京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2015年12月号 掲載)
トラフェスが終わって

近藤雅子

 トラフェスの前日、作っていた映像のDVDをすべて紛失してしまったというアクシデントもあり、布団に入って寝られないくらいいろいろとやることが残っていました。準備の段階から、私の得意分野のこと(パソコンを使ったことなど)、できることは全部やろうと決めていました。きっとスタッフのみんながそういう気持ちで取り組んでいたと思います。
 
 素人の作業では難しいこともありました。あーでもない、こーでもないとみんなの意見がありすぎて、なかなかまとまらなかったり、決まったことが白紙に戻りかかったり、迷走、逆走の繰り返し。それはいかにも、人の気持ちの寄りそうトライアングルらしい。けれど「成功するかな?」という不安はありませんでした。きっと楽しいに違いない。お祭りなんだもの。トライアングルが30年間続いてきたご褒美のフェスティバルなんだもの、と思っていました。
 
 当日、私は舞台横の音響などの機械を操作するPAさんの補助をしていました。リハーサルでは会場内によく聞こえていた全館マイクが、いざ本番が始まるとあまりの人の多さで、ボリュームをいっぱいに上げても会場後ろの方に音声が届かないというのが一番のトラブルでした。ステージの方へ進めず、講演やステージ発表が聞こえない見られない方がおられたのが申しわけなかったです。
 
 また、フィナーレの「みんなで踊ろう♪」のコーナーで“おやおやバンド”として演奏させてもらいました。FDFダンスチームや会場と一体になれるようにと練習をつんできましたが、本番ではあまりにも会場がワッサワッサしていたので、どんなできばえだったのかわかりません。自分がものすごく楽しめたのが大成功と思っています。盛り上がってくださったみなさま、本当にありがとうございました。
 演奏の後、ダンスをしてくれた有香ちゃんに「ちょっと出だしが早くなってゴメンね」と言ったら、「そんなこともあるよ、ドンマイ」となぐさめてくれました。おー、ふところが大きい。やっぱり子どもたちが主役なんだなと、あらためて思いました。
 
 トラフェスが終わって、「トラフェスが始まるのに準備ができていない」という夢を3回も見ました。目覚めて「もう終わったんや」と思ってほっとする。なんなんでしょうか。
 

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