−変わっていることを伝えていくことの大切さ− 立命館大学社会学研究科 中根成寿 トライアングルの皆様、久しぶりの投稿をさせていただきます。先日、大森キャンプ場で行われたバーベキューに参加してきました。久しぶりのイベントで緊張しましたが、トライアングルの「ノリ」は相変わらずで安心しました。 そのバーベキューの最中、一人のお母さんの話を聞きながら、確実に変わっている親の姿と、あんまり変わってない社会の様子を同時に見るような気がしました。この30年ほど、障害をもつ人びとを巡る状況は大きく変わっています。これは障害をもつ当事者たちの地道な運動の成果です。しかし、相変わらず変わっていないものもたくさんあります。障害をマイナスのものとしかとらえることのできない人、障害をのりこえるというたぐいの美談に利用したい人、障害をもつ人は家族が一生面倒を見るものだと考えている人などはまだまだ社会の中にたくさんいるようです。でも、そんな中でも制度は変わってきています。介護保険制度や支援費制度が導入されたことにより、家族が全部抱え込まなくてもいいんだよ、というメッセージが公になりました。児童虐待という現象が社会に認知されたことで、母親一人に子育ての全責任を背負わせるとどうやら大変なことになるかもしれないこと、これまで夫婦げんかや痴話げんかだと処理されてきた事件にDV(ドメスティックバイオレンス)やストーカーという名前を付けることによって、「どうやらこれまでとはレベルが違うのかも」とみんな思って対策が進みました。これらは全部家族に関する現象です。これまで「家族の愛情」という言葉でこれらの現象が隠されてきたのです。 1980年代頃から主に身体障害者を中心に自立生活をすすめる運動が盛んになりました。施設から出て、親元を離れて、介助者に生活を手伝ってもらいながら地域で生きるという生活スタイルです。この運動がもたらした成果は、障害に対する考え方、自己決定することの大切さ、家族と離れることでお互いが楽になれる可能性などが議論され、問い直されてきたことでしょう。この20年ほど、障害をもつ人びとを巡る状況が変わったというのは自立生活運動によるところが非常に大きいです。 にも関わらず、です。昨年ある一冊の本が再出版されました。タイトルは『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』(扶桑社、2002年。向野幾世著)です。人から聞いた話によると、この本は25年前に出版され、絶版となっていたのですが、なぜか2002年の昨年再出版されたそうです。タイトルを見て「やれやれ」と思ったかたも多いと思います。そのまんまの内容です。あんまり気は進みませんが、ちょっとだけ内容を見てみましょう。 ごめんなさいね おかあさん ごめんなさいね おかあさん ぼくが生まれて ごめんなさい ぼくを背負う かあさんの 細いうなじに ぼくはいう ぼくさえ 生まれなかったら かあさんの しらがもなかったろうね 大きくなった このぼくを 背負って歩く 悲しさも 「かたわな子だね」とふりかえる つめたい視線に泣くことも ぼくさえ 生まれなかったら… 「私の息子よ ゆるしてね/このかあさんを ゆるしておくれ/お前が脳性マヒとしったとき/ああ ごめんなさいと 泣きました/いっぱい いっぱい 泣きました/いつまでたっても 歩けない お前を背負って歩くとき/肩にくい込む重さより/「歩きたかろうね」と母心」 この本の噂は僕の業界でもあっという間に広まり、僕の知り合いの方がその本の内容への「やれやれ」の気持ちを文章にしてくれました。短く言うと「けなげな障害児と愛情あふれる母親の物語をいつまでやっとんねん、もうそんな時代ちゃうで」です。障害をもつ子どもを「産んでしまった」母親が自分を責めて子どもに謝る、自分が障害をもっていることで母親に「迷惑をかけている」と思ってしまう子どもが親に謝る、ごめんなさいの掛けあい。世間はその親子に感動し拍手を送る。拍手を送ることで親と子の関係は美しいものとされ、親と子の関係が密着していく…親と子の距離が近づけば近づくほど、社会と家族との距離が開いていく、という30年前の障害児のいる家族の「負のもたれ合い」の典型的な構図だと思います。 繰り返しになりますが、この30年間、障害をもつ人々を取り巻く環境は大きく変わったと思います。自立生活をする人は着実に増えているし、親の会だってたくさんできて情報交換し、お互いに助け合って、家族がぽつんと孤立しているような状況ではなくなってきています。ひょっとしたら一番変わっていないのは、人びとに物語を語るメディアなのかも知れません。メディアは「人びとが見たいものを見せる」ことを仕事としています。「事実を伝えること」が必ずしも人びとの要求ではないとはよく知っているのでしょう。見たものにとって都合の良くない物語は見たくない、という視聴者の要求に正直なのだと思います。演出された感動の物語を消費し、拍手を送り、現実の家族を孤立させていく「変わらない人びと」はまだまだいますが、それにうさんくささを感じる人びとも増えています。 本の中に描かれている「ごめんなさい」の気持ちは、親が経験する気持ちの一つであるかも知れません。でもそれは通過点にすぎません。そこばっかり強調すると、親が変わっていくという事実を見落としてしまうことになります。 親の会に参加して、他の親と話し情報や自信を身につけ、医療関係者や学校の先生と話し合っていく。そのプロセスで、子どものこと、障害のこと、さらには親のこれまでの考え方がどんどん書き換えられていく。いつまでも「ごめんなさい」なんて思っていない親の姿に僕はトライアングルで出会いました。 後輩の親は先輩の親から聴くことで新しい物語(自分なりのものの見方、考え方)を発見し、先輩親は後輩親に語ることで新しい物語を自分のものにしていきます。「変わらない」ことだけに目を向けるとしんどいだけですが、「変わらない」ものを横目に見つつ、「変わっている」ことを膨らませていくことが大切だと思います。問題はそんな親の必死の変化に気づかずに平然と「変わらない」物語をばらまいてしまう、それに鈍感に感動してしまう側にあるのでしょう。 これから「障害をもつ子の親」になる人たちが「変わらない現実」だけにしか目がいかず、「変わらない現実」が永遠に続くと思ってしまうことは、誰よりもその人自身を苦しめてしまうでしょう。自分がいなくなった後、誰が子どもの面倒を見てくれるんだ、と「障害をもつ子の親」が必ず考える問いにも少しずつですが答えが出されてきています。その答えを出しつつあるのは、この30年間で自立生活を進めてきた当事者たちであり、その親たちです。研究者たちは彼らの実践に学び、生活の様子を記述することで「変わりつつある現実」を表現しようとしてきました。その作業はまだまだ続いています。 「変わらない現実」が永遠に続き、一つの家族だけでその現実を生き抜かねばならない時代はもうとっくに過ぎ去っています。制度だって変わっていますし、一緒に歩いてくれる親の会もたくさんあります。子どもが成人したあとは親と距離を置いて別々の人生を歩むことだってできます(親がそれを望むかどうかはまた別の話題になっちゃいますが…)。 新たな物語はすでに生まれています。ただ、まだまだそれが社会に届いていないのかもしれません。それを伝えられないのは、僕にとってももどかしいことです。 「変わりつつある現実」を伝えていくにはどうしたらいいか、と日々考えています。それには先進的な取り組みの可能性を紹介することがよいと思っています。今は知的障害のある子どもが成人を迎えた親の会、知的障害をもつ当事者の会(ピープルファースト)などで話を聞いて当事者の物語を集めている最中です。どちらも興味深い取り組みをしています。 本文でふれた本は、向野幾世『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』(扶桑社、2002年)、それに対する「やれやれ」の文章は、松波めぐみさん「変わった,変わらない三十年」『解放社会学研究17』(2003年、明石書店)です。松波さんの文章は僕か事務局に連絡をくださればコピーをお送りさせていただきます。 中根成寿(naruhisa@pob.org) お手紙の場合は事務局までお願いします。 |