京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(1997年2月号 掲載)

東京の小児科医であり、雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」(ジャパンマシニスト社)の編者でもある山田真先生の文章です。トライアングルの会報への転載をお願いしたら、折りかえし、こんなあったか〜いFAXが届きました。
「お便り拝見しました。ぼくの拙い文章を使っていただけるとのこと、喜んで了承いたします。今、九本の連載をかかえていて、いつのことになるかは分かりませんが、トライアングルにも寄稿させていただければと思っています。みなさんの御健闘を祈ります。 山田真」


『障害をもつ子のいる暮らし』(筑摩書房)

第2章「障害をもつ子とどう暮らす」より抜粋

はじめに
山田真   
 この世の中に障害をもって生きている人はたくさんいます。でも「障害をもつ人にあんまり会ったことがないから、そんなにたくさんいるとは思わない」という人もいるでしょう。

 今の日本の社会では、障害をもつ人があたりまえに町の中で暮らしていくことが難しくなっていて、幼いときは障害児だけが集められた通園施設や養護施設に通い、また、成人してからは障害者だけが働いている作業所に通っていたり、あるいは障害者施設に収容されていたりという形で健常者と隔離されて生活しているケースが多いのです。そのため人目にふれることが少なく、ぼくたちは世の中に実はたくさんの障害児、障害者がいることを忘れがちなのでしょう。

 そういう状況ですから、妊娠中の女性が「生まれてくる子どもが障害をもっているかもしれない」と考えることは普通はないでしょうし、うまれたあとも「病気や障害をもっているかもしれない」とは考えないだろうと思います。

 ぼく自身、自分の子どもができる以前、障害者の運動にも関わっていましたが、自分の子どもが障害児である可能性については考えてみたこともありませんでした。生後一年ほどで長女が重い病気にかかっていることがわかったとき、ある程度冷静に受けとめられ、あたりまえに生きさせてやろうというふうに考えられたのは、それまでの経験が生きたといえるかもしれませんが、それよりも、ぼくが医者であるという条件のほうがより大きく作用したようであり、医者でない普通のお母さんやお父さんならやはり思ってもみなかったことに直面したというとこで、大きなショックを受けるであろうと思われます。

 だからショックを受けることはやむをえません。しかし、そこでけっして絶望的な気持にならないでほしいのです。月並みなことばではありますが、強く生きてほしいと思います。

 わが子が障害児といわれて、これから長い年月を共に暮らしていくことを思うと暗い気持になるかもしれません。障害をもった子どもと共に生きる人生はなかなか味があのものだし、またそこから親が得られるものははかりしれず、親自身思いもよらぬほど新たな充実した人生を生きたりすることもあると思うのですが、そういうメリットは普通この段階では思いもよらぬものでしょうから。

 ぼく自身医者としてお母さんに「あなたのお子さんは障害をもっていますね」と告げるとき、いちおう専門医の紹介もしますが、同時に同じような障害をもった子どもを育ててきたお母さんやお父さんの出会いを設定するように心がけています。

 そういうお母さんやお父さんたちからは「障害児を育てることは確かに苦労も伴うがそれよりも大きな喜びを得られる」とか「障害児を授かったおかげで自分は生きていると実感できる生活を送っている」といったことばが聞かれるはずです。そしてそのことが障害児をもつということも、多少個性の強い子どもを育てるという程度のあたりまえのことであり、むやみに悲観的になったり変に肩ひじ張ったりしないで自然体で生きていけばいいのだということを悟らせてくれるはずなのです。

 ところが専門家たちに相談をすると、どうも気持は暗いほうに向かいがちになってしまいます。どうしてこうなるのでしょう。

 障害児の療育にあたっている専門家たちは、たくさんの障害児に出会っていますし、障害児の親とのつきあいもたくさんあります。だから障害児の生活についてもよく知っているはずで、だから相談相手にふさわしいと思われるのですが、実はそうでないのです。

 専門家の多くは「障害をもつことは不幸なことである。だから障害児と生きることは親にとっても本人にとっても大変なことである」というふうに考えています。そしてその考え方から必然的に「障害を少しでも軽減して健常な姿に近づくために親も本人もがんばらねばならぬ」という考え方が生まれます。これは「訓練第一主義」というべきものです。

 今、ぼくの知っているかぎりでも、重い脳性マヒで車椅子、全介助という障害をもつ成人が介護者の協力を得てアパートなどで生活しているというケースはたくさんあります。

 その人たちは日常生活が全面的に介助を受けているものであっても、実は立派に自立しているのです。施設などにいればその施設のスケジュールにあわせて生きていくことになり自分で生活のスケジュールを作っていくことは困難ですが、アパートでの生活だと自分で自分のライフスタイルを作っていけます。そういうふうに自分の生き方を選びとっていることこそが自立なのです。

 その人たちがよく「小さいとき、毎日、つらい訓練をさせられた。しかし訓練の成果はなく何かができるようにならなかった。しかし今、何もできなくても自分はちゃんと自立した生活を送っている」というふうに語るのをぼくは何度も聞いたことがあります。子どもは訓練や治療に対して拒否権を行使することができませんから、いやでも訓練や治療をさせられるわけですが、そのことは心に深い傷として残りうるのです。そして成人したのち、障害は重くてもその障害をありのままに受けとめその障害にめげることなくあたりまえに生きようとしたとき、そこで道が開けるのであって、訓練をしたことで自立の道が開けるのではないのです。いったい、訓練とはなんだったのだろうかと思わざるをえません。

 大阪府のT市にMさんという視覚障害者がいます。Mさんは視力がありませんが市役所の職員として働いています。そのMさんがこんなふうに言うのです。「盲学校では、ごはんを手づかみで食べるのは礼儀にかなっていないから、ちゃんと箸を使って食べるようにといわれ、苦労して箸を使う練習をしたが、結局うまくいかない。しかし社会人になって思いきって手づかみで食べるようにしてみたら、誰もなんとも言わない。わたしのまわりにいる人はわたしが手づかみで食べるのを普通のことと認めているのだ。」

 箸を使って食べるのは日本では普通の作法です。しかし外国では手づかみで食べるのが普通であるところもあるわけです。箸を使って食べるのが正しくて手づかみで食べるのは正しくないなどというのは、箸を使うことに不便を感じない健常者の価値観であって、障害者がそういう価値観に従って生きていく必要はまったくないでしょう。「子どものときからきびしい訓練法を」と考える人はやはり健常者側の価値観で障害児を健常者に近づけることが正しいという判断をしているのです。そしてその幼い時代の訓練が成長してどのような成果となったか、本人にとってどれだけプラスがあったのかを専門家は検証していません。そういう検証をしないままに「乳幼児期の訓練は絶対必要」とどうして言いきることができるのかと思ってしまいますが、専門家というものはえてしてそういうものなのです。成人の障害者が怒りをこめて「子どもの頃の訓練はつらいだけでなんの意味もなかった!」と言っても、その声は専門家の耳には届きません。一般に障害児の早期訓練にあたっている人は成人の障害者とのつき合いが少なく、必然的に成人障害者の発言に耳を傾ける機会がないからです。

 そういう専門家の助言を「専門家だから正しいだろう」と考えてそのまま受けとめ、彼らの指示通り子どもを育てていこうとするのは危険が多いということを指摘しておきたいのです。

 今、世界的に障害者と健常者が共に生きていける社会を作ることが目ざされています。

 それは「統合」と呼ばれます。これまで、健常者には健常者の生き方があり障害者には障害者の生き方があって、障害者が健常者といっしょに生きていくのは苦労が多いから別々に生きていくことを考えたほうがよいということで「分離」が行われてきました。幼いときは訓練施設、学校は養護学校や盲・ろう学校、そして成人してからは作業所や収容施設というふうに、生まれてから死ぬまで障害者が健常者の集団と共に生きていく経験をしないままに終わるというのが障害者の普通の生き方でした。しかしこういうふうに別々に生きていけば健常者のことをまったく理解できず、そのことが障害者を健常者にとって「異質なもの」にしてしまいます。「電車の中で障害者と隣同士に座ったがどう話しかけていいかわからなかった」というような話はよく聞きます。障害者だってもちろん同じ人間なのに、何か特別な存在のように思って避けてしまう。そのことが差別を生みだします。「障害者と健常者を分ける」ことが差別を生み、それが障害者が生きていくことを最もつらくさせているということに気づいた「健常者優位の社会」を真に平等に生きられる社会に作り変えようということで設定した目標が統合なのです。

 しかし日本では今もけっして統合が目ざされてはいません。文部省は口では統合教育をめざすというようなことを言ったりもしますが、現実にはたとえば小学校入学を前にして障害児に対しては養護学校や盲・ろう学校、特殊学級などへ行くことをすすめるのが各地域の教育委員会の指導であり、その指導は文部省の指示に従ったものだといわれます。障害者の就労も遅々として進まず、たとえば行政機関などでも障害者雇用への努力はまったく見られません。

 こんなふうに、障害者と健常者の共生をめざす方向とはほど遠いところにあるのが日本の状況で、障害児(者)に関わる専門家たちもそういう状況に深く影響されています。

 ですから障害児の親は健常者と障害者が分かれて生きることをあたりまえと思っている専門家に出会う可能性がきわめて高く、そしてその専門家の指導に従って子どもを育てると日本の社会の障害者差別の現状は少しも変わらないということになるのです。

 統合に目が向いていない状況のもとでは自分の子どもを健常者の集団の中であたりまえに生きさせようというただそれだけのことを願っても、風あたりは強くなり、かなりの抵抗を受けながら生きていかなければならなくなるのが普通です。でもだからといって障害者の分に応じたつつましい生き方を選びとり遠慮しながら生きていこうとすれば、子どももまた遠慮しながらの人生を強いられることになりかねず、それは彼らにとって確実につらい生き方になるでしょう。

 障害があるということで劣等感をもたず、「なんとか障害を克服せねば」といった観念にとらわれず、「障害があったっていいんだ。今のままで変わらなくてもそれでいい」と開き直って生きることが障害児にとってもその親にとっても結局最も楽でしかもあるべき生き方であるようにぼくは思います。

 障害児を育てている親にはじめて会った人がその明るさに驚くといったことはちっとも珍しくありません。あれこれ考えず、「普通に生きていこう」と決めてまっすぐに生きている親は確かに明るくなるのです。それはけっして背伸びをしたり見栄を張ったりしているためではありません。

 そしてそういう明るさは専門家によって与えられたものではなくて、地域でいっしょに生きている仲間などから得られたものであることが多いのです。

 障害をもって生きていくときには地域で共に生きる仲間の存在が不可欠です。もちろん健常な人だって共に生き共に支えあう仲間は必要ですが、とりわけ重い障害をもつ人にとってはその必要性がより大きいのです。

 ぼくは時々お母さん一人で障害をもっている子どもを必死に育てているケースに出会うことがあります。あるいはお母さんだけではないけれど両親が懸命に育てているケースも見ます。「この子を育てるのは親の責任」といった感じで、それはときに悲壮感さえ漂わせます。そういう人たちがふと「この子より先に死ぬわけにはいかない」などともらすのを聞いたりすると、なんともやるせない思いになります。親、兄弟が面倒をみなくても社会がちゃんとこの子を育ててくれると信頼できるほどの福祉が整っていないのですね。

 両親が世話している間はいいけれど、いったん「親なきあとは?」というふうに考えると暗たんたる気分になってしまうわけです。そこで親が生きている間に施設を見つけなければとか、ときには自分の手で施設を作ろうかと考えることさえあります。地域社会の中でみんなで生きていくことが志向しにくいから結局施設への収容を考えてしまうわけです。しかし施設で一生を過ごすのは、自由が極度に制限された人生を覚悟することにほかなりません。

 障害をもった人たちがそういう生活を望むはずもなく、単に周囲の都合によってそういう収容生活を選ばされるわけで、まことに不幸なことです。

子どものときに一生懸命訓練をがんばった挙句の行きつくところが施設での生活であるとしたら、なんともやりきれない話ではありませんか。

 そうした暗い生き方のかわりに地域でさまざまな人たちと共に生きる場づくりを開始し、実際障害者と健常者がいっしょに生きていける空間を作りだしている地域も今あちこちにあります。

 障害をもつ子どもたちも、子どもである間は、いくつかの生きる場の選択も可能です。
 通園施設へ行く代わりに保育園や幼稚園へ行くという道もかなり開けてきました。今では統合保育はあたりまえのものとなりつつあります。幼児期にくらべ学童期はやや大変で、障害児が普通学級へ入っていこうとするといい顔をされません。教育委員会も学校も「普通学級では何もしてあげれらない。特殊学級や養護施設へ行ったほうがお子さんは幸せになれる」というふうにいいます。しかしそこで「子どもにとって健常な子どもといっしょに生きることが何よりも大切だから普通学級に入れたい」と強く希望すれば、たいていの場合なんとか入れます。ですから、学齢期まではなんとかどこかの場所で生きていけます。しかし、学校を卒業すると、「親が世話をするか、施設で世話されるか」ふたすじの道しか選択の幅がなくなります。施設へは入れたくないと思えば親が全面的に世話をすることになり、そうすると「子どもより早く死ねない」という悲痛な思いにつながってゆくのです。

 ですからあなたのお子さんが障害をもっていることがわかったとき、まずもって考えねばならぬのは、親から離れたときどうやって生きていくか、そのために何を用意しておかねばならぬかということなのです。

 障害をもった子どもがいつ一人で生きていかねばならぬことになるかわからない、だからそのとき一人で生きてゆけるようになるべく早く準備をしておくことが必要です。専門家はけっして一生面倒を見てくれるわけではありません。だからあなた自身が道を切り開いてゆかねばならないのです。

 まず、あなたの身近なことろにあなたの相談に気軽にのってくれ、そしてあなたと共にこの社会を障害をもつ人にとって少しでも住みやすくするために共に闘ってくれる人を見つけることが第一だとぼくは思います。あなたの主治医やあるいはその主治医に協力している、あるいは紹介された訓練士や心理相談員といった人が共に闘ってくれる人だったらそれは大変幸運なことで、そういう人と協力しあってあなたのお子さんの未来を切り開いていくべきでしょう。しかし専門家があなたといっしょに闘ってくれるといったケースはきわめてまれなことなので、彼ら以外にあなたの相談できる人を捜すことになるでしょう。しかし実際はそれは容易なことではありません。途方にくれているあなたにこの本では、相談のできる団体の一覧を巻末に掲げてありますから、そちらへ電話をするなり手紙をだすなりしてみてはどうでしょう。きっとあなたの気持を楽にさせ幸せにさせるような返事が返ってくると思います。

 そしてそこからあなたとあなたのお子さんの人生の旅が始まります。石ころの多い道でしょうが、その石ころにつまずいて立ちどまりあたりをながめたとき、そこには思いもかけず美しい感動的な風景が始まっているかもしれない、そんな旅を歩み始めるのです。

 あなたを元気にさせるであろう本もいくつか紹介しておきます。いずれも障害児の親という立場にある人たちが書いた本です。外国のものはあえて省き、日本のものだけにしておきます。それでもこんなにたくさんあるのです。

ここでは統合を目ざして生きている人たちのものを集めましたが、どの本も変に感動的だったり美化されたりすることもなくありのままに書かれ、しかも明るいところにご注目ください。書いた人の大半をぼくは知っていますが、みんな明るく楽しい人たちです。

 ではいい旅を!


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