京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2015年2月号 掲載)
フリーダちたるのイタリア・アルプス滞在記 その3
― 滞在〜帰国〜現在まで ―

 赤松 フリーダ千福(小学二年生 8歳)、母 玉女

 あまり汎用性のない事例に三回も紙面をさいていただき、たいへん恐縮です。  12月25日に、娘は日本に帰ってきました。空港でほぼ3ヶ月ぶりに会った時には、背丈と髪が伸びて、つないだ手が少し大きくなったように感じました。単身赴任の親御さんたちは度々体験されるのでしょうが、自分の子に3ヶ月も会わないと、身体の成長は一目見た瞬間にわかり、感動的ですらありました。それに久しぶりに会う娘は、外国の雰囲気をまとっていて、父娘の血のつながりを強く感じもしました。
 
言葉について
 予想通り、再会した時はイタリア語しか出ませんでした。私が話すことはよくわかっていましたが、返事に困った様子でした。滞在前に比べると、父親とのやり取りはとにかくスムーズです。私が間に入る必要がないのです。帰ってくる半月ほど前に、向こうの発達検査をひとり別室で受けています。その所見には「簡単なイタリア語での指示に従い、、、」と書かれています。初対面のイタリア人ともコミュニケートしているのです。誠に子どもの順応力、吸収力はすばらしい!!老母の体力、記憶力とは、まさに反比例です。とはいえ、もともと日本語をしゃべるといっても、二語文せいぜい三語文程度。話せるようになったイタリア語も、単語か二語文でしょう。それも今では元の言葉に戻っています。時々、日本語の会話の中で「ここが痛いの」とか「塗り絵をする」、「ゆっくり〜」、「ちっちゃい」や、「あなたにひとつ、私にひとつ」と配る時など、学校や家で繰り返し使った言葉をイタリア語で言ってます。日本語が消えたかというとそうでもなく、語彙が増えた?ように感じることもあります。お世話になっているヘルパーさんたちから、滑舌が良くなって聞き取りやすくなったとも言われました。イタリア滞在中に、スカイプでタコの絵を見て「キモっ!」と言われて、そんな言葉も知ってるんやと驚きましたが、帰国後もっとビックリすることを言われました。父親が出かけて、私たち二人でいる時、「お父さんが帰ってきたら、ご飯にしようか?」と言うと「イヤヤ」と。母「なんで?」娘「だってパパ、ウザいもん」(!!)。多分、半年前もこんな言葉は知っていたのでしょう。それが状況を踏まえて使えるようになったということなのでしょうか。父親には悪いですが、会話の流れもイントネーションも、正しく合っているのです。私も同じように言われてそうですが、それも成長と思うしかありません。
 
学習について
 持って帰ってきた学校のノートや教科書が、なかなか面白いです。入学前に揃えるノートは、A4サイズを数冊。日本のような子ども用学習ノートなどではなく、いわゆる大学ノートです。学校からは、行が1センチ間隔のもの、5ミリの方眼のもの、マージン罫入りのものといろいろ注文がありました。初日の説明会で、「子どもたちは最初にそれぞれの表紙に絵を描いて貼り、自分だけのノートにカスタマイズする。これを大切に使うので、透明ビニールのブックカバーを必ず買って持たせてください」と言われました。日本に持って帰ってくれたノートを見て納得です。絵の具や色鉛筆で飾られたノートは、どれも皆かわいらしく、楽しい気分にさせてくれます。
 
 国語も算数も最初は、左右や数の多い少ない、物の上と下、中と外、位置や関係を表すものをイラスト、塗り絵やゲームを交えて理解することから始まっていて、算数は教科書の4分の1ほど進んで数字が出てきます。文字はアルファベット26文字のAから始まって、9月から3ヶ月いてもまだ終わりませんでした。日本だとひらがな50文字を終えてカタカナも始まる頃でしょう。支援員さんに確かめても、娘だけの特別課題はなく、他の子たちも同じ内容とスピードだそうです。塗り絵やゲームをしながら、文字と単語を少しずつふやしていく感じです。
 
支援員さん
 支援員さんが娘のためにアルバムを作っていてくださり、わずかですが校舎内での様子を知ることができました。秋に始まった学校は、年末のクリスマス行事に向けた取り組みがたくさんありました。12月半ばに全学年の保護者を招待してクリスマス会が開かれます。一年生の子どもたちもカラフルなランプを作ったり、ビスケット作りをしたり、当日はイタリア語と英語の合唱を披露したそうです。娘も皆と一緒にしっかり歌っていたよと、ちょっと興奮気味に父親が報告してくれました。児童全員毎日の送り迎えは絶対なのですが、校舎内に入るのはあまり歓迎されないのか、父親もそれまで授業を観ることはなかったようです。父親によると、これは責任の所在をはっきりさせるための学校の方針だろうというのですが、真偽の程はわかりません。
 
 最後に支援員さんからアルバムと一緒にいただいたお手紙を紹介させてください。
 
フリーダのご両親へ フリーダと巡り合うという大きな幸運を下さったご両親に感謝して、
ほんの短いメッセージを書きます。
 
彼女は、楽しい、太陽のように明るい、優しい、
いつも上機嫌な女の子です。
学校では、あっという間にすべての先生たちと仲間たちを虜にし、
みんなは彼女を大切にする事を学びました。
 
彼女は大きな好奇心と熱意で、すべての活動に挑戦していました。
そしてあらゆる場面で心から楽しんでいました。
 
丘の上への遠足では、出会ったすべての動物と触れ合いました。
クリスマス会では、楽しそうに、一生懸命、
習った曲を全部歌いました。
とっても腕のいいビスケット職人でもありました...。
 
もちろん、ちょっとやり合うこともありましたよ。
フリーダも私も、どちらもへそ曲がりですからね。
 
この小さな女の子は、きっと私に穴があいたような
寂しさを感じさせる事でしょう。
どうかまた来年、彼女と会うことができますように、
心から望んでいます。
 先生たちは日本に帰ってからも勉強が続けられるように、イタリア語の知育玩具をプレゼントしてくださいました。愛情あふれる先生や支援員さんに恵まれたこと、学校や教育委員会を駆け回り話し合いながら、ふさわしい環境を作ってくれ、子どもと二人だけの慣れない生活を3ヶ月も頑張ってくれたお父さんに、この場を借りて改めて感謝したいと思います。
 
 そして最後になりましたが、応援してくださった皆様、読んでくださった皆様、お付き合い本当にありがとうございました。
 

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