京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(1998年6月号 掲載)
中学生になって

木村純子   

 昨年のトライアングルの会報で“自転車に乗れたヨ”という話を載せてもらった木村です。その中で、「秋からは中学のことを真剣に考えなければ・・・」ということでしたが、今回はその中学就学時のことと、中学生になってからのことをお話しします。

 昨年(6年生)の2学期がはじまってから、小学校の校長と何回か就学の話をしました。地域の中学は太秦中学校になり、ここは育成学級がありません。このまま、お友達と一緒に太秦中学校に入学するか、越境通学になりますが育成学級のある中学校に入学するか・・・どこに行くのか・・・気持ちは非常に揺れ動いていました。

 親の思いとしては、地域の中でいろいろな子ども達と一緒に生活していきたい、生きていきたいということで、この時点でもその気持ちは変わっていませんでした。しかし、肺高血圧症も少し残っていて、薬も毎日飲んでいます。運動制限もあり、決して無理のできない状態で普通学級に通わせて体力的についていけるだろーか。中学では真理子のことを知ってる子が2割くらいしかおらず、ほとんどは真理子と初めて接する訳です。その中で、うまくやっていけるだろーか。心配することはいろいろありました。

 どこの中学校に行くか決められないまま、悶々とした日々が過ぎていき、12月に永松記念教育センターにて教育相談を受けることになりました。結果は“養護学校”でした。“養護”と出ると、いくら頑張っても育成学級は作ってもらえないということで、少し出ていた太秦中学校に育成学級を! という話もなくなってしまいました。この時はさすがにくやしくて、校長室でくやし涙を流したことを思い出します。

 さて、どうしようか・・・? ギリギリまで悩みましたが、地域の子ども達と一緒に・・・という私達夫婦の思いは強く残っていました。なによりも真理子が「みんなと一緒に行きたい!」と希望しました。

 普通学級へ行こう!! これが私達の決断でした。決めてからは、決して迷うことはなく・・・でも、不安:7、希望:3、くらいの気持ちで入学式を迎えることになりました。

 入学式はあいにくの雨。家の前でバッチシかっこいい、そして可愛い制服姿の写真を撮ろうと思っていましたが、それどころではなく、バタバタで、雨でビショビショの入学式でした。
1年5組36番。担任は私より一回り年下の若い美人の先生です(私もまだ若いんですけどォー)。

 心配していた学校生活はと言いますと、授業はしんどいものはありますが、でも英語が好きで(担任が英語担当でもあり)、放課後に個別で英語の勉強を教えて下さることになりました。体育は体操服に着がえるのに時間がかかり、初日は置いてきぼりになり(まぁ予想通りです)、どの先生かわかりませんが、運動場まで連れて行ってもらったそうです。ランニングはグランド2周のところ「木村さんは1周でいいよー」ということで(真理子が言っていました)、配慮してもらってます。

 体操服に着がえるのが遅い原因として、カッターシャツのボタンがあります。2〜3コだけ外したらいいということを教えていたのですが、こういう所はすごく几帳面で、全部外してしまいます。これでは時間がかかります。でも、初日に遅れたことで、真理子は全部外してては時間がかかるということがわかったらしく、2回目からは2〜3コ外しただけで着がえているようです。スカートのホックの付け外しもスムーズに出来るようになりました。親が口で教えてもなかなかわかってくれないのですが、やはり実践ですよね。親が教えるとどうしても感情的になってしまい、限界があると思うんですけど、友達のする事を見て、本当に少しずつですがいろいろと吸収して成長していくんですね。しみじみ思いました。

 部活は、な・なんとテニス部に入ると言い出し、先生も私もみんなビックリ! 主治医に相談したところ、「大人が一人付いて趣味程度やったらいいけどなぁー」と、まぁ一応の許可はもらいました。部活は週に1回ですが、担任か副担任が付いて下さるそうです。今は筋トレとボール拾いなので、お休みしていますが・・・。

 入学して1ケ月が過ぎて、回りの子ども達が中学生活にやっと慣れてきた頃です。真理子が慣れるまでは、まだ時間はかかると思いますが、声を掛けてくれる友達が1人、2人・・・と増えてきていることは事実です。今は毎日「ちょっと楽しい!」と言って、赤いリュックとキティちゃんのお弁当袋を持って通学しています。 すごく元気です!!

 最後に・・・我家には5年生の妹、絵里子がいるのですが、真理子の入学のことで頭の中が一杯になって、私は入学2日目、絵里子の存在をすっかり忘れていました。真理子を中学校まで送っていく途中で、「あッ、絵里子はどうしたんやろー」と、そこで初めて気がつくという、まぁなんとも大ボケの母!

 そして、下校してから・・・「お母さん達の後ろをずっと歩いてたんやでェ」と、ちょっとゆでだこ状態。ゴメン!

 でも、最後に「お姉ちゃん、学校どうやったんや?」と心配もしている娘でした。


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