京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2014年12月号 掲載)
みんなのしごとば紹介 パート27
私の仕事場

島嵜実幸

 私は京都市役所前にあるホテル本能寺で働いています。新しい職場であるホテル本能寺に行き始めました。働き始めたのが、5月16日(金)から就職しました。今、一緒に働いてるメンバーは、岩岸さんや久保村さんや片山さんや芹川さんや山本さんやベトナムからの留学生達と一緒に働いています。私が今やっている仕事は、修学旅行生達が朝ごはんを食べ終った食器を洗います。この仕事は朝8時からの仕事です。遅く終る時は1時か2時くらいになる時もあります。一般の方も泊まります。11月16日で6ヵ月になります。11月11日(火)に契約書を貰い紙を見たら時間給が上がりました。800円から820円になったので、自分でもビックリしました。母と2人で驚きました。
 
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島崎明子

 高校を卒業して「かしの木学園就労移行班」入所後、2年と45日で一般就労が決まりました。いくつか別の会社の面接、実習で不合格を経たあとのことでした。
 
 本能寺会館側から「職場でのいじめはありません」「こちら側から、やめて下さいということはありません」と言って頂きました。時給800円、平均労働時間8時から12時の4時間。交通費1日520円支給。(療育手帳を持っているので、本当はタダで行けます)。仕事のあと、食堂でまかないのお昼ごはんを頂いて帰宅、とのこと。
 
 朝早い仕事であることと、食器洗いという仕事内容。この2つは三和分校家政科に通ったおかげで、本人も「大丈夫、やってみたい」と言えるものでした。私としては「4時間かあ〜、も少し働きたいかなあ‥」と思ったのですが、本人がやりたいと言い切ったので決まりました。面接もなし。推せんだけで決まりました。  仕事量は色々で11時までに終ってしまう時もあれば、2時近くまでかかる時もあり、それが済んでから昼食頂いて帰ってきます。朝ごはんが6時半ごろなので、1時を過ぎてからの昼食は、きっと随分、おなかがすいてるやろな〜と思います。おかわりOKなので、カレーや唐揚げなど、好きなものは食べすぎてるかも‥。
 
 一緒に働いているのは80代と60代の女性、70代の男性、30代の主婦、30代のお姉さん、そしてベトナムからの留学生。みゆきも加えた7人の内から、お客さんの数により3人から5人が仕事に入ります。みゆきだけ、土、日、祝の休みが決まっています。半月ごとのシフト表が少し前に渡されます。  仕事を始めてしばらくは「かしの木」の職員さんが一緒につきそって下さったし、そのあとも随分長い間、仕事終りに待っていて、「大丈夫か、何か困ったことないか」と話をきいて下さいました。ありがたかったです。
 
 ちょっとしたハプニングはあったものの、いいことずくめの仕事内容、うたぐり深い母は、「話がうますぎる、きっと何かあるハズ‥」とずーっと思っていました。
 
 ありました。7月になると修学旅行生は来なくなり、突然、空欄だらけのシフト表をもらって来たのです。祇園祭りの週は山鉾巡行の17日だけが仕事で、週休6日でした。おかげでみゆきは仕事終りに、生まれてはじめて動く鉾を見て感動したのですが‥。「そんなアホな! そんな話、聞いてへん!」「かしの木」の職員さんもびっくり。怒った母は職安に問いあわせてみたり、色々やってみたのですが、よくよく契約書を見れば、そう言えば、それらしいことは書かれていました。「そーなんや、どーしよ」。でも、どうもならなくてあきらめるしかありませんでした。そのあとも、9月になって忙しくなるまで、週休3日か4日なんてのが続きました。今は忙しいけれど、12月、1月、2月はまた暇になるとのこと。余暇の充実が今後の課題です。何かアイデアがあれば教えてください。
 
 私は「かしの木学園就労移行班」に入るときも、入ってからも、「一般就労」を期待してはいませんでした。みゆきのレベルでは、かなり無理をしないと叶わないと思っていたし、佐々木さんの「無理させんときや〜」の声が、いつも頭の中で響いていました。でも、法定障害者雇用率が1.6%から2%に上がったり、国の方針が変って、も少し沢山の障がい者に一般就労してもらいたいとなった、ちょうどその時に居合わせたのだと思います。給料明細を見て「すごい!」と喜んでいますが、通帳振込なので、数字だけです。直接手渡しでもらっていた「かしの木」のお給料がなつかしいようでもあります。
 

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