京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2000年10月号 掲載)

『トライアングル』6月号のつづきです。


21番染色体のDNA配列が解読されて、ダウン症は治療できるの?(No.2)

巽 純子   

1.21番染色体について

 No.1(2000年6月号)では、人を形作っている全て細胞は、もとはたった1個の受精卵だったという話、それから成人の身体は約60兆(0が13個並びます)個もの細胞でできているという話をしました(ちなみに地球上の人口は約60億(0が9個並びます)人、つまり1人の人の身体の細胞全部の1万分の1しかないのです)。ダウン症の人はその身体を作っている全ての細胞で21番染色体が1本多いのです。ダウン症の原因である21番染色体が普通の人より1本多いために起こる症状の根本的な治療方法は、60兆個の細胞について60兆個の21番染色体だけを取り除くと言うことです。気の遠くなる作業です。

 あえて言うなら、生まれた時点でダウン症と言うことがわかり、そのときに21番染色体を除こうとすれば、そのときの細胞数は3兆個ですから、まだ少し作業は少ないかもしれません。それでも、現在の技術をもってしてもこのような根本的治療は不可能です。染色体は細胞分裂にそなえて凝縮した形で、ふだん細胞内で設計図であるDNAを元に活発にタンパクが作られている時は、ダラーッと延びた形になっていて、どれが21番だか、1番だかわからないようになっています。ですから、物理的にとってしまうと言うことは、現実的な方法ではありません。したがって、根本的治療はできないと言っていいでしょう。

 しかし、21番染色体には乗っている遺伝子の数が少なく、かつ活発に働いている遺伝子も少ないのです。また、6月号でも述べましたように、21番染色体の全ての遺伝子がダウン症の特有な症状に結びついているわけではないと言うこともわかってきました。それは、染色体の長い方の腕(長椀といいますが)(図1参照)の下の方の一部だけに関係する遺伝子が集まっているらしいのです。専門的にその部分をいうと、21q22.3の領域です。この部分が普通の1.5倍の遺伝子量になると、知的障害、心臓奇形、顔つきの特徴などが出てきます。心臓奇形などは、受精卵から胎児への発生過程ですでに関係遺伝子が働いてそのような状態になってしまったものですから、遺伝子を押さえたからと言って塞がる物ではありませんので、治療は外科手術しかありません。顔つきにしたって、もし嫌なら、美容整形を受けるしかありません。一旦形成された物は、遺伝子を入れ替えたり、取り除いたりしても正常な形になおりません。

 ところで、21番染色体のDNA配列が解読されたからと言って、その中にある遺伝子がどのような働きをしているかまで全部わかったわけではありません。DNA配列が解読されたと言う意味は、例えて言うなら、順番に並んでいるアルファベットの並びがわかっただけです。言葉の意味まではわかりません。次のアルファベットの並びを考えて下さい。
「Clinicalpsychologistsseethismechanismtermedrepressionasawaytocopewithproblemsthatcannotbesolved」。まず、どこでひとつひとつの言葉が区切られるのか、さらに区切った後、その単語の意味がわからなければ何のことかさっぱりわからないだろうと思います。今は、単に上の英文のようにアルファベットの並びが分かった段階です。まあ、DNAの場合、文字(塩基と言う)が4つ(A:アデニン、C:シトシン、G:グアニン、T:チミン)しかないということと、3つの文字で一つの言葉を表わし、言葉の数は20個しかないというのが、人間の言葉よりは解読は楽だと言えますが。

 しかしながら、まだ21番染色体にある遺伝子全てについても(最も染色体中では少ない遺伝子数ではあるけれども)、どのような働きをしているかまではわかっていません。 DS領域についても、短い部分ではありますが、全てについて何をしているかがまだわかっていません。

 現在までにわかったものの例をあげますと、最近DSCAM(Down syndrome cell adhesion molecule:ダウン症細胞接着性分子というタンパクを作る)遺伝子が注目を浴びています。この遺伝子はネズミにもショウジョウバエにもあります。おそらく多くの脊椎動物にはあると考えられています。受精卵から胎児へと発生する過程で神経系が作られていきますがそのときの中心的な役割を担っていると思われています。また、これは、成人の脳でも活発に働いているとわかりました。不思議なのは、たったひとつの遺伝子なんですが、翻訳のされ方が様々あって作られるタンパクの多様性が理論的には38,016通りにもなるという特殊な遺伝子で、まるで免疫系の遺伝子のようです。しかし、まるで免疫系というより、神経系の方が古くから存在していたので、まず神経系が多様性を獲得し、後に生体防御に利用されたのかもしれません。

 神経系の多様性は個々の個性の多様性にも関与しているのかも知れません。
 DSCR1という遺伝子もこの辺にありますが、これは、中枢神経系が発達する時期の心臓と脳で活発にタンパクを作っていることがわかっています。

 SIM2という遺伝子もこの辺にあり、これを過剰に発現したネズミでは、痛みに対する感度と行動面での敏感さが普通のネズミより劣ってくると言う結果が出されています。



2.遺伝子治療の原理

 遺伝子治療と言うのは、一般的には図に示すように、ある遺伝子が変化して異常なタンパクを作り出したり、タンパクが作られなくなったりして疾病になっている患者さんの細胞に、正常な遺伝子を導入することによって正常なタンパクが作り出され疾病の症状がなくなることです。ですから、変化した遺伝子は、そのままにしておき、別に正常な遺伝子を染色体のどこでも構わないから入れてしまうに過ぎない治療です。



 ところが、ダウン症の人の症状の原因となっているのは、遺伝子そのものの変化では無いのです。遺伝子は正常です。問題は、正常な遺伝子であるけれども、その遺伝子の設計図に従って作り出されるところのタンパクの量が余分なことなのです。したがって、現段階の遺伝子治療に適応する疾病ではありません。

 しかし、厳密に言うと遺伝子そのものを入れたり変えたりするものではありませんが、分子生物学的な知識を用いて、次のようなアンチセンスRNAによるタンパク合成ブロックは原理的には考えられます。DS領域の遺伝子が活発に転写されている(設計図のDNAから実際にタンパクを合成するため働くRNAに図面をコピーしていること)組織に、mRNAをブロックするアンチセンスRNA(図面をコピーしたmRNAの写真のネガみたいなもので、ネガと普通の白黒写真の透明フィルムに焼いたものを重ねれば真っ黒となって、何も見えなくなるようなもの)を入れてやれば、コピーされたmRNAにくっついてまるでDNA2重鎖のように2重鎖を形成してしまい、実際にタンパクを合成するために働かなくなる。量をコントロールできれば、1.5倍量のタンパクは合成されずに普通の人と同じように1倍量のタンパクが合成されるようになります。この方法は、少しはましな方法かも知れませんが、RNAは非常に不安定なので、その組織内の細胞に何度も何度も(1ヶ月に2回あるいは4回という頻度で)注入しなければなりません。また、タンパク量をちょうどうまく減らすようにRNAを入れるのもかなり困難です。費用はべらぼうに高くなります。ですから、これはアイデアだけで世界中でこのような遺伝子治療をやっているところは全くありません。

 ですから、タンパク合成をブロックする方法としは、薬剤によるブロックの方がもっと現実的で安くあがると思います。これは、実際にどの遺伝子が例えば神経系の発達や早期老化などに関与しているのかがあきらかにされていけば、合成されるタンパクが特定でき、それを特異的にブロックする薬剤も研究されていくだろうと思われるからです。これは、非常に現実的なことです。ですから、21番染色体上の遺伝子が解析され、その働きが明らかになってくることで、将来の結果としてダウン症者の生活の質がよくなったり寿命がのびたりもあるかもしれません。しかし、それまでには、薬剤の開発、その副作用の検証などいくつもの関門があり、また貧富の差なく治療が受けられるかどうかもわかりませんし、さらに言えばダウン症がなおって正常の子供になるという画期的なことはあるとは思えません。

 何度も言いますが、ダウン症というのは、1種類の遺伝子だけでなるものではないからです。根本的な遺伝子治療は現在の技術では不可能です。



3.「いでんいんふぉめーしょんUP SHOP」の思い

 生命の誕生は約36億年前たった一度きりでした。現在ある地球上のすべての生物は共通の祖先細胞から進化し、驚くべき多様な生命体を生んで来ました。今ある地球上のすべての生命体は、地球そのものからつくり出されています。たった一度っきり生み出された生命のもとは、その生命維持の方法は頑固なまでに維持し、子孫に伝えて来ました。それが、遺伝です。

 ですから、人の遺伝子を大腸菌に組み込んで人の成長ホルモンなどを作ることも可能なわけです。また、大腸菌の遺伝子によって作られたタンパク質がきちんと人の細胞の中で働くこともできます。大腸菌から人まで共通に持っているものが結構あるのです。

 他方、それとともに地球上で進化して来た生命体の必然として、子が親とは異なる形質を得るということも起きます。これが突然変異で、地球上に多様な生命を生んで来た源です。私達はそのような遺伝と突然変異との二つの流れの中にいます。
 ですから、親の形質を受け継ぐ遺伝も親とは異なる形質を自然に得てしまうこともまさに自然の摂理なのです。

 かけがえのない地球の上で、生命体はダイナミックに形を作って来る過程で、変化をつなげてきたのです。親と異なることも、他の人と異なることもごくごく自然のことです。生物が多様な性質や形を持ってきたことが、それを示しています。遺伝性の障害を持つことも、障害を持つことも自然の流れのひとつなのです。遺伝性疾患や障害をなくすることは不可能なことです。
自然な中で生まれてくる新しい命は、地球の営みにとって必要な命なのです。


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