京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2012年2月号 掲載)
ボランティアOB&OGの「今!こんなことしてます」


『こんなに大きくなりました』
こんにちは!ご無沙汰しております!学生時代はお世話になりました。2004年に花園大学を卒業したとおるくんこと、渡士徹(ワタシ トオル)です。2012年1月現在、31歳しし座のA型、干支は申、未だ独身、好きな食べ物はケンタッキーフライドチキン、キライな食べ物はお寿司、趣味は音楽に関すること何でも!です。分かりやすく言えば、学生時代はとりあえず何かにつけて全身タイツを着て踊っていた人です(笑)。

 卒業してからは世界中を旅して回ろうとしましたが、お金がなくて断念し、バンドを組んでメジャーデビューを目指すも、音楽の方向性で揉めて解散し、在学中に渡邊謙さん主演のドラマにエキストラとして出演したので(実話)、役者としてやっていこうと考えていましたが、オファーが全く来ず、結局、地元の社会福祉法人で、障害者支援施設の支援員として働くことにしました。それなりにいろいろありましたが退職もせず、今は奇跡的に副施設長という役職です(笑)。

 ボクが働いている施設は、『施設を終の住処にしない』ということを掲げています。そこで働いている自分も、『実家を終の住処にしない』と一念発起、一人暮らしを始めています(笑)。楽しみは休日にちょっと小洒落た料理を作って、それでお酒を飲みながらのTV鑑賞です。OLか(笑)。最初は死ぬほど不味かった料理も、今ではけっこうイケてる日も多いです(^^)ちなみに得意料理は春巻きと豚の角煮です。主婦か(笑)。

 それはさておき、仕事に関しては、入職動機も人に誇れるようなご立派なものではありませんでしたし、働き出した頃は仕事より必ずプライベートを優先させていました。正直「楽しくない」と思っていました。でも入職して2年目の時、新人の頃からの担当だった利用者が亡くなりました。身体的にも知的にも最重度の障害を持っていた彼の人生は19歳で終わりました。確かに自分にはどうすることもできない状況でしたが、その無力感に苛まれ自分を責め、とにかく考えました。「彼はなぜ生まれてきた?」ということを。意思表示もできないくらいの重度の障害を持っていた彼は何を思って生きていたんだろう、と。ボクは彼ではないので本当のところは分かりませんが、ある時、確かに彼は存在したし、確かに彼の「思い」は生きていた、と思えるようになりました。例えば毎朝、朝の会で「おはよう」と声をかけ続けることで「あー」と声が返ってくる日があったり、給食の介助では魚料理より肉料理の方が飲み込みが良かったり。

 そこからは自分の中で何かが変わりました。今の仕事は正直、めちゃめちゃ大変ですし、しんどいです。毎晩のように酒を煽って発散しています(苦笑)。でも彼が教えてくれた、誰にも「思い」がある、ということが、今の自分を動かしています。どんなに小さな声にも耳を傾けられるように。どんな弱く辛い立場に立っている人にも手を差し伸べられるように。そう思えるようになった今、胸を張って『この仕事が好き』だと言えます。
 そのことを教えてくれた彼に本当に「ありがとう」と伝えたい。そして、この障害者福祉の仕事に就くきっかけを与えてくれ、かつ今回の原稿依頼により、自身を振り返る機会を与えてくれたトライアングルの皆様に心より感謝いたします。ありがとうございました。


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