京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2003年2月号 掲載)

子どもへの暴力防止プログラム
CAP大人ワークショップのテープおこし

2002年11月10日実施

※ワークショップでのロールプレイの掲載は、知的所有権の侵害にあたるので、ここでは省いています。

島崎   おはようございます。今日は大阪からアムネスティ・インターナショナル・156グループ『ぼうしの会』の西川日奈子さん、杉田絹子さん、南部裕子さんにお越し頂きました。今からCAPのワークショップを始めたいと思います。

 ちょっとだけ言わせていただくと、私は一昨年、自分の子どもの小学校のP.T.AがCAPをしてくれまして、それは親だけのCAPだったのですがすごくよくて、その時2つ思ったのは、1つはトライアングルの人たちに絶対聞いてもらいたいということ、もう1つは子ども達にじかに届けたい。幸い、うちの小学校は今月14日に親のワークショップをしまして、20日に子どものワークショップを授業の中に組み込んでくれるというので、うちの子どもは一応、そこで受けることになりました。

 この前の電話で、自分たちの子どもが危ない思いをしているかと聞かれたのですが、私自身はあまり実感していないんです。何故かなーと思った時に、まだまだ子どもを離していないですよね。どこかへ出かける時は一緒だったり。4年生の娘で言うと、登校は一緒で、下校だけがたまたまお友達がいなければ一人で帰ってくる。あと、そんなに一人で買い物にもようやらせられないです。でも、これからのことを考えると、やっぱり子ども一人で出かけて行ったりということも増えてくるだろうと思うので、話を聞いていろいろ勉強させていただきたいと思います。よろしくお願いします。


西川さん(ひなちゃん)   おはようございます。今日は行楽日和の大事な日曜日をCAPの為に時間をとっていただいてありがとうございます。半年以上前から島崎さんから電話をいただいていて、すごく深くとらえていただいてました。キャッチして呼んでいただいてという手続きを考えた時に、そのプロセスも私たちがやっているCAPという運動の一部なんだとしみじみ感じています。なぜ私に声をかけていただいたかというと、私は大阪のアムネスティ・インターナショナルの中で『ぼうしの会』というグループをみんなと一緒にやっているのですが、私自身が今、作業所を運営していることと、学生時代からいろんなキャンプボランティアに行っていたり、療育センターでセラピーをしていたりと、障害児と言われる人たちとのお付き合いが長いということ。それと、すごく懐かしいのは、トライアングルさんのような会をしていたことがあって、障害のある子どもも、ない子どもも、共に育つ親の会を10年ほどやっていたことがあって、いろんなことを学びましたし、しんどい思いもいっぱいしました。そこが根っこになって、今、CAPをするようになってからもいろんな「出会いなおし」があっちこっちであります。そういうことも含めて考えていただいたのだと思っています。今日は信頼できる仲間を連れてきました。CAPのワークはいつも3人で動いていますが、たまたま今日は私が中心になってしゃべります。西川日奈子こと「ひなちゃん」です。

南部ひろ子こと「なんぶちゃん」と今日は呼んで下さい。
杉田絹子といいます。「きぬちゃん」と呼んで下さい。

ひなちゃん   この3人でいいダシが出ればいいなーと思っています。
 「障害児へのCAP」という特別なものは、ニーズはどの地域でもあるらしいのですが、今のところマニュアル化されていません。今日は、このCAPの内容を知っていただくのが1つの目的で、だいたいわかっていただいた中で、いろんな話ができればいいなーと思っています。

 『CAP』と大文字で書きますが、「C」はChild(子ども)、「A」はAssault(暴力)、「P」はPrevention(防止)という意味です。子どもたちがあらゆる暴力から自分を守るための人権教育プログラムなんですね。CAPの歴史についてはレジュメを見てください。1978年にアメリカで起こった「小学2年の女の子が登校途中にレイプされる」という事件がきっかけになっています。事件があるたびに、保護者は危機感をつのらせ、教育現場も大変になり、子どもを守ろうとするのですが、守れば守るほど子どもたちは怖くなってくるんですね。自分たちは守られていなかったらすごく不安で、一人ではどこへも行けなくなったり、赤ちゃん返りを起こしたり。そういうことが起こっている中で、子ども達に幸せに生きてほしい、人を信じていいんだよというメッセージを出そうじゃないかという時に、小学校の先生がレイプ救護センターで受けた護身術を思い出されて、この護身術がもとになってCAPプログラムが出来ました。もしも怖い目にあいそうになったら出来ることがあるよという出来ることを教えることで子どもたちは初めて安心したんですね。こうして逃げたらいいんや、こうやって叫んだらいいんやということを大人たちが教えてくれたということで、やっと子どもが落ち着いたという経過からずっと続いています。

 日本には1995年に初めてスペシャリストの養成講座が出来ました。森田ゆりさんという人が日本に伝えてくれまして、私は1期生です。今では日本全国に100グループ以上登録していますので、(CAPのワークショップについては)NPOの『CAPセンタージャパン』というところへ問合せてみて下さい。

 CAPがどういう考え方で出来ているかということですが、まず「暴力」ってなんやろう。高学年の子どもたちには「暴力ってなんやろう」という話をするのですが、「暴力」って何だろうということを学校でもきちんと教えてもらってないし、大人も平たい言葉で話し合ってきてはいないんですね。ではここで、ちょっとやりとりしてみたいと思います。

「暴力についてのワーク」(掲載せず)

 「虐待」も家庭の中だけではなく、施設だとか子どもが守られるべき場で守られるべき人からいろんな暴力を加えられることをいいます。

 「虐待」には4種類あって、身体的虐待、心理的虐待、性虐待、それからネグレクト(放ったらかし)。この4種類にきっちり分けられるかというと、かぶっている場合が多いので分類は難しいです。子どもへの身体的虐待は、あざになっていたり、こぶが出来ていたりしますから、わりと発見されやすいです。心理的な虐待はどんなのかと言うと、親からずっとけなされ続けたり、無視され続けたり、子どもにとってきついですよね。何人か兄弟がいて一人だけがターゲットになる場合もあります。どのようにけなされるかと言うと、「あんたのこと嫌いや」と言うこともあるけれど、「あんたがおるから離婚でけへんねん」と言われていることは結構多いですね。「あんたを生まんといたらよかった」などとね。ずーっと言われ続けてるという子ども達に出会ってきています。それも子どもが言わない限り心理的虐待だとわかりにくいです。性虐待も子どもが言わない限りわかりません。発見されるのは氷山の一角だと言われています。

 ネグレクト(放ったらかし)というのは、世話が出来るのにしない、パチンコに子どもを連れて来て車に閉じ込めたりするのもネグレクトの1つです。こうして虐待をざっと見ていくと、社会は母親に責任をかぶせてくるので、いろんな問題が起こってきています。

 子ども達には「国と国のすごい大きな暴力って何?」といえば、「戦争」と、本当に小さな子どもでも戦争は暴力だとわかっているんですよね。また、新しい戦争を大人たちはやろうとしています。暴力の問題ってすごく深くて、すごくつながっているんですよね。

 自分に向けてしまう暴力もありますね。自傷行為。リストカットを続けていたり、自分で死んでしまったり。薬物や過度のアルコール、煙草も自分の心と身体を傷つけています。過度のダイエットも自分をコントロールがきかない状態においこんでいきます。

 いろんな暴力にもすべて背景があり、プロセスがあったり、状況があります。もうここへ行くしかなかったんだというような理由がありますが、すべて心と身体を深く傷つけているものなんやということを知ってもらう、そういう言葉で子ども達と話しています。暴力を受けると、私たちは身体も痛いけれど、心もいっぱい動く、いろんな気持ちになるよ、そういうことを伝えたいなと思っています。

 CAPは、なんで子どもが暴力の被害にあうんだろうか、被害にあう側から暴力を見つめなおして作られたプログラムなんです。子どもが暴力の被害にあいやすい要点を3つ分析しています。まず1つは、「子どもが社会的な力をもたされていない」。子どもは弱いと頭から信じている大人社会があるのですが、子どもが弱いのではなくて、子どもが力をもたされていない存在なんですね。よく障害者は弱い、女は弱いとかいうふうに、弱い立場に作られたりしますが、その一人一人が弱いわけじゃなくて、弱い立場においやられている側なんですね。子ども達は自分が力を持たされていないのをよく知っていて、自分は無力な存在だと感じています。私たちは、「そうじゃなくて、みんなもすっごい素晴らしい力を持っているよ」というメッセージを子どもたちに伝えるんです。その素晴らしい力って何かというと“権利”です。みんな権利を持って生まれてきているよということで、権利意識をCAPの理念の中心にすえています。

 2つ目ですが、子どもって、「どんなものが暴力か知らされていない」んです。自分の身に受けているものが暴力なのかどうかという知識がありません。知識がなかったら対処できませんよね。私たちは、「こういうものが暴力だよ」っていろいろ劇を見せて子ども達と話し合います。「そんな時どうしたらいい? どうやったらこの暴力を受けている状況から助かるかな?」ということを練習するんです。「こうやって逃げれるよ、こうやって権利を守れるよ」って具体的にやっていきます。それが2点目です。

 3つ目は、子どもが暴力を受けた時に、「自分が悪い」と思うんですね。自分が弱いから、自分が小っちゃいから、自分がはきはき言わないから。何かその子のせいにされていく。どんどん孤立させられていきます。「孤立というものが非常に暴力を生みやすい理由」になっています。私たちは、「どんな子どもでも暴力を受けていい子どもなど、この世に一人もいないよ」というメッセージを出します。子どもたちは助け合える存在なので、いつも劇の中で、子ども達は友だちを助ける役で出てもらいます。みんなは、ちょっと側にいるだけで友だちの権利を守る手伝いが出来るよって、そういうものにつないでいきます。あなたが悪いんじゃない、暴力を受ける側の子にはいっさい落ち度はありませんっていうことを何回も何回も繰り返しメッセージします。

 この3つをカバーすることで、CAPというのは非常に新しいアプローチです。何故なら、私たちは何か事件があるたびに禁止教育をしてきたんですね。「○○したらあかんで」「どこどこ行ったら危ないで」「何時までに帰ってきなさいや」って、あーしたらダメ、こうしたらダメということで子どもたちを守ってきたんです。しかし、それでも暴力は起こってしまう時に、「言いつけを守らなかった自分が悪かったんや」という責めをどこかで作ってしまって、「お母さんの言うことを聞かへんかったから殴られてもしょうがなかったんや」と自分で自分を責めてしまうという事をやってしまう。もちろん、やったらダメなことはちゃんと教えたらいいのですが、それだけじゃなくて、「でも、あなたはこういうことが出来る力があるよ」ということを教えるのがCAPプログラムです。

 それからもう1つ、子ども達の暴力の背景には、「大人の対応の問題がある」と私は思っています。大人が暴力について知らないということ。例えば、性被害があったときに、“いたずら”という形で伝えられたりしますよね。あれは暴力なんだ、犯罪なんだという視点が伏せられていたんです。このごろは、声を上げ出してきたので、「痴漢は犯罪です」というポスターが貼ってあったりしますので、ちょっと認識が変わってきたかなーと思っています。

 それから深刻なことは、大人が子どもに沈黙を強いるんです。加害者が子どもに対して「絶対に誰にも言ったらあかん。内緒にしとこな」って言うことがあります。被害を受けた側の親が子どもに沈黙を強いることもあります。恥ずかしいから黙っていようとか、この子のために忘れてあげようとか。小さければ小さい程、子どもが小さいからすぐ忘れると思って、触れないようにしてフタをしてしまいます。それは、どんどんどんどん子どもの心の傷を膨らませていったり、閉じ込めてしまって、しんどい思いをさせます。周りの大人がどう対応したらいいかということを知らないために、子どもがまた次の被害を受けてしまうこともあるので、そこも1つの暴力の背景かなと思って、このワークショップを大事にしています。

 ちょっと補足しておきたいことは、“権利”についてですけれども、「私たちは子ども達に権利を教えるんです」と言ったら、CAPを始め出した頃は、「えっー」という顔をされることが多かったんです。「子どもに権利なんか教えたら我がままになるでしょう」って。「学校で人権、人権と言い出して、学校がめちゃくちゃになってきたんです」という先生方も多かったです。「権利を教えるなら、きちんと義務を果たすことを学ばせてから教えてください」と言われました。

 “権利”には2種類あるんですね。義務やルール、責任、こういうものがある権利もあります。でも、“私たちが人間として権利を持って生まれてきている”という権利は、生存する為の権利。基本的人権と呼ばれているこの権利には、義務やルールや責任はいっさいありません。「みんな生まれた時から持ってるんやで」「これは誰かに取られたり奪われたりしたら生きて行かれへん、それくらい大事なものなんやで」という風にこの権利のことを伝えています。その中で特別に大切な3つの権利を“安心”“自信”“自由”としています。これはCAPの理念を表わす言葉です。

 暴力にあった時というのは、不安や恐怖を感じます。そんな時に、すぐに泣けたり、誰かに言ったりできたら治っていくんですが、それを引きずったり、その時間があまりに長かったり深かったりすると、それは、「無力感」へとつながっていきます。自分ってダメやなーと感じたり、恥ずかしくなったり、自分のことが嫌いになったり、なさけなくなったりします。この無力感を放っておくと、「選択肢がない状況」を作ります。自分で選んだり決めたりできない、何をどうしたらいいかわからなくなるんです。自分が助かるとか、自分が逃げられるとか、そういうことがイメージできない状況を引き起こしていまうんです。

 いろいろな例があります。例えば、新潟でずっと閉じ込められていた女の子は、まったく健康な子どもだったですよね。考える力も逃げる力も持ってたんだけれど、あまりの不安や恐怖や暴力が続いていたために、わずか半径数センチの所から動けなかったですよね。私たちは、「逃げたらよかったのに、犯人のいない日もあっただろうに、階下にはおばちゃんもいただろうに」と思ってしまうけれど、でも彼女はそうしなかった。そういう事は思いつかないくらいの深い暴力被害にあっていたということです。誰でもそうなのです。DVで被害に合っている妻は、3つしか選択肢がないと思うそうです。1つは夫を殺す。1つは自分が死ぬ。もう1つはこのままの状態を続ける。その3つ以外は思い浮かばないそうです。そういう状況を引き起こしてしまうのが暴力です。

 そして暴力は子ども達から、人を信じていいんだ、自分は喜んで生きていいんだという力を奪ってしまいます。どの子も“安心”して生きていく権利を持っているよーこれは「不安・恐怖」を打ち消しています。みんな、“I am OK”って“自信”を持って生きていっていい権利があるよーこれは「無力感」を打ち消しています。そして、自分でどうしたいか選んでいい“自由”−これは「選択肢がない」を打ち消しています。これが3つの特別な権利。この“安心、自信、自由”がすごく大事なキーワードです。こういう風に考えたら権利ってわかりやすいなって、私たちは思っています。

 もう1つの概念は、“エンパワメント”というものです。エンパワメントとは、「もともと持っている力を引き出していく」ということです。
 わかりやすく絵を描きますね。こんな風に暗くて深い穴に子どもが落ちた、それが暴力にあった状態だと想像してみてください。自分一人で上がれない、地上に上がってくるには何か必要ですよね。何があったら出られる?
「ハシゴ」
それから?
「ロープ」
それから懐中電灯とかね。いっぱい人も呼んできて、助けてあげる。こういうふうに助かる方法があるんです。その助かる方法の1つが、「イヤ」って言っていいことだと私達は教えます。「イヤ」は自分を守るのにすごく大事な言葉です。幼稚園児のお母さん達は、「イヤ」ということを教えていいんですか? と不安になる人もいるんですね。何でもイヤって言い出したらどうしようって。でも、これは命がかかっている時の「イヤ」だということは子どもはよく理解してくれます。

 子ども達が「イヤ」と言っていいんだよって教えられることは少ないですね。「イヤ」と言っていいって知らなかったという子もいます。とにかく、自分はいやなんだと感じたら、「イヤ」とことわる。就学前の子どもの前で、年上の子どもにスコップを毎回取り上げられるという劇をするんですけど、なかなか「イヤ」という言葉が出てこなかったです。「貸してあげる」「新しいのを買ってもらう」とか言います。「貸してあげなさい」「イヤって言いなさんな」ということが身についているんです。でも「貸してあげたいの?」と聞くと「ううん」、「かなしくないの?」「かなしい」って。かなしい時は、イヤってことわってもいいよと教えます。でも「イヤと言いなさい」とは言いません。そう言うと、「イヤと言えない自分が悪い」と無力感に結びつきます。

 次に、「逃げてもいいよ」って言います。その場でなぐられ続けなくても、逃げてもいいんです。逃げる、その場を離れる、これは子どもをたたいてしまうお母さんもそうです。その場から離れてください。解決しようと思わずに、自分がその場を離れるって大事な方法です。

 イヤと言うことも逃げることも出来ない子どもがいます。その時できることは、誰かに言う、誰かに聞いてもらう。「相談する」ということを大事に活動しています。相談しようね、と子どもに言う限りは、相談を聞いてくれる大人に増えてもらわないとあかんのです。

 さっきの“穴”から出るためのいろいろな方法、こういう道具をいっぱい持ってきても、かんじんの子どもが「この穴から出たい」と思わなければ使えないです。それは何かというと、“権利意識”なんです。「自分は大事な存在なんだ」という自尊の心のことです。「みんな太陽の光をいっぱいあびて、いい空気吸って、楽しく友だち作って生きていいんやで、あなたはすごく大事な存在なんやで」っていうメッセージを送って、きっと出てこれるよーって周りからその子に働きかけることが“エンパワメント”です。この子のことをあきらめない。絶対出てこれる、出てきて一緒にやっていけるよーっていう関係性を作っていくのがエンパワメント。子どもの自尊感情を育てていくのがエンパワメントの理念です。

 CAPのプログラムは、大人のワークショップを経ない限りは子どもには伝えられないというルールがあります。学校で実施する時は、必ず保護者のワークショップと教職員のワークショップを経て子ども達に届けるというきまりになっています。では、学校の子ども達に主にどんなワークショップをしているかを見てもらいます。資料の2ページを見てください。子どもワークショップ(模擬授業)のところで、小学校版、就学前版、中学生暴力防止プログラムと3つあります。

ロールプレイ@権利「安心」「自信」「自由」(掲載せず)

 今の所ですが、障害児ばっかりのCAPをする時に、「みんな家に帰って食べさせてもらえなかったら、どうする?」みたいな言葉のやりとりが難しかったりします。障害児ばかりの時は10人以上は絶対受け入れないようにしています。コミュニケーションの難しい知的障害のある子ども、言葉を出せない子がいる時には、就学前のプログラムを使います。どういうふうにやっているか、権利意識のところだけ、なんぶちゃんにやってもらいます。

ロールプレイA上級生にいじめられる ・「いや」・告げ口・加害者の人権・協力
(掲載せず)


 ちょっとみんなで「イヤ」って手を前に出してみましょう。「イヤ」というこのポーズを大事にしています。「イヤ」ということを、普段から選ばせてあげて欲しい。「イヤ」というトレーニングをしましょう。

 3番目の劇が誘拐の所なんですが、例えば、ダウン症の子ども達に誘拐されないためのスキルを伝えるのは非常に難しい。子どもが誘拐されるときの手口がありますね。知らない人が声をかけてきて、「お母さんが事故にあった」とウソをついて連れて行く劇を見せるんですが、それって知的障害のある子にはわかりにくいんですね。知らない人に近づかないように、安全な距離をとるというのは、ちょっと難しい。

ロールプレイC知り合いのお兄さんにキスされる(掲載せず)

 性被害の所を障害児にどう見せるかというところで、安心できる触られ方、安心できない触られ方の例を見てもらったりします。あと、成功と失敗の区別がわかりにくいですから、その場で「いやや」と逃げて行くだけでは伝わらないですね。「よかったなー」と言って助かるところまでやります。

 知的障害のある子どもでも、道でイヤなことに出会った時に、とにかく声を上げるということはものすごい大事なスキルなので、声をあげる練習をします。「特別な叫び声」なのです。

「特別な叫び声の説明と練習」(掲載せず)

 叫んだら、誰かが気づいてくれるし、安心できる人や安心できる場所にたどりつくまで何回あげてもいい。これで助かった子どもがいっぱいいるので、大事なのです。

きぬちゃん   学生時代のことです。10時過ぎぐらいかな、暗くなって誰もいない道を自転車で家まで走っていたら、後ろから自転車が近づいてきて、横にぴったりつくですね。「おねえちゃん、おねえちゃん、どこ行くねん」とか言って、ずっとついてくるんですよ。「どこか行かへんか」と言って。で、横向いたら、おっちゃんやって、「うわーーー」と言ったら、その人、ドテーンとこけたんです。冗談みたいな話やけど、「うわーーー」と言ったらこけてしまって、そのすきに必死で家まで逃げ帰りました。CAPを勉強してから、私は自分を守ったんや、とすごく思いました。私は「キャー」と言えない女の子だったんですが、キャーと言ったら、かえって相手を興奮させてしまうんだそうです。CAPを聞いた時に、よかったんや、キャーと言わなくて「うわーっ」と言った声で自分を守れて、と自信がつきました。

ひなちゃん   幼稚園でワークショップを受けた子どもが、お友達と2人で留守の家に帰ってきたらしいんですが、ランドセルを置こうとしたら、知らない男の人が一緒に家に入ってきた。で、ビックリして、一瞬、あの声を思い出して、「うおーっ」と叫んだ。もう一人の女の子も一緒にワークショップを受けていたので、共に叫んだ。そうしたら、その男の人は出て行ってくれたということで、お礼を言われたことがあります。

 護身術も具体的に教えます。どこを蹴るとか、どこを踏むとか、どうやって逃げるとか、子どもワークで教えます。叫ぶ前に口をふさがれた時は、どうしたらいいか。「知らない人に口をふさがれて、すごい怖い時、みんなどうする?」って聞くと、「かむ」「なめる」「鼻つける」、子どもはいろいろ言います。それも全部OKです。何をしてもいいんです。何してもいいよ。噛んでケガさせてもいいよーって言うんですが、他にもできる方法がある。相手の指を1本持ってはがすことができる。どの指かというと、小指なんですね。どの指でも1本だったら弱いんですが、小指が一番弱いです。ちょっと、やってみてください。子どもたちには言いませんが、思いっきりやったら指が折れます。

 小さな子でも、大人の力をはねのけて逃げることができる。マンションの踊り場のところで、いきなり首をしめられた小学2年の男の子が、CAPのワークを思い出して、指をはがして逃げたという話もあります。怖いでしょう。そういう風に、子ども達が助かって逃げてくれたんやと思ったらうれしいんですけれど、全国のあっちこっちで成功談が聞けるということは、子ども達がいっぱいあぶない目に合っているということで、そんなには喜べません。

 子どもが、具体的にこういうことをして逃げれるというイメージを持つというだけでも、すごく大きなことだと思っています。「イヤ」って言っていいんだよ。そして、子どもに選ばせてあげる。「チョコとヨーグルトとどっちにする?」 という、そういう簡単なことでいいんです。あなたはどっちを選びたいの? というかかわり方の中からしか、「私はイヤだ」というのが出てこないので、とても大事にしてほしいなと思います。

 CAPでは各年齢層のすべてに、性被害の劇も子ども達に見せます。これは非常に大事なメッセージなんです。子ども達の性虐待の実態は氷山の一角で、なかなかあきらかにされません。特に障害のある子ども達の性被害は、98パーセント以上が顔見知りからです。

 今までの所で、子どもワークに関しての質問を受けたいと思います。

質問   子どもがカバンを持たされるロールプレイに関してですが、うちの家の前の道が通学路になっていて、よくその場面を目にするんです。小学校低学年で、一人の子ども4つぐらいランドセルを持ってて、何歩歩いたらジャンケンしてということをやっていて、イヤなのと違うかなーと思うんですけれど、これもゲームなのかなという風に私は見ていて、注意していいものかどうか。そういう場合、どういう風に言うといいでしょうか。

ひなちゃん   どういうことが起こっているのか聞いてあげるのがいいですね。「なんでこの子ばかりもたされているのか、おばちゃんに教えて」みたいにね。「この子ばっかり持たされているみたいに感じるんやけどなー」と、自分はそう感じるんやけど、違う? みたいな感じで。もたされてる子に、「しんどくない? いやじゃないの?」と言って、その場ではその子はイヤとは言わないかもしれないけど、そこで1回声をかけておくと、関係性ができますので、次にその子と出会った時に、ちょっと気持ちを聞いてあげるとか。それから先は出来なくてもいいんですけれど、ことわるロールプレイを一緒にしてあげるのが本当はいいんです。「ちょっと『イヤ』って言ってみようか」って。もし我が子がいつもカバンを持たされている状況だったら練習してみてください。けど、言えなくでもかまへんで、言えなくても悪くないというのはメッセージして、「逃げてきてもいいよ」とも伝えましょう。そして、これからも持たされてしまったら「今日も持たされた」って言ってな、と。

きぬちゃん   高学年でもあります。ジャンケンしてるから、これは遊びやとみんなの中では認知してて、それで文句言うのはルール違反という雰囲気になっていく場合があります。私もそれを何回も目にしたことがあって、「重たくないの?」って聞いたら、「重たい」って。「そんなん自分で持ったらいいのと違うの?」と言うと、「これはゲームやねん」と言ってやっている。そんなの何回か見た時に、同じ子がずっと持たされてないかどうかが、こっちのチェックのしどころやね。「そうやってて、みんな楽しい?」 楽しい時にはね、私もあまり声もかけないのです。けど、1回こういうことがあって、「そんなん重くないん?」「それ楽しい?」「自分で持ったら楽ちゃう?」といろいろ声をかけてる中で、泣きながら、「いややのにー」って、今日はもうしたくないと言うてるのに、無理やりジャンケンさせられて、いややからジャンケンもしなかったら無理やりに持たされて・・ということがあった時には、そこで一回話をしたことがあります。「それってどう思う?」「それって遊びと違うよなー」という話しをしたら、みんなが「うんうん」とね。子どもってすぐに回復していくから、そう言えたら、「こんどからやめとこか」となっていく。

 最初から深刻になって入っていくと子どもは動揺してしまうから、ちょっと観察してあげる、見守るというか、見守り続ける。その中で、これは、という瞬間があった時には、怒るというよりも、「なんでそんなになったの?」と聞いてあげる。怒られたら、気持ちを出さないままに現象だけがなくなるけれど、気持ちを出させてあげることの方が大事やからね。こう言う風に聞いてあげると、遊びと、遊びからエスカレートしたことというのは子ども達が判断していけると思います。だから、まずできることは声をかけてあげること。「おばちゃん、見てておもしろいわー」とか、そんな感じでいいと思います。あとは見守り続けること。

なんぶちゃん   私達のロールプレイを見られたお母さんが、自分の2年生の子どもがまさにそうや、いじめられてるって。でも、そんなにたいしたことじゃないと思ってたので、先生には言ってないと。そんな時に、ワークショップを受けて、「これや」と思って、家に帰って「いや」の練習を毎日したんですって。こう言われた時には「いや」と言おう、と練習をするのだけど、学校へ行ったら「今日も言わへんかったー」と帰ってくる。そんな時に、親が「練習したのに」と言うと、子どもはペシャンとなる。でも、そのお母さんは、「言えへんかったんか、今日もまた練習しよかー」と言って、いつ言えるかなと思いながら、3日練習したら、「お母さん、言えた」と帰って来て、それからはちゃんと「いや」と言えるようになった。言ったらやめてもらえることを経験したこと、それも自分でやったという自信と、後ろにはお母さんがいてくれているという安心感、それはすごい力になったと思います。

質問   高学年ですけれど、田んぼに入ったらあかんって学校から手紙が来て、注意すると、逃げていって、だい分離れてから「なんや、おばはーん」とか言って。こちらが気分が悪くなるし、もう言うのはやめようかなと思うんですよ。

きぬちゃん   反対にこちらが暴力を受けてしまったりするんですよね。だんだん声をかけなくなってる。地域の中で子どもを育てていこうという大人が少なくなっている。やっぱり、みんなで声をかけていくことは大事やと思います。

質問   私も声をかけて行くことは大事かなーと思うけど、家で言ってあげないと。親が指導してないのに、親がOKって言っているのに、こっちが言えない‥。

 例えば、自転車通学は禁止されているのに、結構自転車に乗って通学している子を見るじゃないですか。でも、親が絶対に知ってるはずでしょう? そんなことは結構あって、「あかんのと違うのー」と言ってもどうなんやろ、といつも疑問を感じています。

きぬちゃん   うちも、地域の子どもが何かもめごとがあってね、言葉の暴力なんやけれどそれがずっと続いていたみたいで、その場面に出くわしたのね。それも1回や2回やなかったから、「ちょっとおいでー」と言って、「あんたなー、なんでそんなこと言うの」と話をしてたら、その悪口を言っていた子のお母さんがたまたま通りがかって、ピューンと飛んで来て、自分の子どもの手を持って、「怒らんといて下さい!」と言って連れて帰られたことがあって、あぜんとしました。

 うちを責めるとか、その子を責めるとか、そういう体質をつくってしまうと誰もものが言えなくなる。「あの親が悪い」と言ってしまうと、親も苦しめてしまう。子どもにね、「おばちゃんはあかんと思うで」ということを繰り返し言うことしか出来ないかもしれないけど、それでも言わないよりはいい。あのおばちゃんは僕を見てくれている、という風に、どっかでつながれると思います。子どもが悪かったら親が悪い、という流れがありますが、その時に、だれが追い込まれるかというと、子どもも追い込まれるし、親も追い込まれるんですね。親は追い込まれたら地域とは切れてしまうし、それは全部子どもに出るんです。「あんたのせいで‥」みたいに。そういう流れだけは作っていきたくないなーと思います。

なんぶちゃん   CAPのワークで中学校へ行ったときに、男の子同士でプロレスごっこみたいなことをしてて、小さい子が上から乗られてて、「遊びやねん」と言ってたけれど、すごい気になる。それで後で、「どういうことだったの?」と聞いたら、一番下になっていた子が、「やっぱり、いやや」って。気持ちを聞いてあげるとか、できることをやってみる。その子が「いや」と言えるかどうかはわからないけれど、「私にはいやがっているように見えるよ」とか、「ちょっとそれは暴力と違うかな」と伝えていくことが大事だと思います。

ひなちゃん   権利について、「大きなクリの木の下で」の替え歌を作っています。

♪大事な3つの権利です
 あなたと私 みんながもっている
 大事な3つの権利です♪
♪安心、自信、自由、権利♪
この歌で、「安心、自信、自由」の場面を共有できるんですね。これをぜひすすめていきたいと思います。

 エンパワメントについてもう少し丁寧にやっていきたいと思います。
 エンパワメントのパワーというのは力なんです。暴力というのは力関係によって生じるものというのはわかるでしょう? 力を多く持たされている側が、力を押しつけてくるわけです。力の中に暴力の根源となる「否定的な力」というのがあります。例えば、偏見であったり、差別から起こるいじめとか虐待という暴力。または、支配やコントロールがあったりします。子どもが現実の中で特に傷つくことが多いのは“比較”です。誰々に比べてとか、クラスの中でとか、お兄ちゃんに比べて、そういうふうな比較。これらを考えてみたいと思います。

 「エンパワメント・ワーク」をやります。
 私達の力はどうなっているかというと、ちょっと大きなハートを描いてもらえますか。このハートを生まれたままのスッポンポンの自分だと思ってください。みんな赤ちゃんで生まれてきた、尊い自分なんです。自分の名前を書きましょうか。この生まれてきた時の自分は、命のかたまりやったんですね。生命力、生きる力、これは何かというと“つながっていく力”なんです。「おしっこー」「お腹すいたよー」とかまわりに訴えてつながり生き延びてきて、みんな今ここに座っています。生き延びる力、その中に“権利”も入ります。それと、“個性”もみんな違うでしょう。顔も違う。障害があったりなかったり、日本人であったり、いろんな場所で生まれて、それが全部、私が私であるための個性なんですね。そういう“命”として私達は生まれてきた。ここにいるそれだけでパワーあふれる自分。

 そこにいろんな経験をして、いろんなプレッシャーが外からかかってくる。どんなプレッシャーがかかってくるか、自分に対してはどうだったか、今、自分が思い出して、外から、「あんたはこういう子や」とか、耳に残っていること、あれはちょっと重荷だったというセリフを思い出して書き込んでみてください。私なんかはよく「グズやなー」と言われました。きぬちゃんは、どんなことを言われました?

きぬちゃん   「男みたいや、女らしくしなさい」とか、「あんたは捨て子や」とか。

ひなちゃん   なんぶちゃんは?

なんぶちゃん   「わがまま」とか「先生の言う事を1つも聞かへん」

ひなちゃん   かしこいと言われ続けたことがしんどかったという人もあります。“かしこい”とか“明るい”とか、周りは誉めているつもり、でも泣かれへんかったという人もいる。そういうふうに決め付けられた偏見、例えば「先生の子やからよくできる」「お父さんが医者や」とか、男の子だったら“跡取り”とか、「お姉ちゃんやから我慢しなさい」とか、そういうふうに言われ続けたこと。書けました?

 何か1つだけでも共有してもいいということはありませんか? 

「明るい」「明るくて、跡取りで、しっかりしてる」
「色黒」「何着せても似合わへん」


 ここに、障害があるというのも入ります。「この子は障害児やから無理」と周りから言われてしまいます。
 そういうふうに、外からいろんなことを言われるのは、本来の生まれた自分とは関係ないことなんです。周りが思っただけです。周りが価値観とか常識とかによってふきつけたプレッシャーなのです。こういうものを“外的抑圧”と言います。周りからの否定的な力をこういうふうに押しつけてくるわけです。では、この押しつけられてきたストレスに対して自分はどうやったかを考えてみてください。男の子みたいと言われて、どう感じてきたか。私は、グズやと言われてグズが強化されてね、ホンマに自分でもグズや思っているし、引き受けてしまった。言われて、自分でもそう思ってきた人というは矢印をハートの内側に向けてください。言われたけど何とも思わなかった人は×を入れます。反対に言われたことがプラスだった人、自分に引き込まなかったという人は矢印を外側に向けてください。

 かしこいといわれていたから、60点以下は自分で認められなかったとか、明るいからみんなの前で泣けなかったとか、そういうふうに自分で引き受けてしまうことは結構あります。そういう内的抑圧が自分の傷でもあるし、しんどい部分です。暴力なんかもその中に入りますが、これはどうなっていくかというと、本来あった自分の力を縮めていくんです。もともとあった、ありのままの自分がプレッシャーでちぢこめられて、そこにいろんな傷もつきます。人に裏切られたり、喧嘩したり、暴力を受けたりして、いろんな傷をつけられて、ぐーっと狭められてきます。エンパワメントというのは、こういう仕組みに気がつこうということから始まります。何が自分を押し込めてきたか、何が自分に傷をつけてきたかを知ることから、「私って、もともとこれだけ力をもってたんや」ということに気がついて、取り戻そうということなんです。本来の自分のパワーに気がつこう。そのためには、いろんな傷にも気がつかないといけないですよね。「あの時の傷に手当てをしてなかった」ということも出てきます。エンパワメントというのは、こういうふうに本来の力をとりもどすことなんですが、ものすごい時間がかかった分、しんどいですし、急にはできないです。少しづつ人の力を借りて、人との関係性の中でとりもどしていくのが一番いいことなんです。

 誰も“私の物語”を代わりに生きてくれへんのや。だから、いろんな知識を得たり、経験をいっぱい積む、人の援助をもらう、愛情をもらう、共感してもらう、こういう「肯定的な力」によって自分を取り戻していくんですね。このエンパワメントの関係性を生きてる子どもは人を攻撃したりしないんです。でも、エンパワメントの肯定的な力をもらえない人は苦しくてしかたがないんです。ずっと閉じ込められているから。人間は押し込められたら、その力を取り戻したいから、人から奪いたくなる。人からその人権を奪って自分の権利をふくらまそうとする。それは否定的な力を人に押しつけていき、暴力の再生産、繰り返しになります。私たちはこの肯定的な力に目をやって、エンパワメントの関係を子どもとも、自分自身も生きていくというつもりになって欲しいなーと思います。

では資料の3ページを見てください。私たち(周りの大人)にできること。

(1)自尊感情を育てる
このエンパワメントの関係を子ども達にしていくために、まず、子どもの自尊感情を育てていくことが大事なことです。あなたは一人しかいない大事な存在なんだというメッセージを大事にして欲しいと思います。CAPを受けた後、私たちはこういうのを配っています。

世界中にたった一人しかいない、大切な○○ちゃんへ
あなたのからだは あなたのもの
あなたの心も あなたのもの
あなたのからだ、あなたの心を大切にしようね
 日頃のかかわりの中で選ばせてあげるとか、子どもって、自分がどう感じているかを伝えるのは難しいんですね。それは、おうちにいてる人が一番できるので、「怖かったね」とか、「いややったね」とか、こういう感情を表わす場を広げてあげて欲しい。「よかったね」「楽しかったね」って、声かけをしてはると思いますけれど、そういうことが一番大事だと思います。

(2)防止教育
 それから、暴力に合う前に防止することに着目して欲しいと思います。暴力をふるう側の子どもは100パーセントに近い程、被害の体験があります。この間、少年院で調べたデータが出ていたんですけれど、7割以上の子どもが家族やそれ以外の人からの暴力を受けた体験があると答えています。被害体験を持っている子どもが暴力をふるったり、犯罪に走ったりしています。暴力の被害を防ぐためには、そういう次々に連鎖していることを知ることも大事です。その為にCAPを活かして欲しいなと思いますが、CAPだけではなくて、いろんなプログラムがあります。性教育のプログラム、交通ルールのワークもありますし、それ以外にも家でできることは、暴力について子どもと話をする。難しいことではなく、「これ痛いよね」「こんなんやられたら悲しいよね」という話でいいから、暴力についての話をして下さい。

(3)子どもが示すサインをキャッチする
 身近にいる人はすぐにわかると思います。いつも行っているところに行きたがらないとか、ぐずぐず言って寝ないとか。いつもと違うなー、何かあったんかなーと思った時には、「学校で何かいやな事や怖い目にあってない?」とか、「安心できてる?」という言葉で聞いてあげてください。

(4)緊急カウンセリング
被害にあっていたり、これは放っておけないという時には緊急カウンセリングをしてあげてください。それは専門家でない人ができるカウンセリングなので、緊急カウンセリングと言っています。

(5)通告の義務
そして、本当に命にかかわると思ったときには通告してください。特に現場の先生方やお医者さんとかには通告が義務付けられました。

4ページにいってください。

 相談とか聞いてあげる時に気を付けてほしいことです。「虐待を受けた子どもの典型的な心理パターン」と書いてありますが、子どもが、守られるべき人から暴力を受ける典型的な心理パターンがあります。「ほとんどの子どもは、自分から言わない」ということです。自分がこんなことをされてるとか、自分からすすんで言ってくる子はほとんどいません。何故かというと、どの子にとっても大事な親で、暴力場面にだけ付き合っているわけではありませんから、少しでも機嫌のいい時があると、子どもはそこを信じようとします。

 それから、どんなに助けてあげようと思っても、最後に裏切られることがよくあります。そんなの全部ウソやって、コロッとひっくり返されることが良くある。それを知っておいてあげてください。それは何故かというと、その子が大人に裏切られ続けているから、信じて助かった経験がないからです。その子のせいではなくて、暴力のせいです。本当に弱々しい、助けてあげたいなと思う子はマレで、ほとんどの子はたくましく生き延びていますから、大人の顔色を見て、スキを見て生きぬいていくすべを見につけている子どもが多いです。可愛いそうだと思われへんような子がものすごい暴力を受けてる現実が多いです。それも知っておいてください。

 でも、子どもの心と身体はずたずたになっているんですね。どんな子どもも暴力を受けていい子は一人もいないというのを何回も何回も自分で繰り返して対処して欲しいなと先生方には特に言っています。

 一般的に、こういう人はこうなんでしょうなどと信じられているのを神話といいますが、この神話が外的な抑圧になっていることが非常に多いです。
「虐待を受けた子は、親になると、自分の子を虐待することが多い」
これは簡単に言ったりしますが、でも、ほとんどの人はそうならないんですね。けれど、虐待で事件になっている人をたどっていくと、虐待の被害を経験している人が多いです。今、虐待を受けていたり、過去に被害を受けた人にとって、結婚して子どもをもつことをためらったり、子どもに関わる仕事はやめようと思わされるような外的抑圧になるので、これはウソですよと大人のワークショップでは言います。

 虐待を受けた人が自分の子どもを虐待するかどうか、何故分かれるかということもはっきりしています。子どもの時に受けた心の傷、親に愛されなくてどれだけ辛かったかということを誰かに言えているかどうか、なるべく早い時期に誰かに聞いてもらえてるかどうかなんです。事実を変えたり、なにかを解決することは難しくても、回復はできるのです。できるだけ早い時期にその子の近くにいる人が聞いてあげれるかというのかキーワードなんだと知って欲しいです。どんなふうに聞いたらいいかということで6ページの緊急カウンセリングの話をしておきます。

 緊急カウンセリングというのは、身近にいる人、親とか先生とか近所のおばちゃんとかができるカウンセリングです。まず、被害にあっている子ども、しんどい目にあっている子ども、悩みのある子どもの話を聞いてあげて欲しいと思います。「聴く」という字は耳へんに十四の心と書きます。とにかく、話を聞いてあげて下さいと言うんですけれど、大人はすぐに話の内容を聞いてしまいます。誰と誰がいて、何がどうなって、何が悪いの、どの子が悪いの、という話になってくるんですね。そうじゃなくて、子どもが聞いてほしいのは、内容よりも気持ちなんです。大人は早く解決をしてあげたいから、気持ちじゃなくて内容を聞いて、どう納めようと思ってしまうので、どんどん質問になってしまうんです。気持ちを聴くというのは難しいことですが、キーワードがあるので、一緒にやっていきたいです。

 まず子どもの話を聴く時に、こういうことに気を付けてください。暗に責めてしまう事がないか。例えば、「私、いじめられてるみたいやねん」と言われたときに、「あんた、何か言うたんと違う?」とか、「あんたも悪かったんやろ?」みたいなことで始まってしまうと、もうその先は聞かれないです。それから、それとよく似ていますが、「どうして?」「なんでそうなったん?」というように理由を言わせようとすると、子どもは説明モードになるので、気持ちが言えなくなってしまう。

 それから、性被害の場合は特に、子どもに「はい」とか「いいえ」で答えさせてしまうことが多いです。「そのおじちゃんは胸も触らはったか?」「うん」「おしりも触らはったか?」「うん」というふうにやると、最初に聞いた人が作ったとか、思い込ませたとかいうことで、裁判に負けることがあるそうです。でも、今言った3つは、特に親は全員がやると思います。私たちはこういう言葉で自分自身が怒られてきていますから。落ち着いた時に、ああいうふうに聞いて悪かったなーと思ってあげてくれたら、それでいいと思います。

 次に、出来ない約束はしない。どういうことかと言うと、「お母ちゃん、絶対誰にも言わんといてな」と言って打ち明けてくる時があります。そういう時、「誰にも言わへんから言うてみ」といって聞いて、内容を聞いてびっくりして、すぐに電話をかけて「うちの子、こんなん言うてるけど、ほんまかな」とやってしまうと、子どもは次から言わないです。できない約束はしない。子どもに「言わんといて欲しい」と言われた時に、「言わんといて欲しいんやな」と1回受け取ってから、「内容によっては誰かに相談しないといけないかもしれない」というのは言ってあげてください。そうしたら、子どもが言うか言わないかを選びます。信じた人にもう1回裏切られることのないように。

 それから、打ち明けられた時に大事な言葉が3つあります。この3つを、どれか1つでも言って下さい。
  1. 話してくれて、ありがとう
     「よく言ってくれたね」とか、「おばちゃんに言うてくれてありがとう」とか、どんな言葉でもいいですから、言ってくれてほんとにうれしいという気持ちを伝えてください。
  2. あなたの言ってることを全部信じるよ
    子どもは上手に言えません。特に被害体験なんて正確には思い出せないですから、つじつまが合わないことも多いです。でも、とにかく全部聞くのです。「ちょっと待って」と整理しだすと、さっき言ったように、子どもは説明モードに入ると気持ちがふさがってしまいます。気持ちを出させることが大事です。

  3. あなたが悪いのではない。
     暴力を受けたのはあなたのせいと違う、これが大事です。子どもは、何か自分が悪いのかなと思ってしまう。学校で先生のセクハラにあっていた子が、「先生が私のお尻をさわらはる」そういう話をする時に、「私も成績悪いし」と言うんです。私が、「全然関係ない、あんたが悪いのと違うよ」と言うと、せきを切ったようにワーっと泣いた。何か自分に落ち度があるのと違うかと子どもは思っているんですね。
     「どんな子どもであっても暴力を受けていい子どもは一人もいない」という信念を大人側が持っていないと、「あんたも悪かったね」という事で話が落ち着いてしまう例がどれだけあるか。原因と暴力は別、というのをしっかりと伝えるのが大事です。
 そして、その子を元気づけるのに、「今度、そういうことがあったら、どうする?」という話がすごく有効です。二度とそういう目に合わないようにするために、何ができるか一緒に考えてあげるんです。その時に子どもを不在にすると、子どもは非常に不安になります。大人同士で解決するとか、知らないところで問題がふくれあがって、被害にあった子どもを置き去りにしてしまうことが多いんです。子どもと一緒に考えたり、その子の解決に付き合ってあげる大人が必要です。

 それで、本当に危ないなと思って通告するところを8ページに書いていますが、児童相談所が多いです。

 障害を考える時に、障害を3つの概念に分けて考えています。
1つは「機能障害」どこに障害があるのか、これは医療側の問題ですよね。次に、それによって何ができないのかという「能力障害」というのがあります。歩けないとか、言葉がしゃべれないとか。そしてもう1つが、「社会的障害」。

 障害っていう言葉はすごくイヤだとみんな言います。ハンディキャップという言葉を使ったりしますが、このハンディキャップも差別用語なんですね。手に帽子を持つという意味でしょ。帽子を手にもって施しをもらうという語源なんです。だから、チャレンジドパーソンという言葉にかわってきています。障害という言葉は本当にむずかしい、いい言葉じゃないと思っています。

 「機能障害」というのは、どこが悪いのか、どこの損傷があるのかという原因究明や医療、「能力障害」というのは、いろいろそれをカバーできる手段があります。一番人権に関わってくるのは、社会的な不利、障害がある為に社会への参加ができなかったり、当たり前に選べることが選べないとか。けれど、障害を考える時に、これがごちゃごちゃになっている。

 もう世代的には、子ども時代に自分の学級に障害児がいたという人に出会うこともありますが、その時にどんな風に感じたか、どんな印象をもったか、その時の自分はその子とどういう関係で、どう感じていた人間だったかというのも、障害児の権利を考えるときに、大事ですね。その立場によって感じ方、見え方も違ったんですね。

「2分間トレーニング」というのをします。(掲載せず)

 こういう時間を作ってください。今は2分間でしたけれど、5分間ずつ話を聞き合う。とにかく言うだけ、聞くだけ、無言もOKなんです。黙ったら黙ったで、一緒に泣いてあげていいから。私たちが何故この大人ワークをやるかというと、聞くのも大変だけど、生身の自分の話を人に言うのはエネルギーのいることだということを知って欲しいんですね。

子どもが大人に何かを打ち明けるって、ものすごいエネルギーのいることなんですね。だから、話の仕方がめちゃくちゃでも、言葉が足らなくても、一生懸命話してくれたことを感謝したい。この人に言おうと選んでくれるんですから、「よく言ってくれたね」という気持ちを持ってあげて欲しい。怖いこと、自分のいやなこと、プライドの傷ついたことを人に話すというのは、ものすごいしんどいことなんです。そういう想像力を持っておいて欲しくて、これをいつもやっています。

質問   健常児の親は障害児の親から一線を引かれると言われましたが、私の近所の人で、うちの子のことをよく見てくれていて、よくしてくれる人がいるんですね。その人と出会うと、「○○ちゃん、大きくなったなー。頑張ってるやん。」て言うんですね。「一人で学校へ行ってるやん」て言ってくれるんやけど、それは当たり前のことで、特別視してるのを感じるんですね。障害のある子がこれだけ頑張っているって記事があったと新聞の切抜きを、わざわざ持ってきてくれたりするわけです。うちの子は普通に育っているということを言いたいのだけれど、「今日、がんばって歩いてたー」とかいう感じで言ってくれるので、困ったなーと思っているんですよ。どうしましょう。

ひなちゃん   逆に、障害をもたない親の側からはどう関わっていいのかわからないとよく言われます。普通でいいんですよ、と言っても、普通がわからへんと言われます。それはもう関係性の中で、その人との普通を知っていくしかありません。私の友人も重度の障害の子がいて、みんながジロジロ見るけど、最近は「もっと見てほしい」って言いますものね。最初はものすごくうっとうしくて「ジロジロ見るな」と思ったけれど「ここにいるのに、見ないふりされる方が腹が立つ」って言ってます。いろんな関わりの中で私たちもわかっていくんです。
 いろんな時期があるんです。機嫌のいい時も悪い時も。前向きに思っている時も、誰とも会いたくない時もあるわけですから、その時、その時でやっていったらいいと思います。

きぬちゃん   無視というよりも「あなたはあなた」でおいといたらいい。こっちがしんどい思いをする事はないと思うんです。でも人によっては、「歩いているのは当たり前やろ」じゃなくて「どれだけしんどい思いをして歩いているか、わかって」という人もいたり、「これだけしんどいんや」ってアピールしたい人もいる。そこについては、どうのこうの言って行かれへん。

 (質問に出てくる人のように)そう思う人について、「そう思わんといて」と言いたくなるときもあると思う。もしかしたら言わないとあかん時もあるかもしれない。「これは、うちは普通やで」って。けど、そう言ってもあかんのやろ? そうなったら、こっちのことは伝えてあるんやから、後はそっちのとらえ方やなー。

ひなちゃん   どれだけ伝えられるかというのがあって、いつも消化不良で終わるんですけれど、今日は、みなさんにささえられて、私自身は楽しかったです。ありがとうございました。いろんなことがありますけれど、それをわかってくれる仲間がいたり、子どもさんとの関係が育っていたり、お互いの人生を喜びあえるつながりを人生の軸にしてやっていきたいと思っています。また出会えることを楽しみにしています。もしみなさんが、自分の学校にCAPを呼ぶときは、いっぱい条件や課題をつけていいですから、CAPのメンバーを育てて欲しいと思います。私たちも努力するから、みなさんもサポーターになって欲しいと思います。私たちもサポートしていきます。ありがとうございました。

島崎   どうもありがとうございました。子どもに直に届けるチャンスがあればと思っています。その時は、よろしくお願いします。


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