自分の体で生きている。自分の体で生きる以外の生き方はできません。自分の体をもって生きる以外にない。自分の体をもって生きるというのはどういうことかというと、体のある所で生きている。ここの今を生きている。自分の体の位置で生きている。明日も生きているでしょうけれども、明日は自分が身を置いた明日のところで生きます。昨日は昨日自分が身を置いた昨日のここの今を生きてきた。ここの今を生きる以外の生き方はできないのです。これは刹那的に生きると言いたいわけではありません。刹那的に、生きるのもまた難しい。たった今だけ生きられたらどんなに楽かと思います。つい昨日のことを後悔したり、明日のことに不安を思ったり楽しみにしたりして、決して刹那的には生きられません。だけど、生きているのはここの今なのです。体を持っているというのはそういうことなのです。じゃ、ここの今をこの体でどう生きているのかと考えると、ここの今自分の体で、自分の手持ちの力で生きています。それ以外の生き方はできません。明日できるようになることがあるかもしれないけれど、明日に身につくかもしれない力で今日を生きるわけはいかないのです。今日は少なくとも今日の自分の手持ちの力で生きていくしかない。学校というところは何かできないことがあると、できるようにしましょう、がんばりましょうという話になるのですが、努力することを否定しているわけではないのですが、がんばってできるようになるまではできない。今できないことを問題にしているのです。できなかったらどうするか。できるようにしましょうとがんばるのじゃなくて、できないままどうしようかということなんです。
手持ちの力を使ってできないことがいっぱいある。それをどうするか。「がんばる」という話じゃなく、できない時はできないままやりくりして生きるしかないのです。そこで、発達は何かというと、手持ちの力を使ってできないことはやりくりしながら生きているうちに、気がついたらできるようになっていることもある。できないままのこともあるということだと思うのです。発達は実は結果なのです。目的でも課題でもない。そのことを忘れてしまって、子どもの発達を目的にしてしまうと生きづらくなります。「ありのままを生きる」という題をいただいて言うとしたら、この発達の大原則にのっとった生き方をしてもらえば十分ということです。
結果として伸びるという話にこういうのがあります。花園大学に勤めていた頃、養護学校から大学に来た学生さんがいました。当時は養護学校から大学へ来る子たちも少なくなかったのです。脳性マヒで、補助具なしで歩いて、他の人がちょっと歩調をゆるめれば一緒に歩けたし、上肢もそれ程不自由ではなくて、小論文なんかもマス目を倍程にしたら書ける。だから学校での勉強でそれほど困らない。ただ発音がはっきりしない。彼は養護学校の小学部からずっと言語訓練をやらせられてきた。でも彼はイヤでイヤでしょうがなかったというのですね。言語訓練というと、小学校1年生の子どもだったら絵カードを見せられて「これは何ですか?」と聞かれる。りんごの絵だったら「りんご」と答える。とりわけ発音のしづらいやつをさせられる。先生が聞いて生徒が答えるというコミュニケーションの形をとっていますけれど、コミュニケーションではないですね。コミュニケーションというのは、相手にものを聞く時は知らないことが前提です。先生は試している、これはコミュニケーションではないのです。人に伝えるという思いは全然ないのです。だから、コミュニケーションでもないことを練習でさせられていることがイヤでイヤでしょうがなかった。本人は、いやいややってきたせいもあったかもしれないけれど、力が伸びたとは思えないと言うのです。その後、大学に入り同学年の人たちと出会うわけですけれど、彼は自分が言葉がはっきりしないと思っていたものですから、最初はちょっと引いていたんです。みんな仲良く友達関係ができてにぎやかになり始めるのだけど、彼だけ遠くからながめているような状態がしばらく続いたというのです。ひと月、ふた月ほど続いたと言っていました。だけど、自分もせっかく大学に来てこれではつまらんと思ったんですね。ある時、思い切って友達の輪の中に飛び込んだそうです。で、彼がしゃべり始めると、初めて聞く人には分からんわけです。分からんとなると、「分からんから向こうへ行き」という人はいません。みんな一生懸命聞こうとしますよね。聞こうとうする姿勢が見えると、がんばってはっきり言おうとします。片方は一生懸命聞こうとして、片方は一生懸命しゃべる、それを繰り返しているうちに2〜3ケ月後には彼の言う事はみんなほとんど分かるようになった。彼は、「言葉がはっきりしてきたように思います」と言う。実際わかりませんよ、測ったわけではないし、みんなの耳がなれてきたのかもしれません。ただ、養護学校では言葉をはっきりさせれば社会に出た時に他の人と普通にコミュニケーションできるのだからがんばりましょうと訓練をやっていた。大学に入って彼は友達の輪の中にその時の力のまま入った。力のまま入って自分の力を最大限使ってやっているうちにみんなに通じるようになり、発音がはっきりしてきた。そういうものです。発達の大原則とたいそうな言い方をしますけれど、当たり前のことをもう一度、思い出してみましょうということなのです。
ごく当たり前の話をしてきました。だけど、ごく当たり前のことがなかなか当たり前にできない社会になっていると思うのです。それを何とか取りもどさねばいかんと思っているのです。
私は発達の仕事をしながら、片方で裁判の仕事がとても多いです。刑事裁判の冤罪関係です。冤罪というのは、やっていない人間が間違ってつかまって自白させられてしまう。死刑囚で本当はやっていないという方は少なくないのですね。今、確定死刑囚がおおよそ60人あまりいると思いますが、その中で実はやってないと最終申立てしている人が私の知っている範囲で10人はいます。その中には自分の命がおしくてウソを言っている可能性もありますが、私が裁判資料等を見て、本当にこの人はやってないと確信を持てている人が3人はいます。その人たちもみんな自白しているのですね。なんで自白するのだろう。死刑になるような事件でウソで自白するなんてありえないと思いますけど、実は状況をみてみるとごく簡単なんですね。人は一人になると、だいたいこわれます。みんな自分の力で生きていると思っているかもしれませんが、実は自分の力で生きていません。人と人との関係のネットワークに支えられて人は生きているのです。そこから一人だけ引き抜かれて取り調べ室に放り込まれるだけで、人はずい分とまいりますね。孤立無援がどれ程辛いか多くの人は知らないのです。多くの人が知らないのに、あんたは知っているのかと言われますけど、実は、私は知ってます。69年の大学が大もめにもめた時に卒業でしたので、ちゃんとつかまりまして10日余り身柄をとらわれるという経験をしました。すごいいい経験になったと思います。将来、こういう仕事をしようと思ってつかまったわけではないのですけど(笑)、結果としては役立ったと思います。本当に人は一人になった時に自分を支えられなくなる。関係の中で人は生きているのですね。
力を伸ばすという話をしましたけれど、個人の為に伸ばすのではなくて、関係を作っていく為に力を使っているのです。人間というのは、自分が何かをして相手が喜んでくれることがうれしい生き物です。力を使って相手が喜ぶという体験をもつことは子ども時代にも重要なはずです。
学校という所がまだ子ども達の生活を牛耳っていなかった時代がある。僕らの時代は学校はどちらかというとサブの場所で、メインは地域であり、家庭であった。学校から帰ると家に誰もいなくて、ちゃぶ台の上にイモの煮たのが置いてあって、むしゃむしゃ食べる。「これを食ったら畑に来なさい」とメモに書いてあるんですね。子どもが労働力としてあてにされていた時代。働くのはしんどいですからできたら楽をしたいんですけど、それで親が喜んでくれるのがすごくうれしい。働いて当たり前、さぼったらおこられ、親がほめてくれるわけではないんですよ。だけど、親が楽をすることはよくわかる。子どもが子どもの力を発揮して生活を作るという実感をもっていました。今の子どもたちは力を使う場面がないのです。力を使ってやったことをまわりが喜んでくれるという体験もない。
手持ちの力を使って人は生きている。その結果として力も伸びる。それと同時に人との関係を作っていく。その中で、関係の網の目を豊かにすることで自分が支えられていく。だけどなかなかそれができていかない現実があって、そこを何とか当たり前のところにもどっていくことをしていかないとしんどいなーという気がしています。お子さんがハンディを持っている、あるいはご本人がハンディを持っているというのは、世の中の本当を見せておられることであると思います。私も障害を持っている人とお付き合いをさせていただいたことで初めて見えてきたことがあるような気がします。個人の力を蓄えて個人で金を稼いで生きて行くなんていう話じゃないですね。そこの所を取りもどしていくということをしなければならない。
トライアングルの20周年ということですので、あと30年、40年、続けていただきたいと思います。
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