京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2008年2月号 掲載)
は・た・ち

 「はたち」、花奈が丁度誕生日迎えた頃より、年を聞かれると、この言葉を言うようになりました。これまでは「いくつ?」と聞かれると、ずっと「じゅうに」と答えていたのですが、ひとっ飛びに「二十歳」になりました。

 ある日、中学時代の同級生から、成人式の記念祭典に花奈と一緒に行きたいと連絡をもらいました。しかし次の週には、現在通っている所での成人式もあるので、行かないつもりでしたが、せっかく誘っていただいたので重いお尻を上げる事にしました。

 当日は、メイク、ヘアーは姉の友達の母が、着付けはPTAで一緒に仕事をした友達が担当。二人とも、朝からばたばたと駆けつけてくれ、熱気漂う我が家は美容室モードへと変わっていきました。当然、美への関心の強い本人はチョコンと椅子に座り、今日は私が主役とばかりに、変身していく自分をとくと眺めていました。やはり女の子ですね。一旦、式に行くと決めた後は、何だかこちらも血が騒ぎ出し、小学校や中学校の、あの時の、あの子達に会えると思うとワクワクでした。

 当日は期待した通りの展開で、美しく変身した姫たちが「やっぱり花奈や」、「花奈、元気やった」、「又遊びに行くし」、等と声をかけてもらったり、写真を撮ったりで、花奈も照れながらも、同級生の名前を言ったりして、小学校の楽しかった時を思い出していたようです。私も、その光景を見て、本当に嬉しかったし、あの頃の事が鮮明によみがえりました。普段は家族の言う事は全く聞かない私も、この時ばかりは言うとおりにして良かったと思いましたし花奈にとっても、小学校で普通学級に通った事は良かったんだ、と確信した瞬間でした。

 この紙面を書く機会をもらったので、もっと色々書こうと考えていたのですが、それをするともう完結編?になり、これから会報にはお呼びがかからなくなると思い、今回は我慢致しました。20年前に涙が枯れていた私も嬉しかったですが、口には出さないけれど、父親はそれ以上の感激をしていたと思います。(当日はひたすらアッシー君でしたが)

 最後になりますが、これまでどれだけ多くの人に支えられて来たか(それを書こうとしたのですが、あまりにも多くて)計り知れません。親が出来る事はほんの少しで人の力の偉大さや、温かさ、優しさを今更ながらに深く感じています。そして、今は年老いた義理の母や実家の両親にもいつも見守ってくれた事に面と向かってはいえませんが、感謝の気持ちで一杯です。

(柵木 花奈子 母 郷子)





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