京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2006年12月号 掲載)
あきとと母の保育園生活(その2)

こてらさちこ

 保育園の運動会も4回目。これまでの3回は、いつもと違う雰囲気に緊張して涙・涙の運動会だった。担任の若い男の先生が「ダイジョウブッスヨ〜」と言ってくれる。私も今年は大丈夫かも・・・と、ちょっと期待していた。やっぱり、みんなの中で笑っているあきとの姿が見たかった。
 その保育園ではリレーなどの競争するものや、おゆうぎなどの種目はない。特別、練習しなければならないようなことは一切しないのだ。それでも、子どもたちの、親といるときとは全く別の顔の自身に満ちた姿に感動させられるのだ。

 いよいよあきとのクラスの番。ブルーシートを折りたたんで地面に敷き、それを川に見立てて、みんなで飛びこえる設定だ。川の幅を段々広げていき、みんなカエルになってジャンプして飛びこえようとする。みんなで必死でジャンプする中、あきとは・・・
 何のためらいもなく、ニッコニッコしながら、川の中をザブザブ走っている。ハッハッハ。あっぱれ、あきと!それでいいのだ!!(笑)川の幅が3mほどになり、今度は、棒の両端を先生が持って移動し、数人ずつぶらさがって川をこえる・・・いよいよあきとの番。
 (ああ〜っ!ぶらさがったあ〜!あんなふうにぶらさがったりできるんかあ。知らんかったワ。スゴイぞ〜あきと〜!!)と思ったら、落ちた。でも、またすぐにぶらさがった。(あきらめるかと思ったのに・・・)そして、みんなと同じように、ぶらさがって川を渡りきった。あぁスゴイ。スゴイよ〜あきと。感動の涙の運動会だった。

 保育園生活も4年目に入り、あきとに親友ができた。
 朝、保育園の門の所に着くと、奥の方から「あっと〜っ!!」と駆けよって来て、タッチしてあいさつ。帰り際には、バイバイしながら別れを惜しむ。「また明日!」と言う私までうれしくなる。
 大人にはわからない言葉で、ふたりでおしゃべりし楽しそうに遊んでいる。どちらかが泣いていると、お互いに抱きしめてなぐさめあうのだそうだ。

 私といる時は、自分で靴をはかないあきとが、友だちの靴をはくのを手伝ったりする。泣いている仲間をなぐさめたりする。当たり前だが、ケンカもおやつの争奪戦も、あきとがダウン症だということには全く関係なく繰り広げられる(笑)。
 みんなの真ん中に一盛りに出されるおやつ。おとなしいあきとは争奪戦に参加しているんだろうか・・・とふと気になって先生に聞いたことがある。そしたら「ばっくばっく食ってますよ〜」と笑われた。ちゃんと食べさせてもらっているんだろうか・・・なんて親の心配は、大抵余計なことである(笑)。


 顔にすごい、ひっかき傷をつけて帰ってきたこともあった。その痛々しい顔をみると、私は涙がでそうだったが、本人はケロッとしていて、帰り道、鼻歌をうたっていたくらいだ。もしかすると、ちゃんと自己主張した結果の傷で、あきとにとっては負け戦ではなかったのかもしれない。言葉で聞きだせないのがもどかしいが、あれほどのひっかき傷となると、相当相手を怒らせたのだろう。それだけ、あきとは守られるだけ、してもらうだけの弱い存在ではないということだ。

 子ども同士の世界は、される側、守られる側ばっかりというのはありえないのだろう。親には絶対できないことを、保育園の仲間たちがしてくれる。本当にありがたい。
 それにしても、最近のあきとのいちびり具合は痛快だ。私にプロレスのように(すもうか?)とっくみあいを楽しむようにじゃれてくる。ひょっとすると保育園で、仲間や先生とプロレスごっこもできるようになったんだろうか??・・・いや、まさかあきとがなあ・・・と思いつつ、期待まじりの想像をしてうれしくなる。友だちとプロレスごっこができるようになったらたいしたもんだ。

 思いっきり遊んだり、ケンカしたり、泣いたり、大笑いしたり、とことんぶつかり合うなかで、みんなと一緒にすごすということを当たり前に感じてほしいと思う。そして、みんなの中で、自信満々に、あきとのペースでやっていってほしい。あとたったの2年で就学と思うと、心配はつきないが、保育園で体当たりで、人と関わった経験は、一生を通じて、かけがえのないものになるだろう。・・・とはいえ、ちょっと仲間にたたかれているのを見たら、動揺して気弱になげてしまう母なのだが(笑)。



会報No.127のindexへもどる
会報バックナンバーのindexへもどる

homeへもどる