『やさしい心をもっていますか?』 2009.6.28
質疑応答 質問: 止揚学園のみなさんのお気に入りの歌があったら教えてください。 福井先生: 『子どもの笑顔を消さないで』という歌なのです。非常に明るい歌ですが、とっても悲しい歌なのです。私たちの仲間は、日本で初めて町の小学校・中学校に通った、知能に重い障がいを持ったグループです。だけども養護学校義務化で、町の小学校を追い出されたのです。その時、町の人たちは「養護学校の方が設備も整って素晴らしいから、そちらに行かれた方が止揚学園の子どもさんの幸せですよ」と言われました。日本人には本音と建前があるのですね。本音が聞こえて来るのです。「ああいうアホな子がこの学校に来てくれると、私らの子どもたちが勉強できなくなって、大学や高校に行けなくなる」と。だから、いい整備ができたから、「追い出そうやないか」という声が聞こえて来るのです。僕たちは日本人ですから、法律を守らざるを得ない。乱暴なことをするわけにもいかない。それで学校を出されたのですが、でも私たちの仲間はそれがわかりません。朝になると、やっぱりランドル背負って「学校に行く」と言うのです。僕たちが「学校に行っても入れないよ」と言っても、わからないのです。それで行くものですから僕も付いて行ったら、校門に校長や先生やPTAの役員の方や教育委員会の方が立って、バリケードして入れへんのです。その中で、私たちの仲間が泣くんです。泣く子どもを私は抱きかかえながら連れて帰りました。次の日、また行くって言うのです。「もう入れてくれへんよ」と言っても、「行く」と言うのです。もう必死になって行こうとしますから、どうしても止められない。私たちの仲間は、とにかく朝何時になったら「学校へ行くんや」って、それがもう習慣づいていますから、行くんですね。それでやっぱり入れへんのです。で、泣くんです。僕はあの時、「教育というのは子どもの笑顔を増やすものなのに、子どもがこうして泣く。この涙の中に今の日本の教育の問題が深くあるな」と思いました。僕は、あの子どもの涙は、今もずっと心の中にあります。その時に『子どもの笑顔消さないで』という歌作ったんですけども、1人の女の子が、大人になって亡くなる前にその歌を、言葉では言えないのですがメロディで歌い続けて、2番目がプッと切れました。その時に天上へ召されました。僕はその姿を見ながら、「学校へ行きたかったんやな。この女性は30才近くになっているけど、やっぱりあの時学校へ行きたかったんやなぁ」と思いました。 国は子どもの立場に立って物を考えてくれない。学校も教育委員会も子どもたちの立場に立って考えてくれなくて、大人の自分の立場に立って物を考えていく。そこに、この子たちの涙があるんやなぁと思ったのです。 その時の歌が、『子どもの笑顔を消さないで』。行進曲風のとても明るい歌です。この歌を歌うと、どの仲間も小踊りします。手を叩いたり、足をバタバタしたり、からだを振ったり。この歌は、ご婦人がコーラスで歌って下さったり、アメリカで黒人のデモがあった時に、そこにいた日本の人たちがこの歌を歌って行進してくれたということを手紙で書いてきて下さった人もあります。 西竹さんに歌ってもらいます。 ♪♪♪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
止揚学園には、入園している仲間たち一人一人にテーマソングがあったり、たくさん生活の歌があったりします。例えば、足が弱くて歩くとすぐにドブにはまる子どもがいたのですが、「ドブにはまったらいかんよ」と叫んでいると少しも楽しくないから、ドブにはまる歌を作りました。 ドブにはまるよ ドブにはまるよ ○○さん 外に連れて行ったら 犬は大喜び ワンワンワワン ワンワンワワン ドブにはまるよ というような歌です。 スカートが好きな女の子がいて、スカートをはかすと、大きな鏡があるんですけどそこでクルクルクルクル、スカートを回して楽しむのです。それを15分、20分、30分、クルクル回って遊んでいるんですよ。 そういうのを歌にしようって、ちょっと歌ってください。 ♪♪♪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
止揚学園の歌はなぜ生まれたかと言うと、今の歌はテンポが早くて、英語が多くて、私たちの仲間が歌えないのです。いつも悲しそうな顔していました。そのときにふと、この人たちが歌える歌を作ったらみんな一緒に歌えるなと思ったのです。あの人たちが歌える歌は僕たちも歌えるわけですから、みんなが一緒に歌える。赤ちゃんから年寄りまでみんなで一緒に歌える歌が、歌だと思うのです。 同志社大学を出て就職した施設は、50人の定員の施設だったのですが、その中の10人だけ知能に重い障がいを持った子どもがいました。後の40人は知能に軽い障がいを持った子どもたちだったのです。人間の世界というのは沢山いるほうが主体になりますから、そこのプログラムはその40人に合うプログラムで、僕のクラスはどうしても合わないのです。朝起きて、職員会までに2時間しかない。でも、私のクラスは朝起きていろんなことをしていたら食事をするまでに2時間かかってしまいます。そしたら職員会に出られないのですね。職員会に出ないと、「福井は非協力的や」「チームワークを乱して、けしからん」と、皆から非難される。そこでどうするかというと、オムツにしてしまうのです。そして、ご飯をこまかく切って、全部口の中に放り込んでいくのです。そしたらなんとか間に合う。でもその時、子どもたちはとても悲しそうな顔をしているのです。そういう中で教えられた事は、やはり僕たちのこういう社会は、重い者を主体にプログラムを作ったらみんなが一緒にやれるやないか。 例えば止揚学園は、食事の時間は1時間以上取っています。早く終わる人もいますが、その時はみんなで歌を歌って待っているんです。それで、みんな揃って「ごちそうさま」をする。あの人たちは、1時間では食べられない時がある。そういう時は2時間ほど取ります。プログラムを自由に変更します。そして、遅い人が終わるまでみんなが楽しく待って、一緒に「ごちそうさま」して終わる。止揚学園のプログラムはそういうプログラムなのです。僕が若いときに教えられたことは、重い人を大切に物を考えていったら、障がいの軽い私たちは、そうやって一緒にできる。それを今の日本はしてくれません。 あの時分、私たちの仲間は早く死にました。だから僕はいつもこう伝えてきました。「僕のことを10日でしてくれるのなら、この人たちのことは5日でしてください。」何故かと言うと、あの時分は、僕たちの年齢の半分くらいでこの人たちは天上へ召されて行ったのです。だから、僕がお願いしたことを解決するのに10日かかるのだったら、この人たちの解決は5日でしてくれなければ、僕と同じことができない。本当の福祉というのは、僕たちよりもこの人たちの問題の解決を時間的に早くすることやと訴えてきたのです。しかし反対です。僕たちのことに10日かかるなら、この人たちのことは10年かかってしまうというのが現実ですね。僕はこの人たちのいろんな問題で、解決するのに一番短かったのは3年です。一番長かったのは27年間かかりました。 例えば、知能に重い障がいを持った子どもたちが飛行機に乗って集団で外国に行く旅行。JALから拒否されました。これは割に早くて、3年目に解決できました。でもその時に、解決できたときに言われたことがあります。「全員の精密な身体検査表を出してくれ」ということと、「飛行機の中で問題が起きた時、JALの責任でない念書を出せ」と言われました。「なんでこんなものを出すのですか」と言ったら、「私たちは知能に重い障がいを持った子どもさんのことは何も知らないので、その精密な身体検査書を見て、適切なサービスをさせてもらおうと思うのです。そして何かがあったときには、そちらの責任にしてくださいね」ということでした。僕はこう言いました。「僕は外国によく講演に行くのですが、あまり英語が上手くないので、事故があった時にJALやったら日本語で言ってくれるから良いと思って、いつもJALに乗っているのです。僕が乗っていることをご存知ですか?」と聞いたら、「えー、知りませんでした。そんなによくお乗りなのですか?」と言われました。「僕のことは何も知らないのに、精密な身体検査書出さなかったけど、僕のサービスの手をお抜きになったんですね。」と言ったら、黙ってしまわれました。 あの時は3年目にやっと解決できて、日本で初めてこの人たちが外国に旅行しました。しかし率直に言って、その時の僕は、「もう二度とこんなことしたくない」という気持ちでした。ずいぶん嫌われました。僕がJALの所へ行くと、みんながワイワイしゃべっているのに僕が行くとシーンとなるのです。みんな下を見て一生懸命仕事を始めるのです。僕が「支店長さんにお願いしたいんです」と言ったら、「支店長は忙しいです」と言うから、「僕も忙しいけど、忙しくても来てるんやから、忙しい者同士で話しをさせてくださいませんか?」とか言いました。そうして嫌われて嫌われて、非難受けて誤解されて、ひとつの物が生まれると、次の方からは嫌われないのですよ。開拓者の孤独さはそこにありますね。もう二度とこういうことはしたくない、人から嫌がられたくない、嫌われたくない、鬼の福井なんて言われたくない、そんな思いはいつもありました。そしてまた、性懲りもなくしてしまうのが現実でしたけれど。 僕が若い時は、「鬼の福井」と言われました。みんなに「怖い」と言われていました。僕の講演は「怒られているような講演で、怖くて緊張した」と言われました。最近では、講演が終わると「若い頃とお変わりになりましたね」「今日の講演全然怖くなかったです」と言われるんですけど。65、6才ごろから、「弱いことは素敵やなぁ」と思いはじめました。そしたら、なんかとっても楽しくなりました。明るくなりました。強情でなくなりました。「若い時の福井さんは本当に強情で、近寄りがたくて、怖くて、大変やったけど、今は非常に話をよく聞いてくれて、強情でなくなって、明るくなって、近づきやすくなった」と言ってくれるのですが、それは僕がね、「弱いことはすてきやなぁ」ということを心の中で深く感じてからなのです。 もうひとつ歌ってもらいます。せっかくやからなぁ・・・ でも、この歌ちょっと暗い歌なんです。止揚学園の中で、一番初めに亡くなったA君がいつも言った言葉は、「僕はアホやないなぁ、人間やなぁ」。外へ出て行くと「お前アホやから就職できひん。お前アホやから止揚学園にいるのや。お前アホやから学校行けへんのや」ってよく言われて、そこでは何も言えなくて、帰ってくると僕の所へ来て涙流してね、「福井先生。僕アホやないなぁ。人間やなぁ」って、何度も言ってました。 その人のテーマソング『ぼくアホやない、人間や』を歌ってもらいます。 ♪♪♪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
質問: 今日は大変よいお話を聞かせていただいて、有難うございました。お話を聞いていたら、止揚学園はまるで天国のようなところに思えるのですけれど、運営資金はどのようにされているのか聞かせていただきたいです。 福井先生: 私は57年間、経営者にはなれませんでした。私は本当に恵まれていて、すごく良い仲間なのです。私はひょっとしたらね、今の時代だったら「学習障がい児」と言われたかもわからないと思っています。まず、左右がぜんぜんわかりません。それと、数学も全然できないのです。だけど、作文は小学校の時からものすごくよく書けました。だから、「障がい児なんていない」というのが僕の考え方です。 止揚学園は少し組織の考え方が違うんのだと思います。止揚学園は社会福祉法人ですから、普通なら理事会というのがあります。そこで園長が決まり、理事長が決められます。止揚学園は、園長や理事長は理事会で決まった人がいるのですが、なんら権限がありません。止揚学園では3月に全員で選挙があり、そこでリーダーが選ばれます。僕は止揚学園の創設者なのですけども、園長でも理事長でもなく、選挙で皆から選ばれたリーダーなのです。任期は1年ですから、僕が嫌だったらいつでも落とすことができる。僕はもう5年前から、選挙のたびにずっと、僕を落とす運動をし続けているのです。「若い人たちがやれ」「僕みたいな年よりは捨てろ」と。「僕がここを何かで辞めたり、或いは死んだりしたときに、福井達雨という名前は一切残すな」とも言っています。「福井達雨の考え方はこうやったと一切言うな。選挙で選ばれたリーダーの人の理想でやれ」と言っているのです。「残してほしいのは本だけだ」と言っています。それは、印税が入ってきて止揚学園が助かるから。 僕は、僕の次の人を全然考えていません。僕の後を継ぐ人、それは僕の子どもではないかと言う人もいますが、僕はそんなこと一切考えていません。僕は、社会福祉法人というのは世襲制をとってはいけないという考え方です。止揚学園には園長という偉い人がいないものですから、園長室もありません。皆が同等です。僕も止揚学園に帰れば、お便所にも入るし炊事にも入るしお風呂にも入るし、皆と同じ仕事をします。ただ、お客さんが多いものですから、お客さんの相手をしたり、講演も多いので、この頃あんまり現場に入れなくなって来ていることは確かですけども。係はどうして決めるかというと、3月の選挙の時に、皆が自分がしたい係を自分で決めるのです。不思議なことですが、一番希望の多い職種は排尿便の仕事です。その次が炊事、その次が洗濯。皆、排尿便の仕事が一番楽しい、そして一番素晴らしいと言いますね。ウンコやオシッコはね命の根源。食べて出さないと死ぬんやから、とっても美しいものやと言う考え方がものすごく強いです。ほとんどの人が排尿便の係をしたいと言います。だから仕方がないので、ジャンケンで決めます。僕も排尿便の係をしたいと思っていますが、僕だけは自分の好きな仕事ができないのです。何故かというと、先にリーダー選挙があって、そこで決められた者はリーダーをしなければいけないのです。本当に悲しいのですけど、いつも僕が満票でリーダーになるものですから、その日一日は機嫌悪くしています。 職員を選ぶ時にも、私たちは全員で選んでいます。全員が10点を持っていて、皆で選んでいるのです。年に1回、県の監査がありますけれども、止揚学園は職員全員が出ます。それから親も代表者の3人が出てきて、入園している仲間の人も代表者の3人が出ます。だから、全員がいろんなことを話す止揚学園は隠し事がないですし、県にはとても評判が良い施設なのです。 お金のことについては、これは他の施設と変わりません。障がい者の自立支援法からお金は出てきます。昔は、僕たちの仲間たちは年金しかお金が入りませんでした。大体、年間100万円ぐらいだと思います。その半分を市町村に出して、残りの半分は自分で使えたのです。でも今は、その半分を止揚学園に出さなければいけない。それで残りの半分はどうなるかというと、全部自分で出さなければいけないわけです。止揚学園は1人から生活費を月に4万円頂いています。それだけで全てのお金がなくなってしまうのです。そうしたらね、病院に入ったら個室は取れません。どこかへ連れて行ってあげたくても連れて行くこともできない。お金が何にも無い。実はあの人たちから全部しぼり取っているのです。それで利益を上げているなんて福祉やないと思うのですけども。法的には、今は自分で全部お金を払わなければいけないから、そうして障がい者の年金は消えてしまいます。それが現実なのです。僕たちは真剣にやれば赤字にならざるを得ないのです。絶対に黒字になるはずがないです。僕は、医療の世界も黒字になるはずはないと思います。その赤字を埋めてくれるのが国であり、強い人たちだと思うのです。それが福祉国家やと思います。それを、「赤字を作ったらいけない」と言うのはおかしいと思うのです。 止揚学園は、自立支援法では16人の職員しか選べないのです。いま定員が36人、「止揚の家」というところに4人の人がいて約40人です。止揚学園はなかなか入れないのです。定員制ですから、定員が欠けなければ入れませんよね。止揚学園は、なかなか欠けないのです。欠けるといったら、あの人たちが天上に召されることしかないのです。止揚学園の人はものすごく長生きでしてね、ほとんど亡くならない。みんな長生きで活き活きしているのです。 差別が無くなって、囲いが無くなって、人間として生きたら、みんな長生きするんやなぁと思います。止揚学園には塀も無ければ、玄関の扉も何もありません。開放的で、いつでもどこでも飛び出せますが、誰も飛び出して行きません。鍵はどこも掛かっていない。貴重品の所もピアノの所も。花瓶に花は全部飾ってみんなの前に出ているけども割れません。新品同様で、今買ってきたかと言わんばかりにピカピカ光っています。廊下は顔が映るくらい鏡のように光っているし、とっても美しい所です。保母さんたちの心が溢れているところです。そういう中で、今36人の職員がいるのです。到底お金が足りません。経営は職員が一生懸命チームを組んで、いろんな所にお願いに行ったり、いろんなことしています。本当に有難いことに、周囲の理解がものすごく良くて、よく助けてくれています。隣の民家の人たちや、お寺があるのですが、キリスト教の僕らのことをとてもよく助けて下さって、ものすごく仲が良いのです。 周囲の人たち、初めは学校から追い出すくらいこの仲間たちを差別していました。けれども今は協力してくれています。それは、この仲間たちがとっても礼儀正しいのです。朝出会えばきちっと挨拶するし、老人の人が困っていたらこの人たち行って必ず助けるし、それからドブ掃除でもしますしね。だから周囲の人たちはすごく理解があって、いろんな人がいろんな物を持ってきてくださる。野菜とかは買ったことが無いですね。物もらいが良すぎるので、ある人は「福井という男は乞食の相をしている」とか言われるんですけど、本当に私はどこ行ってもいっぱい物を貰ってくるのです。 特に、滋賀県はとっても優しいような気がします。止揚学園をよく支えて下さる県なのです。僕は、良い県に生まれたな、良い県で施設作りしたなぁと、いつも思っています。監査の時もとても優しくて、親切に教えてくださいますし、いつも適切に指導してくださいますね。そういうことで、止揚学園、初めはものすごく非難されて悪口言われて大変でしたが、この頃、どこも支えて下さるんですよ。 こう思うことがあります。非難を受けている時は、物がドンドン進みました。悪口を言われている時はドンドン進んだのですが、この頃は悪口を言われなくなりました。僕が言うと「ごもっともです」とか言ってすぐ聞いてもらえるようになりました。そうしたら物が進まなくなりました。私は、悪口言ってくれる人、非難してくれる人は味方だと思うのです。こっちが嫌なことを言う人は本当は味方なのでしょうね。今、しみじみとそう思います。そういう人たちが大切なのだと思うのです。僕この人たちに、「愛されることは大切やけど、尊敬されたらアカンで」と言っています。「僕ら尊敬されんとこな。皆から愛されよな。」こう言っているのですけども。 そういうことで、この人たちが一生懸命お金作りをしてくれて、なんとかかんとかやれています。苦しいですけれどね。 止揚学園はものすごく明るいし豪華に見えますが、よく見てもらったらわかるんですけど全部手作りなんですよ。手作りは皆を明るくさせますね。それから、新しそうに見えますけども、みんな貰い物です。例えばホテルが建て直すからって貰ってきて、それを再生して使っていたり。それから、みんなが物を大切にしいます。残飯は一切出しません。それから、いらないところに電気が一切使われていませんし、水もポタポタ漏れていたり、要らないところに使われていません。そういうことを、きちっとこの人たちがしてくれています。 それから物がつぶれませんね。食器は全部陶器とガラスなのですが、つぶれないですよね。割ってくれる人は奉仕に来てくださる方々で、保母さんと入園している仲間の人は割りませんね。命やと思っていますから。この人たちには、こういう考え方があります。1つのお茶碗にも募金が入っている。募金というのは「心」やから、深い感謝をしなければいけない。だから物を粗雑に使ってはいけない。そしてこれにも命があって歴史がある。割って新しく買ってきたものと、割れたものとは絶対違う。これには10年・20年の歴史があるという考え方を持っていて、物をものすごく大切にします。物を使えば、必ず油差して綺麗に拭いて終わっています。それから洗濯も仲間の保母さんが全部洗って天日で干しています。天日で干すとね、あの人たちよく寝るんですよ。ボタン1つ取れてもすぐに仲間の保母さんが付けています。止揚学園ではボタンが取れていたり破れたりしているものほとんど無いです。それから、ここでは物が無くならない。そういうところで経費がすごく浮いているのだと思います。 お金というのは、豊かな心があったら生まれてくることもあると思うのです。そして、本当に人間としての素晴らしい知恵を持っていたら、お金が生まれてくることがあると思うのです。 止揚学園では、来た時に全部オムツをはずします。全部パンツにします。みんな大変やと言いますが、でも本当は大変じゃありません。オムツをずっとしていたらいつまでも大変です。でもパンツに替えたらね、保母さんたちが一生懸命に排尿便の指導をして、必ず自立します。これはもう100%します。この人たちは素晴らしい力を持っているなぁと思います。そうすると汚れません。だから、汚れることが無いから楽になります。パンツに替えるということは、楽になることです。 この間も、排尿便に入っていた若い20才ぐらいの仲間の保母さんが来てね、「福井さん、ウンコっていうのは、オシッコっていうのは綺麗なもんやなぁ」と言うのです。そして、こんなことを言ったのです。この頃、止揚学園の入園している仲間の人は年をとってきて、お便所に入る時間がものすごく長くなった。その間、お便所に入っているのですが、前は5分ぐらいで済んだのが、15分20分かかる人もいると言うのです。止揚学園はお便所の戸は開けませんから、みんなきちっと閉めて、そこで保母さんとその人とが一緒に入ってやっているわけです。日本人は開けてなんかしませんよね。中国人はできると思う、習慣ですから。古代のギリシャ人やローマ人もしたと思うのですが、日本人は恥ずかしくてできないです。だから私たちは、開けっ放しとかドアの無い外から見えるような便所ではしないですね。きちっと中に入ってしている。保母さんはそれをじっと見ているのです。もしも私がこういう形でウンコやオシッコをさせられたら、恥ずかしくてできないです。保母さんは、「だからお便所に入る前にね、心から謝っているんです。本当にごめんね。でもこうしないとどうしてもいられないから許してほしいと謝りながらお便所に入っているんですよ」って言ったのです。それを聞いてね、ああ、この保母さんたちは、上に立って「介護してやってんねん」じゃなくて、こういう人たちと一緒になって、そして共に生きているんやなぁ、だからウンコやオシッコをさせられるんやなぁと思いました。そういう保母さんの心が皆に感動を与える。止揚学園は素晴らしい仲間たちがいる。この人たちが力を合わせて、色んなお金を作り出しています。 止揚学園に来て下さったら僕の言った話の意味がわかっていただけると思います。 |