京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2005年2月号 掲載)
にんぷいろいろ日記

こてらさちこ

あきと ついに離乳する!!

 2人目の赤ちゃんを授かった。妊娠するまでは、あきとがいらないって言うまでおっぱいをあげるつもりだった。1日に5〜6回はまだ飲んでいたし、私の体は少しきつかったものの、飲む前のあきとの笑顔がたまらなく愛おしくてうれしかった。でも妊娠して、赤ちゃんにおっぱいをとられた!とあきとに思われたくなかったし、そろそろ断乳せねば・・と思っていた。

 そして・・初めてあきとがお父ちゃんと2人でバスで保育園に行くことになった朝、いつものようにおっぱいをあげながら、これで終わりにしようと思った。保育園から帰ってきて、案の定、おっぱいを欲しがって泣くあきと。なんとなく、どうせ簡単にはわかってくれないだろうし、何日かは泣き続けるだろうと思っていたので、「ごめんね、おしまいにしようね・・」とだけ言って断行しようとしていた私・・。イヤイヤと首を横にブンブン振って泣き、私の顔を見ながら必死でおっぱい!!と訴えるあきと・・。

 1日が過ぎて、私の決心が揺らぎそうになり、いつも相談にのってもらう助産婦さんに電話した。そして助産婦さんに「赤ちゃんを守れるのはあなたしかいないのよ。あきちゃんとよくお話してね。」と言われ、ハッとした。
 そうだ!!あきとはいつか絶対わかってくれる!! と思った私は、あきとにいろんな話をした。今までおっぱいを飲んでくれてありがとうということ、おっぱいをあげることができて本当にうれしかったこと、これ以上おっぱいをあげたらお母ちゃんの体が大変なこと、お腹に赤ちゃんがいること・・。
 気づけば、泣きながら真剣に話していた。あきとは、うんうんうなづきながら聞いてくれていた。それ以来、時々思い出したように泣くものの、前のようにおっぱいには手をださず、けなげにガマンしているようなあきと。

 そんなあきとの姿に、2年3ケ月のおっぱいライフの思い出が走馬灯のようにかけめぐり、気がつくと泣きながら抱きついているのは私の方。
 生まれてしばらくは寝てばかりのあきとを、2時間おきに、たたいたり、つねったりしながら必死で起こして、1時間かけてあげていたなあ・・。それが最近は、寝ている私の服を勝手にめくって飲むほどに成長していた。
 あきとが生まれて今まで、おっぱいをあげることで精神的に支えられていたのは私の方だ・・。さあっ、子離れの第1歩っ!!

 話は変わって、お腹の赤ちゃんの初めての病院での検診。
 今では病院で超音波検査をするのは当たり前。いちいち妊婦に許可をとることもなく、知りたくもないのことを言われることもしばしば・・。
 「次回、超音波でダウン症かどうか調べる検査があるのでやりましょう」と言う先生。「調べなくていいですっ!」と私が言ったら、「でも、羊水検査と違って負荷はありませんから・・」とおっしゃる先生。「でも、知りたくありませんので・・」と私。
 でも、こうも気軽に検査をすすめられると、特に何も考えてなければ、たいていの妊婦は「ほな、やっとこかあ」と思うのでは・・。気軽にやって、ダウン症だと言われた妊婦のフォローはできているのだろうか???



会報No.116のindexへもどる
会報バックナンバーのindexへもどる

homeへもどる