京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2006年12月号 掲載)
北村小夜先生

島崎 明子
 ずっとお会いしたいと思っていた北村先生は、でも、本当はもっとこわい先生かも・・・と思ってもいた。ちっともこわくなかったけれど、鋭どい感性と豊かな感受性の方でした。

 京都駅で先生を車に乗せて、堀川通りを北上している車の中。
 「娘は中学2年生で高校へ行かせたいけど・・」と話すと先生は「高校の数が減ってきて難しいね」と前置きしてから「絶対高校にいれるんだという思いからしか道はひらけてゆかないわね。はいれたらいいなあって思っていたら、むこうから『いらっしゃい』って言ってくれる、そんなことはないよね」と静かにおっしゃった。
 はじめて出会って、まだ10分程しかたたないうちにノックアウトさせられた、そんなかんじでした。気持ちいいノックアウトでした。そうや、私は北村先生にこれを言ってもらうために今日までこの講演の準備をしてきたんや、きっと・・・。
 「急がなくていいじゃない。9年かかって高校へ行った人もいるわよ」とも。
 「東京では高校を選ばなければ誰でも高校へ行けるようになった」「中学が挙げて推せば、たいてい叶っている」とも。

 定員内不合格を出すなというだけじゃなく、定員オーバーでも神奈川県などでは入学しているケースがある。他の子は、落ちたら他の高校に行けばいいけど、この子はここしか行くところがないということで、他の子がおちて、障がいのある子が入っているというケースもある。まだまだいっぱい、他府県の色んな活動の様子を話して下さった。今日の非常識は明日の常識になるかも、とも。

 お叱りもうけた。普通学級に通って8年目。ここで、この教室で、この子の学習を保証してくれとはほとんど言えずに来た私がいる。言えば「それなら育成学級へ行け」と言われるのがイヤで言わなかった。そのことを告げると「あなたが遠慮して言わずにいると、次の人は言わないことがあたりまえになり、言えなくさせられるのよ」と言われた。またまたノックアウト。

 あれから10日が経ちました。あの日の感動とあの日もらった宿題を両手にかかえたまま、私はまだ立ちつくしています。それでも少しづつ私の中で何かが化学変化をおこしています。
 子どもの権利を守るため、少しあつかましく担任の先生にお願いすることが増えてきました。こんど、ちゃんと「高校行きたいから探して」って言います。
 北村先生、ありがとうございました。

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