京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2007年2月号 掲載)
北村小夜先生 講演会 『共に学ぶ、共に生きる』 テープおこし
2006.11.11

北村小夜先生

 ご紹介いただきました北村です。よろしくお願いします。今日は京都の皆さんにお目にかかれて大変喜んでいます。京都というところは どんなところだろうなとおもっていたんですけれど、こんなたくさん仲間の方がいらっしゃるということで、とても嬉しいです。私は長い間東京で教員をやっていましたけれど、後半の22年間いわゆる文部省用語でいえば「特殊学級」の担任をしていました。特殊教育を選んだのは、ちょうど教師を15年ぐらいやっていまして、学習指導要領はどんどん変わって、子どもの勉強する量が増えてきた。増えてくれば当然落ちこぼれが出てくるわけですね。それが私にはとてもつらくて、どうしたら落ちこぼれを作らないですむだろう、ひょっとしたら私自身の力のなさかも知れない、という時に、ちょうど東京都から学芸大学に新しく特殊教育課程ができたのでそこに派遣学生として行かないかとお話があったわけです。私、飛びついたんです。特殊教育を勉強したら、できない子にも教えられる上等な教師になれるんじゃないかと思ったんです。

 後で考えますと、そこで学んだ1年間というのは、あまり役にたちません。むしろ邪魔になることの方が多い。いわゆる専門教育というものを受けて、ダウン症はこういう特質あるという。でもね、一人一人会ってみるとみんな違うんですよね。何症はこうだというふうに教えられた知識が、むしろ一人一人の子どもと付き合う上では邪魔になることの方が多かったと思います。それでも私はそこで学んだのを基にして、22年間、特殊学級の教員をやったわけです。自分で言うのもなんですけど私はあまり怠け者ではないので、やれるだけのことをやったんです。そして結論として言えることは、「子どもは分けてはいけない」ということです。分けた上でやることというのは間違っていると思っています。今、養護学校や特殊学級で素敵な実践をしている方は沢山いらっしゃいます。ですけど、私から言えば、それを普通学級のみんなの中でやればもっと値打ちがあるのになと思います。養護学校や特殊学級の先生には、是非そこを目指してもらいたいと思っています。

 私が子どもを分けてはいけないという理由を少しお話したいと思います。
 私の住んでいる地域にいっちゃんという子どもがいました。残念なことに「いましたと」言わなければならなくなっていますけれど、いっちゃんは6歳になった時に、まだバギーに乗ったきりで寝返りも自分ではうてませんでした。勿論、言葉もありませんし、文字も書けませんでした。両親は、多分この子が学校に行くとしたら養護学校だろうなと思っていました。私とこのような集会で出会った時に、「学校っていろいろあるのだからちゃんと見てから決めましょうよ。」と言いました。お母さんが最初に行かれたのは、新しくできた養護学校でした。帰ってきて「どうだった?」と聞くと、お母さんは「良かったよ」と言いました。「何が良かったの?」と聞くと、「だって、校舎は新しいし、先生は沢山いらっしゃるし、床にはじゅうたんが敷いてあるし、スロープはあるし、どこかに転がしておいても危なくない。こんな子が行く学校ができたんだから、いい世の中になったんだね。」とお母さんは言いました。たしかに、少し前から考えればいい学校と言えるかもしれません。でも私たちは「もっと学校はいろいろあるから」と言いました。

 次にお母さんが行かれたのは、隣の学校に併設されている特殊学級でした。帰ってきて、お母さんが「どっちにしようかな」と言うんです。「特殊学級の何が良かったの?」と聞きましたら、お母さんは、「遠くの方で、元気な子どもの声がするもん。」と言うんです。分かりますよね。子どもって子どもの声に敏感ですよね。お母さんは「養護学校に連れて行ったときより、はるかにこの子が反応した」というわけです。「だったら、いっちゃんが元気だったら行く学校があるじゃないの。そこに行ってみようよ。」て言いました。お母さんは、本当にしぶしぶ地域の学校に行きました。でも、母親の感性とは素敵ものだと思うのです。この子が何を感じるかということを自分が分かりたくて、学校に入ったとたんいっちゃんをバギーから降ろして廊下に置いたんです。学校というのは、校門入ったとたんに子どものエネルギーが伝わってきますよね。独特の雰囲気がある。たぶんお母さんはそれを感じたから、バギーから子どもを降ろしたんです。そしたらいっちゃんが、元気な子どもの声のする方へ首を曲げようとした、足音のする方へいざろうとしたと言うのです。信じられません。その時にいっちゃんがそんな事できたはずがないんです。でもお母さんは、ほんのちょっとしたいっちゃんの目の輝きを見ているのです。で、帰って来て、「地域の学校に決めた」と言うんです。母親というものは素敵ですよね。こういうずうずうしさを含めてね。やっぱり親じゃないとできないことですよね。もう養護学校への就学通知が出ていましたので、それをお返しして新しく地域の学校の就学通知をもらうというのは容易なことではありませんでした。そういうご苦労をなさった方もあると思いますが、本当に大変でした。でも、母親が決めたというんですから、関わった以上は応援しないわけはいけません。ほんとに大変でした。

 地域の学校への就学通知が来たのは、3月31日でした。よくある事です。なるべく長く説得しようと、教育委員会はそうします。6歳になった子どもに4月1日に学籍を与えないというのは教育委員会の手落ちになります。教育委員会は何処かに措置しなければいけない。3月31日までねばったけれど、説得できなかったから就学通知を出した。お母さんは嬉くてねー、そのハガキを持って学校へ飛んで行ったんです。校長室へ行って、「校長先生この学校でお世話になることになりましたから、よろしく。」と挨拶したんです。校長先生は入学式の準備で忙しい最中なのに、お母さんを学校中案内してくれました。「まず、体育館に行くにはこの渡り廊下を渡らなければいけません。音楽室は3階にあります。2年生になると教室は2階になります」 お分かりですよね。この学校がどんなにいっちゃんに向いてないかということを言っているんです。最後に昇降口に来て、「他の子どもたちはここで上履きに履き替えます」と言ったんです。でもお母さんね、もうこの学校に入ると決めているんですから、全然めげません。「そうですか。それじゃ、うちの子のためにバギーをもう1台用意します」と言ったんです。校長先生は「え、車椅子が2台も来るんですか」と慌てていましたけれどね。でも、親が決めたというのは素敵ですよね。

 いっちゃんは学校に入るまでほとんど整肢療護園に母子入園を繰り返していましたので、地域の子どもたちと交流がありませんでした。地域の学校といいながら、初めて出会う子どもたちばかりでした。初めはみんな、いっちゃんのバギーの周りで遠巻きに見ているだけだったのですが、2日、3日経つうちに、勇気のある子がね、バギーに乗ってるいっちゃんのほっぺたをつついて、「こいつ生きてるのか」と言ったんです。そして感触でその子が「ああ、生きてる、生きてる」と言ったんです。とたんに他の子どもたちも関心持った。本当はみんなだって何とかしたかったのだけど、どうしていいかわからなかったのです。もうそれからは、いっちゃんのバギーを奪い合って押すようになるんです。先生はそうはいきせん。「駄目、駄目、あなた達がやって怪我したらどうするの」て感じですけれども。

 その頃、いっちゃんはいつも自分の手を噛んでいました。専門家は自傷行為と言います。私が初めて会った時にも、両手に白いハンカチが巻いてありましたが、両方とも血が滲んでいました。ところが、一月もしない内に両方の手がツルツルになりました。お母さん嬉しくてね、同じような障がいを持っているお子さんのお母さん方に、「普通の学校へ入ったらこんなになりましたよ」といっちゃんの手を見せて歩くんですよ。すると他のお母さんが「そんな事を言ったって、うちのような子を40人の中に突っ込むわけいかないでしょう」と言うんですけど、お母さんは、「40人がよってたかっていじめると思うと大変だけど、励ます仲間と思ったら、多いほうがいいよ。うちの子なんか、学校中の子どもが励ましてくれるような気がする。うちの子は毎日学校に行けるわけじゃないし、しょっちゅう休んでいるけど、休んだら「いっちゃんどうしてる?」と見に来る子もいるし、見にこなくったって、私が買い物に行った時に出会った子が、「今日はこんなことがあったよ」と言ってくれる」 いっちゃんの世界が、その学校に入って広くなったんです。手を噛む必要がなくなった。それまで療護園で日本で一流の専門家に囲まれていました。お医者さんもそうですし、療法士の方もすべて立派な方ばかり。でも専門家ばかりで、全部大人でした。大人の中で手を噛むことしかすることがなかったのです。彼の世界が広くなった時に、そうする必要がなくなったのだと思います。その時お母さんが言ったのは、「大人がどんなに頑張っても、友だちの代わりはできないよ」。素敵な言葉でしょ。

 考えてみれば子どもというのは、もともと分けたがっても、分けられたがってもいないのです。大人が余計な事を言わなければね。「あの子は勉強ができないのだから、この学校には入れないよね」とか、「あの子は足が不自由何だから養護学校に行くべきだよね」とか、大人が言えば子どもはその通り言いますけど、何も言わなければ、決して分けたがってはいません。よくありますよね。小学校の一年生の運動会で徒競争をする時、「よーいドン」の合図があっても手をつないで離そうとしない子がいたり、転んだ子がいると起き上がるまで待っていたり。そんな時、先生は「ダメダメ、今日は徒競争なんだから、友達は放っておいて、あなたが精一杯走りなさい」と言わなくちゃいけない。日本の教育は、そういう始まり方をします。まずは競争です。そのことによって、分けたがる子どももできてくると思います。みんな仲良くしていても、例えば班ごとに競争するような学習の仕方をすれば、「誰ちゃんと一緒の班になったら負けるからイヤ。あっちへ行って」と言うかも知れません。国が国のレベルで、「目が見えない人はあっちだよ」「体の不自由な人はあっちだよ」「勉強のできない人はあっちだよ」と分けるわけですから、子どもが「あっち行って」と言ったって不思議じゃないです。でも、これはイジメの初めですよね。今、子ども達に詰め込みすぎて競争させ過ぎているのが、子どもの中で起こっていることの原点だと思います。それをやめてみたら、今学校で起こっているいろんな問題はかなり無くなると思います。

 子どもを分けてはいけない理由の2番目のところに、『分けたところでできることには限りがある。』と書いていますけれど、これ本当なんですよ。どんなに頑張ってもね、いっちゃんが専門家に囲まれても手を噛むことしかすることがなかったのと同じように、大人が寄ってたかってやってもできないことは沢山あります。それは、“はずみ”と言うか、子どもの“勢い”と言うか。筋道立てて教えてもできないことが、子ども同士のはずみの中でできるようになる。いくら教えても分からないことが、ある日誰かの刺激でとたんにできる。だいたい、親が望んでいることではないことをやりますけれどね。大人のできることというのは、世話とか管理です。管理は確かに行き届きます。でも、子どもが望んでいるのは管理ではありません。子どもが40人いれば40人の響きがある。教師である私がこの子に何かを問いかけるとします。私がこの子に問いかけた言葉は、そこにいる障がい持っている子どもには理解できないかもしれません。けれど、私の問いに答える友達の言葉は、どの子にもちゃんと耳に入ります。跳ね返ってくる友達の言葉は、40人いれば40通り、またそれが2倍にも3倍にも響いていきます。その響き合いがなければいけないと思います。響き合いがないところでは、教師が一方的に教えるだけ。子ども同士の響き合いの中で、子ども達は飛躍的に成長していくと思います。

 そういう付き合いの中で、子どもだけでなく教師も成長します。障がいを持ったお子さんを育てているお母さんが一緒に成長していくように、教師も障がいを持っている子と付き合えば、それなりに成長します。私の友人の教師で、組合活動には熱心でしたが 学校のことは「給料がもらえればいい」という感じの人がいました。悪口を親御さんから言われてるような人でしたが、権利意識だけはあった。つよし君というダウン症のお子さんでした。まだ1メートルにならないくらいの背丈で、小さくて可愛いい子でした。その子が、どうしても教育委員会に薦められた特殊学級に行かないで地域の学校に行くと主張した時に、校長先生は困ったんですよね。で、断る言葉として、「きっと、誰も受け持つ人はいないと思いますよ。受け持つ先生がいたら引き受けます」と言ったのです。それを聞いた私の友人は、「そういう子の権利をちゃんと保障しないわけはいかない。僕が受け持ちます。」と言っちゃったわけ。どうするんだろう、あの人が受け持って大丈夫かしらとみんなハラハラしたんです。入学式は、教室から体育館の式場まで彼がその子の手を引いて行きました。教室へ戻って、配られた教科書を点検しました。机の上にあらかじめ置いておいて、1冊1冊点検しながらカバンに入れる。「これは算数の本だよ。みんなある? じゃあ、ランドセルに入れてね」というふうに次々やっていこうとするんですけど、つよし君ね、不器用なんです。なかなかうまくいかないです。それを見ていて、私の友人はどうしょうと思うんですね。でも、この子が障がい児だからみんなで手を貸さなくてはいけないとは言いたくない。第一、この子が障がい児だとも言いたくない。彼は頑張ってね、「遅い人がいたら助けてあげて」と言ったんです。その時に、つよし君の顔を見られなくて、天井向いて言ったとそうでです。(笑)そうしたら、子ども達はもう分かっているわけで、40人がそこに殺到するんです。彼は慌てて、「あのね、自分でやってできないときには、近くの人が助けてあげてね」と。教師のほうが1つずつやり方を覚えるんですね。

 そのうち給食が始まりました。つよし君は給食を食べるだけでも容易なことではないし、給食当番はとうていやらせられないなと彼は思った。だけど「つよし君だけは給食当番なしね」とは言いにくいのですね。それは差別ではないかと思うわけです。そこで彼は考えて、他のクラスは大抵、月曜日は誰が何を運んでどうするとか紙に書いて貼ったりするのですが、彼はそれをやらないで、毎日毎日、「今日は誰が何をして」と言うことにした。いつまで経っても、つよし君に給食当番が回って来ないようにして、これでうまくいってるな〜と思っていたんですね。でも、子どもはすぐ見つけて、「どうして、つよし君だけ給食当番ないの?」と言い始める。「そうか〜。じゃ何だったらできる?」と彼が聞くんです。子ども達が「ストロー配ればいいよ」と言う。ストローを1本ずつ配るなんて無理だと彼が考えていると、子どもが、「つよし君がストローの箱を持って回ればいいよ。僕たちが取るよ。」と教えてくれた。そのうちに、つよし君も考えるわけです。最初は、1列ずつ前から回っていたんですが、そのうちに、前から行ったら後ろから戻ってくるのが能率がいいと、つよし君がわかるわけです。前から行くときにはみんなに見えてるからいいのですが、後ろから回るときに、みんながしゃべっていたりして気づかないのですね。彼は、ハラハラするんです。「ほら、つよし君が来たじゃないか」と言いたいのだけれど、それを言ってはいけないと思って彼は我慢している。そしたらね、しゃべっている子の肩を、つよし君がトントンと叩いたと言うんです。それは、彼にとっては大発見なわけです。  私たちはよく集まって、「そういう時はどうするの?」とか話したりする事があったのですが、彼が、「言葉はなくても、ちゃんとコミュニケーションは成り立つんだね」と嬉しそうに言うんですよ。教師なんていうのはこれくらいで嬉しいのですよ。喜ばせてやればいいですよね。そういう感じで彼が成長していくのです。一緒に働いている教員たちが言っていました。「彼はつよし君のお陰で救われたね」と。

 例えば遠足に行くにしても、「去年の1年生はどこ行った」という感じで、去年の資料でだいたいの検討でやっていたけれど、つよし君と行くとなるとやはり詳細に検討しなくてはならない。丁寧に見て歩いて、「この坂道は無理だろうからどうする? でも、このぐらいの道は登らせなくちゃ」とか、いろんな考えながらやるようになって、本当に彼自身が教師として成長したと思います。

 さっきお話したいっちゃんの事ですが、いっちゃんは残念ながら亡くなりました。亡くなって、始めに行くはずだった養護学校の先生が、「うちの学校に来ていたら、もう少し長生きしたかもしれないよ」と言いました。そんなことは分かりません。確かに短い一生だったことは残念ですけれど、お母さんは「短かったけれど、充実した一生だった」と言っています。7年後にいっちゃんの弟のしんちゃんが同じような障がいで就学を迎えました。その時、お母さんは迷わず地域の学校と決めたんです。地域の学校へ「この学校に来ますから」と宣言をしたら、校長先生が学校の帰りに寄ってくれたのです。そして、「特別なことはできませんけれど、学校の予算でできること、学校の職員でできることはやりますから、学校を見に来てください」と言ったのです。前の校長先生とは違いますけど。お母さんは学校に行って、いろいろ注文してくるわけです。できる事もありましたが、できない事もありました。最後に玄関のところに行って、玄関から廊下に上がるほんの少しの段差のところに、「ここにもスロープがあると助かります」と言って帰ってきた。入学式の日にしんちゃんと一緒に学校に行ったら、そこに丁度バギーの幅のスロープが、あり合わせの板で作ってあったんです。そこを、お腹の大きい先生が「しんちゃんのお陰で楽させてもらってます」と言ったそうです。お母さんは、「あの先生、いっちゃんが入学したときは何でこんな子がうちの学校に来るんだろうという感じで、私が挨拶しても返事もしてくれない人だったんだよ」と。それが今はニコニコしながら、「しんちゃんのお陰で楽させてもらってます」と言う。お母さんは、「人間って出会いがないと変わらないよね」と言います。いっちゃんとの出会いがあったから、こういうふうにしんちゃんが迎えられる。もし、いっちゃんとの出会いがなければ、しんちゃんが同じ思いをしなければならなかった。やはり人は出会いがなければ、頭で考えているだけでは変わらない。

 子どもを分けてはいけない理由の3番目のところに、『将来にわたって地域で普通の生活をすることがむずかしくなる。』と書いておきました。地域で暮らすには地域の暮らしの場数を踏んでいないと駄目ですよね。私が今でも付き合っている27歳になるなおちゃんという人がいます。小学校と中学校と普通の学校に行きました。その人は言葉は少ししか出ません。普通学級に行って何ができるようになったかと言われると、何もできるようになっていませんけれど、でも地域で暮らすことはできます。養護学校だと紙のお金で練習したりすることがありますけど、障がいを持っている人は、机の上ではできても、実際のとこではできにくいということがありますよね。なおちゃんはみんな実物でやっているわけですから。

 なおちゃんと駅に集まって一緒に出かけたりすることがありますが、なおちゃんは券売機のところに行って、左側の一番安い切符を買って、さっさとホームに入ってしまいます。私はなおちゃんから教わることが多いです。その駅で買った切符は絶対その駅の改札が通れるんですよ。分かりきった事ですけど、ついつい行き先がどこだからいくらだとかを考えるわけです。なおちゃんにしたら、とにかく改札に入るのが第一目的なわけで、そのためには切符を買えばいい。きっと何回も失敗したり損をしたりして得た結論だと思います。一番左端のところに電気が付いたらそれを押す。降りる時にはどの駅にも駅員さんがいる改札があるので、そこへ向かって突進していき、切符見せながら、いつもウエストバッグにジャラジャラとお金を入れているので、駅員さんに足りない分を取ってもらう。お金を取ってもらうとね、なおちゃん言葉で何か言うんです。それは「ありがとう」とか「ご苦労さん」だとかに聞こえます。いまどき、駅員さんにねぎらいの言葉をかける人は滅多にいませんから、駅員さんはニコニコしながら、「気をつけて行ってきなさい」とか言ってくれるんですね。まったく困らないです。地域でずっと暮らしているから地域の人とも顔なじみだし。スーパーに行ってもその調子で、だいたいうまく買い物します。彼は、千円で買えるのはだいたいこのぐらいだとレジに行く。私たちはレジに行って一生懸命数字を見ますが、彼はレジのお姉さんの顔をジーっと見ています。お姉さんは、お金が足りないときは足りない顔をちゃんとしてくれますからね。そうしたらもう一枚出すとか、物を減らすとかすればいいですからね。全然不自由はしていません。

 普通の生活をしようと思ったら、普通の経験を沢山積む。学校でいうなら、普通学校に行くべきですよね。普通学校とは普通の子どもが普通に行くところですから、特別なところではないわけですから、普通の暮らしをしようと思ったら、そこに行くしかないと思います。そこが居心地が悪いから逃げ出すのでなく、居心地良い様にしていかなければいけないのです。居心地が悪いのはこっちのせいではなくて、学校を作った人たちのせいなわけですから。そのことは学習指導要領にも、「心身に障がいを持つ子どもがついていけそうにない教科は、それなりに工夫をすること」とちゃんと書かれているわけで、決して不都合なことをしているわけではないんのです。

 4番目に『分けた側の不幸ははかり知れない。』と書いておきましたけれど、これが一番大きいのではないでしょうか? 障がい児に出会わないで学校生活を終えた人、親になって初めて障がい児と出会ったという人もいて、ご苦労なさった方もおありですよね。

 福祉の専門学校がこの頃やたらにできましたでしょう。他に何をしていいかわらないので、福祉でもやるか〜という感じの人が、親にお金を払ってもらって行くような学校が沢山あるのです。その1つで、私に福祉概論というのをやってくれないかということで、しばらくやっていたんですけども、あまりにつまらないので、少し前にやめました。十数人の小さなクラスでした。一番はじめ、私も何をやっていいかわからないし、みんながどの程度の事を知っているかも分からない。はじめての時、養護老人ホームに行ったんです。帰って来て、気がついたことを書いてもらった。ところが、「初めて老人に会って、感動しました。」と書いてあるんです。老人なんて私を含めてその辺にごろごろしているわけです。自分が関わる対象としての老人に会ったのが初めてだという意味だと思うのですけどね。いろんな人と一緒に生きていこうと思ったら、駅だって図書館だってスーパーでだって、年寄りには必ず会っているんですけどね、それを無視してきた。無視して生きてこれたということは、おそらく小さい時から障がい者と一緒に暮らしてないからだと思うのです。

 普通の学校で、障がい児がまったくいない学級で育っている子どもというのは、本人の責任ではありませんけど、障がいを持っている人に対して「あなたなんか、あっち行きな」という立場にいるわけですよね。国がそうやって分けて、そのことに安住しているわけだから。本人の責任ではないですけれどね。それは不幸なことです。高校卒業した段階で福祉をやろうか?と思った時に、まったく見当がつかない。次の週に知的障がい者の作業所に行きましたが、まったく同じ事を書いていました。「初めて障がい者に会って感動した」と。感動するようなものではないですよね、日々付き合っている者にしてみれば。今、子どもを分けてしまっているのは、そういう不幸な人たちを沢山作っていることです。国のレベルで作っている。これは国として損失だと思います。一緒に暮らしていれば、わざわざ福祉と言わなくても一緒に暮らせるのに、わざわざ福祉を養成しなければならないという大変不幸なことをしている。私は分けた側の不幸というのは、本人が気がついていないだけに、ほんとにはかり知れないものだと思います。

 障がいのある人というのは、できないことがいろいろあります。できないことというのは、だいたい、やらせってもらっていないことですよね。家庭でもそうですが、障がいを持つ子どもさんは、刃物とか火とかは、怖いからとかなり遠ざけられていると思います。火と刃物とお金。それから、SEXに関する情報とかが与えられてない。それは親によって制限されているわけです。親がその子の能力を見限っている。同様のことが養護学校や特殊学級の教育でも言えます。これ以上はこの子に無理だと思ったことは教えない。これ以上のことはできないだろうと思った時に、そこに合わせてしまって、それ以上のことはしない。普通学校がいいとは言いませんけど、当たり前なのは、分からなくても情報は来るわけですね。そこで聞いた情報は頭の上を通り過ぎると思うのですけれど、そのことも大事なことです。難しい言葉は通り過ぎてもいいけど、何処かにそれが残っていて、だいたい経験として見当がつくみたいな。それは必要なことだと思います。

 2番目のところにいきます。『地域の学校で学ぶ子どもたち』。知的障害児はどこどこに行くと近ごろは分かれているわけですが、でも、どうして障がいを持っている子が遠くの学校に行かないければいけないのか、どうしてきょうだいと一緒に学べないのか、という不満は当然ありますよね。当たり前のところにやりたいんだ。

 さっきのなおちゃんの話しをします。なおちゃんは、お漏らしもずっとしてましたので、学校でもとても困っていました。でも頑としてお母さんは「この学校からどこにも変わりません」と宣言していて、だんだん教師の方があきらめかけていました。それでも、何とかして彼を、教育委員会流に言えば“適切なところ”に移したくて研究授業をやったことがあります。東京都のレベルでやりました。東京都は「統合教育の研究」というのを2年間やったことあります。「統合教育の研究」というのは、どうしたら統合教育ができるかをやるのではなくて、どういう子だったら統合できるかという研究だったわけです。当然、なおちゃんは排除される立場として、その研究会に望んだわけです。私はその時心配でね、自分の学校を休んで見に行きました。まず心配は、お母さんが遠慮して休ませていないかということでしたが、そんなことはありませんでした。私は障がい児といわれる子どもたちが普通の学校に行っている時に、どう扱われているかを見る1つの視点として、その子の座席が何処かというのを見ます。いろいろいますよね。トイレが近いのだから一番後ろの端っこがいいだろうということで、一番隅っこに置かれている子がいます。先生がスグに何かをしてあげられるようにと、一番前にいる子がいます。どうかすると、先生の横に置いて、「はい、次はこうして」とこの子のことをやりながら教えている先生もいます。わりとそういう先生はいい先生と言われてますけどね。でも、一番良い位置というのは、やはり子どもの中だと思うのです。なおちゃんの学校に行った時に、そのクラスがワイワイ騒いでいました。まだ始まってないから当たり前なのですが、でも、教室に入ったら静かにしていなくてはいけないと躾けられている学級もあります。そんな学級に比べたら、なおちゃんの学級はワイワイ言っていたので、これならなおちゃんも、きっと居心地良いだろうな、と思って教室に入りました。

 そしたら、真ん中にいるんです。「ああ、これは良いな」と思ったんです。真ん中にいるということは、教師が世話するだけではなくて、子どもに環境をゆだねてるわけですね。かなり勇気のいることです。自分で世話しているほうが絶対に簡単なのですよ。でも、何が起ころうと友達に委ねるということはとても大事なことだし、子どもの成長にも役立つことですよね。授業が始まりました。先生が立ち上がってお話を始めたらね、クラスがシーンとなったんですよ。子どもたちが、この先生の話を聞いたほうが良いと思っているんですね。「ああ、素敵な学級だな」と思って見ていました。小学校3年の社会科の時間でした。先生が少しお話をして、「わかった人」と言ったんです。そうしたら、全員がワイワイ言って手を上げるんです。ドキっとしました。なおちゃんも手を上げてるんですよ。どうするんだろう。なおちゃんは、指されなければ指されるまでワイワイ言うだろうし、指されたら答えられないわけだから、どうするんだろうと思いました。ところがその先生ね、私より若い女性の先生でしたけれど、ニコニコしながらね、一番初めに「なおちゃん」と言うんですよ。なおちゃんは立ち上がって「××××××。」となおちゃん言葉でしゃべったんです。すごい声で。指してもらったんで嬉しくてね。

 子どもたちは毎度のことで平気です。見学に来ている後ろの先生方が一瞬どよめきました。この先どうするんだろうと思ったと思うのです。ところがその先生は全然動じません。「なおちゃん、大きい声で言ってくれたね。でもね、先生聞き下手でなおちゃんの言ったことよく分かんらなかった。分かった人教えて?」と言うのです。そしたら、「なおちゃんこう言ったに違いない」とか、「なおに分かるわけ無いじゃないか。本当はこうだ」とか言う子がいて、全然支障にならないで授業が進んでいきます。なおちゃんも言うだけのことは言ったので、満足しているのですね。

 私そこでね、教師として反省したんです。だって、先生は「分かった人は手を挙げて」と言ったでしょ。その時に、教師の根性でしょうね、分からない人は手を挙げてはいけないと思っていたのです。そういう先生もいますよね。手を挙げて指されて答えられなかったら、「分からないのに手を挙げるんじゃない」と怒る先生、いますよね。でも考えてみたら、なおちゃんは「今、手を挙げる時」という事が分かるわけでしょ。しかも手を挙げることができる。それを認めるわけですね。だから、お客さんにならなくてすむ。なおちゃんのやれることを保障しているわけです。「分からない人は手を挙げてはいけない」と言ったら、全くなおちゃんの出番はないわけです。おそらく他のことについても、なおちゃんが分かる範囲での参加を許容している。そのことによってクラスは豊かになっているはずです。

 こういう先生がいて なおちゃんは追い出されることがなかったんです。でもね、1,2年の時は毎日のように「今日は何がありました。困ります。何がありました。困ります。」と言われた。3年生になってその先生が担任になって、とても楽しい3,4年生を過ごしました。5年生になってベテランの先生になって、また困ったんです。当時は5段階評価、相対評価をしている時です。通信簿の学習のところには斜線がサーと引いてあるだけです。お母さんは文句を言いに行ったんです。だって毎日学校へ勉強しに行っているのですから、「何だかの評価をして下さい」と言いに行ったんです。「分かりました」と書き直してくれたのですが、全部1でした。1でいいんですよ、1ならば。5段階相対評価で1ならば、正当な評価でかまわないですよ。ところが欄外に、「5段階相対評価ですから1をつけましたが、実態は1以下です」と書いてありました。面白いですね。でも、3、4年生で素敵な先生に出会って、5年生になって、その時にはもう平気なんですね。「世の中いろいろな人がいるものだ」という付き合いがお母さんもできるわけです。

 小学校のうちはいいけど、中学校は困るだろうという話がよくあります。こうちゃんと言うダウン症のお子さんですが、幼稚園は普通のところに行きました。お父さんが考えたのは、幼稚園で友達がいっぱいできた。これから小学校。さあ勉強だ。じゃあ、特殊学級だ。そう思って特殊学級へ行ったら、幼稚園で一緒に遊んだ子どもが誰も遊びに来なくなるのですね。「だって違うクラスに行ったんだもん」と言って誰も遊びに来なくなって、慌ててまた普通学級に戻るんです。小学校は何とか過ごしたのですが、中学に行く時にまた迷っていたら、友達がみんなね、「行ってみないと分かんないよ」と言うわけです。私は親御さんと一緒にその学校の先生方と話し合いを持ちました。いろんな話をしたのですが、最終的には、何もできませんでした。だだ一つできたのは、本人、保護者の方から言い出さない限り、どこかへ行きなさいとは一切言わないという、その約束だけは取り付けました。

 一番初めに根をあげたのは担任の国語の先生でした。国語の先生ね、とても朗読がお得意な方なのです。得意だから、生徒は聞かなくてはいけない。黙って聞くというのはえらいしんどいです。こうちゃんは時々ね、鼻をスースーとするんです。こうちゃんは小さいから一番前にいるでしょ。朗々と朗読している最中に、スースーと鼻すするので、耳ざわりなんですね。担任の先生が「授業中ぐらい黙ってろよ」と怒鳴ったんです。そしたらね、小学校から一緒だった子がね、「うるさがっているのは、先生だけじゃない」と言ってくれた。(笑) 小学校のときも彼は鼻を鳴らしていたんですが、そういう音があることが教室だったわけです。先生が「テストをやる」と言うときに、「テストの日に、お前休むなよ」と言われていました。「お前が休むと落ち着かないから、テストだけは休むなよ」と。スースーいう子がいたから、みんなテストができたわけですが、それがシーンとしてしまうと、異常な緊張を強いられる。そのクラスの雰囲気に組み込まれていたわけで。そういう子たちが中学校行って、先生が「うるさい」と言った時に、「うるさがってるのは先生だけじゃない」と言ってくれた。

 同時に中学校になって一緒になった子は、「英語の時間は聞いてるよ」と言ってくれたんです。国語の先生、これはこたえますよね。(笑) 英語の先生は私たちの仲間なのですが、彼は特別なことは何もしてないのですよ。でもね、最初の英語の授業の時に、彼のノートを見たら、教科書もノートもお父さんの達筆な字の毛筆で書いてあるんですね。親ってそういうところがあるでしょう。どうせこの子は字が書けないのだから、誰にも負けないお父さんの立派な字で名前が書いてあるわけです。彼は「お前な、英語のノートぐらい自分で書こうよ。お前の頭文字はな・・」と言って、「O」と「Y」と書いてくれたんです。「お前の名前はこうだよ」と先生が書いてくれた時に、こうちゃんは嬉しかったと思うんですよ。即座に先生の書いたOとYをなぞったんです。なぞったことで先生も嬉しくて、「お前、頭文字が書けるじゃないか」と言った。もう、それから、こうちゃんは英語が大好きになったんです。ちょっとしたことですけれどね。こうちゃんはそんなに沢山の字書けませんけど、いくつかの字が書けます。彼を見て思うのは、執拗に1対1で教えられた文字よりも、自分が必要に迫られて獲得した文字というのは、非常に使い手がある。それは文字に限らず、自分で獲得した知識は使いでがあります。

 こうちゃんの授業で、朝早く簡単なテストがあります。例えば、漢字テストが10問出たとしますね。こうちゃんは書ける字は1つあればいい方ですから、すぐ終わっちゃう。で、他の子の邪魔したくなるのですが、「今はダメ」と言われて、彼は考えたんです。わら半紙の端っこをちぎって小さい紙切れをいっぱい作って、それに何か書くんですよ。テストが終わって自己採点したり隣同士で採点して点数付けて、「100点の人」と言ったら、こうちゃんは自分の作った小さな紙切れをその子にあげるんです。「おめでとう」って。その紙切れに書いてある字を見ると、私には「お」と「と」しか読めないのですが、貰った子に聞くと「おめでとう」と書いてあるというんです。みんなはそれを筆箱の中にしまっていて、「何だお前3枚しかないのか、俺は6枚持ってるぞ」と言ってね。(笑) こうちゃんからもらった汚い紙切れが値打ちなんですよ。ちょっといいでしょう。やっぱり、「お」とか「と」とか自分で必死で覚えた字は非常に使い手があるんですよね。  「義務教育はいいけど、高校はね」と、よく言われます。地域の学校へ行くという時に、小学校までとか中学校までとかいうのはおかしいです。高校というのは後期中等教育ですから、そこまで出て一応の終わりで、たまたま高校が義務制ではないだけです。私も1970年に知的に遅れているすすむ君が高校へ行きたいと言ったときに、やっぱりびっくりしました。「高校? 高校は試験あるよ」と言ったら、その子が「頑張るもん」と言う。「頑張ったって漢字書けないじゃない」と言うと、「高校行って書くもん」と言うんです。私は、こういうことは1つ1つ聞き漏らしてはいけないと思うのです。高校行って書くということは、書けないからこそ高校行きたいと言っているのです。だったらやっぱり何とかしないとね。それならばということで、みんなで奔走したんですけど、3つ高校を受けて、3つ目に受けた定時制高校でやっと入れました。その時、私はその子のようすを調査表のほかに丁寧に書いて送りました。例えば、国語の先生には、「漢字は勉強中ですが、滑らかなひらがなを書きます」とかね。そうすれば、国語の先生は次に会った時に、「すすむ君の字はなめらかでいいですね」と言ってくれる。数学の先生には、「一桁の足し算をやっていますけど、繰り上がりで苦労してます」。そうするとね、数学の先生は頑張ったんですよ。1ケ月もしないうち電話がきて、「北村先生、怠けてたんでしょう。僕がやったら5+6ができましたよ」と言うんです。先生は嬉しいんですよ。「さすが、専門の先生ですね」と言いました。でもまた1ケ月程して、「あれは高校に入れたはずみだったんでしょうね、やっぱり7+8は難しいです」と言うわけです。「ざまーみろ」とも思ったんですが。(笑) そういう付き合い方を丁寧にしてくれた教師たちがいます。

 すすむ君が1年から2年になるとき、どうやったところで単位が取れてないので進級できない。その時、数学の先生が彼を説得しました。落第と言ってしまえば落第ですけれど、数学の先生は、「先生は君と一緒にもう1年、数学の勉強がしたいんだ。先生はまた1年生の先生になるから、君が2年生になったら続きが教えられない。君がもう1回、1年生をやってくれたら一緒に勉強ができるんだけどね」と言って説得してくれたんです。留年ということはそういうことですよね。もう1年勉強しましょうねということで、罰ではないのです。本人もそう言われて、留年することにしたんです。留年する人は何人もいて、ほとんどのツッパリはそれを契機にやめて退学していくのです。何人かがすすむ君と一緒に留年を宣言されるために校長室に呼ばれていました。一緒に行ったツッパリの一人に、すすむ君は、仲間と思っているのですから、「お前も留年かよ」と言ったんです。(笑) その子は、何か肩たたかれたら一緒にやる気になって、やめないで続けたんですよ。その子の担任が、「この子はすすむ君のお陰で、5年かかったけど定時制を卒業できた」と言いました。ツッパリの勢いだったらやめてしまって今どうなっているか。高校だけが行くべきところではありませんけど、やっぱりよかったという気がしますね。

 すすむ君は、定時制高校に行って面喰らいました。だって、世の中が休息とか娯楽に向かう時間に、自分は勉強する時間になる。みんなが家に帰るのに、自分は反対向きに学校に行かなければならない。初めはグズグズ言っていました。「夜の学校に行ったらテレビが見られない」とか言っていたんです。そういう時に、大人は「ビデオに撮っておいてあげるよ」と言うわけですけど、彼は、世の中が娯楽や休息に向かう時間に何でこうなのかということをテレビと言ってるだけです。そのうちに彼は自分で考えたんです。昼間どうして過ごしたらいいか分からないから、数人しかいないクラスの中で、「明日、遊ぼ?」「明日、遊ぼ?」とみんなに言って歩くんです。みんなは返事もしてくれない。だけど、「明日、遊ぼ?」と言っているうちに、一人の子が、「だめだよ、仕事だから」と返事してくれたんですよ。すすむ君は嬉しくてね、それから毎日、「お仕事どこ?」「お仕事どこ?」と聞くわけです。とうとう、彼の仕事先を見つけた。それからというものは、お昼まで家に居て、昼からは彼の職場へ行くんです。彼の職場は小さい工場で、おやじさんが一人でやっていて、その友達がアルバイトとして働いているだけのところでした。すすむ君はガラス戸の向こうで仕事している友人を見ながら路地のところにしゃがんで、彼が仕事が終わって出で来るまで待っているんです。毎日、毎日。ある雨の日に、おやじさんが、見かねたんでしょうね、「お前もやるか?」と言ってくれたんです。それから彼はそこに入って一緒に仕事を始めた。彼の就職につながりました。友達のほうはサッサと他のところに行ってしまったんですけど、そこは2年ぐらい前に廃業ましたが、それまでずっと彼はその仕事を続けました。

 高校というと、やっぱり「無理だな」と思ってしまいますが、「無理だな」と思うのは誰なのでしょうね。まずは親が思うのでしょうね。先生は勿論言うかも知れませんね。「高校は試験があって、通らなければダメだよ」と。親ごさんもきっとそう言うでしょう。まずは、そこら辺で説得するわけでしょう。一生懸命説得して、「あなたの行く高校はここだ」と言って養護学校の高等部へやらせている親がいます。子どもは思い込んで、そこに行っているかもしれない。そういうことはしないほうがいいと思う。この夏、東京で『全国母と女性教師の会』があった時に、レポートしてくれた金沢のお母さんが、「小学校も中学校も普通学校で過ごして、高校もやりたいけど、これだけはできませんね」と言ったので、私は怒っちゃったんです。「できないと誰が決めたの? お母さんが決めたんでしょう」と言ったんですが。

 長いことかかりましたが、東京の場合は、希望すれば、学校を選ばなければ、遠い定時制高校を含めれば、何処かの高校に入れないことは無くなりました。どこでも障がい児の高校受験については特別措置を取っていますが、だいたいまずは身体障がい者に対する配慮からしか始まっていません。東京でも、「障がい」の上の「身体」という字を除くのに2年かかりました。すべての学校で定員内不合格をさせないようにしています。定員というのは200名なら200名の高校生をこの学校は引き受けますという、県なり府なり道なりの公約のようなものです。みなさんの税金で200名なら200名の定員を保障します。たとえどんなに成績が悪くても、200名の限度なら、全員を受け入れて当たり前ですよね。それをしていないというのは、成績が悪いから入れないというのであれば、それは糾弾に値するものだと思います。今年も「定員を満たしていないにもかかわらず入れませんでした」という事例が沢山報告されました。定時制でも入れないということが全国でも沢山ありました。でもね、定員内不合格をしてはいけないという取り組みというのは、そもそも変ですよね。定員内不合格というのは、「この席空いているから座らせて」と言うようなものでしょう? これに条件が付けられますか? 空いているのだったら誰でも座っていいわけでしょう。それなのに定員内不合格に条件がつけられるというのは、やはりおかしな話です。それは無条件に入れなければいけないと思います。そこには、「高校は勉強ができないと入れない」という「適格主義」というものがあるわけです。高校は後期中等教育ですから、行きたい人が全員保障されて当たり前だと思うのです。ただ、お金は掛かるので強制はできないわけですが。でも、「高校は試験があるものだ。試験に通らなければ入れないものだ」という経験を親御さんもしてきていますから、「この子が入れるわけないぞ」と親ごさんが思ってしまうのではないでしょうか。まずは、親の側の「見切り」があると思います。

 埼玉で、養護学校から高校を受験した人が不合格になったことがあるんです。それはなぜかというと、事前協議所とかいう、障がいのある人について事前に高校と話し合うという連絡事項があるのですが、養護学校が出した書類に、「この子を入れたら大変だよ」みたいな事が書いてあったのです。そのために不合格になって裁判になった時に、私は証人として裁判に出ました。その時に、埼玉県の方が、「高校は選抜ですから」と言いました。「分かりました。選抜制度です。だけど選抜というのは、先生に都合のいい順番に入れるのではないですよね」と私は言いました。「高校が教育をするところならば、教育を必要とする順番に入れるべきではありませんか?」と言いました。裁判所は深く頷きました。誰でもそう思いますよね。一番教育を必要とする順番にと。だって公のお金を使うわけですから。どこへ行っても学べる子でなく、一番高校に行かなければならない子を優先的に入れる。選抜の基準というのはそれぞれ違うわけですが、今の所、先生の教えやすい子を優先的に入れているわけです。そこが間違っていると思います。  だだ、高校を受験するにあたっては、本人の強烈な「行く」という意思表示がないと応援はできません。私は障がい児教育に関わっていて思うのですが、子どもの思いより、親ごさんの「この子の為にはここへ行った方がいいのじゃないか」という思いの方が先に立っているように思います。子どもはどんな子どもであれ、自分のやりたいこと、行きたいことはきちんと表明するものだと思います。条件さえ整えてあげれば。何も見せないで、「この養護学校がいいよ」と言えば、子どもはそれを選ぶしかないわけです。ちゃんと行ってみて、調べてみた上で、子どもがどこを選ぶか。多くの子どもは、みんなと一緒の場を選びますね。いわゆる自閉的な子とかで、「一人がいい」と言う子がいます。でも一人がいいというのは、離れ島に一人でいたいということでなく、仲間がいて所属する場があるから一人で楽しむということができるのです。すべての人から切り離されて一人でいたいというわけではないです。そういう子どもにこそ、所属としての場所を保障しなければいけないと思います。

 高校の学習指導要領を見ますと、「心身に障がいがあって学習の遅れがちな子どもに対しては配慮をすること」、学校教育法の施行規則の中にも、「学習の遅れがちな子どもについてはその子に合わせた配慮をすること」という事が、国のレベルで書かれてあります。障がいを持っている子が高校を目指すというのは、決して不都合なことではりません。小学校や中学校は当然の事として、「ここにいるのが当たり前だ」と思わなければ、親ごさんがそう思わない限りは、子どもも落ち着かないことが起こってくると思います。「ここにいてもいいのだろうか?」と親ごさんが迷うとき、子どもも必ず落ち着きません。親がどっしりしていれば、だいたいそれで済むはずです。就学通知を貰って普通の学校へ行っているというのは、法律違反しているわけでもなんでもなく、教育委員会がどうぞここにおいでくださいと言ったから行けてるわけです。就学通知とはそういうものですから。

 ただ、やはり高校ではいろいろ問題があって、神奈川では8年かかって9回目の受験で希望する高校に入った子がいます。お母さんは8年間、ずーっとその学校に、「来年こそ入れてください」と言いながら、県と交渉しながら、9回も試験を受けたのです。もういい加減にしろと私たちも思ったんです。「お母さんのエゴじゃないの」と言いたくなるほどでした。でもお母さんはずっと、「今日の非常識は、明日には常識になるよ」と言っていました。それと、毎回受けるたびに「今年こそは合格する」と思っていたから8年間続いたとも言っていました。今はもう卒業して、その子は「高校を卒業たんだから、進路保障して欲しい」という要求をしています。これも、障がいを持っている親御さんたちは遠慮がちですよね。例えば、中学校を卒業する時に、その子の進路を保障するのは中学校の進路指導の仕事です。だったら、この子の進路先を見つけて欲しいというのは、当然の事として要求していいことなのです。なのに、学校の先生は「えー、そんなの無理ですよ、この子が高校へ行くなんて。自分で探して下さい。自分で運動して下さい。」と言われる。そうじゃなくて、学校としてやって欲しいと、きちんと要求していく。中学校の先生や中学校挙げて高校進学を保障しようとしたときには、だいたい実現しています。どこの県を見ても、障がい児が普通の高校に行く道は開けているはずです。

 神奈川の長い間の取り組みの成果として、定員をオーバーしていても、点数のまったく取れない子が高校に入っています。今、全日制の県立高校に通っているゆうき君は、ダウン症です。定員が30数名オーバーの時に入りました。でも、入ってどうするかは様々な問題があります。先生方も苦労しているのです。今までの、できる子向きの教え方ではさっぱり分かってくれない。点数を取ってくれない。けれど、お母さんは点数にならないところもちゃんと見ている。さっき読んでくださった、私が書いた「0点の教科からもたくさん学んでいる」ということ。先生は0点から100点の間しか考えないけれど、親ごさんに言わせると、子どもにとっては学ばないことと0点の間には大変な距離がある。どうせできないからと学ばないことと、0点とは大変な違いがあると言っているのです。

 ある先生は、「この子が毎日学校へ来てこれだけのことをやったことをどう評価するか」ということで、1ではなく2をつけるけれど、「こんなの点数にならないよ」と1をつける先生もいる。そんな中で、「この子は障がいがあるのだから、5段階評価の3から始めよう」と職員会議で決まっちゃったんです。どう思いますか? この子は他の子と同じように点数をつければ当然0点だから1です。でも、この子は3から始める。何もできなかったら3にして、できたら4にするとか。例えば、100メートル走るのに、50メートルのところから走らせるようなものです。このことについて、「それは有り難い」と思う人もいます。だけど、ゆうき君のお母さんは、「もっと真面目に付き合ってくれ」と言っています。どうせできないから3から始めるというのは、かなり失礼なことかもしれません。高校の先生には、そういう苦労をいっぱいしてもらわないとね。そういう苦労の中から、知的な障がい児の学習をどう考えるかが開けてくると思います。せっかく高校に行くのだったら、そういう挑戦をしていかなければ。

 京都でも、障がいを持っている方で高校行っている方はたくさんいて、それなりの苦労はしていらっしゃると思うのですが、希望する子どもは全て高校へ入れるようにするには、かなりの取り組みが必要だと思います。できることならば、神奈川でもやっているように、定員オーバーでもこの子は必要だから入れる。ここ3年で神奈川で入っている例というのは、30人とか40人とか定員オーバーしているんだから、正規の順番でいったら当然その子は入れないわけですけど、そこに添付された別の用紙に、一般の調査書以外に1枚余分に付け足した用紙をどう見るかということが校長先生の判断にゆるされている。高校の合否は校長先生が決めるというふうに法律で決まっているわけで、校長は「この子は絶対にここで引き受けるしかないんだ。」と覚悟したときに、入れることができるわけです。そのことを恐れている人たちは、これだと市民のコンセサスが得られないからなという人がいるわけですが、障がい児が今までに受けてきた差別を考えれば そんなものでは済まないものだと思うのです。よく言われるように、「本人の責任でない不利益は差別」ですよね。やはりそう思わないと、きちんとした主張はできないと思います。だとすれば、本人の責任でない不利益にならないようにするためには、何処かでおぎなわなければいけない。試験の点数を、障がい児だからこうするというのは、あまり好きではないですね。東京では若干そういうやり方をしています。そんなごまかしでは無くて、選択制度そのものに問題があると思います。行きたい子を受け入れる方が先だと思います。今、高校に行かない子は何人もいないわけですから、すべて受け入れるということにしなければいけないと思うのですけれど、まだそうはできていません。  子どもが「行く」と言うのに応援することがなかったら、「どうぞおいでください」という世の中には絶対にならないと思います。これだけの能力主義がすすんでいる時に、「いずれはうちの子も高校にいけるようになるだろう」という思いではダメだろうと思います。「絶対行くんだ」ということと、「行って当たり前だ」ということがないと、受験は難しいだろうと思います。東京で初めて介助者が問題を読み、答えが選択制になったと時は、かなりの頑張りがありました。何とかして入りたいのと、何とかして入れなければいけないという行政の方(石原の時ではないですよ)の意志があった時に実現したものです。支える方も本人の強力な意志があれば応援できるわけで、「みんな入れるようになったから行きましょう」ということにはならないだろうと思っています。

 3番目に書いておきましたのは、『解放される教師、気がねなく生きる親』。普通に生きていくことに対して、親が遠慮することはないだろうと思います。地域に住んでいる子どもが地域の学校に行くのは当たり前だと、そこははっきり思っていかなければ。親が、「こんな子をお願いしているのだから」と遠慮していたら、やっぱり、そこはつけこまれます。私は『障害児を普通学校へ・全国連絡会』の世話人をしていて、いろんな相談を受けるのですが、相談者の親御さんの多くは遠慮していらっしゃる。遠慮して「できる限りの協力をします」と言って、「そうですか。それじゃあ遠足ついてきてください」と言われれば「ついてきます」と言い、「運動会だ」と言われれば「ご迷惑でしたら休ませます」と言ってる親御さんほどいじめられています。図々しいと思える程、子どもに代わって権利を主張している親御さんの方のほうが大事にされているし、周りの支援も良くなっているように思います。間違ったことを言っているわけではないのだから、きちんと言っていかないと。学校というのは親と離れるところですから、そこに親が関わるということは子どもの成長を妨げるわけです。そういう主張はきちんとしていかなければいけない。

 教師の方も、解放されないと無理ですね。「学習指導要領があるから」と言っても、学習指導要領は大綱的基準です。教師が幅を持たせてその子に合わせて教育していいとちゃんと書いているにも関わらず、「学指に書いてあるから、お宅には無理です」と言う教師がいますけれど、教師もそこから解放されないと、教師冥利に尽きるような目には会わないと思います。  4番目に、『障害児から戦後日本の教育改革をみる』と書いてあります。今、教育基本法が見直されようとしていますが、改正されたらひどいことになると思っています。まず、資料の@『わが国の特殊教育』を見てください。

 これは 1961年(昭和36年)、私が特殊教育を受けに学芸大学に行った時に、最初に読まされた本の一部です。『わが国の特殊教育』という本の第一章が、『特殊教育の使命』でした。特殊教育はなんのためにやるのか。ここには2つの目的が書かれています。1つに「障がい児の教育を保障する」というのは確かにありますけれど、もう1つは「五十人の普通の学級の学級運営を、できるだけ完全に行うためにも、その中から、例外的な心身の故障者は除いて、これらとは別に、それぞれの故障に応じた適切な教育を行う場所を用意する必要があるのです。特殊教育の学校や学級が整備され、例外的な児童・生徒の受け入れ体制が整えば、それだけ、小学校や中学校の、普通学級における教師の指導が容易になり、教育の効果があがるようになるのです。」これがウソだというのはすぐ分かります。今、これだけ多くの養護学校や特殊学級ができているのに、子どもの問題はだんだん増えています。問題が起こるのは、子どもを分けて競争させるからあって、みんな一緒にやればこうはならないはずなのに、こういうことを言っている。

 かつて特殊学級を作り始めるとき、まだ養護学校が義務化される前ですけれど、日本の子どもの成績を上げるためにはどうするかという一つの方法として特殊学級が設置されるようになった。2つの目的があったからこそ、ここまで特殊教育が繁盛しているのだと思います。障がい児の教育保障だけだったら、障がい児は少数派ですし、世の中で大事にされていませんから、こうは繁盛しなかったと思います。子どもを分けることによって普通学級が助かると思うからこそ、ここまで繁盛していると思います。

 国際的な子どもの人権に関わる条約などがたくさん出てきたのはこの後です。 当然、そこは是正されていかなければならないはずですけれど、ぜんぜん変わっていません。資料のAにあるのは1981年(昭和56年)に出された文書で、この年は「国際障害者年」でした。当然の事として、総理府の中に設けられた『中央心身障害者対策協議会』では、統合教育を検討していました。ところがその中心協に対して文部省が、資料の一から四までを書いた文書を渡して、「せっかく養護学校を義務化したばかりで、分けることで今日本の教育は成り立っているのだから、統合教育なんて言わないでくれ」と言って、このときの中心協の方針は「交流教育」に終わったのです。  ここに書いていることは、障がいの子を普通学級に入れようとするときに教育委員会から言われることではありませんか? 「ついていけませんよ」と言われる。「いいんです。ついていけないのは分かっています。うちの子は友達との関係や社会生活を身につけさせたいと思います」なんて言おうものなら、資料の二、にあるように、「邪魔になります」と言われます。「ついていけません」は我慢できますが、「邪魔になります」と言われると、親は本当にこたえますよね。障がい児が来たことによって邪魔になると思うのか、得するかは考え方のよって違います。私はより豊かになったことをいくつかお話しました。資料の三に、お金が掛かることが書いてあるのですが、養護学校が無くてその分を普通学校に回せばどんなにか豊かな学校になるわけで、これはウソです。だって、スクールバスなんて遠くに行くから必要なわけで、地域にある学校に行くのには何もいらない。資料の四の、「現行の特殊教育制度、ひいては学校教育制度全体の根幹に触れる大きな問題となる。」要するに、競争させるのが日本の教育だから、それを壊したくないというのが文部省の本音でした。 資料の裏をご覧下さい。 2000年12月に出た、「教育改革国民会議最終報告」。当時の文科大臣は森喜朗でしたが、だいたいこれが今、実現している段階です。相変わらず、邪魔になる子は別のところに置け、邪魔になる子の居場所を保障しろと書いてあります。これが日本の教育なのです。ただ最初の『わが国の特殊教育』と少し変わっているのは、「問題児の中には天才がいるかも知れないから、それも探せ」と書いてあるところかもしれないです。これが発達障がい者支援者法につながっているのですが、ほぼ同じ姿勢です。日本の教育の「日本の学力をどこまで高めていくか」というのは、国家戦略として、「国の都合のいい国民がどう育つか」、というところに目標があるわけで、その中に障がい児教育がちょっと組み込まれているだけの話だということがお分かりいただけると思います。

 『教育基本法』のことですが、別の資料を用意しています。
 教育基本法は、まもなく衆議院で採決をされるわけで、野党は反対しているのですが、多分通るだろうと思います。教育基本法について、一番マスコミ等で話題になっているのは、愛国心の問題です。愛国心が強制された。この事は、一貫して書いてあります。もう、家庭でも学校でもやるように。国を挙げて愛国心を強要しようというのは、もちろんですが、5ページのところにあるように、大学とか私立学校とか、今までは特記されていなかったものが、特記されています。今までは、大学とか私立学校とかはある程度自治が認められていたのですが、それをも支配しようとする内容になっています。

 障がい児に一番関係があるのは第四条です。教育基本法案の第四条(現行法では第三条)。現行法では「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないのであって、人権、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」というのがあります。現行法でも「能力によっては差別していい」とも読み取れるので、私は気に入ってはいないのですが、それでもこの現行法ですと、「等しく教育をうけるために能力に応じた配慮をしなければいけない」というふうに読み取れて、学説としては有効な形を取っています。だだ文科省とか裁判所を説得するには至っていきませんけれど。ところが改訂法では、「能力に応じた程度の教育しか受けられない」ということになってしまいます。そのことをわざわざ、第四条2のとこに、分けた障がい児教育の場を用意しなければならない、と書いてあって、これが通ってしまうと、分離教育がきちんとされるようになっていくのではないか。これらは理念法ですから、このことが直接政策に影響するわけではありませんが、これによって学校教育法がどう変わっていくか。今、学校教育法の施行規則を検討中なのですが、おそらく大きく影響するだろうと思います。

 第四条の3(現行法の第三条の2)も、本当に変ですね。「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって就学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。」勉強ができないと奨学金が貰えないということです。変ですよね。奨学というのだったら、できない人にほど、障がいを持っている人こそ、お金を出さなければいけないのに、勉強ができたら大学に行くために保障するよという言い方なわけでしょ。これに対して、大阪、兵庫などでは、成績条項撤回の運動をしています。高校の教師たちが、成績表を付けなければ奨学金貰えないにもかかわらず、成績表を抜かした形で、必要な子には奨学金を出させるという運動をしています。その運動が成果を挙げていることに対して、これはそれを封じるための改訂案はないかいう気がします。しかも、改訂案に「奨学の措置を講じなければならない」とありますから、これは行政が関わることになります。奨学金だって行政の思う通りにならないともらえない、ということになります。

 それから、「学校教育」の第六条の2のところややこしいことが書いてあるでしょう。「教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行わなければならない。」これも文科省の考えによっては、障がいに応じて分けることになりますし、「この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。」かなり、本人の能力に依拠しています。どんな子だって豊かな教育を受けられる、とは解釈できない項目が加えられようとしています。就学年限も9年でなくてもいいという形もありますし、さまざまな問題があります。一番大きなのは第十六条(現行法では十条)の「教育行政」。誰が不当な介入をするのかが、このままだと反対になりそうで、教育の中心は子どもや学校でなく、行政が主体だと解釈されるようなものになっています。今まで無かった、第十七条の「教育振興基本計画」というのが新しく入っています。これは、国会の承認を得れば、どんなこともできることになりそうで、これまで「教育基本法」であったのが、「教育支配法」になるんではないかということが憂慮されてまいす。

 来週中に衆議院で採決され、参議院に回されるのではないかと思いますが、まだ間に合うと思いますので、できるだけの意思表示はしていただきたいと思っています。

==質疑応答==

《質問》
 私の子は小学校1年生で、普通学級に入れています。最初は嬉しく小学校6年の姉と通っていたのですが、1ケ月後ぐらいに突然、「お熱があるねん」と登校途中に一人で戻って来て、それからちょっとずつ、登校途中に道端で座ったり、他の所に行ったりして、すんなり学校へ行かなくなりました。夏休みが終わってからは、学校がイヤでイヤで、「いつ学校終わるの?」とか「明日、学校休み?」とか、毎日そういう質問をされるたびに、親としてはすごく辛い気持ちでいます。
 担任の先生は障がいを持っている子を見る余裕がなくて、クラスを進めることに一生懸命で、ほったらかされてるという印象はあります。ウロウロすると怒られるみたいで、無理やり座らされていて、本人には面白みがない。
 「何で学校行きたくないの?」と聞いたら、「何で?」という問いに今まで答えられなかったのですが、はじめて、担任の名前を言って、「○○先生が怖いの」とはっきり言ったんです。辛い思いをして行っている学校を、どうしたらいいかと考えあぐねています。先生、ご意見をお聞かせ下さい。

《北村先生》
 子どもが「行きたくない」というのは、多分、他の子にとってもあまり嬉しい先生ではないのでしょうね。障がいの子がニコニコしているのは、他の子にも良い担任の先生だし、障がい児だけ辛いというのは、おそらくないだろうと思います。要求としては遠慮することなく、「怒るばかりでなく、いいところを見つけて褒めてあげてください」とかの言い方をしたらいいと思います。子どもは、褒められると良くなるでしょう。悪いとこを指摘されても良くはならないですよね。
 それと、休みたければ休めばいい。「学校に行こうね」とか、学校に行くことを強要することは、親は言わない方がいい。親は、子どもが学校で大変だと言ったときに、そこのところは共感してあげなければ。「学校ってしんどいね〜。よく頑張ったね〜。じゃ、家でお母さんと楽しく遊ぼう」みたいな。家は学校とは関係なく、うんと楽しくしてあげるべきだと思います。辛抱して学校行って役割を果たして来たのだから、「今日一日、よくやってきたね」という感じで。それでも行かなければ、行かなくていいじゃないですか。「行かないのはこういう訳だから、子どもが行けるような学校にして欲しい」という要求は、当たり前にしたほうがいいと思います。

《質問》
 要求していくと、校長先生なども出てきて、「居心地のいい場所があります」と。「育成学級だったら自由にできるし、ゆったりとしている」とか、「先生に怒られずにすむ」とか、「他の生徒たちにも迷惑掛けないですむ」と言われます。まだお漏らしをするので、先生に手を借りてトイレに連れて行ってもらわなければならないので、「お漏らしをしたら手を掛けてしまい、その時間に他の子どもたちの授業が進まない」とかを校長先生に言われるのです。

《北村先生》
 「居心地のいい場所がある」というのは、それはウソです。“お漏らし”は、確かに、育成学級に行かせる理由にするだけのものはありますよね。そいう時に先生がどうするのか。
 私の友人で、男性の教師ですが、学級にお漏らしする子が転校して来たんです。彼は、家庭では連れ合いは専業主婦だし、子どもは一人しかいないので、多分自分の子どものオムツも取り替えたことがないような教師だったのですが、お漏らししたときに他の子どもに対して、「早く取り替えてあげないと冷たいから、待っててね」といえる教師だったんです。するとね、他の子は分かります。先生がいない時にお漏らししたら、冬だったから、「早く取り替えないと冷たいね」というのが他の子にも分かって、子どもがやってくれた。そこが先生の考え方ですよね。なかなか先生を変えるのは難しいです。そういう話をすると嫌がられますしね。よそにはこんな良い先生がいると言う、だいたい嫌がられますからね。(笑)
 だから、先生のしている範囲で先生の良い所を見つけて、「先生がこうして下さった時には喜んでいました」と言えば、もう一回してくれるかもしれませんね。
 学級は、お宅のお子さんだけでなく、どの子にとってもしんどい状況にあるだろうと思うので、それを良くする方法は、お母さん一人では難しいですよね。できれば他にも同じような思いをしている人達と一緒に何か要求をして行くとか。

 それから、そういう時期というのは付け込まれやすくてね。私の知っている事例で、そういうお子さんを勝手に特殊学級に連れて行った。そこには、おもちゃがいっぱいあって、みんな遊んでいたので、喜んでニコっとしたんです。その瞬間を捉えて先生が、「特殊学級に行ったら、笑顔が出ましたよ」と言うのです。その時、そのお母さんはきちんと言い返せた。「もともと笑顔のある子です」と言ったんです。(笑) だから、その笑顔は普通学級の中で出ないとウソだということですよね。先生はそういう言い方をするんです。「喜んでいました」と。それは普通がしんどいから喜んでいるわけで、決して本気で喜んでいるわけではない。「その喜びを普通学級で味わわせたい」と、子どもに代わってお母さんが言ってあげないと。
 いっぱいいっぱい、お母さんは家で可愛がってあげてください。それで辛抱して学校へ行った日には、うんと褒めてあげてください。

《質問》
 小学校6年の女の子です。障がい児の親同士で話をした時に、「育成学級に行ったら、その子のやりたいことができるし、のびのびする。すごく良いのに何でやらないのか」とかなり言われました。「普通学級でかわいそうだ」と。
 「自分の子も普通学級でしんどい思いをした。普通学級で頑張ってきたけれど、育成学級に行ったら、自信がついてきた。自信をつけてあげたら? やはり、自信つけてあげるには育成学級に行って、その子のやれることをやらせてあげるのがいいのじゃない」と言われました。今度、中学校になるので、どうしようかと考えています。

《北村先生》
 障がい児学級とか、特定のところで自信がついたって、世間には通用しませんよね。自信はみんなの中でつかないと、自信ではないですよね。

 私が「子どもを分けてはいけない」と言うのは、一番大きなのはそこのとこです。私はこれまで、できるだけの進路保障もしてきたつもりなのですが、今でも、生徒と昼間に街で会うと、知らない顔するんですね。夜になると、「先生、3千円貸して」と言いに来たりします。要するに、私と付き合うことで障がい児学級の卒業生と分かるのが辛いのです。障がい児学級が悪いことではないですよね。差別があってはいけないのだけれど、現実はそう思われているわけでしょ。だから、私との関係がないということにしたい。それでいて頼る人がいないものだから、夜になると「3千円貸して」と言ってくる。

 それから、非常に良くできる子だけど、いろんな条件があって特殊学級に来てた子がいるんです。普通学級に戻ろうと思っても、一旦来たら戻れないのです。一旦、特殊学級の「できない子」というレッテルを貼られたら、そのレッテルを持って普通学級に戻ることはできない。普通学級のできない○○ちゃんと、特殊学級から来た子はまったく条件が変わるわけです。
 そういう事情で卒業して、レストランの見習いに行ったんです。ある日、卒業してあまり経たないうちに教室に来て、うしろでじっとしているんです。「何か用事があるんだ。困ったことがあるんだな?」と思ったんですが、なかなか言わない。生徒がみんな帰った後、彼は聞いてきました。それは、レストランで使うカタカナ語でした。「職場で誰かに聞けばいいじゃないの」と言うのだけど、彼の頭の中で、特殊学級だから教えてもらえなかった、普通の人はみんな知っているという思いがある。レストランで使うカタカナ語は辞書にも載っていなかったりするので、聞くしかないわけです。だけど、聞いたら自分が特殊学級卒業生だとバレるのではないかと思って聞けない。普通学級に行ってないという引け目というのが、自信がつくどころか、ものすごい劣等感として残っているのです。

 自信はみんなと一緒の中でつけないと、ついたと言えないと思います。そこでラクをしたら、ずっとラクをしたいので、一生ラクなところ探しをするようになる。やはり、育成学級を勧める人というのは、そういう場所を選んだ人でしょう。やっぱり、いいところだと言いたいわけね。それと、邪魔にする人が言うわけですよね。でも、こっちが当たり前のことをしているのだし、当たり前の要求をしているので、自信をつけるなら、そこでつける。自信というのは、何かができるかではなく、できなくても、この人と一緒にいて、イザという時にはやってくれるんだから、世の中で通用すると思ったら、それが自信になるわけでしょう。

 養護学校の学習指導要領を見ると、自立、自立と書いてあります。本人を鍛えることによって自立するみたいなことが書いてあるのですが、いくら何ができても、周りとの関係がなければ自立はできないわけです。障がい者の自立というのは、健常者との付き合い方の問題で、その事を抜きにして本人だけのことを考えていたら自信には繋がらないと思います。周りとどう関わるか、関わる人を増やしていく事が自信につながる。

《質問》
 私の娘は2歳半で保育園の年少クラスに入れるところです。今、療育センターの先生から、年少クラスの中では赤ちゃん扱いされるから、1歳児クラスの中でお姉ちゃんのような立場にしたらノビノビできるから、学年を下げて入れろと言われています。何か自分の中で解せないというか。社会へ出るスタートで、私の子がそれをどう感じるかも分からないし、そういう道を印象づけてしまうのではないかと危惧しているのですが。乳幼児の段階ではどうなのかな? と思っています。

《北村先生》
 小さい時ほど、1歳2歳の違いは大きいわけで、大事ですよね。
 お誕生日に、「今日、3つになったね」という時の子どもの顔って、違いますよね。それは大事にしてあげないといけないと思います。やっぱり、2歳だったら2歳扱いして欲しい、3歳だったら3歳扱いして欲しい。そこでノビノビしないというのは、2歳なり、3歳なりの制限があるわけで、その制限を障がい児だからまけてやるという言い方なのでしょう。そうはさせたくないよね。人並みの制限は受けて、それを跳ね返す。それが差別であれ、恩恵であれ、年齢相応のものを受ける、人並みのものを受けるというのは大事だと思います。自分はいつまでも赤ちゃんのつもりでいるというのは不幸なことです。小さくても、病気であっても、寝てても、3歳は3歳のということを、きちんと言っていくことで、子ども達は成長していくのではないでしょうか。

 ちょっと違う話だけど、この間、小さい子がバスに乗っていて、バスの料金払おうとしたら、運転手さんが「子どもでしょ」とおつりを出そうとした。多分、障がいを持ったお子さんだと思うのですが、「ちゅがくせいです。ちゅがくせいです」と頑張るわけです。どんなに小さくても、主張したいんですよ。そういう主張はとても大事だと思います。
 同じ年齢のところにいけば、遅れているとか、遅いとか言われるかもしれないけれど、その事も含めて経験だと思うのです。

《質問》
 小学校2年生で普通学級に行っています。今日はお話を聞いてとても励まされた。普通学級を途中で断念された友人もいるのです。その方の話では、育成学級に行って、勉強のほうは、一歩一歩分かってきたような所も見えるけれど、違う教室に行ったということで、普通の通級学級に戻って来たときに「何で来たの?」と言った子がいて、その子が通級学級に帰りにくくなったと聞いて、そんなこともあるんだなと思って。お友だちと一緒にいることや親も知り合いになるとか、地域の中で大事なんだと、また確信を持たせてもらいました。学校の制度もいろいろ変わってきているし、個人個人アンテナをはってやっていかないといけないのですかね。

 具体的に質問をしたいのですが、先生方の勉強会がよくありますが、こんないろいろな子どもたちが入っているときに、関わる方法とかの話をするような場が先生方の間であるのですか? 実践記録などがあれば、もっと広げていただきたいなと。実際、担任に委ねているので、そういう資料のようなものがあれば、担任の先生にも伝えてあげたいので、教えてほしいのです。

《北村先生》
 普通学級に行っていて、しんどくなって、養護学校や育成学級に替わられた方は沢山いらっしゃると思います。普通学級に耐えられなかったというのは、普通学級が良くないのですよね。だから普通学級に見切りつけていく。そのことは行政や学校は反省をしなければいけないのだけれど、反対に、「いなくなってセイセイした」みたいな気でいることがあるわけでしょ。私はとても悔しいのです。「障がいを持ってるお子さんがせっかくうちの学校に入ってくれたのに、ちゃんと対応ができなかったから、育成学級なり養護学校に行ってしまった」と反省しないで、行ってよかったと思っているとしたら、やっぱり悔しいですよ。そういう意味では、居続けて欲しいですね。居続ける中で、付き合っているうちに、「どうせ、もうどこも行ってくれないのだったら、なるべくいい関係にしよう」というぐらいのところからしか始まってこないと思うのです。

 この間、長崎県の教職組合の会合でお話する機会があったときに、「いつも聞く、教育委員会主催の話とは反対のこと言われて、頭が混乱した」と言われた先生がいました。だから「うんと混乱して下さい。こんがらがったところから、話を始めてください」と言ったのです。かなり偏った、「子どもの能力によって分けろ」という、世界の流れに反するようなところで、それに従わざるを得ない障がい児の親もいるわけで、とても残念なことだと思います。やはり、普通がどの子にも居心地がいいところになるようにするにはどうすればいいかというのを追求していきたいと思います。

《質問》
 発達障がいの小学校の4年の男の子で、普通学級に行っている子の母親です。みんなと同じ様に宿題をさせたいなという、親のエゴの部分があって、学校で頑張ってきているのにさらにお家で頑張らせるのは、すごく子どもにとってはしんどい事なんだと思っているのですが。音読とか、親が一緒に関われるところをやらせているのですが、どこまで一緒にさせていいのかという迷いもあって、先生はどういう風に思ってらしゃいますか。

《北村先生》
 発達障がいの方というのは、知的の遅れがないというところからの話があるわけで、もう少し勉強させたらという思いがお母さんにおありなのかしら? させたらできるのにという思いがお母さんにおありなのではないでしょうか。
 そういう思いも、学校に対してかなりの人が思っていますよね。ちゃんと教えてくれればいいのに、もうちょっと教えてくれればいいのに、という思いはどの親御さんにもあると思います。それは要求していいと思うのです。できない子の親御さんも、教えてくれないから身についていないと思っている人はいっぱいいるわけで、そういう不満は学校に要求していいと思う。ただ、学校と家庭はきちんと分けた方がいいと思います。学校の続きや、先生の続きを親がするのは、だいたいよくないです。学校は学校に任せておいて、そこがどうあれ、ともかく家庭は、お母さんは子どもの味方だというのは、どんなに強調してもいいです。

 学校の先生が、「もうちょっと家で勉強を見てやってください」と言われて付き合う親御さんもいるわけですが、そういうのは絶対にしないほうがいいです。「勉強は学校でやってください。家では家庭としてやるべき事をやりたいと思います」と言った方がいい。そこは分けておいた方が、外でしんどいことがあった時に全面的に親に期待することができるで。同じことを両方でやっていたら、子どもはイザという時にどっちも頼りにならないと思ってしまう。

《質問》
 うまく、どう聞けばいいのかもわからないのですが。今、年長で6ケ月後には入学する男の子がいます。住んでいるのは滋賀県で、京都とは少し違うのかなと思うのですけれど。
 今、家庭では勉強を頑張らせないということをおっしゃられていましたけれど、普通学級の中ではついて行けないけれども、その子に丁寧にかかわれば分かることというのはあるのでは‥。「ひらがな」なんかでも、普通学級のペースではついて行けないけど、その子のペースでやれば覚えられるとか、習得できることというのは、それも普通学級の先生にお願いするということなのですか?

 トライアングルの会報なんかを読んでいると、普通学級なんだけれども国語と算数だけは育成学級に行っていますとか、そういう話も見たり聞いたりするんですけれど、私が住んでいる所ではそれは許されていない。普通学級に在籍したら絶対に普通学級なのです。障害児学級に在籍すれば普通学級には行けるんですけれど、その逆は許可されていない。
 私は普通学級にいる方がいいと思うし、健常児の中に混ぜていたいと思うのですが、それだけでいいのかなというところで、どうしたものかと思っています。

 私の市ではダウン症の子が普通学級に行った前例はないと聞いていて、だから「うちの子を普通学級に入れてくれ」と言えないわけではなくて、前例がなくてもうちの子を入れてくれと言い切るだけの自信というのがなくて、今のところ、障害児学級在籍で、9割方でも普通学級に行かせてもらおうという話にはなっているんです。でも、それは普通学級の子にしたら「障害児学級の子が来た」というふうにしかならないのだろうなとも思っていて、考えがまとまらない状態なのです。

《北村先生》
 私は子どもに選ばせるのがいいと思っているわけですけれど、選ばせるとなると、子どもはみんなと一緒のところを選ぶと思います。

 障害児学級に行って時々普通の学級に行くとか、交流というのはよさそうに見えますが、あんまりよくない。障害児学級に行っていて普通学級に通うとなると、障害児学級の教育の上にやっているように思うけれど、そうじゃないでしょ。そこを削っていくわけでしょ。普通学級にいて、算数と国語だけ障害児学級に通う、そうすると普通学級の上に障害児の特別なことをやっているような気がするかもしれませんけど、普通学級にいる時間を削ってそこへ行くわけでしょ。みんなと一緒にいる時間を削っていいのかと思います。

 交流というのは非常に不安定なものです。違うから交流が成り立つわけで、「障害児学級の子が来てる」という感じでしょう。普段は一緒に勉強してないわけで、その時間だけその子が来て、どっちからどっちに行くにしても、非常に不安定な感じだと思うのです。
 普通学級の子だけれど、情緒障害児学級に通っている子がいました。その子は行動面でいろいろ面白いことをしでかしてくれる子で、普通学級の先生が考えたんです。習字の時間はその子のいない時間にしようと。その子はすぐに墨をひっかけたりするものだから。本当は、その子こそがお習字を上手になってもらわなくてはいけないでしょ。でも、その時間はその子がいない方がいいということになった。だって、いない時間を作っちゃったんですから、その時間をどう利用されようと。

 だから、普通学級にいたらずっと普通学級にいなければ。そうすれば、子どもは「分からない」ということが分かるわけです。それも大事なことなのよ。分かることだけで過ぎていく所を選ぶのか、世の中にはわからないこともあるんだ、難しいこともあるんだということを分かりながらそこで過ごしていくか。世の中には難しいことや、困難なことが、これから先もあるわけでしょ。だったら、世の中ってそういうものだと分かっておく。そういう時にはどうするかということもついでに分かってしまうことの方がいいのではないか。

 少しでも子どものためにと、一生懸命考えていらっしゃると思うんです。でも、あまりいいことないですよ。私は「いいとこ探しをするな。いい所が必要なら作ればいい」と言っています。いいとこ探しをしていると、だんだんラクな方へかたむいて行きますから。頑張って、切り開いて行こうという気にはならなくなります。今の世の中、ラクなところはいっぱいありますから。でも、普通に生きて行こうと思うなら、ちょっとバカにされようと、言い返したりしながら普通で生きて行く方が絶対に面白いと思いますよ。そういう力は特定のところではつかないと思うので。

 何の時間だけどこに行くというのは、どこに座っていいのか分からないし、遠慮しながら座らなければいけないとか、すごく辛いことですよ。障害児学級から普通学級に行くことも、普通学級から障害児学級に行くことも、いずれにしても子どもにとってはかなり辛いことです。

 大阪での話ですが、障害児学級の子が普通学級に交流していたのです。たまたま時間割の変更があって、彼は数学の時間のつもりで行ったのに、みんなは他の教室に行っていて、その教室に行ったら誰もいなかった。ところが、誰もいなかったから戻って来たとは言えないで、1時間中その誰もいない教室にいて、いかにも勉強したような顔をして戻ってきた。自分の所属が不安定だということは、とても大変なことなのです。それよりも、どっかりと、地域の子どもだから地域の学校にいます、と言った方が安定すると思いますし、少々困ったことやできないことがあっても、そこでなら要求できる。  要求するのも、世の中のためになる。ガマンできる人がいたら、世の中はガマンできる人に合わせてくるわけで、ガマンできない親にも「我慢しなさい」と言ってくる。地域なら地域に決めて、そこにどっしりとしておられた方がいいと思います。

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