京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2002年10月号 掲載)
映画 able

柵木郷子

 この夏は本当に暑かったですね。そんな中、7月27日、子供と共に「able」の映画を見に行ってきました。忘れていました。父親も一緒でした。映画を見た後、もう、言うまでもなく、心はすでにアメリカに飛んでいました。我が家の花奈でもと、言ったら彼女に失礼になるかもしれないですが、充分留学が出来るやん。来年、高校生になる娘の事と、登場してくるダウン症の元君、そして彼の友達、淳君とが、だぶってきます。スペシャルオリンピックスの水泳プログラムに参加している彼等は、この映画製作にあたり監督である小栗氏から、御指名を受けた訳です。本当に、どこでも出会える身近な存在の2人がアメリカに留学し、すばらしいホストファミリー、クラスメイト、訓練所、職場、スペシャルオリンピックス等など、出会った人々との温かみを感じると同時に、アメリカ社会の中で、障害を持つ人々がどんな風に生きているのかが、良く伝わってきました。特に花奈にとっては身近な高校問題なので、目の止まる所は、学校での生活でした。「door to door」 の登下校、普通学級での授業内容等、「いいよなあ、こんなん」と、ブツブツ一人言を言っていました。

 この映画を見た知り合いのアメリカ人が、30年以上前の自分の高校のクラスにもダウン症の生徒がいたよ、と言っていました。クラスの生徒が、障害を持つ仲間に勉強などを教えたりすると、単位として認められ、また、一方では、弱い所を補う勉強も用意されている。「う−ん」ここまで見せてもらうと、唸るしかない。なんでこんなに違うの、どうして日本では、地域の普通高校に行けないの?。
これ以上書くとおばさんの「ぼやき」になってしまうのでやめます。

 言葉の違う外国で、ましてや、障害を持つ青年達、でも人間と人間の心が本当に触れ合うところでは、言葉はそんなに、重要な問題ではなさそうだと久々に感じさせてくれました。パンフレットにも書かれていたように、彼らは「できない」のではなく時間をかければ「できる」。確かにそうなんだ。共に生きるこちらサイドの問題なんだ。当たり前のことを「ふと」再確認させてくれた,映画でした。


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