京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(1998年12月号 掲載)
人権学習が終わって

木村純子   

 真理子が中学(普通学級)に通いはじめてはやいもので7ケ月が過ぎました。最近はいっちょ前にルーズソックスをはいて、リップクリームをポケットに忍ばせたりなんかして、今時の女子中学生をしております。が、相変わらずキティちゃんのお弁当袋をうれしそうに持って通学しています。

 先日、担任の先生から「今度、人権学習があるのですが、今年は『身の回りにある差別』に焦点をあて学習します。5組には まりちゃんが居るんだし、まりちゃんの話しをしようと思うのですが・・・」という電話がありました。

 小学校の時も毎年、人権学習はありましたが、ビデオを観て感想文を書いて、それで終わりという内容の薄いものではなかったかと記憶しています。今回、具体的に真理子の事で話しをして下さるというのは、はじめてでした。今の中学生が真理子について、いったいどのように思っているのか知りたかったし、又、非常に興味もありました。ほんのちょっぴり不安もありましたが・・・。

 人権学習の内容は、中学入学時から先生と相談してはじめた真理子が書く絵日記(もうすぐ6冊目になります)を一枚のプリントにまとめて下さり、それを見て成長の過程を話し合ったり、入学してからできる様になった事などの意見を出し合ったりしたそうです。この時の真理子の様子は、“木村サン”という度にはずかしそうに下を向いていたようです。

 そして、人権学習が終わった次の日に、学級通信を持って帰ってきました。−−−

「障害者が不幸なのではなく、障害者の生きられない社会が不幸だという言葉に感動し納得した」

「木村さんのコトも、はじめはかわいそうとか思っていたけど、友達に囲まれて毎日楽しく暮らしているので、本当はみんなより幸せなんじゃないかなぁと思った」

「ぼくは障害をもっている人がこのクラスにいて、すごくよかったと思う。その人がいるだけで、いろいろなことがまなべるからである」

「個性のちがいや外見のちがいがあるように、障害もみんなとちがう1つだ。でも、それをひやかしたり、偏見したりしてしまう。だけど、“心”はある。みんなあるんだから、ちがってたっていいと思う」

「木村さんがいるおかげで、ほかのクラスにないことを学べました」

「どんなに大きなハンデがあろうと、その人といっしょにいてこそ、その人の本当の心の中がみえてくるとしった」

「この人権学習を通して分かったことは、まず、障害者の人たちはぼく達が考えている以上に努力しているということです。今日の学習で木村さんが今まで絵日記を書いていることをしった。木村さんの絵日記をみて、本当に上達していることが分かったし、かんしんした。障害者の人たちはぼくたちがやっていることをできないこともあるけど、その分、ぼくたちが知らないこともいろいろ知っていると思う」

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 私はこの学級通信をハンカチなしでは読めませんでした。みんなの素直な気持ちや人を思いやる心が伝わってきて、ものすごく感動しました。5組のみんなに勇気と元気をもらったような気がします。
 この学級通信は私の宝物になりました。

 あっ、それと、この日の真理子の日記ですが・・・。

『木村さん いやだ まりちゃんて呼んでほしい
        お願いします アイーン!!』
 でした。

PS
 この原稿を書き終えようとした時に学級通信bQを持って帰ってきました。また、また感動でした。

「入学した時、まさかまりちゃんと同じクラスになるとは思いませんでした。でも、今ではまりちゃんともしゃべるようになりました。だから、障害を持った人には時間をかけて接していこうと思う」

「特別扱いしないで、普通にしていればいい。友だちとしてしゃべっていれば、私にも感情を出してくれるとおもう。だから、クラスの特別な人ではなく、クラスメートの1人と考え接していこうとおもう」

などなどでした。

〜大人になってもこの気持ち、忘れないでほしいなぁ〜


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