京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2016年6月号 掲載)
テープ起こし    2016年2月28日 トライアングル「差別解消法を上手に使おう」
差別解消法って何? どう「使う」の?
〜京都市「対応要領」、府の「条例」も併せて〜

松波めぐみ

自己紹介
 私は会社員だった20代半ばまで障害のある人との付き合いはなく、たまたまあるお祭りで車いすの人と知り合い、友達になったのがすべての始まりです。矢吹さんと同じ骨形成不全で、介助者の手を借りつつ、一人暮らしをしている人でした。家に遊びに行ったり、一緒に外出したりする中で、「何かおかしいな」と思うことが出てきます。たとえば、友人が買い物をしているのに、店員さんは私とばかり話をしようとする、といったことです。 そんな経験もあって、その後、仕事をやめて大学院に行き、障害のことを「人権」の方面から勉強するようになりました。同時に介助の仕事も始めて15年になります。
 
 障害者の人権というと、世間では「こんなに頑張ってる人がいる!」とか、「助け合いはすばらしい」とか、お涙ちょうだい物語や「道徳」の話として語られることが多いですが、私は自立生活運動に関わる人から直接学んできたことが考えの基本になっています。
    2008年ごろから京都で、矢吹さんが様々な団体に呼びかけて「障害者差別をなくす条例」を作る運動が始まりました。私はその動きに初めの頃から参加し、いろんな障害のある人と日常的に会って話をしてきました。それが一番勉強になったと思っています。
 
■ 「障害者差別解消法」や、「対応要領」ができてきた背景は?
 今日、テーマになっている「障害者差別解消法」を理解するためには、背景を理解する必要があります。それまで、「障害者に関わる法律」といえば、福祉サービスのことが中心で、障害のある人に何かをしてあげる、提供するというものでした。
 今回の「障害者差別解消法」は、「差別」という言葉が入った、日本初めての法律です。世界では「障害者権利条約」、国内では法律、府では「条例」、京都市では「要領」ができましたが、基本的な考え方と内容は同じと思っていただいてかまいません。
 
 日本では、障害のある人の「人権」という観点で法律ができるまでに、出発点から45年ほどかかっています。障害のある人自身が意見を言い、行動するようになってから、それぐらいの時間しかたっていないのです。この間に、障害の捉え方が「障害の医学モデル」から「障害の社会モデル」と変わってきました。この言葉はとても重要なので、後ほど説明します。障害のある人はかつて、健常者側からみた「保護の対象」でしかなかった。それが45年の間に、「障害のある人自身が権利の主体」である、と変わってきたのです。
 
 かつて、障害者は「保護」の対象や「治療を施す」対象として、家族が抱え込み、困ったら施設へ行くしかなかった。世論も政策も「特別な学校や施設があればいい」という見方だった。つまり、障害のある人を自分たちの生活空間から排除するということです。
 本人の意見は考慮の外でした。そんな中を矢吹さんのような先輩障害者たちは生き抜いてこられ、社会に対してものを申し、法律を作るまでになったという歴史があります。
 
 ほんの20年前まであった、「優生保護法」(1947~1996年)では、「不良な子孫の出生を防止する」という文言が平気で書かれていた。健康な子どもを産みなさい、という内容でした。この法律の下、強制的に不妊手術を受けさせられた人もたくさんいます。また兵庫県は70年代に「不幸な子どもが生まれない運動」というキャンペーンをやりました。障害があると不幸だから出生防止を、という発想で、県知事や保健所が動いていたのです。
 それは過去の話かというと、そうでもない。最近でも、2015年11月の茨城県の教育委員が、特別支援学校を視察した後、「大変な予算がかかっている。茨城県では(障害児を)減らしていく方向で」との発言があり、全国から抗議が殺到しました。すぐに謝罪があり、委員は辞任しましたが、優生思想が生きている証拠でもあると思いました。
 
 障害者運動の原点となる出来事があります。1970年、2歳になる脳性まひの子どもをお母さんが殺してしまう事件がありました。殺した母親に対して「大変で、仕方なかった」との同情が集まり、近所の人らが減刑嘆願を集めたのです。その活動に対して、障害当事者から「われわれはあってはならない存在なのか?」という異議申し立ての声が上がったのです。世間の減刑嘆願からは、「殺された子どもがどう考えるか」が全く抜け落ちていました。ここで障害者は、「障害=不幸=生まれない方が良い」という世間の人の図式に、疑問を突き付けたのです。こうして障害者がはじめて「主体」となって声をあげ、人として生きられる社会を求めたことが発火点となって、重度障害者の地域での「自立生活」が模索され、様々な社会に向けたアクションがとられはじめました。
 (『母よ!殺すな』横塚晃一:障害者運動の原点。今読んでも新鮮です)
 
 障害者運動はほとんど同じ時代に世界各国でおこり、その結果、大きなスパンで見て、様々な変化がありました。
 親元か施設入所しか考えられていなかった重度の障害のある人が、介護や介助を公的に受けながら地域で自分らしい生活をする。車イスの人がバスに乗るなんて考えられていなかったけど、今は公共交通機関の利用がバリアフリー化の進展で可能になった。教育も障害を理由に別のところで勉強していたのが、不十分ながら「ともに学び、育つ」インクルーシブ教育がようやく国指導で始まる。仕事もさまざまな「働く場」の拡大に向っている。
 こうした変化の中心には必ず、「障害者自身の声」があり、それなしには権利条約は考えられません。かつては障害があるがゆえに、いつも親や介護者、医者の都合で決められていた。しかし現在では、障害のある人が自分の人生の主人公として、地域の中でいきられるようになってきた。それが「権利の主体になった」ということです。
 
■ 「障害」観のシフト 〜社会こそが生きづらさ(バリア)をつくる!〜
○崖の上に駅ができました。車イスの人が階段の前で困っています。なぜでしょうか?
 
 古くからある「障害」観は、「身体の一部に欠損があって、歩けない」だから電車に乗れなくて困る、というものでした。
 このように、「歩けない、見えない」という医学的な「身体の欠損」が問題の原因だと考えられてきました。本人と親でリハビリを頑張って、障害を克服するのが大事、解決の責任は本人と家族にある…というのが障害の医学モデル(個人モデル)でした。
 
 それに対して、新しい考え方はこう問いかけます。そもそも駅は誰の為にあるのか? 地域住民のためですね。地域住民の中には老人もいるし、骨折して一時的に歩けない人もいる、内部疾患で階段が登れない人もいる、そんな一部の人を無視(排除)して、階段だけでいいとしてきた駅やまちづくりのあり方、制度のあり方、人々の価値観に問題がある。エレベーターがないから電車に乗れない。それこそが問題だと考えます。
 つまり、一部の人を排除してきた“社会のあり方”こそが問題だとするのが、新しい「障害」観である 障害の社会モデルの考え方です。当然、解決の責任は社会全体にあります。
「そのままの身体で堂々と生きていったらいい」「変わるべきは社会」なのです。
 
■ 障害者権利条約について  〜はずせないポイント〜
 この「社会モデル」の考え方が国際的な障害者運動のスローガンになって、理論的に整理され、一部の国では障害者差別禁止法が作られました。でも国際的なルールにしなくては意味がないということで、21世紀になってからですが、条約策定がはじまりました。
策定時のスローガンが「われわれ抜きで、われわれのことを何も決めるな!」です。
Nothing about us,without us!
 
 それまでは平気で障害者の声を抜きにして法や政策を決めてきた反省にたち、様々な障害の人が議論に参加しました。
 →2006年12月の国連総会で条約が採択されました。
 
 左が東俊裕さん(車いす使用の弁護士)
 
 日本で、障害者権利条約を批准するには、現行法との間に大きなギャップがありました。
このままじゃダメということで、2009年から内閣府に「障害者制度改革推進室」が設置され、法整備を進めてきました。当然、障害のある人自身が入り、意見を言ってきました。
 →障害者基本法の改正(2011年)・・・社会モデルの視点が入る!
 自立支援法にかわる「障害者総合支援法」の制定(2012年) 著しく不十分ですが。
 「障害者差別解消法」の制定(2013年)
 差別解消法は、その成立から3年間かけて、基本方針、対応要領(地方自治体がつくることができる)ができてきました。当事者団体や親の会等の意見も聞きながら、細かいガイドライン作りを進め、ようやくこの春から差別解消法が施行されるというわけです。
(2014年1月、日本政府が権利条約を批准。京都府条例は2015年4月から施行。)
 ☆京都市の「対応要領」も2016年4月にスタート!
 
◎障害者権利条約の特徴 *障害者差別解消法も、対応要領も条例も、基本は同じ。
・原則 :インクルージョン=誰も排除しない社会へ。
・地域で生活する権利  ・インクルーシブ教育  ・「手話は言語」と明記。
・情報アクセスやコミュニケーションも権利。わかりやすく情報を受け取る権利。
・女性障害者への複合差別への配慮
・「障害を理由とした差別」の中に、「合理的配慮をしないこと」も含む
 
■ 要するに「障害者差別解消法」とは何?:「社会モデル」の考え方が基本
→ 障害のある人があたりまえに生活することを邪魔している「社会のバリア」(物理的なものも、偏見も…「この子には当然無理」という考え方もバリアになりうる)を取り除いていくために、“二種類の差別”を禁止するのが差別解消法。
 法律によって、「差別は許されない」と示すとともに、「バリアをなくすための取り組み」を活性化させる。行政がプランを立てるだけでなく、個々の人の個別の問題にも対応できる。個人個人からでも「これはおかしい」「ここを変えてほしい」と言っていける。言われた方(行政、学校、お店、企業など)は申し出を受け取り、対話し、具体的に必要な手立てをしなければならない。それが合理的配慮
 
▼二つの差別とは?
@不当な差別的取り扱い。
 ← 国・自治体、事業者、みんな絶対ダメ。
 「混んでいるので、車いすの方は2時以降に来てください」、
 「うちのクラブでは聞こえない方は入会できません」
 
A「合理的配慮を提供しないこと」。(ただし「過度な負担」がある場合は除く)
 ←国・自治体は義務。 事業者は「できるだけがんばってね」。
 
 車いすの人が入り口にスロープ設置を求めたが、応じない。
 聴覚障害の人が来店し、放送内容を紙に書いてほしいと求めたが拒む、
 知的障害の人にわかりやすく説明してほしいと頼んだが、無視された、等
 
  ・・・・これら「配慮しないこと」も、これからは「差別」になります!・・・・
 
◎合理的配慮とは何?:つきつめれば話し合い
 「個別の場面で、社会的な障壁のために権利が侵害されている人が、(こうしてほしいと)意思を表明することをきっかけとして、(双方でが対話しながら)社会環境の側を変更・調整する(必要な手立てをする)こと」を指す。
 
とりわけ、障害者からの意思表明に対し(やむをえない理由もないのに)
話し合うことなしに、拒絶することは、「差別」である−−−と明記された。
 
※障害の特性により、「意思の表明」がむずかしい人の場合は?
 →本人を良く知る家族や支援者がかわりに言ってもよい。
「本人が言葉で言わなきゃ、困っていても無視していい」わけではない。(基本方針)
バリアフリー法などはあったが、ザクッとした内容で、個人には対応してこなかった。
 差別解消法では、一人からでも、堂々と言っても良い。(これが重要)
 
■ まとめ:障害者差別解消法ができたら何が変わる?
 ・総合的には :「どういうことが差別になるのか?」を測るものさしができた。
まだまだ周知徹底されていないけれど、個人に対応する細かいルールができた。
 
 ・国や自治体、事業者にとっては
  差別をなくしていくために取り組む責任ができる。
 
 ・障害のある人や家族にとっては
  理不尽なことがあれば、相談したり、おかしいと言って行ける場できる。
  (解決のしくみを通して、再発防止が期待できる)
  これまであきらめていたことも、言っていきやすくなる。
  (自らの経験や意見は、社会のバリア除去に役立つ!)
 
 ・それ以外の人にとっては?
  関係ない人はいない。「知らない」は恥ではないから「対話」しよう!
 
◎要するに「京都市の対応要領」とは何?
 差別解消法は国の法律だが、住民にとって身近な施策をしているのは地方自治体。
 対応要領は、市民に対して、「うちの市はこういう方針で、差別解消法の中身を実現させていきます。うちの市職員にはしっかり研修します」と約束するもの。
     つまり、→ 市民が要求をしていくときの根拠になる。
     ★京都市は先進的なものができた。
 
◎要するに「京都府の条例」とは何?
2006年から、千葉県を皮切りにあちこちで条例ができていっており、京都は9番目。
  直接、解消法に対応したものではないが、内容は同じライン上にある。
  (京都府条例ならではの特徴: 女性障害者の複合差別について書かれている)
 
  国の法律であっても、相談窓口など、「問題解決のためのしくみ」は自治体に置かなくてはならない。(今後は、条例がなくても、相談窓口は必要になるが。)
  京都の条例は、「差別かな?」と思った時に相談できる窓口を用意し、なかなか解決できない場合の「調整委員会」も置いている。(京都市にもできるはずだが。)
  また、京都府として「共生社会に向けた施策」も書かれている。(対応要領とは別に)
    つまり、やはり、→ 府民が要求をしていくときの根拠になる。
 
 相談窓口や仕組みが動くかは、厳しく見守っていかなければならないけれど、いろんな場面で意見を言うことで、考えなければならないことを知らせ、社会を変え、住みやすい社会になっていくことを期待したいと思います。
 活用してこそ、意味のあるものになっていきます。
 
「対応要領」も、「条例」もうまく活用して、差別をなくしていきましょう!
 
フロアーからの追加
  国連の障害者権利条約でいわれている合理的配慮とは、障害のある人を分けて、障害があるからこのような配慮をしましょう、ということではありません。 社会の中に一緒にいて、過ごしやすさ、住みやすさ、学ぶ事を、話合い具体的に調整、提供することです。

 

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