京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2014年10月号 掲載)
フリーダちたるのイタリア・アルプス滞在記 その2
― 入学から現在まで ―

 
 帰国予定は11月でしたが、実は一ヶ月延長し、現在も娘はイタリア滞在中です。
その後の様子は、父親からの報告に頼るばかりですが、当初の心配はよそに、千福自身はイタリアでの暮らしを楽しんでいるようです。今までずっと一緒だった私としては、悔しいような寂しいような気持ちでいます(涙)。娘が元気なのはとてもありがたい事なのですが、離ればなれに暮らし始めて一ヶ月を超えるあたりから、私のほうが情緒不安定なのかちょっとした事で涙が出る始末です。
 
 今年の6月頃初めて、「この秋からイタリアに行き、しばらくお父さんと暮らし学校に通う。ママは日本に帰る」と、ゆっくり丁寧につとめて明るくお話しました。
娘はその時は即、「イヤ〜、ママがいいの〜」と、私にしがみついて泣いたのです。
思った以上に言葉での説明を理解し、想像できていました。出発までの間に少しずつ受け入れられるように、直接というよりはお医者さんや担任の先生との会話を聴かせるようにしていました。
 
 イタリアに到着した当初、「すぐにお家帰ろう、三人で帰ろう」と言い出しました。
今まで向こうにいて、帰ろうといった事は一度もなかったのです。今回は来た目的がいつもと違うとわかっての抵抗かもしれませんし、日本語でしゃべりたいのに、それが通じない事への抵抗かもしれません。今までも帰りたいと感じていたけれど、それを言葉で表現できなかったのかもしれません。学校が始まるまでに2回ほど、私が旅行に出て父親と二人で過ごし慣れてもらいました。母親はいなくなってもまた帰ってくるという体験を積む目的でもありました。言葉でも「小学校に行くよ。新しいお友達ができるよ」と話しました。その頃小学校でのミーティングがあり、教室を見せてもらい、支援員さんや先生に会って名前を覚えてもらい、そのおかげで入学の日は、校舎を見て、「学校!私の学校」といいながら走って行きました。
 
 イタリアには日本のような入学式はなく、その代わりに1年生と保護者、担当教員たちと給食室で、調理スタッフが作ったケーキで歓迎パーティーがありました。楽しいことだけなので初日は緊張もなく過ごせたのですが、翌日からは家に帰るとげっそりして無口で、私が主人と話しているとうるさいと言い、週後半には疲れも目立っていました。しかし、二週目の月曜日、登校しぶりがあるかと思いきや、起床してすぐ「今日は学校?イエーイ!」と言ってくれましたし、下校時には仲良くなったイスラム系の女の子と投げキッスしあって別れたようです。授業はともかく、子どもたちの中に行くのはやはり楽しいようです。支援員からの報告を聞くと、初日から名前を呼ばれて手を挙げて返事をしたり、支援員が書いた文字を見ながらアルファベットで名前を書いて、色をつけたのを机に貼ったり。手伝うことがないくらい一人でやっている、ということでした。一年生のリピートなので、最初は少し余裕があったようです。それを聞いて娘を残して出発する私はホッとしました。
 
 入学から10日ほどで、私ひとりで帰国したのですが、お別れの空港で泣いてしまう私に娘は「ママ、だいじょうぶよ。ワタシがんばる」と言って励ましてくれました。ビックリしましたが、この言葉で状況を良く理解している事がわかりました。
父親によると2ヶ月以上経った現在は、理解言語はどんどん増え、生活の中でイタリア語を拒否することはない。数は階段などイタリア語で数唱して登っている。支援員からは算数は他の子より良くできている。(他の子よりできているかは疑問ですしできていても一瞬だったでしょうが、10までの数は数字と量がつながり始めたところだったのでタイミングは良かったように思えます)。ただしドイツ語はダメ、授業が始まると机の下に潜り込んでしまうのだそうです。まあこれは、イタリア語だけでイッパイイッパイて感じでしょうから、しかたないですね。
 
 向こうの福祉サービスにつながるために、発達検査を受けたり、足底板のために整形外科を受診したりしたようです。医者たちからは、身体的にも発達良好で、普通でも大変な環境の変化にも精神的に落ち着いているのを見て、驚かれたそうです。しかし療育などをアドバイスがほしくて受診した小児科医には、「親の考えで子どもをあっちこっち連れ回すのは虐待!即通報する!」と凄まれたそうです。父親はほめてもらった時には鼻高々で、凄まれた先生に対しては「母親が決めた事なので」と返したらしいですが、この先生の指摘は私にはかなり痛かったです。夫婦で何度も話し合い、イタリアでの生活に慣れることは娘の将来にとって大切なライフラインと考えて結論を出した事ですが、やはり小さな子どもにものすごいストレスをかけているな、現在うまくいってるようでも、この事は忘れてはならないなと改めて心に刻みました。
 
 娘はスカイプで時々宿題ノートを見せてくれます。数字はすぐにイタリア語で読んでいましたが、国語ノートはみつばちやゾウの絵を見ながら「これはハチ、これはゾウさん」と教えてくれていました。それが最近では「APE」や「ELEANTE」と言うようになりました。イタリア語の獲得で心配な日本語ですが、スカイプで絵カードゲームを試みています。ひらがなもとりあえず身に付いているものを忘れる事はないようで、先日も「た・こ」と読んだので、裏返して蛸の絵を見せると「キモぉ~っ!」と言ってました。また、ゲームを「もっと(やりたい)」と言ってたのが、「ANCORA」と言うようになってきました。不思議なことに、千福は最近日本語の発音が良くなって、文章の精度も上がったように思います。これは言語聴覚士の先生から、「新しい環境は少し疲れるものの、集中度も上がり、運動量が多くなっている事とあいまって、お母さんのことばに対しても感度が上がり発音やことばの伸びになっているのでは」と分析していただきました。「お父さんに、食事のしつけ(口をきちんと閉じて食べる事、フォークをガチャガチャいわさず使う事)を加えて頂けるならば、発音と書字が上達すると思います」と言う事なので、お父さんには頑張ってもらっています(笑)。
 
 顔の見えるスカイプでは会話が成立するものの、電話の声だけでは、少し話すとすぐにバイバイというようになってしまいました。また初めの頃はママのところ「行く」と言ってましたが、その後「ママいつ来るの?」と言うようになり、母は悪い予感と不安を感じております。向こうの学校へ行くのは、結果的にハードルを下げる事になりましたが、こちらに戻るのは1年生から2年生の後半へのジャンプになるわけですから、帰ってきてから日本の小学校生活への復帰をスムーズに受け入れてくれるか、心配です。日本では、現在地域校の普通級在籍です。来春の3年生以降,普通級にするか支援級にするか、また、来年以降もこうして日本とイタリアの二重の学校生活を送らせるのか、夫婦でいろいろと考えていたことがあるのですが、それよりもまず帰国した娘を見てから考えようと、校長先生とはお話ししています。
 
 とはいえ、こうしてイタリアとの二重生活を始めさせてしまったので、将来はもしかしたら娘が父親の国を選ぶかもしれない。その時は、その事実を私がしっかり受け止めなければならないと思っています。
 

小学二年生 8歳 赤松 フリーダ千福(ちたる)
母 玉女



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