京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(1997年6月号 掲載)

出生前診断は「安心」をもたらすか

−朝日新聞の科学ニュース誌SCIaS[サイアス]'97/5/16より転載−

 ちょっと血液を採るだけで、「簡単」に「安全」に、お腹の赤ちゃんの障害のあるなしがわかるという検査が広まってきた。
「中絶にはつながらない」「むしろ妊婦に安心をもたらす」が、勧める側の論理だが、不安やパニック、早まった選択を心配する声もある。

 「この子がこの家にやって来てから、みんなやさしくなりました」「時々、ああやっぱりへんな顔だなあと思うけど、でも、その全てがかわいいなあと思います。私の視野を広げてくれた大切な宝物」
 京郡ダウン症児を育てる親の会が、全国のダウン症児の親などを対象に実施したアンケート調査に寄せられた声である。会長の佐々木和子さんは言う。
「l4l人のうち、81%の人がダウン症のわが子を産んでよかったと答えているんです」。さまざまな葛藤を乗り越えてたどりついた「よかった」なのだろう。ある親は診断されたときのショックをこう述べている。
「奈落の底に落ちたみたいで、話も半分以上耳に人らなかった」

 ショックに追い打ちをかけるように、「短命で育てるのがむずかしいと言われた」「近くの小児科を紹介してくれただけで、あとは知らないという感じだった」といった医師の対応を経験すれば、ダウン症に対して否定的なイメージを持たされてしまう。アンケート結果によれば、産婦人科医師からダウン症の告知・説明を受けてプラスのイメージを待った人は7%しかいない。

時が過きて心に余裕

 ショックから立ち直るきっかけは、「かわいく育っていく子供を見て」「障害のある子供を育てた親の話を聞いて」と、人によりさまざまだが、「娘も15歳になり、どうしてあのとき、自分ほど不幸な人間はいないと思ったのか、おかしいくらいに思えます」と、時間がたてば、余裕を持って振り返れるようになる。

 佐々木さんたちが、こうした声をきちんと集めて社会に伝えなければならないと感じたのは、生まれてくる赤ちやんがダウン症かどうかを妊娠中に推定する母体血清マーカー試験という出生前診断の広まりに対して、早いうちに何らかの行動を起こさなければ、と考えたからだ。

 トリプルマーカーとも呼ばれるこの検査は、妊婦の血液中のアルファ胎児性たんぱく、ヒト絨毛性性腺刺激ホルモン、エストリオールというホルモンの値を調べる。これらの値の組み合わせと妊婦の年齢から、21番の染色体が過剰にあるために知的発達障害などが起こりやすいダウン症、18番の染色体が3本あり心臓の奇形を伴うことが多い18トリソミー、神経系ができるときの異常で神経系の障害が出る神経管奇形の、それぞれの障害を持つ赤ちゃんが生まれる確率を推定する。l〜2万円ほどの白己負担で受ける検査だ。

 羊水検査など、従来の出生前診断は、わずかな確率とはいえ流産の危険も伴う。この母体血清マーカー試験は、採血だけですむ簡単かつ安全な出生前検査ということで、94年以来、全国の産婦人科に広まりつつある。  ダウン症の子供を持つ親にとっては、気になる検査である。ダウン症の子供の親たちが中心にできた日本ダウン症協会は、母体血清マーカー試験の普及は人権侵害につながる可能性があることを警告して、規制なしの開発や普及を凍結し、ガイドラインづくりを関係団体に働きかけることなどを要望する意見書を、4月7目、厚生大臣に届けた。

 「この検査が普及すると、マススクリーニング的に、ダウン症の子を排除する雰囲気が出てきそうで怖い。私たちが医師から受けてきた説明が不十分だったことは今回のアンケートで明らか。検査をする医師たちがダウン症のことをよく知っているとは思えない。十分なカウンセリングもなく、否定的なイメージだけが伝わって中絶を選ぶ人が増えるのは問題」と佐々木さんは言う。

 医師の中にもこの検査の広まりに対して、懐疑的な見方をしている人がいる。佐藤孝道・虎の門病院産婦人科部長はこう話す。
「羊水検査など従来の出生前診断は、限られた施設で行われ、受けようという人も少なかった。それなりにカウンセリングもなされただろう。母体血清マーカー試験の持つ意味は、従来の検査と変わらないのに、多数の妊婦が対象になる。正確で必要な情報が提供され、自発的に熟慮したうえで、判断できる状況があるのかどうか、疑問がわく」

考える時間はあるのか

 母体血清マーカー試験は妊娠15週から18週の間に受ける。約l週間後に胎児の染色体異常の確率が高いという結果が出れば、もっと高い精度で調べるために羊水検査を受けるかどうかを決める。羊水検査の結果が出るのにも2週間ほどかかる。中絶を選ぶことになれば、22週が限界だ。妊婦にとって非常に複雑な問題を、短時間に判断していくことになる。

 この検査を目本で最初に売り出したジェンザイム・ジャパン社のインフォームド・コンセント集は、「胎児の状態を知ることと中絶を結びつけて医療行為をしてはならないことになっています」「この検査を受けて、胎児の状態を早く知り、精神的・物質的準備を早くしたいと思われたら、受けられるとよいでしょう」と、障害のある子を育てる準備をするための一歩としての検査という見方もあることを示す。

 ジェンザイム・ジャパン社は、検査についての説明と同意確認の徹底やカウンセリングなどのアフターケアに自信を持っているという。ジェンザイム社に続いてこの検査を売り始めたエスアールエル社も、通常は検査会社は医師から依頼された検査を行うだけだが、この検査については、医師と契約するときに、インフォームド・コンセントやカウンセリングの徹底を確認しているという。

 しかし、静岡県立こども病院の長谷川知子・遺伝染色体科医長は、「医師から詳しい説明がなく、受けて当然の検査のように思って気軽に受けて、ダウン症だと言われ、中絶をして深く傷ついた人、検査で大丈夫だと言われたのに、生まれてからダウン症とわかりどうしていいかわからなくなった人などをカウンセリングしたが、いずれも立ち直るのに時間がかかった」と話し、何を知るためのどんな検査なのか、どのような形で結果が知らされ、どのような選択をすることになるのか、十分な説明を受け、納得してから検査を受けた人ばかりではないと指摘する。

 「この検査は、0.3%といったレベルで異常の確率が高いかどうかを考えますが、検査の結果、異常の可能性が高いと医師から言われたら、ふつうの人はせいぜい30%くらいと考えるのではないでしょうか。ただ年齢が高いから可能性が高いと言われるより、検査の緒果、となると、与えられるインパクトが大きいでしょう」と佐藤部長も心配する。

 母体血清マーカー試験で「異常の可能性が高い」(陽性)と言われて羊水検査を受けた人のうち、ダウン症だとわがるのは、40人にl人程度だという。昨年秋に束京で開かれた胎児スクリーニング学術セミナーで発表された東京慈恵会医科大学産婦人科のデータでは、平均年齢32歳の8417人中、陽性率は14.8%。これを年齢で分けると、35歳末満だと7%になり、35歳以上は33.1%だった。これまで35歳以上というだけで、ダウン症が生まれる確率が高いとされ羊水検査を受ける人がいたが、この検査をすることで、羊水検査の数を大幅に減らせると計算した。

 今はまだ、ジェンザイム・ジャパン社がl万数千件、エスアールエル社が「それよりずっと少ない」(同社広報室)検査を行ったというところだ。年間100万人以上の妊婦が受ける検査になれば、200億円市場になるという指摘もある。この検査の普及により、さらに価格の高い羊水検査を受ける人が増えるのではないかという見方もある。

 中込弥男・前東大教授は、「妊婦の9割は35歳以下。これまで羊水検査は全国で数千件程度といわれていた。しかし、もし妊婦の5割が母体血清マーカー試騒を受け、その14%が確率が高いといわれ、その7割が羊水検査を受けるとすると、6万人強になる計算だ」との考え方もあることを指摘。

 ダウン症の子供の母親で、臨床心理士の玉井真理子・信州大学医療技術短期大学部講師は、「遺伝カウンセリングの体制が整ったところだけで検査をするように、国レベルで施設を限定すべきではないか」と言う。

 日本人類遺伝学会は、この春、母体血清マーカー試験への対応を考えて、同学会が作った遺伝カウンセリング・出生前診断をめぐるガイドラインの見直しを始めることにした。

編集部/瀬川茂子   


                
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