京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(1999年12月号 掲載)

「サラマンカ声明」報告

島崎明子   

 11月7日(日)「ウィングス京都」で、ユネスコが1994年にスペインのサラマンカで出した「特別なニーズ教育に関する世界会議」についてのお話を東京から来てくださった中野善達先生からきいた。時代と共に、障害を持つ人たちの教育を受ける権利がどのようにして獲得、保障されていったかというお話から始まり、サラマンカ声明の内容へと入っていった。この講演を聞いて一番思ったことは、「やっぱりや! 世界の流れははっきり統合教育へむかっているんやんか! 日本が特別遅れているんや・・・」というものでした。


 左側の1.ではなく、右側の2.の見方で「学習上のつまずき」をとらえれば、全ての子どもが差別なく教育を受けることができる。そして、そういうことがインクルージョンということなのだと話されました。だって、その通りやんか。今の学校のカリキュラムに山ほど問題あるもんなァ。「どの子も学校の学習でつまずくことがある」という一文に強く強く共感しました。(うちなんか、みゆきより、姉娘の方が心配な時がいっぱいあるんです。)

 インクルージョンとは、「万民の為の教育」、「万民の為の学校」ということであり、誰も排除されないということが前提になってきます。そして、そこでは即ち統合教育(インテグレーション)ということが当然、行われるべきこととして存在しています。もし、仮に分離教育が行われるとしても、それは余程例外的なものであり、その場合にも完全な分離ではなく、常に統合ということを視野に入れるべきだと話されました。そして、そのためには、「特別な教育的ニーズのある子ども」に対する個々のちゃんとした対応が必要になってくるのだというお話でした。

 「特別な教育的ニーズのある子ども」とは、障害者や英才児、ストリートチルドレンや労働している子ども達、人里離れた地域の子ども達や遊牧民の子どもたち、他の恵まれない、もしくは辺境で生活している子どもたちも含まれると書かれていました。日本で考えれば、不登校の子も、いじめられている子も、いじめている子も、勉強についていけない子も、様々な差別を受けている子も、みんなその中に含まれるのだなと思いました。つまり、決められたカリキュラムに子どもをあわせるのではなく、個々の子どもたちのニーズに応じたやり方で学習が進められなければならないと書かれていました。とても大変なことだけど、そうなったら「学校」が変わるなぁ、日本という国自体が変わるなぁと思いました。でも、そういう方向へむかわない限り、つめこみのおしつけの管理教育の結果生じた今の学校のかかえている様々な問題は、決して解決の方向へむかわないだろうとも思えました。

 そして、私たちはダウン症の子の親だけれど「ダウン症」のことだけ考えてたらあかん、「特別な教育的ニーズのある子」とその親全部と手をつないでいく必要があるのだなと教えられたお話でもありました。'98年6月に、国連はひどく遅れている日本政府の対応に対して、ちゃんとインクルージョンするようにという勧告を出したという話には、拍手かっさい。「がんばって外圧をかけてな! 私たちもガンバルし・・」と思いました。

 うちの娘は1年生になりました。「学校つかれた」と毎日言いますが、元気に通っています。担任以外の先生もよく面倒をみてくださっています。「みんなと一緒がいい」と選んだ普通学級で、周りの子どもたちからも沢山沢山のことを学んでいます。でも、みんなと一緒にいさえすればいい、というのではなく、この子に合った勉強もさせてもらいたいというのが今の私の願いです。そして、そんなふうに高望みすることも間違っている訳じゃないとはげまして頂いたような、そんなこの日のお話でした。

 中野先生が帰られてから、参加者の話し合いがありました。人数は多くはなかったけれど、元気なステキな参加者が沢山いらしていて、これがまた、とても楽しいものでした。中に1人、5年生の不登校の子を持つお母さんが楽しくて、「うちの子、面白いのよ! 答案用紙をシュレッダーにかけちゃうの!」だって。「不登校の子の親は暗い」って勝手に決めていた私の偏見を、みごとにつき崩されたのは心地よいことでした。学校や成績や、そんなものをものさしにしないで、あるがままの我が子を丸ごと受けとめると、きっとあんなふうに明るくいられるのだな・・・と、改めて教えてもらった一日でもありました。



会報No.85のindexへもどる
会報バックナンバーのindexへもどる
三角データベースのindexへもどる

homeへもどる