島崎明子 「ひなたぼっこ」の時には、「学校教育法施行令等の改悪反対署名」にご協力頂き、ありがとうございました。 全国で16万人にのぼる署名が集まり、各地での集会、抗議、又、文部科学省との話しあいなどもなされ、文部科学省は当初の改定案を大きく後退せざるを得なくなりました。しかし、だからといって、文部科学省が私たちの思いを受けとめたわけではありません。「分ける」という基本姿勢は変わってはいません。 そして、昨年末12月27日に突然、文部科学省は、「学校教育法施行令の一部を改正する政令案について(意見募集)パブリックコメントを実施する」と発表しました。それも1月16日必着というもので、年末年始の、正月をはさんだ20日間に一般から意見を聞くというのですが、どう考えても、この時期に、こんなに短期間しか実施しないというのは、本当に意見を聞きたいのではなく、形式的に段取りを踏んだ、学校教育法施行令改定の前提を作ったということです。 トライアングル事務局からは高平と島崎が意見を提出しましたが、何人かの会員さんから「私も意見を出す」という声を聞きました。これからも文部科学省の動きを注視し、「ひなたぼっこ」の世界が誰の前にもあたりまえにひろがってゆくための道探しを続けてゆきたいと思っています。 |
京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル) 島崎明子 「学校教育法施行令の一部を改正する改令案」に対する意見を述べます。 21世紀が始まったのに、日本はまだ、エレベーターやスロープやコンピューター等が整備されていいるという「特別な場合」だけしか「共に学ぶ」ということを認めようとしないのですか。世界の流れは、はっきりと統合教育に向かっているのに、先進国のはずの日本が、いつまで「分けて教える」ことに固執するのですか。1994年にユネスコが出した「サマランカ声明」には、はっきりと統合教育をしなさいと示されているではありませんか。「混ぜて教える」より「分けて教える」方が教師にとって楽だろう事は容易に想像できますが「交じり合って育つ」中でしか、お互いを理解しあうことはできません。そして、その中で特別な配慮の必要な子にはその子にあったやり方で学習が進めなければ、今の学校の抱えている問題は解決の方向へは向かいません。障害を持つ子だけでなく、不登校の子も勉強のついてゆけない子も、いじめっ子も。 障害を持つ子の親の多くは「みんなの中で育てたい」でも「この子に合った学習もさせたい」この2つの思いの中で苦しみ、両方を願うことがあつかましい、ぜいたくなことだと思わされてきました。21世紀はそのことがあたりまえのことになるような改定をしてください。 就学指導委員会等については「専門的知識を有する者の意見を聴く」という文章を加えるとのことですが、それより尊重されるべきは「本人及び親」の意見であり、就学先の決定権は「本人及び親」にあることを明記してください。 |
京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル) 事務局 高平恵子 私の娘は現在、京都府立朱雀高校の通信制へ通っています。16歳です。そしてダウン症でもあります。 保育園から、健常児と交じって生活し、小、中学校も地域の普通学級へ通い続けました。兄も弟もいますので、ぜひとも同じ学校へ通わせてやりたいというのが、親の希望でした。そして、地域の方々の一人でも多くの方に、この子の事を知ってもらいたいという気持ちでした。そのほうが、ずっとこの地で暮らしていくに当たって、本人の為にプラスになると考えました。 そして、今思うに、それは正解でした。 本当に広い範囲で、娘の事を知っていただき、暖かく見守って下さいました。それは、何より私達の心の支えになりました。 同級生の子ども達は、学校がバラバラになった今も、時々我が家へ寄ってくれます。子ども達にとって、うちの娘は特別な存在ではありません。ただのクラスメートです。うちの娘の事を「障害児ではない!」と言いきった子もいます。 そんな風に、一緒に育つにはやはり同じ教室で、共に過ごす事が何より大切だったと痛感しています。壁を作ってしまってるのは、大人です。 世の中には、いろんな人間がいるんだという事を、子どもの頃から身をもって体験することが、一番自然な道徳教育だと思います。分けてしまったのでは、その場をなくしてしまいます。大人になって、急に理解しようと思ってもなかなか受け入れられないのは、今の日本の社会を見ればおわかりかと思います。 拙い文章しか書けませんが、少しは私の思いは伝わったでしょうか。 子ども達の価値を、目に見える事だけで決めて、そして分けてしまうような事は、もういい加減止めてもらえませんでしょうか。 |