京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2007年12月号 掲載)
「社会は急に優しくはならない、けれど」
−安積遊歩さん講演会より


京都府立大学福祉社会学部 中根成寿

ぐるっと一回り
 安積遊歩さんと言えば、私にとっては『生の技法』の著者の1人として記憶されている。『生の技法』は「家と施設を出て暮らす障害者の社会学」とサブタイトル書かれているとおり、「障害」の問題を社会学で考える(世間ではそれを障害学というらしい)人々ならばバイブルのような本である。
 実際、私も学生時代に何十回と読み直した。ボロボロになってしまったので2冊目も買うことになった数少ない本である。そんな『生の技法』の著者に会える!自立生活運動の生きた証人の話が聞ける! と、この講演会を私は楽しみにしていた。きっとパワーとバイタリティにあふれた人なんだろう、と勝手に想像していた。
 しかし、目の前に現れた遊歩さんは、「運動」とか「政治」とかをぐるっと一回り経験してきただろうに、身につけているたたずまいは「優しさ」そのものだった。その優しい語り口に、私はすっとひきこまれてしまった…

寛容さ
 バークレーでの遊歩さんの体験は、今の日本の社会が忘れかけている「寛容さ」の重要性を教えてくれた。ホームレス、障害者、移民、レズビアン、仕事や教育からあぶれた若者…社会のメインストリームから少しはずれれば、たちまち「排除」という罠が待っている。こんな不安定な経済状況にも関わらず、仕事を失っただけで、仕事に就けないだけで自信や誇りまで引っぺがされてしまう。挙げ句の果てには町を歩いただけで「不審者」扱いだ。
 そんな社会では自分のことを好きになれない人々がたくさんうまれてしまう。しかし、競争に勝ち抜くことで自分を好きになろうとするのは、自ら「罠」に足をつっこむような物だ。

ピアカウンセリング
 そこで登場する戦略が「ピアカウンセリング」だ。詳しい説明は『生の技法』の遊歩さんの文章を読んで頂くとして、そこで大切なのは「聴く」ということだ。ただ黙って聴く。相手の言葉を遮らない。分析も解説も答えも無理に提示しない。相手が自信を付けていけば、きっと適切な答えを自分で見つけていく…これが私のピアカウンセリングのイメージだ。 「黙って聞く」ならだれでもできる…と思ったら大間違い。本当の意味で人の話を、しかも相手が全身全霊をかけて話す言葉をただ黙って聞くのはとてつもなく難しい。
 特に「男性」や「専門職」はとかく人の話を聞かない(医者がこれの典型)。みなさんも見たことありませんか。男性が自分のことばっかり話す、会社の上司が自分のことばっかり話す風景を。一見会話をしているように見えて、実は自分のことしか話していなかったりする。ピアカウンセリングはこれとは対極にあるコミュニケーションの様式だ。
 私が「男性でもピアカウンセリングできますか?」と質問したのは、自分が人の話を聞くのが苦手だという自覚があるからだ。特に一番近くにいるパートナーの話を黙って聞けた試しがない。すぐに分析したり、回答を言ってしまう。そして「私は正論や結論を求めているわけではないのよ」とため息をつかれる。わかっちゃいるけど、なかなかできない。黙って聞くことが。

信頼がうむ力
 私が講演会の中で、一番驚いたのは、遊歩さんの家族のことだ。別にパートナーと歳が16も離れていることに驚いたわけではない。私が驚いたのは、パートナーのひでたけさんも、娘の宇宙(うみ)さんもお互いがお互いを尊重し合い、対等であろうとする意志を全身から発していたことだ。私は「パートナー間で、親子の間で、こんな空気が成立するのか!」という驚きでいっぱいだった。
 多少話が込み入って恐縮だが、近代における家族というのは、お互いの役割を果たすことでなりたつ。役割にはたいてい、上下関係があり(親と子など)、またその役割にはお互いの性差(ジェンダー)がべったりとこびりついているのが当たり前である(性別役割分業とかいうあれである)。そのべったりとこびりついた物は、頭でわかっていてもなかなか取り去れる物ではない。私はそれなりの数の障害者家族の親(父親、母親)と話すチャンスをもらったが、その中で見つけたことは、「障害者家族」は「性別役割分業」を強化する、ということだ。お父さんが一生懸命働いて、お母さんが子どもの世話に専念する。「普通」の家族でよくある風景が障害者家族ではよりいっそう強くあらわれる。こうしてお互いの役割を分け、効率的であろうとするが、「共感」や「思いやり」からは一歩遠のく。お互いの仕事に専念すれば「相手の話を聞いて共有する」「相手の仕事を尊敬する」という時間が減るからだ。
講演会が終わりに近づいた頃、遊歩さんと宇宙さんとの短いやりとりがあった。

遊歩さん「宇宙には限界がないでしょ。だから宇宙って名付けたんです」
宇宙さん「いろんな限界はあるよ(笑)」

 たぶん宇宙さんはなにげなく発した一言であっただろうけど、私の心はすっかりわしづかみである。たぶん、深読みしすぎなのだろうが、その短いやりとりで、遊歩さんと宇宙さんの関係が想像できるような気がしたのだ。
 遊歩さんと宇宙さん、そしてひでたけさんは、お互いを名前で呼ぶそうだ。それは「普通」の家族から見れば、「異質」に映るのかもしれない。ただ、子どもというのは、いやここは遊歩さんにならって、「若い人」という表現にしよう。若い人というのは、親がちゃんと大人として対等に接し、コミュニケーションをすれば、年齢には関係なく、大人として成熟できうるのだ。宇宙さんの出す雰囲気は、残念ながら(というべきでしょう)私が日々接している大学生よりも遙かに「大人の」それだった。周囲から尊敬を受け、大人として遇され、そしてなにより周りから愛されていることを信じられていれば、年齢とは関係なく、人は大人になれるのだと確信した。
 社会が急に、すべての人に優しくなることはないだろうけれど、でもみんな自分の近くにいる人には優しくできる。そうすれば、その人も世知辛い社会と向き合っていく力と自信を身につけるだろう。ピアカウンセリングとは、そんな「聴くことの力」を信じた手段なのだ。


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